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肝付町のブログ

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M田部長のぶらり旅(番外編)コアジサシが帰ってきました!

 2017年6月、志布志湾沿岸の鳥友だちからうれしい知らせが届きました。志布志市から大崎町にかけての海岸にアジサシの仲間が100羽以上飛来しており、営巣をはじめた可能性もある。コアジサシが主だが、他のアジサシ類も混じっているようだというのです。

  

 コアジサシは、チドリ目カモメ科の鳥、大きさはハトぐらい。白い翼と尾羽を広げて糸を引くように飛翔する姿や獲物を狙うときのホバリングはさながらツバメを思わせるほどです。日本には4月ごろから夏鳥として渡来し、海岸や河川の砂地にコロニーを作って繁殖します。

 

 10年ほど前までは、志布志湾沿岸でもその姿は夏の風物詩で、志布志市から肝付町までの河口や砂浜にいくつかのコロニーが形成され、6,7月には雛たちの可愛らしい姿を見ることができたのです。しかし、ここ数年集団でこの地に渡来することはほとんどなくなり、もちろん営巣を観察することは皆無となっていました。鹿児島県の2016年改訂レッドデータブックでは絶滅危惧種Ⅰ類(絶滅の危機に瀕している種)にはいってしまいました。※1

 そのような中、2年前から志布志市在住の方がたが、志布志湾にコアジサシを呼び戻す環境を整備しようと営巣地の造成やデコイの設置などの活動を続けておられます。

  参照:2016年4月ぶらり旅(番外編)「帰っておいでコアジサシ ボランティア活動 in 志布志」 

 

 鳥友だちからの情報を得て、早速大崎町の海岸に行ってみました。青い空と海を背景に数十羽のコアジサシが飛び交い、砂地のあちらこちらに抱卵をするようにしゃがみ込んだ固体を観ることができました。運がよければ雛がかえるかも知れません。(写真は2017.6.29 益丸海岸)

 

 

 これから本格的な夏を迎え、この辺りの海岸には人や車も入ってきます。花火大会の大きな音も響くこともあるでしょう。何といっても大波寄せる台風がやってくる季節。

 久しぶりに帰ってきてくれたコアジサシたちが、何とか無事に、うまくいけば子育てをしながら、この夏を乗り切ってくれることを祈るばかりです。

 

 ※1 環境省平成24 年8月作成の第4次レッドリストでは絶滅危惧Ⅱ類に位置づけられている。

 

(できれば次回で続きを M田) 


参考文献

「鹿児島県レッドリスト 平成26年改訂」

「環境省レッドリスト 2017」

 環境省「コアジサシ繁殖地の保全・配慮指針」平成26年3月

「フィールドガイド 日本の野鳥」高野伸二著

 

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M田部長のぶらり旅 with N野・本町商店街の原田印刷さん 「活版印刷と米粒」(その2)

 ここ肝付町本町には、間口が狭く奥行きの長い町屋づくりが残されています。原田印刷さんのお店もそのひとつ。店に入ると狭い通路の左側に、よく油拭きされ磨かれた印刷機、そして機械越しの壁一面に活字が並べて置いてあります。ほかのいくつかの機械もこの並びにそって置かれていますが、どれも少し暗いお店の中で鈍く輝いており、いつでもスタンバイできる状態に整備されているようです。 

 

 この印刷機械は昭和36年製。60年近くこの店の稼ぎ頭として働いていることになります。もうすぐ還暦ですね。この機械、当初は足踏み式の人力駆動で大変だったようですが、今は右側のモーターで時間2500枚まで印刷可能とのことです。試しに動かしてもらいました。カムと歯車だけで制御された機械は、サラッサラッと実に軽やかな、いい音で回ってくれました。原田さんにお聞きしたところでは、活版印刷機のうちこの機種で鹿児島県内に残っているのはこれともう1台の2台だけになってしまったのではないかとのことでした。

 

では、活版印刷の「活」字について。

 

 壁いっぱいの活字は、漢字やかななどの和文は1文字ごとに数個から十数個、数字は数十個ずつ並んでいます。文字の大きさは7段階。最小は1mm未満。原田さんいわく、「鉛で鋳造されている活字はとても柔らかくて、床に顔(文字面)から落とすとつぶれて使い物にならなくなる。だから大事に扱います。また、横(側面)に圧力が加わってへこむと他の面のどこかが膨らんで、盤面にきれいに並ばなくなる、そのときは尻叩きするとまっすぐに直るんですよ。」なんか大切な子どものことを話されているような口ぶりでした。

 

 活版印刷の手順の第一。「文選箱」という掌より少し大きい小箱に活字を拾う工程をちょっとだけ見せてもらいました。この箱に文書の段ごとの文字を左詰めで拾っていきます。本格的にやれば活字の壁を右へ左へ移動しながら、根気の要る地道な作業となることでしょう。 

 

 

 その後、手順第二にはいります。文選箱に拾った活字を植字板に並べて印字面を作っていく工程(ゲラ)。真鍮製の真っ平らな植字板の上に活字や薄い金属板を組み合わせながら置いていくのです。文字間隔が金属板で、厚さは0.1mmくらいから、倍々で厚みを増していきます。キーボードで調整していくのとは全く異なる職人技に驚くほかはありません。

活版印刷の工程はまだまだ先があるのですが今回はここまで。

 

 二つの工程を見せてもらって、あのミニチュアバードカービングを作る素を十分に理解することができたように思います。

 鳥と活字面という違いはありますが、対象物を真剣にとらえ、探求し、細かい作業をいとわずに具現化していく気持ちと技の結集力があればこそ可能になることなのでしょう。生半可ではとてもできないことのようです。感服致しました。ありがとうございました。

 

 ところで、「原田さん、こんな小さい字が眼鏡かけないで見えるんですか?」というM田の老眼鏡必須の愚問に、原田さんがにこにこしながら出してくれた答えが、これ。

 下の四角い箱の中に一つ見えているのは米粒です。曰く「米に名前とか文字を書くんですよ。眼鏡なしで。」いやはや・・・、凄いのひとこと。この次にはM田の氏名も書いてくれるそうです。

 

 パソコンとプリンターで安直に印刷ができてしまう今日、私たちの業務のなかでは活版印刷をお願いすることもほとんどなくなりましたが、原田印刷さんには、学校の通信簿封筒、名刺の印刷などの依頼があるそうです。アナログでしか出せない味のある職人技の印刷物。まずは名刺からお願いしたくなりました。

 

(次は夏の海か M田)

 

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M田部長のぶらり旅 with N野・本町商店街の原田印刷さん 「ミニチュアバードと活版印刷機そして・・・」(その1)

 肝付町高山新富本町商店街。通りの先には東のお寺の大きな屋根が見えてくるあたりに、「原田印刷」とだけ書かれた看板とそのお店が静かに佇んでいます。

 ご主人の原田健二さんとは40年近く前からの知り合いで、以前は印刷もよく頼んでいましたが、長くご無沙汰をしていました。ふとしたことで、原田さんが鳥の模型を作っておられると聞き、半年ほど前に再訪する機会を得たのでした。それから、鳥つながりのお付き合いを通して、今回ゆっくりと立ち寄らせていただくことになったのです。

 

 入り口の引き戸を開けると、どこか懐かしいインクの匂いに包まれました。

 そして、すぐ右手には長さ80cmほどのガラスケースが置かれています。この中に収まっているのが、原田さんが作られたバードカービングです。全部で47種類五十数羽の鳥たち。

 驚くのはその大きさと色彩の美しさです。鳥の大きさは、最大でも長さ5cm、小さいものはわずか2cmに満たないものもある超ミニチュアサイズ。にもかかわらず、鳥たちの色どりは実に美しく精密に、しかし手仕事の優しさをも残しつつ再現されているのです。

 一つひとつを観ていると、原田さんのそれぞれの鳥たちに対する深い思いが伝わってくるようです。それは、鳥種の選択が実に渋いことからもうかがい知ることができる気がします。ここにあるのが、目を引くような色鮮やかなきれいな鳥ではなく、身近にいて普段に見ることのできる鳥に絞られているからも。

 


 

 カービングの材料は、主にタモ。癖が少なく粘りがあり使い勝手がいいそうです。(ハウスメーカーから切れ端をわけてもらって使うこともあるとか。)

 木彫の道具は市販のカッターナイフ大小2本と学習用彫刻等だけ。

 薄くうすく削っていく作業だけに1年に彫れるのは3種類くらいで、10年余りでやっと今の数になったそう。群を抜く手先の器用さと根気のいる趣味です。

 このふたつの必須能力は、原田さんのお仕事とも深く結びついているように思われます。

 

 

 お店に入ったときの懐かしい匂いは、活版印刷で使われる油性インクのものでした。ケースの通路越しに置かれた機械と壁一杯の活字。原田さん、仕事と趣味は表裏一体なのですね。

(次回につづくのだM田)

 

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M田部長のぶらり旅・番外編 志布志で水を汲めば山頭火

 立夏を迎えました。孟宗の筍は高々と伸び、枝を広げかけているものもあります。里山の常緑広葉樹はいっせいに黄金色の花を咲かせはじめ、いま、まさに当地は山笑う季節となりました。気温もあがり少し動くと汗ばむくらい。お水も美味しい。

 

 汲み置いていた水がそろそろ底をつきそうなのでゆっくりあるときに汲みに行きたいという、家人からのリクエストにお応えして、GWの昼下がり、ポリ缶を積んで出かけることにしました。 

 行く先は、届け物もあるというので志布志方面に。蓬(よもぎ)の里湧水とか高下谷(こうげたん)のわき水とか知る人ぞ知る、知らない人は知らない名水をなんどか汲んだことがあります。が、今回は志布志の町中、宝満寺の近くにもいい水汲み場があるとの噂を聞きつけ、そこに行ってみることに。

 去年「お釈迦祭り」でウロウロした辺りで、ちょいと土地勘もありすぐに見つけることができました。

 

「飲まずには 通れない 水が したたる」
「飲まずには 通れない 水が したたる」

 

 「沢目記湧水」という銘のあるたいへん立派な水汲み場です。ここ沢目記集落の皆さんが整備された共同の水汲み場だそうです。渾々と湧きでる清水を称えるようにこれまた立派な句碑も鎮座しています。

ポリ缶にたっぷり汲み終えて、句碑の横の看板を読んでみると、大正5年の秋、あの山頭火が志布志の町中を2日間托鉢して回ったそうな。『きき水』の達人ともよばれた彼は、そのときこの湧き水も飲み味わったかも知れませんね。と解説されております。昔から大切にされてきた湧水なんです。心していただきましょう。

 

 山頭火と言えば、30年近く前フランキー堺さんが熱演したドラマがありました。今でも記憶に残っています。フランキーさんは鹿児島の出身なので、あの人のドラマはよく見ていました。

 さて、ここ志布志には、山頭火が2日間過ごしたなかで詠んだ句が14の句碑に刻まれ、街のあちこちに残されているようです。そのうちこの湧水から一番近いところに、彼が鹿児島を去るきっかけになった出来事を読んだ句碑がありました。

 

「秋の空高く 巡査に 叱られた」
「秋の空高く 巡査に 叱られた」

 

 解説看板によると47才の彼は、若い巡査から「托鉢なら正々堂々とやれ。」と注意されたので感傷的な気分になり、行を止め宿に戻って、翌日は都城に向かったそうです。なんかわかる気がしません?旅路の果ての山頭火の気持ちが。しかも秋なんです。

 他の句碑も見つけてみたいのですが、霧雨が小雨になってきたので、わたしたちもそろそろと帰路につくことにしました。 

                                    (次は緑の中かな M田)

 


参考文献

・「種田山頭火白碑めぐり 山頭火と志にあふれる旅」 志布志市

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M田部長のぶらり肝付町の旅・はるの楽しみ 山菜をいただくのだ(その2)

 春の彼岸を迎える頃になると、海沿いの山肌には、深みどりの木々のなかに山桜が花を咲かせます。にわかに姿をあらわす綿菓子のようなその樹形や色の違いに、思わず目を細めて見入ってしまうほど。こちらではこの風景の中、早期米の田植えがはじまるのです。 

 

 この時期からやたらと話題になるのが山菜の情報。タラの芽はまだ早い、ウドなどは更にまだ先、タケノコはそろそろだよなぁとか。

ということで、近くの竹山に行ってみました。あわよくば、孟宗竹の初ものをいただけるかもという薄い期待をいだきつつ。

 朝夕はまだ寒さが残っているからでしょう、たけのこはまだ土の中、地表には芽も頭も出してはいません。そこで、日当たりの良さそうな場所をゴム長の底ですり足前進して筍の芽を感知するという「すりすり探索法」に打って出ました。勘も技術も何もいらない、時の運だけが左右するやり方ですが・・・。

効果ありでした。

 

 

 今年初挑戦で5本の収穫。これはこれは。「いつものように酢味噌和えで一杯かな。いやいや若竹煮も外せんぞ。」とか自慢したいくらいうれしかったので、SNSサイトに投稿したところ、I先生から美味しい食べ方のフォローをいただきました。「鮮度がよければ焼きタケノコもいいですよ。」とのこと。孟宗竹のたけのこではまだやったことのない調理法でしたので早速チャレンジ。

 

ガスレンジで直火焼きにしてみました。

 

 焼けた皮をあちちちちちっ・・ とむいて、なにもつけずに、はふはふ。口いっぱいにひろがる筍の香りと甘さを堪能しました。これがまた鶏刺しと相性抜群。

 I先生に感謝しつつ、本年第2弾、東をむいて「わっはっは」と大声で笑わせていただきました。ごちそうさまでした。    

 

(次も山か? M田) 

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M田部長のぶらり肝付町の旅・はるの楽しみ 山菜をいただくのだ

 山仕事にたずさわる人々(うちの会社も)は、旧暦正月16日は「山の神」のお祭りをするのが慣わしです。これは、冬場の山仕事から、春の農作業に移る区切りの意味もあるとのこと。このころが春の始まりだとご先祖様たちはお考えだったのでしょう。

 そういえば、ウグイスの初音を聞くのも、バレンタインのチョコの日もこのころ。野も人も陽射しの暖かみを感じて活発に動きだす時期なのです。

 

 そこで先月、まだ小さく縮こまっていたフキノトウを見に行くことにしました。寒さの残る土のうえで、ふっくらとちょうど良いくらいに大きくなっているはずです。

 

***前回のぶらりにメッセージをいただいた もりやまさまへ***

もりやまさまからのメッセージ

いいですねー ふきのとう 子供の頃見た風景を頼りに去年ようやく自生地を探し当て味噌、てんぷら
で大満足でした。
先日のこと、場所は確認済みワクワク気分で現地直行すると既に先客あり、あたり一面踏みつぶされたふきのとうがもう来て欲しくないと言いいたそうでした。
自生地を見つけるコツなどあれば教えていただければ有難いのですが?

