M田部長のぶらり肝付町の旅・壊れかけのラジオとFM

 師走に入りました。上旬は、散歩をすると汗ばむほどの記録的な暖かさでしたが、大雪を過ぎた今日この頃、やっといつもの冬にもどったようです。冬といえばコタツ、コタツといえば宿題しながら聞いていた深夜放送。

 我が家には、M田が中学1年の冬に、お年玉と親にねだって買ってもらったラジオが現役で音を出しています。その名も高き「ナショナル2000GXワールドボーイ」。これで「つるこう」とか「ちんぺい」とか「なかじま」とか寝ずに聞いたものでした。もう50年近く、苦楽をともにしていますが、文句ひとついわず付いてきてくれました。まことに見上げたものです。

  

 

 このラジオから初めてFMバンドを聞いたときは、その音質にびっくりしたのを覚えています。今も少し錆びたアンテナで電波をしっかり拾って放送を聞かせてくれています。

 家人がもっぱら選局しているのは「FMきもつき」。町内に基地をもつコミュニティFM局で、弊社の本社工場のすぐ近くの高台に建つ「勤労青少年ホーム」の一室にスタジオを構えています。

 

 

 朱の鳥居をくぐり、神社の参道を登るというちょいと奇妙な感じの場に建てられている「勤労青少年ホーム」ですが、ここで肝付町の青年たちがいろいろなドラマを繰り広げてきたと噂されています。

 

 

 このスタジオでは週に3本ほどの収録が行われているそうで、今日は「じじ放談」という、文字通り60歳を超えるおじさんたちが、テーマも決めずに好きなことを話題になるようになるという構成で番組収録の最中でした。とても楽しそうに会話がはずんでいます。

 

 

 このスタジオは、災害時の停電の中でも3日間放送を継続できるよう非常用バッテリーが備え付けてあるそうです。高台の建物を選んだのもそのような目的があったのでしょう。

 ここから肝付町全体に放送を届けるために、国見山、荒西山など3中継局が設置されています。肝付町は国見連山という700mを超える山壁で高山と内之浦が隔てられているので、電波を飛ばすのにもご苦労があるようです。

 

 実はこの放送局は、鹿屋市と志布志市、そして肝付町の2市1町のコミュニティFM局がネットワークを組んで、共同の情報を送れるシステムを構築しているのですが、これは全国でも類を見ない仕組みだということで、総務省もびっくりだったそうです。

 もしもの時は補完しあって、さまざまな情報を発信していけるのは、住民にとって、災害への備えとして大いに貢献するものと思われます。 

 

 開局10年を超え、小さなアンテナは、今後さらに身近で心強い情報を町民に提供してくれるはずです。

 (次は新年 何を見ようかM田)