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不定期ですが、山佐木材の日々の出来事をご紹介しています。

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M田のぶらり旅・「花は霧島 ほどほどの山歩き」

第17回 霧島市 花は霧島 ほどほどの山歩き

 鹿児島の代表的な民謡に江戸初期から歌われているという「おはら節」がある。(※1)

 出だしが、「花は霧島、煙草は国分、燃えて上がるはオハラハー桜島」で始まるあの歌である。4百年もの昔から薩摩人の自慢は、なによりも霧島山に咲く花々、本霧島と呼ばれる躑躅であったらしい。

 また、昭和9年に日本で最初に「霧島国立公園」として、保全、公開されることになったいきさつも、その山容はもちろん、そこに咲く植物の豊かさと美しさあってのことだろう。

 

 霧島山は最高峰韓国岳(1700m)、龍馬とお龍が新婚旅行で登ったことで知られる高千穂峰(1574m)が有名だ。しかし、いざ登山となると体力と時間の余裕がないとなかなかチャレンジするのがむずかしいのが実情だ。そこで、ほどほどの山歩きでそれなりの達成感を得ることができて、「花は霧島」をまわりに自慢できる三拍子そろったコースを歩いてみた。

  

 

§1. 大浪の池 まんさくを愉しむ 3月末ころ

 まんさくとは花々のなかで一番最初に咲くから「まんず咲く」→「まんさく」だそうな。3月20日過ぎから黄色の毛糸を数本束ねたような可愛い花を咲かせる潅木で、高さは3メートルくらいだ。まんずこれを見に行こう。

 霧島温泉郷から県道1号線をえびの高原に向かうと右側に登山口駐車場がある。30台以上停まれる広さだが、すぐに満杯になるので早めに着けるよう計画したほうがいい。登山口からは大樹の森をぬうように石畳の道が続いている。まだ肌寒い季節だが、ゆっくりと歩いても温かくなってくる。左右の樹木の変化や鳥の声を楽しみながら登れば、小一時間もかからずに、分岐点の展望所に着いてしまう。ここには避難小屋が新築整備されていて、長椅子が設えてあり、霧島山や大浪池の説明パネルも展示してある。また、携帯トイレが使える施設もあるから安心だ。

 眼下には、お浪という娘の悲しい伝説を秘めた青い池がひろがっている。湖面をながめながら分岐から右手へ。木の階段はこのカルデラ湖の縁を一周する道に続く。ここから10分ほど歩くと、まんさくの群落が花を咲かせていた。黄色のきゃしゃな花々は青空の下、霧島の春を伝えてくれるのである。北に韓国岳、南に高千穂峰をながめながらお茶でも飲んで、来た道を下る。無理せず、ゆとりのある2時間すこしの花山歩きを楽しめるコースだ。

  

 

§2.中岳中腹歩道 深山霧島(みやまきりしま) 5月中旬ころ

 深山霧島と名付けたのは、1909年、新婚旅行でこの山を訪れた牧野富太郎だった。そして、江戸末期、新婚旅行で高千穂峰に登った坂本龍馬も一面に咲くこの花の美しさを姉に書き送っている。霧島山に初夏を呼ぶ深山霧島の群落は、新婚旅行でなくても見に行けるのである。

 

 霧島神宮から北東に4kmほどく九十九折りの道を行くと広い高千穂峰駐車場に着く。ほぼ9割の人は、天孫降臨伝説をもつ霊峰高千穂の鳥居をくぐって、峰への登山道を登っていくようだ。そちらには背を向けて、ビジタセンターの左、中岳登山口から入っていく。

 実は2011年1月の新燃岳噴火後、中岳と新燃岳は入山禁止となっているのだが、中岳中腹までの遊歩道は開放されている。当時の噴石なども両脇に寄せられていて、石畳の道は歩きやすく整備されているのだ。

 

 登山口から15分ほどで深山霧島の群落が現れ始める。遊歩道は中岳登山道とツツジコース、紅葉コースに分岐するが、中岳登山道を登って、ツツジコースを下りてくることにしよう。深山霧島は歩道沿いにも、その向こうにも一面と言っても差し支えないほどの群落を作って咲いている。振り向けば、高千穂峰が圧倒的な迫力でそびえる。登山道の入山禁止看板まで登ると、左から高隈山系、開聞岳、錦江湾に浮かぶ桜島、南さつま野間岳を一望する絶景が広がっていた。

 歩道に沿ってあちこちに配置してある休憩用のテーブルでコーヒーでも飲みながら、何度も花と景色を楽しめるコースだ。往復2時間、疲れを感じることはない。

 

  深山霧島の群落と高千穂峰 

 

眼下に広がる薩摩の山々

 

 どちらのコースもタイムスケジュールに余裕ができるのがいい。帰りに寄って一風呂浴びる温泉や、特産品売り場での買い物の楽しみが増えるのもうれしい。

(※1 おはら節のルーツには諸説あります。)