 

フキノトウは、食べ頃をとるにはやはり、前の年にとったところや蕗のあったところを覚えておく他はないと思います。落ち葉や枯れた蕗の葉などで隠れているフキノトウを知らないところで探すのは至難の業です。しかし、それもまた楽しみのひとつではありますが。

********************************

 

覚えのある、ちょっと近場の畑のきわに行ってみました。 

 

 ぽこぽこと浅黄色のとうがいくつも、顔を出しています。寛い心で、小さいものは残して(釣り部用語で「リリース」)おきましたが結構な収穫ができました。

 

早速たべごろのものは天ぷらに。大きいものは、鰹節や砂糖をくわえて味噌炒めにしてみました。

天ぷらのころもは卵なしのあっさりさらさらで、ちゃっと揚げるのが私の好みです。

 

 

 まずは、なんにもつけずにいただきます。はふはふの後に口ひろがる独特のにがみ。すかさず、焼酎のお湯割りを流し込むとこれはもう至福のひとときなのです。私の家では、初物を食したときは東を向いて大声で笑うのがしきたりなので、天ぷらと焼酎が胃の腑に落ちると同時に大きな口を開けて「わっはっはぁ!!!」。

あとは砂糖をちょっときかせた甘味噌炒めで、ちびりちびり。ご馳走様でした。

(つぎも山なのか M田) 

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M田部長のぶらり肝付町の旅・はつはるのぶらり

 1月のブログにどこのどなたか存じませんが、「M田よ。ベトナムかタイをぶらりせよ!」とのコメントをいただきました。貴重なご助言をありがとうございます。M田は今年もちまちまとこのあたりをぶらついていこうと思います。でも、いつかは・・・

 さて、はやくも立春を迎えました。が、月の名はきさらぎ。寒さはこの2月がピークになり、巷ではインフルエンザが流行しています。こんなときは人ごみをさけ、春の初物でも探してみましょうか。とりあえず、人っ子ひとりいない山の中へ。

 

 家人を誘うも寒いから嫌だと断られ、ひとりドライブすること20分。川上地区を過ぎ二股キャンプ場近くへ行ってみました。ここは標高400m、低地と比べるとかなりの冷え込みようです。春の初物を探すにはもっと暖かいところを選ぶべきだったと後悔しながらも水辺に向かいました。ここはネコヤナギの群生がみられるところです。

 近づいて見るとぽつぽつとわずかですが、赤い角をはじいて白銀色の花穂が顔を覗かせていました。柔らかい産毛が春のあたたかさを予感させるような気がします。あと十日もすると一面眩しいほどになることでしょう。

 

花穂をふわふわの猫の尾に見立てて猫やなぎ
花穂をふわふわの猫の尾に見立てて猫やなぎ

 

 肝付町は海沿いの土地柄かツワブキが多く見られますが、山寄りの水辺近くには蕗も生えているところがあります。はつはるといえば、山菜、ふきのとう。この辺りの自生地を目を凝らして探してみることに。天ぷらにして・・・あの独特の苦味がたまらないんだよなぁ。

水辺の岩場に顔を出したまだまだ小さいふきのとう
水辺の岩場に顔を出したまだまだ小さいふきのとう

 

 なんとか、親株の枯れ葉のかげに隠れるように顔を出した小さなふきのとうをひとつ見つけました。朝夕はまだ凍るような土のうえに萌黄色の花芽がきれいです。しばらくして春めいてきたら、もう少し大きめのやつがぽこぽこと出てくるはずです。天ぷらはそのときを待っていただくことにいたしましょう。

 いやはや、寒い寒いと言いながらも、春の確かな訪れを感じることができました。 

 (春の食はどうするM田)

 

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M田部長のぶらり肝付町の旅・おじさん、カフェでランチ?

 皆様、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 さてこのシリーズで、肝付町内の、あちらの食堂やこちらのラーメン屋さんなど気軽に入れる飾らないお店をいろいろ紹介してきました。というか、この町には、そのカテゴリーに入らないところはほとんどないといってもよろしい。値段が一番高いのが、あの活魚食堂のお刺身「松」定食、注文しないだけで別に入りにくいわけではありません。

 

 しかし、2年ほど前から気にはなっていたものの、なかなか敷居の高いお店がありました。

 その名も「カフェKAGURA」。おじさんの好みからはもっとも遠い位置にある、婦女子オシャレ目、おいしいの科、量少ないで種「カフェ」の仲間。とても一人では入店は無理だよなぁというイメージなのです。

 とある上天気の日曜日、連れ合いと町の南端に出かけることになり、お昼をそこで、という話ができあがってしまいました。じつはこのカフェは、肝付町役場を基点にすると南へ約30Km、車でおよそ1時間駆けた、岸良海岸にあるのです。正直言って遠い。 

岸良海岸全景 おだやかな湾奥に白い砂浜が横たわる絶景
岸良海岸全景 おだやかな湾奥に白い砂浜が横たわる絶景

 

 自宅から、県道542号線のつづら折の道をドライブすること1時間弱、岸良海岸の休憩所に到着。ここは広い駐車場があり、その奥に建っているさっぱりとした切妻の家が「カフェKAGURA」。

釣客とカフェのお客さんの休憩所駐車場 中央に謎の鳥居が立っている
釣客とカフェのお客さんの休憩所駐車場 中央に謎の鳥居が立っている

 

 車をおりると目の前に砂浜。冬のやわらかな日差しを反射して、白い海岸線がさらに白く感じられます。遠くの岩々には釣り人の姿も。暖かなのんびりとしたお昼時です。この風景の中、飾りのない切妻の家がしっくりと馴染んで見えました。 

ゆったりとくつろげる店内。座席は20席ほど。
ゆったりとくつろげる店内。座席は20席ほど。

 

 中に入ると、2組のお客さんがお食事中でした。東側の大きな窓には、静か過ぎるくらい穏やかな海岸の風景が広がっています。

食事は、皆さんランチのよう。コーヒーつきで800円は好評のようです。ではこちらもそれで。

 

ワンプレートにいろいろ盛。おじさん一人の時はハンバーグもカレーもあり。
ワンプレートにいろいろ盛。おじさん一人の時はハンバーグもカレーもあり。

 

 地魚のカルパッチョ3種と鳥の燻製、魚フライ、ロール白菜。おしまいに挽きたての豆で入れたコーヒーが運ばれてきました。おじさんにもこれだけあれば十分です。とてもゆっくりとお昼を楽しむことができました。・・・やはり連れは必要でしょうが・・・ ご馳走様でした。

 (次は初春のぶらりか。M田)

 

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M田部長のぶらり肝付町の旅・「柏尾山道隆寺」跡の紅葉

 11月も末、年の瀬もそこまで来ています。初霜も降り、南国鹿児島大隅にも冬の足音が近づいてきました。

そんな折、近畿在住の知人から届いた1通のEメール。その中に「高山、大隅の秋の名所はどのような所があるのだろうなどと考えております。そのような場所はありますか?」との一文が添えられていました。

 

 ぶらり担当者としては、このリクエストにお答えしなければならないという使命みたいなものを感じてしまうのであります。しかし、いかんせん当地は、スギ林以外は照葉樹の森に囲まれ、紅く色付く楓などは、自然の中でなかなか目にすることはできないのです。また、寒暖の差が小さいことから、紅葉ではなく枯れ葉になってしまうのです。

 

 そこで、肝付町本城にある道隆寺跡を訪れてみることにました。この寺は鎌倉時代初め(1246年)に蘭渓道隆禅師により開山されたと伝えられています。明治初期の廃仏毀釈で破壊され、埋められた遺跡を、地元の福谷 平さんが、個人でひとつひとつ掘り起こし整備されたものです。

 

入り口に立つ仁王像 薩摩国の廃仏毀釈の激しさが伝わる。奧が山門跡。
入り口に立つ仁王像 薩摩国の廃仏毀釈の激しさが伝わる。奧が山門跡。

 

 入り口から山門へと田んぼの中に参道が延びており、聞こえてくるのは寺跡の竹林から鳥の声だけ、静けさにつつまれながら歩きます。山門跡の石段は苔に覆われ、訪れる人を柔らかく迎えてくれます。

 

山茶花とつわぶきが苔むした山門跡に色を添えている。奧の石段は手彫り。
山茶花とつわぶきが苔むした山門跡に色を添えている。奧の石段は手彫り。

 

 寺跡には、修復されたたくさんの五輪塔や石燈籠が並んでおり、そのあいだ間に、風情良く楓が植えられ、夏の青葉、秋の紅葉を楽しめるようにしつらえてあるようです。

 

修復された石塔群と楓など
修復された石塔群と楓など

 

 訪れたのは11月末でしたが、高山ではまだ紅葉狩りには早かったようで、赤みが乏しいのが残念でした。もう少し寒が強くなれば見頃を迎えることでしょう。

 そのときは凄腕の写真部に撮影してもらうことにしますので、お楽しみに。

 (次は海の近くか M田)

 

(編集追記)

12月7日に写真部が昼休みをつぶして撮影した道隆寺紅葉の写真をトップページに掲載しております!

 

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M田部長のぶらり旅・番外編「霧島高千穂の峰」

 秋です。吹く風も澄み切って きもつきの田園風景のはるかかなた、霧島連山がその姿をくっきりと見せ始める季節となりました。大隅半島からは、左手にどっしりとした韓国岳、右手に流麗な高千穂峰と連座しており、ちょうど中程に平成23年1月に噴火した新燃岳が望めます。

 

 ある晴れた土曜日、霧島があんまり美しく見えているので、「これは山に呼ばれているなぁ」と思い込み、早速翌日早朝、高千穂峰に登ってみることにしました。 

 

 霧島連山は肝付町の真北に位置し、高千穂河原ビジタセンターまで約2時間。

 やはり、この日もよく晴れていました。

 駐車場のおじさんの話では、「土曜は少しガスっていたけど、今日は最高ですなぁ。」とのこと。これはラッキー。

 

御山全体がご神体。御鉢(火口)を真正面に望む「天孫降臨神社」。
御山全体がご神体。御鉢(火口)を真正面に望む「天孫降臨神社」。

 

 登山口からしばらく森の中、石畳の道で足慣らし。樹海が切れたあたりから火山礫の砂利道に変わり、勾配がきつくなって来ます。日頃の運動不足から、息はあがるわ、膝は笑うわの有様でした。

 しかし、お鉢にたどり着くと、その風景のすばらしさに元気が出てきます。錦江湾の桜島、その左向こうには開聞岳がうっすらと浮かんで見えます。やや東に目を移すと我が高隈山の勇姿も望めます。

 

お鉢から山頂を望む。馬の背のみち。
お鉢から山頂を望む。馬の背のみち。

 

 ここから「馬の背」と呼ばれる火口縁の道を進むのですが、今日はガスッてないので安心して歩けます。いったんやや下って500mほど登ると高千穂峰の山頂(1,574m)に到着。ここに坂本龍馬が抜いたという伝説の「逆鉾」が刺さっています。これが天孫降臨の印なのです。

秋の空に「逆鉾」。絶景をめあての登山者も多い。右に桜島、左が高隈山系。
秋の空に「逆鉾」。絶景をめあての登山者も多い。右に桜島、左が高隈山系。

 

今日は風もおだやかで、ゆっくりと山頂でいただくご飯もご馳走に。 

これから、紅葉の季節を迎える霧島。さらに多くの登山客が訪れることでしょう。 

 (つぎは肝付に帰るのか? M田)

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M田部長のぶらり旅・秋の風物詩「サシバの渡り」

 サシバというタカの仲間がいます。タカとしては中型で、翼を広げるとちょうどカラスくらいの大きさ。

近年里山の環境悪化で、数が激減し環境省の絶滅危惧種に指定されています。毎年春3月ごろ南アジアの島々から日本や中国大陸に北上して、繁殖し、初秋、大集団となって南へ渡っていきます。

 

南九州では、10月2週目あたりに秋の渡りのピークが訪れるようです。

鹿屋市の大隅広域公園は、その渡りを360度パノラマで観察できることで有名な、全国でも知ってる人は知っているところなのです。

 

10月10日体育の日、公園と野鳥の会との共催で観察会が開かれるというので行ってみることに。

9日は雨だったので、足止めを余儀なくされた集団がいるのではと、早朝からちょっと期待に胸を膨らませております。

日の出前の大隅広域公園 国見山を望む
日の出前の大隅広域公園 国見山を望む

 

 6時30分に公園に到着。晴天、ほぼ無風。絶好の渡り日和となりました。

これから、陽がさして、上昇気流が発生しだすとサシバが飛び始めます。彼らは上昇気流を利用して旋回しながら高度をあげ、次の上昇気流まで滑空します。その繰り返しでエネルギーを出来るだけ消費せずに南の佐多岬、南西諸島を目指すのだそうです。

 しばらくすると、期待したとおり、後から後から渡りの集団が現れ、公園の上空で旋回を始めました。

  

公園上空のタカ柱。旋回してボールのようになる
公園上空のタカ柱。旋回してボールのようになる
これから南へ渡っていく「サシバ」(写真部・中野さん撮影)
これから南へ渡っていく「サシバ」(写真部・中野さん撮影)

 

 10時までに観測したサシバの数は3860羽を超えました。ここから南に50キロ、佐多岬では5000を超えたとのことです。

 青空を舞いながら渡っていく鳥たちの、力強さとひたむきさに感動を覚えてしまいました。

また来年も会いたいですなぁ。

 

 (次は高山へ帰るのか M田)

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M田部長のぶらり旅・秋が楽しみ畑の花

 二百十日を過ぎ、秋の気配が少しずつ濃くなっていく季節となりました。これから、あれよあれよと日が短くなって、夜長の一献が実に楽しみになるのであります。

 9月サツマイモ(当地では「からいも」という)の収穫が始まると、同時に新焼酎の仕込みが始まり、焼酎蔵からは甘いもろみの香りが漂って来る。取りあえずビールは控えられ、いきなり正統派お湯割りをいただくことになってまいります。そのとき、グラスの横には、どんぶりにたっぷりと盛られた塩ゆで落花生があれば十分。あと秋刀魚の塩焼きに大根おろしが添えてあれば申し分ないけれども、これは贅沢というものです。

 さて、そんなことをあれこれ考えながら、畑の道を散歩していると、この時期限定のなんとも可憐な花を見つけました。 

薄紫のサツマイモの花
薄紫のサツマイモの花

 

 サツマイモが朝顔に似た花をいっせいに咲かせています。蔓の生育状態にもよるのでしょうか、一面お花畑のような畑もあれば、ほとんど花のない畑もあります。この花の終わる頃、芋の収穫が始まるのです。

 

鮮やかな黄色、落花生の花
鮮やかな黄色、落花生の花

 

 柔らかな緑の葉の下に花を付けているのは、落花生です。しぼんだ花から地面に向かって子房柄(しぼうへい)が伸びているのが見えます。これがあのピーナッツを育むことになるのです。この株はまだ小さいので秋の中頃に食べ頃の実を着けることでしょう。大きな株は高さは50㎝以上になります。このころが採り時。畑の中でおじちゃんやおばちゃんが手作業でむしり取る風景が、またいい感じなんです。

 台風がきても土の中の芋や実は大丈夫。大風に悩まされてきた南九州ならではの作物なのですね。

 

(今夜ははやく帰ろう M田)

 

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M田部長のぶらり旅・肝付町で妖怪ゲット!?

