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国内初のJASスギ構造用大断面集成材の認定を受けてから30年、私たちの手で木造躯体部分の製造から加工・現地建て方まで施工させていただいた公共施設や民間施設は1500件を超えました。
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2022年8月17日(水)日刊木材新聞
山佐ホールディングス(鹿児島県肝属郡、佐々木政典社長)は、林業経営に参入するため山佐林業(同)を設立した。グループ企業内の安定的な原木確保と、放置林の増加など社会的な課題の解決を目的としている。同社が素材を生産し、山佐木材(同、有馬宏美社長)が製材や集成材ほかの加工、ヤマサハウス(鹿児島市、森勇清社長)がプレカットと住宅施工を行うというグループでの一気通貫型モデルの確立を目指す。
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写真部より 光の氷壁(4月22日 鹿児島市)
第9回 指宿市 温泉郷の大衆浴場(1) 指宿温泉郷 弥次ヶ湯温泉
新型コロナ感染症が5類に移行されてから、国内の観光地や温泉地をめぐる番組が増えてきた。そのなかでも砂蒸し温泉をメインにした指宿の紹介が多いように感じる。
指宿は、霧島とならぶ鹿児島県内有数の温泉郷である。指宿市観光課のデータでは、令和元年は、入込観光客数は年間370万人を超えていた。市の人口3万7千人のおよそ100倍にあたる人々が国内外からここを訪れていたのは、数多い老舗の温泉旅館やホテル、絶景の海岸線がひろがる露天風呂、そして、世界で唯一ここでしか体験できないといわれる天然の砂蒸し温泉など観光資源の豊かさからだろう。コロナ禍の影響で、令和3年、観光客は年間220万人まで減少してしまったが、温泉郷としての魅力は衰えてはいないはずだ。ウィズコロナとなったこれから、観光客数も回復し街に以前の活気がもどってくることを願いたい。
ところで、指宿市という一大湯の町に暮らしている地元の方々は、普段どんな温泉ライフを過ごしているのか気になるところだ。毎日砂風呂に埋められるわけにもいくまい。手軽で身近な、入り心地のよいお湯があるに違いない。インターネットで「指宿 大衆浴場」と検索してみると17の浴場が掲載されているページが現れる『いぶすき観光ネット』。
入浴料はだいたい300円から350円、なかには150円で入れる浴場もある。この価格なら毎日だって銭湯感覚で利用できる手軽さはある。けれども、湯屋のおもむき深さやお湯の入り心地などについては、やはり実際に行ってみないことには、パソコン画面からは伝わっては来ない。ということでまず、ネットに掲載されている大衆浴場、弥次ヶ湯温泉を訪ねてみた。
鹿児島市内から南に向かって国道225号線を経て国道226号線を南下。車は左手に波静かな錦江湾を、さらに対岸には桜島、大隅半島の山並みを観望しながら走る。国道のすぐ右横を並走しているのはJR指宿枕崎線だ。ディーゼルカーに揺られながら、缶ビールを置いた車窓から見る南国の景色もきっといいものだろう。
指宿市内に入るとすぐに「道の駅いぶすき」が見えてくる。ここで販売されているソフトクリームは、オクラが練り込まれているクリームの横に、寄り添うように塩ゆでオクラが乗っていて、けなげで健康的においしい。
市街地に入ると、田口田交差点から左折して「なのはな通り」に入る。JR指宿枕崎線を越えると正面に海に向かって平地がひろがっている。この道を直進すれば、老舗温泉やホテル、砂蒸し温泉などが建ち並ぶ指宿温泉街に通じているのだが、すぐに左折して市役所方向にむかう。
市役所を過ぎると300mほどで左手に「♨創業明治25年弥次が湯温泉」と書かれた茶色の看板が見える。矢印にしたがって小径にはいるとすぐに駐車場、その奧に2棟の木造の湯屋が建っている。温泉街からはほどよく離れていて、田んぼに面した静かな立地である。
参考にした三国名勝図会に「水田の間に湧出す、(中略)、往昔 弥次といふ者掘出せり。故に其の名を得たり。」とあることからも、いま目にしている風景は昔のままなのだろう。