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参考:林 竜一郎著『おてっちき 鹿児島おはら節』国分進行堂

   「平成23年霧島山(新燃岳)噴火 国土交通省の対応」国土交通省 九州地方整備局宮崎河川国道事務所

   ウィキペディア

(M田)

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M田のぶらり旅・「椋鳩十文学記念館と龍門司焼」

第15回 姶良市加治木町 椋鳩十文学記念館と龍門司焼

 加治木郷土館から仮屋町の通りをさらに西へ200mほど行くと、「椋鳩十文学記念館」と書かれた看板が立っている。案内に従って右に折れたさき、松の木に囲まれた記念館の入り口が見えてくる。

 椋鳩十といえば、『大造じいさんとガン』。小学校の教科書に載っていた。主人公のガンの名前は「残雪」だった。どんな展開だったか。はっきり思い出せないなぁ。などと考えているうちに門口に着いてしまった。そこの木陰に、タイル張りの碑が置かれていた。

  


 

 碑には、銅色の陶板に、椋鳩十が創作する物語の原点と加治木の住まいへの愛着をしたためた随筆「物語のふる里加治木」がとても丁寧な文字で焼成され、はめ込まれてあった。

 私は、まず、この随筆を読んで、家の周りにやってくる動物や鳥の名前の多さにうれしくなった。蛇、ネズミ、スズメ、イタチ、カラス、モズ、ヒヨドリ、三光鳥、ムクドリ、レンジャク。短文の中に動物3,鳥7種が織り込んである。椋鳩十というペンネームが表すとおりに鳥の名前にもくわしかったのだろう。動物や鳥をモチーフにした物語が多いのも頷ける。

 そして、さらに、この陶板が龍門司焼川原氏の手によって焼かれていることから、まちの歴史の深さと椋文学という加治木の双璧を同時に感じとれるような気がした。

 記念館はこの奧に静かに建っている。作品原稿や書斎など内容も豊富で、子供も大人も楽しめる展示がうれしい。児童文学の館で、存分に物語の世界に浸ってみるものよろしいかと。

  

 

 さて、門口の陶板に「龍門司焼」とあった。郷土館で受けた説明によると、

龍門司焼は1598年(慶長3年)島津義弘が朝鮮の役から帰還する際に連れて来られた陶工たちによって開かれた窯が始まりで、1607年(慶長12年)義弘が加治木館に移城したとき、陶工たちも帖佐から加治木に移っている。そうして、義弘の死後も加治木に留まった陶工の子孫が、1718年(享保3年)頃現存する龍門司古窯を創設した。古窯は、昭和30年4月、龍門司焼企業組合の新窯が築造されるまで、二百数十年間にわたり焼成に使われていたという。前述した陶板制作にあたった川原氏は、藩政時代からこの窯を代々主導してきたと伝えられる川原家の継嗣だろう。

 椋文学を堪能したあと記念館を出て、企業組合の窯場に行ってみることにした。地図で見ると県道55号線を鹿児島空港に向け北に4km上ったシラス台地の中腹にある。

 

 

 裏山の木々に囲まれた敷地の、手前に焼成の燃料となる大量の薪が丹念に積まれた焚き物小屋、正面の切り妻平屋建てには販売所と製陶作業場が配置されている。左の暖簾をくぐると、棚にはたくさんの焼き物が、器の機能やデザインごとに分けられて陳列されていた。釉薬の色も多彩で見飽きることはないが、黒釉に青流しは「黒薩摩」と呼ばれているこの窯のイチオシのようだ。

 右奥の作業所では、土間の囲炉裏にくべられた太い焚木がゆっくりと炎をあげている。作業場の基本的な暖房はこの炎なのだろう。さらに奧、ろくろを据えた作業台と絵付けの机がいくつも並んでいた。来場者は職人さんたちの作業のようすや登り窯も見学できる。

 

 

 横長の建屋の裏側、作業所から出入りがしやすい位置に登り窯が造られている。訪れたのがちょうど春の窯出し祭のあとだったので、空になった窯室にはもう熱は残ってはいなかったが、作業のなごりを見ることはできた。新築されてからおおよそ70年を経た窯は、古窯に比べればまだまだ若いのだろうが、木造の煤けた小屋組は美しく、石積みにも風格を感じさせるものがある。 

 

 

 加治木を散策して、あらためて以前から気になっていたこのまちの魅力や楽しみの原点に触れることができたように思う。やはり世の中知らないことばかりなんです。

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椋鳩十文学記念館:午前9時~午後5時 (月曜日・12月29日~翌1月3日休館)

龍門司焼企業組合窯場:年中無休・午前8時30分から午後5時30分(年末年始休業)

参考・引用:

 加治木郷土誌 平成4年11月2日改訂版

 加治木郷土館配付資料

 姶良市ホームページ

 龍門司焼企業組合 パンフレット

(M田)

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2024年 入社式を行いました

 令和6年4月1日、新たに1名の社員を迎え入社式を行いました。 

 入社式では社長から辞令交付があり、「建設部 加工建て方」へ配属されました。

社長より
社長より
辞令交付
辞令交付
決意表明
決意表明
記念撮影です
記念撮影です

 

 

 入社後、約1ヶ月間はOJT(現場研修)となりますが、配属後は業務を楽しく頑張っていただくことを期待しています。

 

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「健康経営優良法人2024」に認定されました!