 この夏、可愛らしいネーミングのゲームソフトがリリースされました。

 会社の中でも、町中でも、ところかまわず、スマホを片手に「アッ、いたいた!」とか「でたぁ!」とか大騒ぎになっております。いたり、出たりしてるのは「バーチャルなモンスター」の仲間だそうで、道ばたにころころ転がっているのだそうですが・・・。

 

 私の中では、この世に、いたり、出たりしているのは、ツチノコとか妖怪の類であり、なかなか目にすることはかなわず、できれば一生お会いしたくないほうの「リアルで妖しげな化け物」たちでした。

 そして日本では、昔から夏真っ盛りのこの時期になると、そちらの類が出ることになっているようです。

 

 実は、ここ大隅高山地区(現在の肝付町)は、メジャーな妖怪の出身地といわれています。あの鬼太郎に出てくる白いひらひらした、人?のいい妖怪、その名も「一反木綿」。 

実は肝付町出身 ©ゲゲゲの鬼太郎
実は肝付町出身 ©ゲゲゲの鬼太郎

 

 伝説によれば、志布志湾に面した波見地区、権現山に住んでおり、夕方薄暗くなる頃、肝付川を遡りながら一反の布のようにひらひらと飛び、人を見つけたらぐるぐる巻きにして絞め殺してしまうという恐ろしい化け物です。

 特に、四十九所神社の前の道を通る子どもたちも襲うそうで、何でもいちばん後ろにいる子どもが狙われるらしく、ご老人から、昔はこの道にさしかかるとみんな死にものぐるいで走ったものだと聞いています。

 

そこで、ある日のお昼前(夕方以降は本当に出たら怖いので)、すみかの権現山に行ってみることにしました。

 肝付川の対岸から見た権現山(標高320m)。国見連山の北端に位置する。
 肝付川の対岸から見た権現山(標高320m)。国見連山の北端に位置する。

 

 麓の波見荒瀬集落からよく舗装された林道を車で走ること10分余り、30台はゆっくり停めることのできる登山口大駐車場に到着。

 観光地並みに水洗トイレも整備され、清掃も行き届いています。「権現山=一反木綿」をキーワードに観光地としてアピールしたかったのかも、と勘ぐりたくなるほどの力の入れようです。

まずは、山頂に向かってみましょう。 

登山口にある鳥居。山頂がご神体ということ。杖もたくさん準備してある。
登山口にある鳥居。山頂がご神体ということ。杖もたくさん準備してある。

 

 頂上へ向う細道が、うっそうとした二次林の中を通っています。木製の階段があったり、苔むした緩い坂であったり。私外にはおそらくは誰も登ってはいないのでしょう。心細くなるほどの静けさにつつまれています。海から吹き上がってくる風が涼しく汗ばむこともありません。木陰を心地よくゆっくり歩き15分ほどで山頂のお宮が見えてきます。

山頂のお宮に鎮座する祠。この向こうには志布志湾が広がっている。
山頂のお宮に鎮座する祠。この向こうには志布志湾が広がっている。

 

 ここに祭られているのは龍神です。一反木綿の本当の姿は龍神様なのかもしれません。

そういえば、スタジオジブリの映画「千と千尋の神隠し」で龍神「珀(ハク)」が空を飛ぶイメージと一反木綿とはどこか似ているような気がします。

 

 山頂に設けられた展望所からは、鹿屋市から志布志市まで肝属平野を一望の下に見渡せます。人間ながら、ここから肝付川を遡り飛べたらさぞ気持ちが良かろうと思うことでした。 

展望台からの風景。肝付川が中央を流れる。
展望台からの風景。肝付川が中央を流れる。

 

 その昔、権現山は海上交通の目印であり、物見櫓だったことは想像に難くありません。人々はここを神聖な場所として崇め、子どもたちを水難や事故から守るために、恐ろしげな妖怪を誕生させたのではないでしょうか。

 この穏やかな風景を眺めていると、ここに住まう妖怪「一反木綿」は肝付の守り神だったんだなぁと実感することでした。少し運動になって、気持ちを落ち着かせてくれるゲームでした。

(次は海辺にしようか?M田)

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M田部長のぶらり旅・“Stand by Me” in こうやま

 昨日までの大雨がうそのようにあがり、まぶしい夏空が広がっています。こんな日は、帆翔する鳥のように、高いところにあがって、ゆったりと広がる景色を眺めてみたくなるものです。

 

知り合いのお宅にツリーハウスができたそうなので行ってみました。

場所は、会社から500m、高良橋を渡ったすぐ向こう側の集落。こんもりとした森の中です。

馬場さんのお宅の門に建つ看板
馬場さんのお宅の門に建つ看板

 

 家主(樹主?)の馬場さん夫婦とは昔からの知り合いで、今日はアポなしで訪ねてみました。くつろいでいらっしゃいましたが、久しぶりにいろいろなお話をすることができました。

 

 まず、この樹(楠です)、目の高さの幹周り5mくらい、高さは30m超。馬場さんのおじいさんの小さい頃からこのぐらいの大きさだったとのことで、樹齢はわからないそうです。まっすぐに伸びた幹がスマートな樹形を見せています。

 ツリーハウスは息子さんが、1年ほど前に解体現場から古材を運んできて、こつこつと、文字通り作り上げました。小屋の高さは20m。自宅の屋根を遙かに超える高さです。

樹に絡みつくような螺旋階段で上って行く。最上の格子が床部。
樹に絡みつくような螺旋階段で上って行く。最上の格子が床部。

 

しっかりはしているものの、昇るにつれてスリルが増していく螺旋階段をあがって小屋につくと、

これはこれは、あの映画“Stand by Me”に出てくるツリーハウス。

思わずおなじみの曲を口ずさんでしまいそうです。季節も夏だし・・・。

ツリーハウスから西を望む 遙か先に錦江湾。竹藪の向こうに下住工場。
ツリーハウスから西を望む 遙か先に錦江湾。竹藪の向こうに下住工場。

 

 360°のパノラマロケーションは、肝属平野が錦江湾から志布志湾までそれほど大きな高低差もなく続いていることを教えてくれます。(これは必見!)

馬場さんのお勧めは、ここから眺める夕焼けだそう。「会社がひける頃、夕陽の様子を見て上がればいいのよ。ビールもって。」とは奥様のことば。

次はぜひそうさせてもらいます。映画のように友達と。今日はありがとうございました。 

(これからは肝付なのかM田)

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M田部長のぶらり肝付町の旅 番外編

「帰っておいでコアジサシ ボランティア活動in志布志」

 南端の肝付川河口から北へ東串良町、大崎町、志布志市、宮崎県串間市都井岬へと続く志布志湾。沿岸の総延長はおよそ80Km。その大部分は白砂青松の海岸線に縁取られ、日南海岸国定公園にも指定されています。

 この海岸や注ぎ込むいくつもの河口にはシギやチドリの仲間をはじめ、世界で3000羽しか生息していないと言われる希少種クロツラヘラギなど多くの渡り鳥が訪れています。

 コアジサシも夏鳥として繁殖のためにこの地に渡ってくる鳥です。かつては、志布志湾のあちこちの河口付近に集団で営巣し、イワシやキビナゴなどの小魚を餌に繁殖していたのです。

 

2015年7月4日、東京都にて。コアジサシ親子の給餌シーン。

日本野鳥の会HPより 撮影:小川 義博さん

 

 しかし、ここ数年急激に生息数が減少、環境省のレッドリストで絶滅危惧種Ⅱ類に位置づけられています。2015年は鹿児島県内志布志湾での営巣は全く確認できませんでした。

 そんな状況のなか、志布志市在住の方々の努力と、鹿児島県、志布志市の協力で、河口に人工のコアジサシ営巣地を造成することになりました。「帰っておいでコアジサシ」と名付けられたこの活動に参加しました。

 造成地の広さは約2000m2、県に盛り土と珊瑚や貝殻などの客土、木杭の打ち込みまで済ませてもらい、獣よけのネットを志布志市に提供してもらったそうです。

 

3月20日(日)晴れ 9時から11時まで。

 連休中日にもかかわらず、二十数名の参加者が。造成地周囲法面の伐採した竹の片付けとごみの清掃。

快晴のため気温が20℃を超え、汗をかきながらの作業となりました。

 

4月10日(日)小雨 9時から10時30分まで

 朝からの雨にもかかわらず、鹿児島市内、姶良市内からも参加いただき、野猫、狸などの獣よけのネット張りと地面との固定を行いました。

 

 志布志湾では4月19日にコアジサシ初認の記録があるそうです。彼らのカップルがこの造成地を見つけてくれることを楽しみに待ちたいと思います。

                           (志布志にはまりそうなM田)

 

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M田部長のぶらり肝付町の旅・自慢の美味か(おいしか)とこツアー(9)

啓蟄がすぎ、三寒四温の年度末を迎えました。あたふたと忙しい日々を過ごしていると、何か美味しくて元気の出そうなものを食べながら、リフレッシュしたくなります。気の置けない仲間などさそって、焼酎を酌み交わせばこれにまさる気分転換はありません。

 

 そんなとき、お勧めなのが高山地区の飲み屋街に程近い「春節」

ここは、お店分類によると小料理屋にくくられるのでしょうが、天然もののうなぎを食べながらカラオケも楽しめる処なのです。薄暗い路地のなかほどお店の入り口に、朱色の下地に「うなぎ・おでん」、「春節」の8文字と電話番号が浮かんでいます。なんとも温かみのある看板が、いい雰囲気を醸し出しています。この場所で営業を始めて40年近く、今は女将さんとその娘さんの二人で切り盛りされています。

 

 まずはお勧めのうなぎから。お酒のお供には白焼きもいいですが、今日は栄養会も兼ねているのでうな丼にしました。

定番。うな丼。鰻はこぶりできちきち、うな肝もトッピングされ力が湧きそう。お供は青さ汁。
定番。うな丼。鰻はこぶりできちきち、うな肝もトッピングされ力が湧きそう。お供は青さ汁。

 

味は酒飲みにあわせて、程よくさっぱりと仕上げてあります。

昔は、鰻は高山川でたくさん獲れていたのに、近頃はなかなか手にはいりにくいと、女将の春子姉さんが愚痴っていますが、ほんとに、今年もシラスウナギが不漁とのこと、心配です。

 

春子姉さんは接客、娘のチイちゃんは厨房係。料理は刺身から蒲焼きまで。
春子姉さんは接客、娘のチイちゃんは厨房係。料理は刺身から蒲焼きまで。

 

うな丼で腹をつくったら、焼酎に行ってしまいましょう。明日からの仕事はこれで乗り切れそうです。

ご馳走様でした。

(次回も高山あたりか M田)

 

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M田部長のぶらり肝付町の旅・自慢の美味か(おいしか)とこツアー(8)

町内のあちこちをウロウロしていると、今までは気に留めなかったいろんなものに目が行くようになってきたようです。先日水を汲みに行った帰りに内之浦中学校の入り口前で小さな看板を見つけました。

 

「お線香 一輪館」

その下に消えそうな字で「香木」とあります。近くにお店は見当たらず、道路向かいの立派なお屋敷の石門に、店の名を記したこれまた小さな表札が掛かっているだけです。

 「こんな田舎にお香屋さんとは。」と気に掛かりつつ、一月近くがすぎた正月も終わりのとある土曜日。男一人でお香を買いに行くのもなんなので、家人を誘うことにしました。今度は機嫌良く同行してくれるとのことでしたから、早速国見トンネルを越えお店を訪ねることに。約20分のドライブで、国道448号との交差点、ここを左折し200mほどで目指すお店に到着しました。

車止めからお店を望む  カンヒザクラガが見頃、りっぱな石積みと見事な庭樹
車止めからお店を望む  カンヒザクラガが見頃、りっぱな石積みと見事な庭樹

 

お休みかもしれないね、とちょっと気を遣いながら、柱のピンポンを鳴らして待っていると、60代半ばとおぼしき上品な女性がにこやかに出てこられました。一輪館店主の山本ゆり子さんです。まずはお香のお話しを伺い、軽い香りの一箱を買い求めました。ゆり子さんは、金沢に長くお住まいで10年ほど前に帰郷、ご実家を使ってお店を始められたそうです。

 

落ち着いた雰囲気の一輪館 お香はお試しできます
落ち着いた雰囲気の一輪館 お香はお試しできます

 

それにしても気になるのは醸し出される心地よい落ち着きです。

 お話しをお聞きすると、ゆり子さんは、1960年代内之浦へのロケット試験場誘致に尽力された故久木元峻(くきもとたかし)町長の娘さんでした。この家はおじいさまが病院として改築されたものだそうです。なるほど柱や欄間にもどっしりとした貫禄を感じました。奧の鴨居に掛かっている額は西郷隆盛の自筆の手紙とのこと。

 

いろいろな話題で楽しい時間を過ごすことができました。その中のエピソードをひとつ。

(ゆり子さん談)

わたしが中学に上がるか上がらないかの頃、内之浦に広島から音楽の先生が来られて、ピアノやバイオリンの演奏の指導をされました。女性の方でした。そのとき高山から二人のご兄弟がご両親と来ており、一緒に教わったのを覚えています。わたしはピアノ、お二人はバイオリンでした。確か上の方はわたしと同い年だったと記憶しております。今もお元気でしょうか?

 

この兄とは誰なのか、(おおよその目星はついておりますが)謎ということにしておきます。

お香はもちろん、静かでゆったりとした時間を堪能させていただきました。ご馳走様でした。

 

(このツアー 次あたりで終わるかもよ M田)

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M田部長のぶらり肝付町の旅・自慢の美味か(おいしか)とこツアー(7)

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。                 

年末年始は酒席がずいぶん増えるものです。わたしもご他聞に漏れず、というか誘われれば断り切れず焼酎を酌み交わす日々が続きました。人は酒が入ると、なぜかどうでもよいことを自慢したくなるものです。呑んでいる焼酎の味とか、五本指の靴下の履き心地とか。

 

ある席でのこと、「焼酎の割り水」についての自慢話が始まりました。

大隅半島には有名なミネラルウォターがいくつかあります。鶴とか宝とか、分け前とかの名前が飛び交っている中、「俺は自分で汲みに行っている。そこの水が一番だ。」と言い出す輩がおりました。水の味が分かるほどまともな酔っ払いではないのですが、話を聞いてみると、その水汲み場は肝付町内、しかも国道沿いで車を横付けにして汲めるのだ、しかも味が良いといいます。

 

これはぶらり番外編だと張り切って、年明けの1月2日午後から水汲みに行くことにしました。

家人を誘いましたが、そんなところまで水汲みには行きたくないと当然断られ、霧雨の降る中、一人さびしく軽バンに乗り込んだのでした。

 

その水汲み場は町内とはいえ、内之浦五郎ヶ元という車で小一時間はかかるところです。

 

高山から、県道542号線をこれまたさびしげな二股トンネルをくぐり岸良へ下り、国道448号線との交差点に着きます。ここまで35分。ここから晴れていれば絶景の海岸線を誇る国道を錦江町方面に車を進めるのですが、今日は雨。

 

車一台ともすれ違うことなく約10分。五郎ヶ元トンネルに到着。

五郎ヶ元トンネル 延長231m 幅8.5m 中はオレンジ色に輝くが車通りはない。
五郎ヶ元トンネル 延長231m 幅8.5m 中はオレンジ色に輝くが車通りはない。

 

このトンネルを抜けると、国道は海岸沿いから山の中へ入っていきます。携帯も圏外に。

そこを配慮してか、歩いている人は誰もいないのに公衆電話がポツネンと立っていました。その昔テレフォンカードというものがあったことを思い出しながら、眺めつつ通過。

公衆電話も雨の中
公衆電話も雨の中

 

公衆電話を過ぎて、上り坂にさしかかると左手に水汲み場があります。

花崗岩質の崖にある水脈に鉄管を打ち込んでこしらえた簡単な自噴式の水場ですが、となりには水神様が祭られており小さいながらも侮れない雰囲気を醸し出していました。

自噴式 20リットル缶が約1分で一杯になる流量
自噴式 20リットル缶が約1分で一杯になる流量

 

確かに国道沿いで、車を横付けして汲むことができました。

これから帰り道のことを考えると水一滴たりとも軽はずみなことはできないものだとしみじみ思います。

 

今、この水をいただいていますが、二日酔いの朝には特に味が良くなるようです。

おすすめの水汲み場です。

(次は高山に続くのか M田)

 

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M田部長のぶらり肝付町の旅・自慢の美味か(おいしか)とこツアー(6)

ここ鹿児島には酒飲みにとってとてもありがたい言葉があります。

「良か 呑ん日和い」(よかのんびよい)

日曜日、朝から冷たい雨がしとしと降って外仕事ができない、手持ちぶさたに夜になる前に焼酎でも一杯いきたいねぇという場面で使う、家人への言い訳の一言なのです。

 

12月の第一日曜日は、まさに「良か 呑ん日和い」。

そんなわけで町中の焼き鳥屋さん「鳥千」(とりせん)を訪ねました。

高山人が居酒屋さんを紹介するときに、ここは一番に挙げるところでしょう。

炭火焼きの焼き鳥は勿論、関西風のすっきりとしたおでんも美味しいんです。まずはそこを押さえて、寒いので焼酎にてひとり乾杯。



体が温まってきたところで、じゃがバタにビールという日独合作の流れを作ってみました。これは、正解。寒い季節におすすめのパターンです。

さて、昭和57年に開業、今年で33年の歴史を持つ「鳥千」。夕方5時頃から、マスター(主に厨房)と美人の奥さんの二人で暖かく迎えてくれます。座敷も30席以上あって、職場とか仲間同士のお客さんが多いのですが、一人二人、ぶらりと入ってもOKです。近頃は女子会コースも充実しているようで、毎月例会を開くおばさま方がいらっしゃるとのこと。特に週末などは予約を入れておくと安心でしょう。


高山の夜の町に明るく浮かぶ提灯に、「鳥千」の黒文字。是非とも暖簾をくぐってみたいお店です。料理も飲み物もご馳走様でした。                 

(次は内之浦か? M田)

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M田部長のぶらり肝付町の旅・自慢の美味か(おいしか)とこツアー(5)

肝付町は、海の幸、山の幸に恵まれた町です。食堂や居酒屋で出されるお魚もとても新鮮で美味しいんです。「美味かとこといっても、食堂系だけではなんかなぁ、物足りない。やはり調達系も入れといてくださいな。」という声も聞こえてきそうな気がします。


その貴重なご意見に答えるべく、あの国見トンネルを越えて、内之浦に向かいました。

肝付町で海の幸を調達したいとき、外せないお店、「こなみ鮮魚店」を訪ねました。スーパーでは味わえないおいしいお魚屋さんなんです。漁港入り口の交差点から200mほど、港町独特の小路を漁協へ向かうと右手にこのお店が見えてきます。

店の間口は軽トラ1台で一杯
店の間口は軽トラ1台で一杯


ガラスケースとトロ箱に朝獲れたてのいろいろな地魚が並びます。

今日は鯵、太刀魚、金目、糸引き、歯鰹、かますなどなど。


このお店が建って35年近く経っているそうですが、魚屋を始められたのはもっと前からだと聞いています。現在は3,4年前に三代目が後を継ぎ、若夫婦で切り盛りされています。ちなみに屋号の「こなみ」は初代(三代目のおばあちゃん)のお名前。

この店から、競りの行われる内之浦漁協までは、200mほど。店に並ぶ魚はほとんど朝の競り市で仕入れます。ただ、食堂などからの注文によっては、揃わないものもあるので鹿屋市の魚市場に4時起きで駆けていくそうです。奥さんは子供たちを幼稚園に送り届けてからお店に。仲の良い頑張り屋さん夫婦です。


流しでは三代目が奥さんと注文の入った魚を捌いているところでした。仲良し!
流しでは三代目が奥さんと注文の入った魚を捌いているところでした。仲良し!


「こなみ鮮魚店」は、目の肥えた地元の人がとても多いお店です。午前10時前には行かないと、狙い所が売り切れてしまいます。予約を入れるのも良いですが、あれこれ迷いながら魚を選ぶのも楽しいことです。ぜひお早めに。

これからの時期、正月用のミズイカ(アオリイカ)なども並ぶことでしょう。


今朝は種類の多い魚の中で、ピッカピカの銀色歯鰹を1本購入。今夜近くの4,5人と一杯やることになっているので、さくに捌いてもらいました。刺身とたたきにしていただきます。

ご馳走様。

                           (高山に続くのか? M田)


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M田部長のぶらり肝付町の旅・自慢の美味か(おいしか)とこツアー(4)

おいしかとこツアーも4回目を迎えた今回、誰もが認める高山地区のキングオブ食堂「米沢食堂」にやってきました。高山本町の旧道沿いに、青地に白抜きの「大衆食堂」の暖簾が掛かっています。

 時刻は午後2時半、近頃のお食事の店ならば準備中の看板が出ていそうな時間ですが、ここは休まずたゆまず開店しております。


うちは店構えから営業時間については「意地でも変えません!」というマスターはじめ従業員一同の心意気が伝わってくるような気がします。

 暖簾を分けて店に入るといつものおばちゃんが、季節のつけもの(今日はトイモガラと昆布の甘酢漬け)を麦茶といっしょに持ってきてくれました。やはり、接客までも変わりません。

変わらぬ店構え
変わらぬ店構え

店の中は4人掛けテーブルが6セット、両脇に畳の上がり席があわせて8つ。30人近く収容できる広さです。今のお客は二人だけ、ちょっと空きが寂しい。

 

米沢食堂といえば、手打ちそば、ラーメン、チャンポン、丼物とオールラウンドメニューが売りの食堂なのですが、その中でも自他共に認める一押しが「魚フライ定食」なので、迷うことなくこれをオーダー。

 後から入ってきた2人組も迷わず「魚フライ」をご注文でした。葛かけチャンポンをハフハフしながら食べるにはまだ寒さが足りないのでしょう。

貼り紙に偽りなし!
貼り紙に偽りなし!

待つことしばし。奧の厨房でジュージューとフライの揚がる音がし始めると、急に腹が減ってきました。

梅干しの壷を引き寄せて定食いただき体勢スタンバイOK。

おばちゃんもご飯をどんぶりによそってくれてます。


やってきたのはイワシのフライ4個、野菜のフライ2個、キャベツサラダ&マカロニサラダ。タルタルソースととんかつソースが相乗りしているのがうれしい。


このボリュームと心配りで550円。飾りのない、まさに男のランチじゃないですか。

熱々のフライ→優しいお吸い物→ご飯と、久しぶりにあの三角食べを実践させて頂きました。

幸せのさくさくフライご馳走様でした。おなかいっぱいです。


ここがいつから営業しているのかは、なかなか聞けませんが、35年以上は間違いなく続いています。

お昼時はお店と出前で大忙しなので、少し早めに行くといいですよ。

(次は内之浦?M田)


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M田部長のぶらり肝付町の旅・自慢の美味か(おいしか)とこツアー(3)

肝付町では秋の声を聞くとすぐに、町中の道端に「えっがね祭り」の幟が立ち始めます。

えっがねとは内之浦地区の方言で「イセエビ」のこと。なんと肝付町のイセエビ漁獲高は10tと県内トップクラスだそうで、めったに口に入らないこの超高級食材を定食に仕立てて、9月から10月にかけて町内あちこちの料理屋さんが、なんと4000円という超リーズナブルなお値段で提供していますよ!というとんでもないお祭り?なのです。(ちなみに今年は第13回)


 そこで、つれあいの懐かしの母校高山高等学校最後の運動会が雨で中止になった午後、徒然に過ごすのもなぁと、彼女を内之浦に連れ出すことに。狙い通り喜んでくれました。

 雨上がりの涼しい国見トンネルを抜ける道をドライブすること20分。国道448号との交差点を役場支所方向に200m行った右にそのお店はひっそりといさぎよく建っています。看板もなく、暖簾もかからず、装飾と呼べるものなど一切つけず。


実はここ、内之浦町民の第2のソウルフーズ「神田のチャンポン」を食べさせてくれる神田食堂なのです。

この地では「ラーメンはまつわき、チャンポンはかんだヤド!」が呪文のようにささやかれているのです。


今日のお昼を、4000円の超リーズナブルな「えっがね定食」ではなく、庶民として堂々チャンポンを食そうというのであります。

店に入るとカウンタ―に8席、テーブル席8席、ちょいとした座敷2席。

すべて空いていたので今日はやっぱり休みかなと思って、おくに声をかけると、にこにこと小柄なおばちゃんが出てきて営業中とのこと。注文を取って、左奥の使い込まれた厨房で手早く2つ作ってくれました。



さっぱりとしたしょうゆベースのスープに軽いとろみが付けてあるのがここの特徴。

具材は内之浦産かまぼことさつま揚げ(テンプラという)、イカ、豚肉に野菜類がたっぷり入っています。熱々のとろとろスープを蓮華で掬って口に入れると、柔らかなやさしい味が広がり、とろみ特有の温かさに初秋の冷涼感が増幅されるような、もう夏はとおに過ぎたんですぞ感が高まってくるのでありました。


 ここは元々建設業を営まれていたのですが、三十数年前おばちゃんが病気で倒れて建設現場の手伝いができなくなったので、食堂を始められたのだそうです。働き者の歴史ですねぇ。

 今日は調子に乗って、チャンポンとご飯、どちらも一杯半ずつと梅干1個いただきました。長年変わらない懐かしい味ご馳走様でした。

(M田)

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M田部長のぶらり肝付町の旅・自慢の美味か(おいしか)とこツアー(2)

肝付町合併10周年記念 自慢の美味か(おいしか)とこツアー その2

◆ 高山地区「焼き肉 カルビ」

今年の梅雨は、例年に比べると降雨量も多く、比例して日照時間も極端に短かったようです。気象庁のデータによると肝付町前田では、6月7月の2ヶ月間で2,046mm、平年の2.7倍も降りました。その分気温は低く、平均気温が23.8℃、平年より1.6℃も涼しかった。


ところが7月28日、急に真夏がやってきたのです。その日から今日8月4日まで降雨なしの、ピーカン照りが続き、この間外にいることの多かった私は、もう顔も腕も真っ黒になっちゃいました。


外仕事でのどがカラカラに渇き、同時にとっても腹が減った肝付町民の目に浮かんでくるのが、「焼き肉カルビ」の冷麺なのです。

キンキンに冷やされ、うっすらと結露している黒いどんぶり。透明感のある韓国麺の上には夏野菜の女王トマト、辛みの効いた白菜と胡瓜のキムチと煮卵、美味しく煮込んだカルビがすっきりと盛られており、薬味にはネギと切りごまがちょこっと。

これらすべてを冷たく包み込んでいるのが淡く澄み切ったスープ。これが逸品なのです。


自家製の鶏ガラでとった塩スープを、大根胡瓜などの野菜を3日間漬け込んで発酵させた水キムチとブレンドしているので、まろやかな酸味と薄い塩味が飽きの来ない旨みを生み出しています。これがまた冷たい。味が薄まらないよう氷は入っていません。

しこしこもちもちの韓国麺の喉ごしを楽しみつつ、冷たいスープをどんぶりの縁からごくごくと飲んでごらんなさい。これはきっと真夏の至福であります。


ところで、「焼き肉カルビ」は今から20年前、当時30歳のマスターが、うちの本社工場と同じ町内で、親戚の古い食堂を借りて開業したそうです。実はその頃私は店のすぐ裏に家を借りて住んでおり、ことあるごとに通ったものでした。繁盛して16年前に、今のお店を新築し移ったというわけです。

店内はテーブル席が2つ。あとは座敷に掘りごたつ式の焼き肉テーブルが16席とたっぷりの広さ。会社の飲み会にも使わせてもらっています。冬場のチゲがまた格別なんです。夜の焼き肉はもちろん、ランチも充実しており、お客さんでいつも一杯です。


手間の掛かった深みのある涼しい味。ご馳走様でした。

内之浦地区に続くのか?(M田)


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M田部長のぶらり肝付町の旅・自慢の美味か(おいしか)とこツアー(1)

内之浦町と高山町が合併して誕生した肝付町は、この7月で新町制10周年を迎えます。

町ではいろいろなイベントが企画されていますが、当ぶらりでは一緒になってよかったね的お祭りムードには敢えて乗ることなく、旧町それぞれで自慢している美味かとこを訪ねて、10年変わっとらん味を確かめてみたいと思います。

 

肝付町合併10周年記念 自慢の美味か(おいしか)とこツアー その1

◆ 内之浦地区「ラーメンの店 マツワキ」

その昔、高山町と内之浦町の間には国見連山が横たわっているため交通は海沿いの国道か、川上・岸良越えの山道しかありませんでした。どちらを通っても、役場から役場まででさえ小1時間を要していました。

 ところが、合併の3年ほど前に国見トンネル(3300m)が開通してからは、ものの20分もあれば行き来できるようになり、両町民にとってとても便利になったのです。

高山と内之浦をつなぐ「国見トンネル」
高山と内之浦をつなぐ「国見トンネル」

 

内之浦地区出身の人に「ラーメン屋と言えばどこ?」と聞くと、ほとんど「マツワキやど!」と答えが返ってくるほどの有名店です。

試しに、S島君とW田さんに聞いてみましたが間違いありませんでした。


で、雨にも負けず、トンネルを抜けて食べに行ってきました。内之浦総合支所(内之浦町役場)を漁港方面へ向かっていくと交差点を越した左手に小さな看板を掲げた「マツワキラーメン」が見えてきます。開いてるのかなぁと心配になりますがこれまた小さく「只今営業中」と書いた表札が掛けてあります。

田舎町のラーメン屋のイメージからするとチョイとおしゃれな店構えなのです
田舎町のラーメン屋のイメージからするとチョイとおしゃれな店構えなのです
店の中は小ぎれいにされており、年代物のおかもちがいい味を出しています
店の中は小ぎれいにされており、年代物のおかもちがいい味を出しています

 

この店は、おばちゃん(ラーメン作り担当)と、娘さん(接客担当)と息子さん(出前担当)の3人で切り盛りしていますが、店内は12席ほど。

 来店のお客よりも出前が多いのではなかろうかと思われるほど、電話が鳴っていました。娘さんが当店自慢の小皿に山盛りの大根の塩漬け(1年中変わることなく提供される)と水を持ってきてくれたので、ラーメンの大盛りを注文してみました。

 

漁師町ならではの塩味の効いた豚骨ベースのスープ、やや縮れた中太麺に、トッピングは独特の旨みのある煮豚、もやし、ねぎとシンプルです。1Kgのプラ容器そのままで容赦なくおかれるニンニクを好きなだけ入れて食するのが習わしのようです。

煮豚はもやしで見えません。少ししょっぱい大根のお漬け物(おかわり自由)

焼酎コップに冷えたお水。


独特なイントネーションをもつ内之浦の浜言葉が飛び交う店の中には、年期が入り、すっかり角の取れたおかもちが一つ二つおかれて存在感をにじませています。きっと親父さんの代からの物なのでしょう。


内之浦町民が愛してやまない「マツワキラーメン」。気取りのない、懐の深い味を久しぶりにいただきました。ごちそうさま。

次は高山地区へ続く

(M田)

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M田部長のぶらり肝付町の旅・職場でバードウォッチング

鳥好きな人たちの間では、自分の身近な場所でバードウォッチングをもっと楽しもうという「トコロジスト」なる動きが提唱されています。もともと出不精のわたしには、長い距離を移動することなく、できるだけいつもの気に入った場所にいて、そこに来てくれる鳥たちを見て楽しむ方が性に合っているようです。で、今のわたしのお気に入りの山佐木材下住工場とその周辺、約8ヘクタール内の「トコロ」

鳥好きから見た“シモジュウ”の紹介と、職場の仲間の紹介をさせて下さい。

職場でバードウォッチング

わたしが山佐木材に移ったのは数年前のことです。

それまでの町中とは違う環境の中、1年を通して鳥の種類も個体数もはるかに多いことにわくわくしました。下住工場は、町外れの田んぼの中にあり、すぐ南側を肝付川が流れています。北と西には農業用水路沿いの薮と4、5メートルの高さの樹木が茂っており、野鳥にとっては餌場であり、格好の避難場所にもなっています。

やはり仕事が優先ですので、就業前の早朝、お昼休みや仕事が終わってからの夕方、肉眼や双眼鏡片手に観察しています。駐車場の自家用車の中から、広い視野で鳥の姿を見ることができることがちょっと自慢のフィールドです。

山佐木材下住工場 すぐ南を肝付川が流れ、「ワンド」(地形)には生物が多くみられる
山佐木材下住工場 すぐ南を肝付川が流れ、「ワンド」(地形)には生物が多くみられる


いつも来てくれているのは、コサギ、アオサギ、トビ、キジバト、カワセミ、コゲラ、ヒバリ、ハクセキレイ、ヒヨドリ、モズ、イソヒヨドリ、ウグイス、セッカ、シジュウカラ、エナガ、ホオジロ、カワラヒワ、イカル、スズメなどです。

 

初夏になってヒクイナオオヨシキリがにぎやかな声を聞かせ始めるころには、田んぼのトラクターのうしろをアマサギがついて歩き回っています。

冬が近づくと南を流れる肝付川に、オオバンコガモヒドリガモマガモなどのカモ類が訪れます。


国交省の河川護岸の考え方が少し自然保護の方向に転換されて造られたワンドとよばれる淀みと小島が彼らのねぐらになっているようです。

そして、堤防沿いに歩くとワシタカの仲間のノスリチョウゲンボウ、運がよければフクロウの仲間コミミズクに出会うことができ、工場周辺の木々にはジョウビタキツグミシロハラなどの冬鳥たちがやってきてくれます。


鳥と人を楽しむ

職場でもうひとつ楽しみを見つけました。

それは、仕事を離れてしまえばあまり話す機会もなかった同僚(N野君)と、鳥という共通の話題を持つことで生まれる思いもかけないコミュニケーションです。

彼は昨年秋にいいレンズを買って以来、驚くべき観察眼で野鳥の写真を撮ってくれるようになりました。

N野君が特に撮影の対象として意識しているのは会社の周辺や近くの河川敷で見つける野鳥たちです。

写真に撮ったあと特徴をネットなどで調べ、鳥種を推定して私のところに持ち込んでくれます。

アリスイだと思うんですけど合ってますか?」とか、「僕的にはエナガはかわいいと思いますがM田さんはどうですか?」とか、いまどきの若者らしい語り口が持ち味です。

 

毎月半ばに発信されるメールマガジンにも、バードウォッチングのコーナーを作り、N野君が撮り貯めた写真から厳選して、毎月数枚ずつ更新しています。

更新を続けていることで、メルマガ作成委員会のほかのメンバー(T口田さん)も会社の周りにいる鳥たちがこんなに種類が多いことに驚き、しだいに四季折々の鳥の話題もでるようになりました。

オオバン 肝付川にて (撮影:中野)
オオバン 肝付川にて (撮影:中野)

一日のうち、おそらく家にいる時間より長い時を過ごす職場で、休み時間にちょこちょこと楽しむバードウォッチングを紹介しました。これからさらに、職場の仲間たちと、この環境のすばらしさを実感し、それを大切にしていけるようなことが続けていければいいなぁと思っています。

工場見学を兼ねたバードウォッチングにいらっしゃいませんか?

(シェルパM田)

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M田部長のぶらり肝付町の旅・楠隼中高生と甫与志岳登山

今年4月11日、肝付町に鹿児島県立初の全寮制中高一貫校「楠隼中学校・高等学校」が開校しました。

全国から応募した中学1年生60名、高校1年生37名、計97名が入学したのです。

肝付町内は「楠隼応援団」などの幟旗がはためき、歓迎ムードで盛り上がっています。


奇しくも同日夕刻、肝付町在住の山登り好きなおじさんたちを中心とした会合(年次総会)が開かれました。その名を「三岳会」(高山地区と内之浦地区との境界に位置する国見連山の国見・甫与志(ほよし)・黒尊(くろそん)の三山を総称で三岳という)と称し、登山道の整備や要請があれば登山者のガイド・支援を行う団体です。

この会合で、来る4月25日(土)楠隼中高全校の甫与志岳登山のサポートとそのメンバー6名が決まり、なんと最若手で私M田も参加することになったのです。


2週間後の午前8時30分、晴天の下、学生97名と教職員約30名が集合し、楠隼校体育館前で出発式が行われました。訓示や指導がなされる間、学生一人一人の動作が機敏に規律正しくなされることに驚かされました。

わずか10日余りでここまでに訓練する先生方にも、習熟する生徒たちにもレベルの高さを感じることでした。

登山は高校生1隊と、中学生1隊に別れ、それぞれの先頭としんがりに三岳会のサポートメンバーが着くことになっており、私は高校隊の最後部、シェルパM田と呼ばれる位置でした。バスに便乗し、約30分のドライブを楽しみ、登山口へ向かいます。

姫門登山口
姫門登山口

今回は内之浦岸良地区の姫門(ひめかど)登山口から甫与志岳頂上を目指し、高山川上地区の二股キャンプ場へ下山する約3時間のコース。尾根に上がるまでの、最初の1時間弱がやや急登ですが、後半は緩やかな会話も楽しめるほどの登山道です。

9時40分、さすがに高校生、駆け上がるぐらいの早さで登り始めました。が、10分の間もなく休憩。このピッチが尾根に着くまで繰り返されました。恐らく生徒たちの体力と先生方の息の上がりかたのバランスだったのでしょう。しんがりのシェルパM田は変幻自在のペースに翻弄され、息が上がってしまいました。


きつい登りの途中で、生徒の一人が少し足首を痛めてしまい、隊から遅れて同行してゆっくり歩くことになりサポーターとしての務めを果たすことができました。

それでも、10時40分ごろ全員登頂し、大隅半島最高峰967mから初夏の肝付町の眺望を堪能しました。

後発の中学生隊が30分遅れで上がってくるので、早速お昼ご飯に。生徒・先生に配られた弁当は、竹の皮で、大きなおにぎりと卵焼き、唐揚げを包んだ手作り感あふれるものでした。

味も良かったようで、11時になっていないのに、みんなぺろりとたいらげていました。

下山のルートは、山頂から30分は急な下りが続きます。道は先日の雨で滑りやすく、高校生もこけつまろびつ下りていました。二股林道の登山口へは1時間余りで下りきり、そこからキャンプ場まで林道を40分ほどだらだらと歩きます。途中「清純の滝」という小さな滝によってマイナスイオンをたっぷりあび、リフレッシュしました。

一人の落伍者もなく、生徒・先生全員無事にキャンプ場に到着。迎えに来たバスに乗って、2時頃楠隼校に帰りつき、解散式で締めとなりました。

事故もなく、天気も良くてめでたし、めでたし。

(シェルパM田)

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M田次長のぶらり肝付町の旅・(番外編)開聞岳登山と露天風呂

2015年のホワイトデー。あんまりお天気がよかったので、チョコのお返しに山登りに行くことになりました。日本百名山のひとつ、薩摩半島の南端に座し、「薩摩富士」とも呼ばれる開聞岳山頂を目指します。

肝付から見ると南西、錦江湾を挟んでちょうど反対側になります。根占-山川フェリーで指宿山川に渡り麓まで移動するのが便利ですが、都合のいい便がなかったので、距離的には遠回りですが、陸路(東九州道経由)を使ってみることにしました。


笠之原インターからおよそ2時間半で指宿市開聞町、由緒ある薩摩一の宮「枚聞神社(ひらききじんじゃ)」に到着。

ここを参拝し、開聞岳を目指すのが正しい習わしのようです。確かに鳥居や本殿を正面から拝すると、その真後ろに開聞岳が美しい稜線をみせてそびえています。ここは、神社と御岳が一体なのでしょう。

枚聞神社
枚聞神社

 

枚聞神社から南へ2㎞ほど岳に近づくと「かいもん山麓ふれあい公園」(標高133メートル)に入ります。頂上の標高が924メートルなので、標高差は791メートルもあります。案内を見ると、頂上までは大人の足で3時間かかるとのこと。

途中でお茶休みして、2時頃てっぺんでお昼をいただくという無理をしない、ぶらりにふさわしいスケジュールとしました。ここの管理事務所に登山届けを提出し、登り口の2合目を11時ちょうどに出発。登山道は、照葉樹林の中、時計回りにループして頂を目指すルートです。


はじめ火山礫の径を単調な登りばかりが続きますが、5合目を過ぎた辺りから階段が増え、やがて大小の花崗岩を踏んでいく岩場になってきます。7合目に見晴らしのよい休憩所がありますが、人が多いのでスルーして8合目でお茶にしました。

私の仲間内では、40年余り前から、山にはビスコと決まっています。さくさくとした食感と塩味のあとにクリームの甘さがやって来るのが何とも絶妙で、これを超える行動食はないと勝手に言っている輩もいます。

入れ立てのコーヒーとスペシャルビスコで十分に英気を養って、頂上を目指しました。岩場が続き、9合目には高さ5メートルの大岩を超すための梯子が架かっています。ここは、上り下りの要所で、今回は登山者が多く順番待ちになりました。ここを過ぎるとすぐ上に頂上が見え、周囲の見晴らしも素晴らしいものになってきます。

 

ちょうど2時に頂上に到着。天気はとてもよかったのですが、もやがかかっていて屋久島や霧島連山などの眺望は楽しめませんでした。それでも、用意したおにぎりをゆっくりといただきながら日本百名山「薩摩富士」から下界をながめ、南薩の春を堪能したのでした。下山中、久しぶりに膝が笑い、2日後くらいに訪れる筋肉痛の予感がしてきます。

ここ鹿児島の登山後の楽しみはなんと言っても温泉です。今回は麓から車で10分ほどの指宿市山川ヘルシーランドの露天風呂「たまて箱温泉」に入ろうと決めていました。ここは開聞岳を望む絶景が自慢の温泉です。

いやはや、全くそのとおり。ゆったりと温泉につかりながら眺める、夕焼けに海と開聞岳が染まっていく情景は、雄大さと同時に優雅で柔らかな魅力に溢れていました。疲れ気味の筋肉を揉みつつ「この山と温泉にはまた来たいなあ」としみじみ思うことでした。

今日もいいぶらりができてよかったよかった。番外編 おしまい

(M田)

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M田次長のぶらり肝付町の旅・(番外編)隅田川ぶらり

2月も月末を迎える頃、東京は江東区辺りに行く用事ができました。

M理さんが素早く手配してくれた宿は下町風情豊かな深川、門前仲町。大衆酒場が軒を連ねる通りを抜けた静かな場所でした。すぐ近くを墨田川の支流、大横川が流れています。朝の打ち合わせまでの時間をつかって、この川沿いをぶらりとしてみることにしました。

その名も「散歩道」  上流(左)から下流(右)へ歩く
その名も「散歩道」  上流(左)から下流(右)へ歩く

 

2月26日午前6時、ホテルを出発。少し肌寒さを感じます。昭和11年の動乱が発生したこの日は雪だったそうですが、今日は、曇り、午後からは冷たい雨になりました。

ホテルのすぐ裏を流れる大横川にかかる石島橋から下流に向け歩き始めました。この橋からは、両岸を覆う桜並木が上流も下流も見えるところまで続いています。春の花見はさぞや賑わうことでしょう。滝廉太郎が明治33年に作曲した「花」はまさに桜花盛りのこの辺りの情景を歌ったものなのでしょう。そのころにもう一度訪ねて昼から一杯やりたいものです。

石島橋から上流を臨む 右の茶色の建物が宿
石島橋から上流を臨む 右の茶色の建物が宿


すぐ下流に架かる黒船橋の通りを超えて、散歩道沿いに進むと、対岸にレトロな建造物が見えてきました。株式会社ヤマタネさんの倉庫が並んでいます。高いビルで作られた四角ばかりの都市風景の中で、三角屋根の建物群は、見るものをほっとさせる力があるようです。いつの時代に建ったのだろうか、出入り口はこちら側なら、きっと船で荷を運んだのだろうか、はたまた、この10番倉庫では何を扱っているのだろうかなどと、しばらく佇みながら思いを巡らしてしまいました。


さらに下って、有名な「永代橋 あみ亀」の屋形船を見ながら巽橋を渡ると、もう隅田川に合流します。「春のうらら」というには季節が少し早すぎますが、「隅田川」という詞が出てくる歌は他に知らないので、口ずさみながら、ここから大川を左手に見ながら上流へ向かって歩きました。川に沿った遊歩道は人通りも少なく、ときおりイヤホンをしたマラソン人が走り去るだけで、下手な歌を聞かれる心配もありません。


ほどなく青い大きなアーチ橋が見えてきました。永代橋です。大正15年(約90年前)に竣工したこの橋は、国の重要文化財に指定されています。橋長185.2m、幅員22mの重厚感あふれる、「帝都の門」と呼ぶにふさわしい姿に圧倒されてしまいました。同時にまた、その時代にこのような大橋を架けようという発想と、実現した技術力に驚かされます。


短いぶらり散歩でしたが、やはり、東京は日本の歴史や文化、そしてビジネスの中心なのだという思いを新たにすることができました。

朝の打ち合わせの時刻が迫ってきました。東京隅田川のぶらりはここまで。

(M田)

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M田次長のぶらり肝付町の旅・川上地区「森の食堂」

1月半ば、とある新年会で、「川上地区に ”森の食堂” というお店が開店し、安くて美味しいよ」という噂を聞きつけました。出処も信頼のおけるドクターKでしたので翌日早速行ってみることにしました。


その日はとても天気が良くて、春のような暖かさです。ふきのとうでも出ていればいいなぁなどと欲張りなことを思いつつドライブすること15分、県道沿いの田んぼの中にそのお店はオープンしていました。

親しみの持てる店構え
親しみの持てる店構え

元々ここにあった民家を手ずから改装した、飾り気なし、親しみの持てる店構え。

門から中に入ると、庭にはオープンテラス風テーブルが3脚ほど出してあり、白い番犬が1匹寝ていました。暖かいとはいえ冬なのでお店の中に・・・

番犬?
番犬?

入り口の戸を開けると、上がり框の向こうは客間になっており、正面に切られた囲炉裏には炭火が赤々と熾されています。

先客のダンディお二人は美味しそうに箸をすすめていましたが、相席をお願いして囲炉裏仲間に入れてもらいました。

囲炉裏がある!
囲炉裏がある!


ランチメニューは、焼き肉、とんかつ、ハンバーグ、刺身の4定食から選ぶことができます。相席の2人か頬張っているお肉に魅せられて、焼き肉定食をオーダーしました。

焼き肉定食
焼き肉定食

運ばれてきた料理はメインディッシュ1皿、春菊の白和え、野菜の鳥だし煮付、菜の花と茸の味噌汁、豆ご飯。これで480円。(定食はどれも同額)


野菜とお米は川上地区の直販所「やまびこ館」で調達されたものだそうです。(お米は特段に美味しいです。)旨くてヘルシーでリーズナブル。3拍子そろった昼食を堪能しました。

お客さんも次から次へと訪れ満席に。マスターは一人で大わらわでした。

開店は、金、土、日、祭日。

夜は、一人2,000円で飲み放題、予約に応じてくれるそうです。

ちなみに川上地区在住のMK氏の情報では、量も味も上々とのことです。

(M田)

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M田次長のぶらり肝付町の旅・荒瀬ダムと肝付町の農業

皆様明けましておめでとうございます。今年も肝付町を中心にぶらりとしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

ひつじ年は穏やかな動きの年と言われているようですが、肝付においては経済の流れに案外動きのある年になりそうな気がします。


高速道路の鹿屋までの開通をメルマガ元旦号で紹介しました。それに加えて今年は、肝付町の主要産業である農業が大きな転換点を迎えることになりそうです。それは、平成9年度に着手された肝属中部農業水利事業荒瀬ダムの完成を迎え、今年から肝付町から鹿屋市吾平町にかけての広大なシラス台地の畑に悲願であった農業用水の配水が開始されるのです。

2015年1月13日 荒瀬ダム 下流川からの堤体の姿
2015年1月13日 荒瀬ダム 下流川からの堤体の姿
※肝属中部農業水利事業は、畑地かんがい用水の水源として肝付町波見に荒瀬ダムを建設し、パイプラインによって、肝付町(高山地区)、鹿屋市(吾平地区、鹿屋地区)の1,537haの畑に用水を供給する事業です。鹿児島県が実施する畑地かんがいの施設整備の事業と力を合わせ、大隅地域を日本の食料基地にするために。

九州農政局 肝属中部農業水利事業所HPより引用)

 

肝付町では、この畑灌事業の進捗に合わせて、昨年10月に設立された一般財団法人 肝付町農業振興センター(農業公社)がいよいよ本格稼働を開始するとの情報を得ましたので、お話を聞きに行ってきました。対応いただいたのは、竹之下事務局長と大窪業務グループ長で、お忙しい中しっかりご説明下さいました。

センターの主な事業は、以下の4つの柱で構成されています。

  1. 就農者育成に関する研修を行う
  2. 農地の効率的な利用に向け、農地を集積する
  3. 農業用機械の受委託の促進
  4. 農繁期の人での供給をサポートする

1.の就農者育成については、この1月から第一期研修生の募集をし、7月から研修がスタート。灌漑配水が最初に始まる地区に実証用ハウスを設置し、いんげんと新ごぼうの生産を主に、たまねぎ、きゅうり、スナップえんどうなど11種の野菜を希望者に実習させるというプログラムです。

また、これらの野菜は、

  • 強制暖房がいらないので、初期の設備投資が低く抑えられる
  • 栽培が比較的容易
  • 市場調査で引き合いが強いものから当地にあったものを選ばれたそうです。

また、就農に関する補助金等の検討もそれぞれの就農希望者別に細かく検討されており、研修生は、就農後5年後には耕作面積80アールで約330万円の農業所得を見込む計画が立っています。(家族労働費は別途で)

さらに、2.の利用農地の集積については今後高齢化が進む上では避けられない課題であり、生産効率の上で最も必要なことになるでしょう。

農業振興センターの取組には、灌漑用水の利用で、サツマイモか畜産用の牧草の栽培が主だったこの地域の畑作から抜け出して、付加価値の高い野菜の生産を定着させていこうという明確な目的が打ち出されています。

現在事務局長を先頭に、精鋭7名で実施準備に当たられています。新たな肝付名産作物が市場に並ぶ日が楽しみでなりません。

(M田)

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M田次長のぶらり肝付町の旅・高速道路開通

12月21日(日)、鹿屋市笠之原と曽於市岩川間の高速道路がついに開通しました。 

国交省管轄の曽於弥五郎IC~鹿屋串良JC間17.7km(こちらは高速道路)、鹿児島県管轄の鹿屋串良JC~笠之原IC間6.1km(こちらは高規格道路)で、わが大隅肝属地域は北海道まで高速道路でつながったことになります。

所要時間も大隅河川国道事務所の発表では、鹿屋市から鹿児島市まで101分、鹿児島空港まで74分とそれぞれ約14分短縮されるということです。鹿児島市内への陸回りの運転もずいぶんと楽になることでしょう。

大隅河川国道事務所ホームページより
大隅河川国道事務所ホームページより

当日午前中、鹿屋串良ジャンクションを中心に開通式典が賑やかに行われたようです。報道によると一般車が通行できるのは15時からとなっています。せっかくなので、開通区間を走って、その効果や様子などを見てみようと笠之原インターに出かけてきました。このインターは鹿屋市と肝付町の境にあって、会社からは車で約15分のところにあります。


警備の指示で路肩は駐車禁止になっていたので、国道沿いで待っている車はいません。14時55分からOKとの表示に従い、当方もしばらく時間調整して出直しました。

笠之原IC開通直前
笠之原IC開通直前

運良く時間どおりに(やや強引に)インターに滑り込むことができ、なんと1番前で待機となりました。同乗者(つれあい)からは「ミーハーの極致!恥ずかしい!マスクしよう。」と5分間の非難ゴウゴウを受けましたが、とりあえず無視しておきました。鹿児島県警パトカーに先導してもらうのはこれまでも、これからもないことだと思います。レーダー付きなのが気になりましたが。

笠之原IC乗り口で待機 。レーダー付きパトカーが先導
笠之原IC乗り口で待機 。レーダー付きパトカーが先導

15時ちょうどに花火を合図に出発進行。片側1車線ながら、実に見晴らしの良い道路です。

年甲斐もなく調子に乗って一番前を走ったのはわずか1.8km。東原インターから先はそれぞれのインターから乗った車と合流するので、ちょっとがっかり。おまけに運転集中で景色を見る余裕もなくなりました。ここから、車列は上下線ともひっきりなしに続き、地元の皆さんがこの開通を待ち望んでいたことがわかります。

鹿屋串良ジャンクションの前後に2車線区間が設けてあり、ここでわが家のタントはぴったり後ろについていた黄色のポルシェに抜かれてしまいました。

80km/hには及ばない車速でしたが、21分で岩川の曽於弥五郎ICに到着。さすが高速道路、マイナス14分の効果を実感しました。

すぐに折り返して、帰路に着こうとしたところ、先行していた紅葉マークの車が逆行ラインに入ってしまい、交通警備員さんたちが大慌てで止めていました。これからもないとはいえない光景です。お互い気をつけねば。


今回開通した23.8kmとその先11.1kmも合わせると35kmもの無料区間です。鹿児島県内ばかりではなく、宮崎県都城市へのアクセスも早く便利になります。

ビジネスで利用するのはもちろんですが、年末年始を前に通行できるようになったこの区間を、帰省や旅行で利用する人たちも増えることでしょう。有効な公共交通機関のない大隅・肝属地域のさまざまなシーンでなくてはならない存在になっていくものと思いました。

年末年始はくれぐれも安全運転で過ごしましょう。

(M田)

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M田次長のぶらり肝付町の旅・楠隼寮(なんしゅんりょう)

平成27年4月、肝付町に「鹿児島県立楠隼中高一貫教育校」が開校します。

公立としては全国でも珍しい全寮制の男子校だそうです。県立高山高校の敷地内に新設される学校で、校舎・体育館は高山高校を改修して使い、寄宿舎と食堂棟などは木造で新築され、このほど竣工したとのことでした。

舎棟は木造2階建てで、構造用大断面集成材をはじめ、床材として国産集成材厚板パネル、構造用製材、羽柄材等、山佐木材の木材製品も数多くご利用いただきました。


ある日、町の防災放送で、11月24日(月)10時から2時間だけ、特別に肝付町民に舎棟見学が許されるという情報が流されたので、完成後の様子も見たかったこともあり行ってきました。

楠隼寮玄関 続々とやって来る肝付町民
楠隼寮玄関 続々とやって来る肝付町民

外構工事や渡り廊下はまだ工事中でしたが、舎棟は完成し、一部の部屋は家具も入れてありました。応募する児童生徒の見学会はもう始まっているのです。


防災放送で見学会の情報を仕入れた肝付町民は、10時を待たずに続々とやって来ます。我が町にできる、全国から生徒を募集する全寮制男子校への関心の高さの現れでしょう。

駐車場の整理や受付は準備室の先生方が当たられ、説明を求めれば順路に従い案内しておられました。建物もしっかりしていますが、先生方も立派だなぁと感じ入りました。

全校生徒が三食をともにすることになる食堂
全校生徒が三食をともにすることになる食堂

玄関からまっすぐの突き当たりが、ちょっとした体育館ほどもある広い食堂です。

全校生徒が三食をともにすることになります。


ここに納められる野菜などの食材は、地元のものを主体に使われるそうで、役場も農家もうれしいやら忙しいやらで、もうみんなで取りかかっていると聞いています。

また、偉い栄養士の先生が体も頭もどちらも良くなる特別献立を作って子供たちに給されるという噂もあります。いまから何を食べても手遅れの年齢とは分かっていても、年に1回ぐらい町民参加の大バイキング大会などをやってほしいものです。

各室も廊下も、床は桧小節のフローリング、腰壁は杉材で統一されています。地元の杉と桧から暖かさが伝わってくる内装です。できたての白っぽい色が年を経ることで深い黄金色に変わっていくのでしょう。それも楽しみです。

生徒たちの居室はゆったりと作られています。奥の机も棚もスギ集成材で拵えてあり、ベッドにも収納スペースがたっぷりとってあります。中学から入学した子供は6年間ここで過ごすのです。

一人一室。おろかな親心から思わず、寂しくないだろうかと、いらぬ心配をしてしまうのでありました。

個室ばかりでなく、みんなで学習する部屋も用意されていました。

 

なんと言ってもここは学校なので、学業が第一なのです。全国から応募して入学する子供たちは難関大学を目指して勉強に励むのでしょう。

でも、多感な彼らが肝付で過ごす年月が、地元の空気や文化とふれあいながら楽しめる時間であるように、地域住民として見守っていければと思いました。

やはり、町や学校の思う壺にはまったのでしょうね。

(M田)

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M田次長のぶらり肝付町の旅・川上地区編③

川上のゲストハウス「石の家」をプロデュースしたJOUさん(肝付町地域おこし協力隊)が、一日限りのカフェ「きしたんカフェ」をオープンするよという情報がいい感じのポスターによって舞い込んできました。

会場準備中のJOUさんといい感じのポスター
会場準備中のJOUさんといい感じのポスター

彼女は、肝付町岸良(きしら)にもゲストハウスをプロデュースしています。

こちらは、岸良の旧家に縁のある方が住んでおられた家が空き家になっていたのを貸してもらい、改修しました。

焼き杉で外壁が覆われている以外は、ふつうの古い民家です。

広さは20坪くらいでしょうか。こぢんまりとした佇まい。裏には幹回りが10mもありそうな大きなアコウの樹が枝を大きく繁らせ、その根下にはサネンが赤い実をつけており、心地よい亜熱帯の雰囲気に包まれています。家の名は「きやんせ肝付・岸良のいえ」


さて、せっかくなのでカフェでお茶してみました。

メニューは地元のマダムたちで構成する「おとめ工房」手作りの餅とお団子にコーヒー・紅茶などのドリンク付きで300円。

紅茶と三色団子をいただきました。甘すぎず口当たりよく、何よりも素朴で美味しかったです。

12時を過ぎる頃からお客さんが入りはじめ「おとめ工房」のマダムたちも大わらわ。お茶を入れたり、グッズを販売したり、何よりおしゃべりしたり大変です。

田舎の小さな集落の小さな空き家がこんなに賑わうことはなかったことでしょう。

「これからは、地元の人たちのプロデュースで月一回でもこのカフェが開店すればもっと楽しくなると思う。そんな風になるよう活動していこう。」とJOUさんが話してくれました。予想以上の来客に彼女もびっくりだったようです。


実は、JOUさんはプロのコンテンポラリーダンサー。

少し晴れ間が見えてきた岸良の空の下シュッとポーズを決めてくれました。

地元の人が気づかない地元の魅力をどんどん引き出してくれる人です。

(M田)

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M田次長のぶらり肝付町の旅・本町八月踊り

川上地区第3回の予定でしたが、1回飛ばします。

今回は、肝付町高山本町地区で、9月27日に催された「本町八月踊り」にブラリしてきました。なんせ一年おきにしか開催されないこの祭りへの取材を、前日の飲み会席上で先輩諸氏に誘っていただいたので、こちらを先に報告させていただきます。


まずは誘っていただいた松元畳さんのお宅へ行き、ご挨拶がてら一杯頂戴しました。


昔は毎年旧暦8月18日に開催されていたこの祭りは、340年余りの歴史を持つと言われています。今は隔年、9月の第4土曜日に集落の枠を超えて開催され、見物の人も多く、海外の人も見受けられました。

夕方6時頃小雨の降るなか、集落の水神様の前で、鐘と太鼓の静かなリズムで踊りが奉納され祭りが始まります。


八月踊りは本町の通りを交通止めにして行われるため、最終バスの通過を待って櫓が運ばれ、会場が仕上がります。


踊りが始まるまで、松元さんのお宅で振る舞いのご馳走をいただき、焼酎を酌み交わし大いに盛り上がりながら、開始時刻を待ちました。

踊り手の服装は、女性暗い色の着物に、紫の頭巾で顔を覆うか、深くかぶった菅笠で顔を隠します。男性は浴衣に、紋付き羽織、藺草の陣笠をかぶるのが習わしだそうです。陣笠をかぶってみましたが、視界は狭く、少し暗いところでは前もよく見えませんでした。


7時30分、いよいよ「八月踊り」が始まります。鐘、太鼓、三味線、胡弓で奏でられる哀愁を帯びたメロディと歌がよく合わさって、通りに流れてきました。

踊り手は、櫓を中心に子供と大人の2重の輪を作って並び、曲目ごとに違う振りの踊りを踊ります。かけ声とかはなく、ただ静かに歩を進め、手先に表情を持たせるような腕の動きです。かつては、若い男女の娯楽を兼ねた出会いの場でもあったと言われていますが、なるほどそんな感じ確かにある、と独り言ちすることでした


小さな町の小さな集落に、こんなしみじみとした祭りが300年も残されており、その伝統を絶やさない努力をされていることに深い敬意を覚えつつ、夜更け帰路に着きました。

■参考:肝付町ホームページ

(M田)


高山高校体育祭・職域対抗リレーに出場しました

9月7日(日)晴れ。

第64回高山高校体育祭の職域対抗リレーに山佐木材チームが出場しました。

チームは4名編成。高山高校OBの3名(吉永、柳井谷、中﨑(清))に里香ちゃんも加わってくれました。

選手3名と応援団長T口田さん。もう一人の選手・吉永くんは同窓会チームとして別のリレーに出場中
選手3名と応援団長T口田さん。もう一人の選手・吉永くんは同窓会チームとして別のリレーに出場中
南州農場チームの選手・黒豚ちゃんと。吉永くんもリレーを終えて合流
南州農場チームの選手・黒豚ちゃんと。吉永くんもリレーを終えて合流
おそろいのTシャツは大船渡応援Tシャツ!
おそろいのTシャツは大船渡応援Tシャツ!


職域対抗リレーは体育祭午前の部のハイライト!

肝付町の企業、団体、学校などたくさんのチームが出場していました

南州農場の黒豚ちゃん大活躍でした!
南州農場の黒豚ちゃん大活躍でした!


山佐木材チームの一番走者はわれらが里香ちゃん(一番右)。好スタート!


二番走者の吉永くんから柳井谷さんへ!


柳井谷さんからアンカーの清二さんへ!


清二さんゴール!!結局みんな速かったです。怪我も無くてよかった!


お疲れ様でした!!

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M田次長のぶらり肝付町の旅・川上地区編②

夏休みも今日で終わりの8月31日。

写真部のN野くん、T口田さん親子3人、私の総勢5人で川上地区を歩いてみました。前回訪れた川上中学校から集落の通りを50mほど。炎天下、道行く人影はもちろんありません。ただ、片野橋の川風はひんやりと、汗ばんだ肌を通り過ぎていきます。

橋の上からは、透き通る流れを群れ泳ぐ小魚や青黒い川蜻蛉の姿を見ることができました。空には入道雲、油蟬の声。吉田拓郎のあの歌を口ずさみたくなる風景がひろがっています。子供達とあとで川遊びをする約束をしながら、しばし欄干にたたずみました。


橋を渡って、川沿いの道を上流に向かうと100mも行かないうちに、目的の家に到着しました。ここは、地域おこし協力隊のJOUさんが、その活動の中で改修したゲストハウスなのです。いろいろなイベントのときにこの地を訪れてくれる国内外からのお客様の宿泊所となり、ラウンジとなる一軒家です。

入り口に鎮座する大きな花崗岩(写真左下)の印象から「石の家」と名づけられていますが、もとは営林署の官舎だったというこの建物、外観は至って平凡、何の変哲もありません。

↑花崗岩は差し渡し5m位の大きさ。あれ?あそこに座敷わらしの姿が・・・(注:T口田さんの子どもがどこかに映りこんでいます)
↑花崗岩は差し渡し5m位の大きさ。あれ?あそこに座敷わらしの姿が・・・(注:T口田さんの子どもがどこかに映りこんでいます)


ところが、右の入り口から家の中に入ったとたん、とても不思議な感覚に身を包まれてしまいました。取り去られたはずの天井で、霞のような半透明の空間が外からの光を反射して、屋根裏の上までを柔らかい明るさで満たしているのです。

「見ているだけで涼しげですね。」N野くんの感想。当たりです。圧迫感なしで風のように揺らいでいる空間は外気の熱を取り去ってくれるようです。

シルバーのアルミサッシの向こうには川を背に広いウッドデッキ
シルバーのアルミサッシの向こうには川を背に広いウッドデッキ

霞の正体は、鴨居や後付けの枠材に張られたテグスなのです。ライン同士の間隔は1cm。上に10層重なっているそうです。使ったテグスは20kg。いやはや、恐るべき手仕事。

「デザインしたのは、東京で設計のお仕事をしている河内一泰さん。手伝ったのは、鹿屋出身で今は東京にいる杉村君。と彼の仲間たちよ。」とJOUさんが教えてくれました。

この部屋まるごとが、最上級のおもてなしの表現なのでしょうか。

シルバーのアルミサッシの向こうに設けた広いウッドデッキは、演奏や舞踏の舞台にも使われるそうです。

この部屋から川面を眺めながら飲むビールの味はさぞかし最高だろうなぁなどと考えつつ次回に続く。

(M田)

協力:N野、T口田

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M田次長のぶらり肝付町の旅・川上地区編①

我が社の施工実績にも木造校舎がずいぶん増えてきました。

また、平成25年度、木造3階建校舎の大規模な燃焼実験が実施されたことは記憶に新しいところです。建築基準法の見直しで木造校舎への取り組みがさらに進むことになるのでしょう。

ちょうど50年ほど前のこと、私(昭和33年生)が小学校に上がるころから、木造平屋建てから鉄筋コンクリート造へと校舎の建て替えが始まったように思います。その頃の新校舎が今建て替えの時期を迎え、木造校舎へと回帰しているところなのでしょうか。

 

この夏の早朝、肝付町川上地区を訪ねてみました。

ここに豊かな森に囲まれた木造校舎があるのです。切り妻、下見板、瓦葺き。あの頃はどこの学校もこんな作りでした。

しみじみと懐かしさが湧いてきます。

懐かしさを感じる川上中学校校舎
懐かしさを感じる川上中学校校舎

近づいてみると花壇の上にはシュッと控え壁が建っています。高い床下にももぐったことがあったなぁ。

この校舎は、昭和24年に建築され、2回改修されたそうですが原型は変わっていないようです。築後六十数年にわたって、子供たちを見守ってきた温かな歴史を感じます。この地域のじいちゃんが入学する頃に出来た校舎ですので、子、孫まで3世代、或いは4世代はここで学んだことになります。

 

まっすぐに伸びた廊下を見たら、四つん這いで友達と競争しながらぞうきん掛けしたことを思い出しました。

教室の扉を開けて、子供たちが走り出て来るような気がします。しかし、残念ながら、板張り廊下を走り回る足音は聞こえてはきません。生徒数が減り、現在、この学校は休校になっています。

 

実は、平成21年春、この木造校舎は、国の有形文化財に登録されました。「その外観が国土の歴史的景観に寄与すると認められた」からだそうです。

しばらくは、そのままで授業も行われてきたのですが、今では地域の皆さんの手によって、校舎の内外もきちんと清掃・整備されています。小さな学校を自分たちの宝物のように大切にされている気持ちが伝わってきました。

市街地より標高の高いこの地区、朝は特にさわやかで、校庭でラジオ体操をしたくなるほどでした。

つづく(M田)

 

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M田次長のぶらり肝付町の旅・高山とやぶさめ

梅雨明け宣言より前に台風8号が襲来し、ここ肝付町にもいよいよ本格的な夏がやってきそうです。

台風前の町中をぶらりとしていると、ちょっとカラフルな陶板を見つけました。 

メインストリートに建つ「高山橋」の欄干を飾る親柱です。

肝付町高山で900年の歴史を持つといわれる流鏑馬の様子が、見物人の顔や馬場の水路側に挿してある緑の枝に至るまでフルカラーで写実的に描かれています。

如何にも昭和、ほのぼのとした暖かみのある感じがいいですよね。ちなみにこの橋は私と同じ年なのです。

 

これより一つ下流に架かっている「新前田橋」にも流鏑馬がデザインされています。こちらは、黒御影石に刻まれたレリーフ。

的板を表す菱形の中に射手の姿がコントラストで表現されています。

人も馬もシャープでプロフェッショナル、パッと見分かりにくいけれども渋いデザインですよね。

鋳物で出来た欄干には、的に向けて矢を放つ瞬間の射手が飾られており、高山川を背景に透かしてみると、10月の流鏑馬本番を彷彿とさせるものがあります。

この橋を渡る中学生の中には、登下校の時、この親柱や欄干を眺めながらいつか流鏑馬に乗る日を夢見ている子がいるのかもしれません。

 

この橋を通り過ぎて、山佐木材の手前に「高良橋」(たからばし)があります。

高山と串良を繋ぐ橋ということからこの名が付いているのですが、縁起の良い名前、是非あやかりたいものだと思いながら毎日通っています。

この橋の親柱にも流鏑馬のレリーフが彫り込まれているのです。こちらは、なにやらスペインの巨匠風の抽象画です。

完成がバブルが弾ける前なので、こんなのも有りでしょという感じで建っています。 

さて、今回3つの橋を見てきましたが、流鏑馬が、高山の人びとにとって大切な文化遺産であり、幹線道路を往来する人に誇りとしたい行事であることかがよく分かりました。時代が変わってもその思いは変わらずに引き継がれていることにあらためて感じ入ったぶらりでした。

(M田)

 

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M田次長のぶらり肝付町の旅・宇宙編④

今回は、内之浦宇宙空間観測所の南北に隣接する集落に残されている建築物を見てきました。

この建物はロケット打ち上げ時の住民の避難施設、いわゆる「シェルター」です。

現在は、警戒区域外への避難が行われているため、シェルターとしては使われなくなりました。

 

南隣の長坪集落にある保安退避室(1966年)は、大きな三角おにぎり(失礼、詳しい方に尋ねたところ、この形はルーローの三角形とのこと)を5~6個くっつけて並べたような外観です。

■ルーローの三角形(ウィキペディア)

三角おにぎり?いえいえルーローの三角形です。まるでSF映画セットのよう
三角おにぎり?いえいえルーローの三角形です。まるでSF映画セットのよう

鉄筋コンクリート、現場打ち。球面に四角い小窓。どんな図面で、どんな型枠を使ったのでしょう?しかも、山間の小径しかない狭い土地に。

1ユニットの頂点の高さは4mくらい、正三角形に近いので斜辺、底辺の長さも同程度です。右の空洞が正面入口、真裏にトイレと裏口が設けてあります。

オレンジ色のドアに「SHELTER」の文字。何だかおしゃれ!
オレンジ色のドアに「SHELTER」の文字。何だかおしゃれ!

ドアの寸法は2200mm×860mm。観測所内のドアと同じサイズ、同じデザインです。小さな集落にあってもインターナショナルな施設として建てられていることを感じさせます。

ちなみに建物表面の質感はザラリとして、動物園で見たサイかゾウの肌を思わせるものでした。

内部は思ったよりも明るく広く感じます
内部は思ったよりも明るく広く感じます

一つ一つのユニットは内部ではアーチ形の梁で繋がっており、そこには柔らくゆったりとした空間が広がっています。また、各ユニットの天井がドームになっているので圧迫感はまったく感じられません。この「SHELTER」に入って打ち上げを待った人びとは、避難するという緊張感ではなく、きっと緩やかな気持ちでカウントダウンの声を聞いていたのではないでしょうか。

 

一方、観測所の北に接する川原瀬集落には全く形の違うシェルターが作られました(1971年)。

突然こんな形が!
突然こんな形が!

回転軸の中心から一辺の先端までの長さは4160mm。一番高い屋根の高さは4m程度です。出入り口と窓は手前と裏手の2箇所。

長坪SHELTERと比べるとかなりコンパクトになっています。集落道路の法面下ぎりぎりの小さなスペースに、まさに置くように作られたこの建物は、なんとプレキャストコンクリートブロックの組み上げ。

2つの回転軸を持ったことにより、硬い構造物でありながら柔らかく動く感じがします。伊勢エビの外殻のような動きにも似ています。

こちらは残念ながら内部を見ることはできませんでしたが、2方向から螺旋状にせり上がっていく天井は一見の価値がありそうです。

この形はエビ?ダンゴムシ?
この形はエビ?ダンゴムシ?

内之浦宇宙空間観測所には、故 池邊 陽(イケベ キヨシ)教授を中心とする東京大学生産技術研究所により、1960年代、建築としては70棟近くに及ぶシリーズが形成されました。

多くは建築後半世紀を経て、屋根や壁に改修工事が施されているものの、今なお宇宙観測の現場で使用されています。しかもその改修設計にも、「ひとつひとつの建物に対するデザインやコンセプトをそのまま留めたい。」という思いが強く現れているように感じます。このことは、50年という年月を経過したとしても、池邊教授の建築デザインに関する意志が、色褪せることのないものであったことを物語っているのではないでしょうか。

池邊教授は、その著『デザインの鍵 -人間・建築・方法-』の中で

「建築が目に見え、あるいは人間がそれに触れることができるということから、単なる建築を人間が必要としたという以外の多くの対話がそこに始まるといってよい。その対話は、多くの場合に、その建築に人間が集合するという変化を生み出す。」(P3)

と述べられています。 

肝付町のJAXA内之浦宇宙空間観測所に、このような建築物群があることをもっと知ってもらい、訪れた人びとが実際に触れて入れるような仕組みの中で、多くの人が集まり、宇宙や建築のことやいろいろな対話できるようになれば、こんな楽しいことはないような気がします。

宇宙編・完(M田)

■これまでのぶらり旅をまとめて読む

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М田次長のぶらり肝付町の旅・宇宙編③

JAXA内之浦宇宙空間観測所の数多い建物をひとつひとつ見て歩くと、ここが1960年代初めにおいて、宇宙科学の実験観測所としての存在と同時に、池邊陽研究室の建築設計の実験場でもあったことがよく分かります。

そのデザインは斬新かつ大胆で、使われている建築材料も前回ご紹介したALC同様、当時の最先端のものが使われています。

 

管理センターから一番近くに位置する「KSセンター」は、小型の観測ロケットの発射ドームです。

組み立てられた観測ロケットは、ランチャ(移動式発射台)に搭載されドーム内に入り、打ち上げ方向にむけ発射姿勢をとります。

【写真1】写真手前が「ランチャ」。ドーム内にもう一台。
【写真1】写真手前が「ランチャ」。ドーム内にもう一台。

 

天蓋が開いてロケットが発射され、手前と反対側の扉から燃焼ガスが排出される仕組みです。決して大きくはないこの建物ですが、その意匠と構造の両方から並々ならぬ存在感に圧倒されます。

【写真2】観測ロケットはこの中から宇宙に向かって打ち上げられる
【写真2】観測ロケットはこの中から宇宙に向かって打ち上げられる

 

宇宙科学資料センターにかかる陸橋を渡って道なりに進むと「M(ミュー)台地」といわれる大型ロケットの発射台地が見えてきます。

ここには、ロケットを打ち上げるミューロケット発射装置、ロケットを整備する組立室、衛星を調整するクリーンルーム等、打ち上げに必要な各種の建屋があります。

 

なかでも目をひくのが組立室が入る建屋です。【写真3】

ロケットの部品は、門型クレーンを使って、手前の凹面壁パネルのドアから搬入され、組み上げられるそうです。

1920mm角、高さ(深さ)640mmの大きなアルミニウムのカーテンウォ―ルが迫力のある陰影のパターンを作っています。

バスの窓と同じほどの大きなアルミパネルの配置。緻密で大胆だと思います。

【写真3】ミューロケット組立室の入る建屋。モノクロで撮影するとアルミパネルの陰影がよく分かる
【写真3】ミューロケット組立室の入る建屋。モノクロで撮影するとアルミパネルの陰影がよく分かる

 

「建築とは、一言でいえば『光と影』による造形である。歴史的な建築は、その色を失い、またディテールが破壊していっても、その光と影による造形は失われることはない。」

宇宙編④に続く(M田)

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M田次長のぶらり肝付町の旅・宇宙編②

JAXA(宇宙航空研究開発機構)内之浦宇宙空間観測所の門を入り、坂道を左に上がると「管理センター」が見えてきます。

この建物には、研究と運営の要の役割を担う「管理本部」が置かれています。

おそらく建設工事の中でも一番早い時期に建築されたこの建物は、構造もデザインも「一般の建築をおおっている習慣的なあるいは経験的な多くの要素にとらわれることなくまったく新たな立場からの追求」によって形づくられたといえるのでしょう。

耐震補強や屋根改修工事などが加えられていますが、普通の管理事務所ビルにはない斬新さが感じられます。

(写真は建物の裏から写しました。1階右下のドアは当時のまま。)

管理本部の入る管理センター。写真は建物の裏から撮影
管理本部の入る管理センター。写真は建物の裏から撮影

倉庫のドアもアルミ製です。

一枚が、高さ220㎝×幅86㎝というインターナショナルなサイズで、ノブの高さが大人の胸のあたりにきます。背の低い日本人には少し使いづらいと思いますが、そこは宇宙研究の施設ということで、海外の方が使いやすいようにしたのでしょう。

また、中央にオレンジ色のアクリル板が取り付けられており、ここに室名などが英語表記されています。(研究所の多くの建築物に同じドアを見つけましたので、共通仕様だったようです)

管理センターからさらに左手に上がると、直径7mのパラボラアンテナの下に「テレメーターセンター」があります。目立たない建物ですが、当時最新の建材だった「ALCパネル」(※1)を壁材に横使いし、スパン9600×2560のユニットが連続するシェルターシステムになっています。

(※1) ALCの製造技術は、1962年にヨーロッパより日本国内に導入されました(ALC協会HPより)1962年は、この施設が建設された年です。

ここに池邊教授が研究のテーマとしたルーローの三角形を見つけました。

このルーローについては別の機会に書きたいと思います。

(M田)

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М田次長のぶらり肝付町の旅・宇宙編①

JAXA(宇宙航空研究開発機構)内之浦宇宙空間観測所は、肝付町の東南端、太平洋を眼下に見下ろす高台に位置しています。

ここから、あの“はやぶさ”が小惑星“イトカワ”に向け発射されたことで一躍脚光を浴びました。昨年夏には、イプシロンロケットの打ち上げにも成功しています。

 

この観測所は、1962(昭和37)年、東京大学生産技術研究所の付属施設として内之浦に設置されました。

その2年後には東京大学宇宙航空研究所鹿児島宇宙空間観測所(KSC)と改称され、最新の宇宙科学研究計画が進められました。今から半世紀前、東京オリンピックが開催される頃のことです。

宇宙科学資料館。上から見ると風車のよう?
宇宙科学資料館。上から見ると風車のよう?


この計画では、ロケットや衛星・観測機器などの開発と併行して、それに必要な建築施設の研究開発も進められたそうです。

 

建設の建築プログラムの中心となったのが、池辺 陽(イケベキヨシ)氏です。

池辺氏は、長く東京大学の教授として、工業化という方向から建築をとらえた作品を残していますが、当時は、生産技術研究所での宇宙研究のグループに参加し、施設研究を担当していました。

彼は「建築としては70棟近くに及ぶシリーズが形成されている。」と著書に記しています。

その池辺氏の設計した作品群が、長期にわたる劣化に耐え、今も当時の姿を残しているものがあるのです。


JAXA内之浦宇宙空間観測所を訪れた人が、まず目にするのは 門衛所の右手に建つ「宇宙科学資料館」でしょう。

鳥瞰すると6つの羽根を持つ風車(かざぐるま)のようにも見える5階建てのビルです。と思いきや、立体的には六角形の吹き抜けを軸として、5つのユニットが、仕舞われていたそれぞれ一回り大きいユニットから引っ張り出されて開かれたようなイメージのデザインになっていると思いませんか?

逆にカシャン、カシャン、カシャン!と入れ子のように仕舞うことができるような気もしてきます。

見学者は右上に写る橋から5階部分に入り、見学しながら螺旋状の階段を降りていく
見学者は右上に写る橋から5階部分に入り、見学しながら螺旋状の階段を降りていく

見学者は、一番高いフロアーから順に右回りに次のフロアーに降りていくことになります。まさにネジを締める(閉める)回転に誘われるのです。

しかし、中心の六角形の吹き抜け(いまはロケットが入っている)を見上げると、今度はネジが開放される回転を体験することになります。

建物内は吹き抜けになっており、真ん中にM-3Sロケットが立っている
建物内は吹き抜けになっており、真ん中にM-3Sロケットが立っている

今、この建物は展示室の改修工事中です。建物の設計図も展示してもらえば、楽しみは何倍にもなりそうな建物です。

 

「単に扉が開く、閉じるということのハードな意味でなしに、建築自体が開き、或いは閉じる一種の呼吸運動ともいえる動きを続けていくことに、建築と人間のつながりが成立するといってよいのかもしれない。」(31 開くこと閉じること P83)

いやはや、随分なこじつけになってしまい、池辺教授に怒られそうですが・・・

(次回に続く)

 

引用は特記ない限り 池辺陽著『デザインの鍵-人間・建築・方法-』より

取材協力 小林省三様

 

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M田次長のぶらり肝付町の旅・なごり雪

今年の冬、日本列島はどこも大雪にみまわれ、大きな被害のあった地方もありました。しかし、こちら南国肝付では雪を見ることはありませんでした。

 

ところが、寒緋桜はとうに散り、菜の花が満開、山桜が咲き始めた春も盛りの3月9日。早朝の散歩をしながら周りの山を見回すと、初夏の日本アルプス風の(見たことないけど)景色にびっくり。なんと、中腹まで雪化粧していました。

国見山系
国見山系

この地では、こんな景色は1年に1回も見ることはありません。昨夜から平地で降っていた雨が、標高の高いところでは雪になったのでしょう。

なんにも気づかず家事をしていた家族にも知らせて、あの歌を口ずさみながら見とれることでした。

高隈山系
高隈山系
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M田次長のぶらり肝付町の旅・肝属川編④

◇下流域

 『シラスウナギ漁』

大隅半島は昔からウナギの稚魚(シラスウナギ)が多く獲れたため、養鰻業が盛んに行われ、養鰻生産高全国1位を誇る鹿児島県の中でも屈指の産地です。 

地元で「ノボイコ」とよばれるシラスウナギは、海から上げ潮に乗って川を遡上して来ます。これを、真冬の夜中、護岸に足場を仮設し漁り火をともして、小さな網ですくい獲るのが肝属川河口付近の習わしです。漁期は12月から3月と決められており、闇の中、河原に点々と続く漁り火は冬の風物詩ともなっています。

車上などから景色として見る分にはとても美しいのですが、寒風吹きすさぶ中、8㎝にも満たないような半透明のシラスウナギを、目を皿のようにして待つ漁はなかなか大変そうです。

小さくて半透明のシラスウナギ。暗い中これを探すのは大変そう
小さくて半透明のシラスウナギ。暗い中これを探すのは大変そう

さぞかし懐具合が良くなるのだろうと調べてみると、去年は全くの不漁で買い取り価格も1㎏当たり150万円を超えたとか。今年はまずまずのようで、1㎏当たり60万円ぐらいに落ち着いているそうです。

ちなみにシラスウナギ6~7匹で1グラム。一晩粘って1匹も取れないこともあるようで、この相場が高いか安いかは、いわゆる価値観の問題のようです。

しかし、夕飯もそこそこに暖かい家を出て、極寒の川面をまんじりともせず見つめる男たちと、その暮らしをサポートする奥様方に尊敬の念を抱かずにはおられない私です。風邪と寝不足には気をつけてと心から祈りたいと思います。

(M田) 

  • 取材協力:吉松誠様、隆子様
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M田次長のぶらり肝付町の旅・肝属川編③

前回は肝属川の源流をたずねて山に入りましたが、今回は肝属川の中流域をぶらりとしてみました。

◇中流域

 『柴堰』(しばせき)

肝属川流域は、その水を利用して米作が盛んに行われてきました。中下流域では、3月下旬から4月初めに田植えをし、8月のお盆前に収穫する早期米が主です。初夏の陽を浴びて青々と広がる田園風景から、この地の豊かさを実感します。

しかし、大隅地方一帯の開田事業が実施されたのは江戸時代初期(1660年代から約20年間)であり、それ以前は灌漑施設が無く、大部分の地域では稲作ができる耕作地ではなかったようです。この開田事業の中で造られた堰が、今も大隅には数ヶ所残っており、その中の一つに串良川に残る「川原園井堰」があります。

ここでは日本で唯一「柴堰」と呼ばれる堰き止め方を340年余り受け継ぎ、当時のまま留めている農業用取水井堰です。

川原園井堰。この時期は真ん中よりも奥側半分だけ堰き止められている
川原園井堰。この時期は真ん中よりも奥側半分だけ堰き止められている

特徴は、堰の礎石の上流側にマテバシイの柴の束を川幅いっぱいに立てかけ、その上に筵を敷き並べるという構造にあります。こうすることで川水は下流にも流れ、農業用水の均等な配分がなされたということです。

上の写真は、1月20日現在の川原園井堰です。この時期は農業用取水の必要がない

ため川幅の半分だけ堰き止め、右岸側取水口(写真奥)から消防用水を確保しているそうです。 

撤去されたマテバシイ
撤去されたマテバシイ

柴堰は、地元では「しばかけ」とよばれる行事として、監理者である串良町土地改良区と地区の農家の方々により、毎年田植え前の3月下旬に更新されています。

堰の材料としてマテバシイを使うのは身近な里山で楽に調達できることがあると思います。また、もう一つの理由としては葉が落ちにくい樹種であるとのことで、確かに撤去された柴束には、まだ葉が残っていました。

3月には「しばかけ」を見に来たいと思っています。

(M田)

  • 取材協力:串良町土地改良区様
  • 参考文献:西村佑人様著『川原園井堰の技術とその歴史的変遷』
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M田次長のぶらり肝付町の旅・肝属川編②

肝属川は、四季を通じて、私たちにその豊かな流れを見せてくれています。しかし、この川の上流のさらに上流、源流はどうなっているのでしょうか。

36もの支流には、それぞれ趣の違う源流があるはずです。肝属川の源流については、前回「高隈山系御岳」の懐にあることをお伝えしました。

今回は、山佐木材のすぐ近くを流れる支流「高山川」と「串良川」をさかのぼり、源流を訪ねてみたいと思います。

高山川(こうやまがわ)

肝付町の分水嶺、国見山系の最高峰「甫与志岳」(ほよしだけ・標高967m)。この神話の残る山懐から高山川は流れ下っています。

正式な源流があるのでしょうが、私が調べた限りでは不明でした。そこで「もうここより上に水の流れは無いよ」というところを源流と呼ぶことにし、登ってみることにしました。

ルートは二股林道を経て、甫与志岳登山口から渓流沿いをひたすら登る林道です。道すがら一番上の小さな流れを見つけていこうという簡単明快な方法です。

小春日和に恵まれた12月初め、頂上を目指して源流への旅の歩を進めました。きつい山道を一時間ほど登ったところで渓流は途切れ、ゴツゴツとした花崗岩の割れ目から清水が流れ落ちています、ここを私ひとりの高山川源流としたいと思います。

ちなみに、一つの大きな花崗岩塊からなる山頂からの眺めも良かったです。

甫与志岳中腹の石清水。ここを高山川の源流ということにしました。
甫与志岳中腹の石清水。ここを高山川の源流ということにしました。

串良川(くしらがわ)

山佐木材から見る高隈山系の向こう(北)側に垂水市高峠、鹿児島大学農学部附属高隈演習林があります。周遊道が整備され、一般の人も演習林を見学できるようになっています(注1)。


より大きな地図で 鹿児島大学農学部附属高隈演習林 を表示

この見学コースを1キロ半ほど下りきったところに「冷水谷」という、串良川の源流となる小さな湧水池があります。

架設されたウッドデッキを池の奥まで進むと、細かい軽石の層から湧き出る澄み切った水を味わうことができます。

この地層は2万5千年前の姶良火山の噴火による堆積層とのことで、これが地下水を磨いているのでしょう。周囲の植生も豊かで、夏には蝶やトンボ、イモリがたくさんいました。お子様連れでも楽しめる施設です。

ウッドデッキの周りはクレソンが茂っていました。
ウッドデッキの周りはクレソンが茂っていました。

今回訪ねた源流は、どちらも独特の魅力を持っていました。そして、それぞれの支流沿いの町で育まれる文化も独自のものがあるように感じられます。次は、中・下流域をたずね、そのあたりのことも調べてみたいと思います。

(M田)

(注1)鹿児島大学演習林事務所で利用許可の簡単な手続きが必要です。

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М田次長のぶらり肝付町の旅・肝属川編①

こちら肝付町でも朝夕はだいぶ冷え込むようになってきました。

山佐木材・下住工場のすぐ南を流れる肝属川は、この時期になると霧に包まれることがよくあります。それはとても幻想的な景色で、通勤の途中でも、暫し仕事のことを忘れてしまうほど見応えのあるものだと思います。

そこで今回から、この「肝属川」をぶらっとしてみることにしました。

霧に包まれる肝属川。真ん中に見えるのが高隈山御岳(おんたけ)
霧に包まれる肝属川。真ん中に見えるのが高隈山御岳(おんたけ)

肝属川は、その水源を高隈山地御岳(写真山塊の真ん中の峰)に発し、36もの支川を集め、志布志湾に注ぐ1級河川です。

河口は、肝付町波見、向こう岸は東串良町柏原になります。

延長が34kmと、とても短いのに、標高差が1180mもあり、昔から水害を繰り返してきた暴れ川でもあります。同じ鹿児島県内を流れる川内川は延長137km、標高差は1417m。勾配で比べると3.4%対1.0%と3倍も厳しいことが分かります。

山佐木材下住工場の航空写真
下住工場の南側を流れる肝属川

河口から下住工場までの河川距離は7000m、この地点での河川水位は7m(河口=0m)ですから、ちょうど1/1000勾配。

この辺りは太古(6000年前くらい)海だったのです。その証拠にボーリングデータを見ると、地下10mくらいまでは湿地植物由来の泥炭層が堆積しています。

そこから下は約2万2千年前に姶良カルデラが大爆発したときのシラス層が最大180mの厚みで覆っています。

下住工場南の堤防に立って、南から西、そして北へと見渡すと、「ああ海だったんだなぁ」としみじみ思います。

「清流」の記念碑
「清流」の記念碑

さて、肝属川は大きな洪水を何度も繰り返してきました。

それで昭和12年から国が主体となり、本格的な改修工事が始まったそうです。しかし緒に就いたばかりの昭和13年10月14日から15日にかけ未曾有の大雨による大水害が発生し、肝付町(旧高山町)で死者118名、行方不明者53名の大惨事となりました。

その水害史実と犠牲者の冥福の祈りと、また治水工事への感謝を表して、支川高山川の赤池橋下流右岸に「清流」の記念碑が建てられています。

(参考 国土交通省大隅河川国道事務所ホームページ)

(M田)

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肝付歴史茶話会~やぶさめを支える人々

肝付町の歴史について語る会「肝付歴史茶話会」が行われていると聞いて、前々から興味があったのですが、4回目にして、やっと参加することができました。

今回のテーマは「流鏑馬(やぶさめ)」。しかも流鏑馬の道具を作っている人の仕事場を見学に行って直接話を聞こうという趣向。

私の好きなテレビ番組「和風総本家」の「〇〇を支える人々」シリーズのような、この企画。かなり楽しみです。

まず最初に、流鏑馬の矢(鏑矢)を作っている中村さんのご自宅へ。

11年前に四十九所神社の宮司さんに依頼されてから作り始めたそうです。

元々こういった仕事をされていたわけではない中村さん。

矢を作るにあたって前任者からの引き継ぎは全く無く(神事である流鏑馬ではそれが当たり前のことらしい)、前任者が作った矢を見本に、試行錯誤しながら作り続けたそうです。矢軸の材料となる箭竹(やだけ)や矢羽(鷹の羽)なども中村さんが自分で調達しています。

作り始めて11年目、今年の流鏑馬では、射手を務めた吉松君の要望を聞き、練習もずっと見に行って、吉松君が使いやすいように工夫されたそうです。これが今年の素晴らしい結果(9本中8本的中)につながったんだな、と納得でした。

矢を作るための道具は中村さんの手作り
矢を作るための道具は中村さんの手作り

次に、雁股(かりまた)を作っている「松元カジ屋」さんへ。

八幡馬場と言われるこの辺りは、昔は「鍛冶馬場」(かっばば)と呼ばれ、鍛冶屋さんがたくさんあったそうです。


「雁股」とは、矢の先端についている鉄製の矢じりのことです。二股に分かれたU字のような形をしています。

この雁股が的に刺さるのですが、松元さんの「ひっちゃれれば恥じゃ」(的に当たってから矢が落ちてしまったら恥だ)という言葉にプライドを感じました。

肝付町に1軒だけの鍛冶屋さん(肝付町どころか大隅地方に1軒ということらしい)、できれば地元で作り続けられるとよいなと思いますが、どうなるのでしょうか。ちょっと心配です。

材料調達も年々難しくなっているようですが(特に鷹の羽の調達が難しいらしいです)、道具は去年のものは使わず、毎年新しいものを作っています。

やぶさめは、神事を自分たちの手で守っていこうという想いを持った人々に支えられています。

総務経理部 佐々木(真)

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M田次長のぶらり肝付町の旅・流鏑馬編④

10月20日(日)、朝方に少し雨が降ったものの「流鏑馬には雨は降らない」との言い伝え通り、昼近くには快晴となりました。

いつもは閑散とした通りも、この日ばかりは大勢の見物客であふれます。

街中をパレードしてきた流鏑馬武者行列は、昼前に四十九所神社に帰ってきます。いよいよ正午過ぎに流鏑馬祭りの神事が始まるのです。

町内を流鏑馬行列が歩く
町内を流鏑馬行列が歩く

流鏑馬は、国家安泰、五穀豊穣、悪疫退散を祈願する一連の神事の中奉納される年占いの儀式です。祝詞が奏上された後、齋弓が射手へと渡され(弓受けの儀)、少年は神の使いとなって騎乗疾走するのです。

3つの板的が用意された長さ3町(330m)の馬場を3回駆け抜けながら合計9本の鏑矢を射、当たった数で豊作を占います。

あやい笠から舞い上げる紙吹雪は一走目の駆け始めのときだけ見ることが出来ます。馬は今回デビューの「はやぶさ号」(写真提供:肝付町)
あやい笠から舞い上げる紙吹雪は一走目の駆け始めのときだけ見ることが出来ます。馬は今回デビューの「はやぶさ号」(写真提供:肝付町)
射手・吉松君の放った矢は見事三の的を射ぬく。後ろで駆けている赤い羽織は後射手の益山君(写真提供:肝付町)
射手・吉松君の放った矢は見事三の的を射ぬく。後ろで駆けている赤い羽織は後射手の益山君(写真提供:肝付町)

馬場には、射手の掛け声と馬が疾走する蹄の音、矢が板的に命中した音が響き、当たると同じに観衆のどよめきが起こります。

今年、射手の吉松大志君は見事9本中8本を的中させました。

9月に初めて馬にまたがった少年は、大きなプレッシャーにも負けず、怪我にも負けず、ひたむきに練習を重ねました。

ひたすら真砂を馬場にまいて無事を祈る父親。乗馬を始め弓の扱いから様々な作法まで教えてくれる保存会の方々。練習を見守るボランティアや町の人々。多くの人の支えに応えて、みんなに大きな感動を与えてくれました。

肝付の大祭流鏑馬は終わり、秋は深まっていきます。

 

*取材に対してご協力くださいました流鏑馬保存会、肝付町役場の皆様に感謝申し上げます。

(M田

 

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M田次長のぶらり肝付町の旅・流鏑馬編③

10月18日(金)午後、全ての練習を無事に終えたことへの感謝と、本祭に向け以降3日間、俗を離れて宮籠りに入るために「潮がけ」という祭事が行われます。

射手と後射手(昨年の射手)、保存会の男衆が四十九所神社から内之浦湾に面する柏原海岸まで、片道2時間あまりの遠行。町内から郊外へ向かう沿道には、町民や小中学生が駆けつけ声援を送ります。

柏原海岸まで収穫の終わった田園風景の中を進む
柏原海岸まで収穫の終わった田園風景の中を進む

海岸に着くとまず、射手、馬、行列に参加した大人たちの順で、みんなが潮で身を清めます。

柏原海岸は、この日小雨交じりで少し寒さを感じるほど。馬も人も膝くらいまで海に浸かるのは、ちょっと冷たかったようでした。

潮で身を清める様子。馬も冷たそう。奥に見えるのは志布志石油基地
潮で身を清める様子。馬も冷たそう。奥に見えるのは志布志石油基地

清めが終わると、神社の宮司さんがお祓いを執り行い、この祭事は終わります。

このあと、射手と後射手は二人きりで宮籠りをし、20日の本番を清めた体のまま迎えることになります。

(M田)

本番の馬場を清める真砂もこのとき砂浜でいただきます
本番の馬場を清める真砂もこのとき砂浜でいただきます
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