 

 この度山佐木材株式会社は、令和6年3月11日付で「健康経営優良法人2024(中小規模法人部門)」に認定されました。

 

 社員が心身ともに健康であることが、社員の幸福にも企業の発展にもつながると考え、「かごしま健康企業宣言」をし、社員が健康でいきいきと働ける環境づくりに取り組んでいます。健康経営を実施する体制を強化していることが評価され、この度の健康経営優良法人の認定を受けることができました。

 

 

健康経営優良法人認定制度とは

 日本健康会議が進める健康増進の取り組みをもとに、特に優良な健康経営を実践している企業を顕彰する制度です。社員の健康管理を経営的な視点で考え、戦略的に実践することで、従業員の活力向上や生産性の向上などの組織活性化をもたらし、業績向上や株価向上につながると期待されています。

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M田のぶらり旅・「仮屋町通りから加治木郷土館・図書館へ」

第15回 姶良市加治木町 仮屋町通りから加治木郷土館・図書館へ

 天ぷら蕎麦の大黒屋からひとつ南の交差点を西に折れると姶良市加治木町仮屋町にはいる。

 通りの北に加治木高校、柁城(だじょう)小学校と並び、南には大樹に囲まれた家屋敷が残されている。薩摩藩では、主要な城下に麓(ふもと)と呼ばれる武家屋敷群が置かれていた。県内では出水市や知覧などの麓は古い景観を保存しながら、観光地化されたまちには大型バスで訪れる人も多くなっているようだ。

  

 

 加治木の麓、仮屋町を通り沿いに西へと歩いてみよう。

 まず、目に飛び込んでくるのは、学校の通りに面する石垣である。その組み方は豪快でしかも緻密だ。県内にあるほかの武家屋敷群の石垣が四角い切り出し石や、丸石で積まれているのに比べ、ひとつひとつ異なる形の切り石が一分の隙もなく組み積まれているのである。たしか鹿児島市鶴丸城跡の石垣もこんな感じだった。西南の役で放たれた無数の砲弾痕が残るあの石組みに似ている。どちらにも、なにか特別な格の高さを感じさせるものがあるなぁ。

 興味は湧いてくるものの、その品格の高さを裏付ける理由はまだわからない。

 このみごとな石垣を日々見ながら登下校する学生や子供たちは個々の大切さや、ワンチームとなることの力強さを知らず知らずのうちに身につけていくのではないだろうかなどと思いつつ、積み石の手触りを確かめながら歩くのであった。

 

 

 柁城小学校の正門を過ぎるとすぐに「加治木郷土館」と表札のかかった石門が見えてくる。この町の歴史や風物の資料が展示されているだろう。左奧にはおもむきのある木造の図書館も隣接している。早速訪ねてみた。

 

 

 郷土館に入ると最初に藩政時代の加治木を表すジオラマが置いてある。それをのぞき込んでいると学芸員のかたが来て、加治木の伝説や戦国時代から藩政時代の歴史的なできごとについて、展示資料を見ながら実に丁寧に説明をしてくださった。

 いわく、「さっき通ってきた加治木高校、柁城小学校、図書館が置かれている地所を居城として選び、城としての性能を満たすための堀や城壁を整備したのち、御殿を建てたのは、関ヶ原の戦において、撤退に家康軍の中央突破を敢行した島津義弘なのです。その後彼は1607年11月に引っ越してから、1619年85歳で亡くなるまでの12年間、17代目島津家当主として、ここ加治木屋形に住み、執政したのです。」

 なんと、義弘公は73歳で新居城の設計と工事を指揮したのだ。しかも遡ること7年前、66歳で合戦場を命からがら駆け抜けたことになる。恥ずかしながら始めて知りました。同い年であるわたしは、その超人的な身体能力と胆力に、驚き恐れ入るしかない。

 義弘公亡き後、藩政時代を通して、この屋形は島津本家に次ぐ家格を持つ加治木島津家の居城となっていたとのこと。なるほど、ここの石垣と鹿児島のあの石垣がよく似ているのも腑に落ちた。

 三百年以上続く加治木龍門司焼の歴史や資料を始め興味深い展示を堪能させてもらった。

 

 せっかくなので、隣の図書館で郷土誌などをお借りして、教えてもらった歴史のページをめくってみたくなった。図書館と左手に続く研修室(旧郷土館陳列館)は、国の有形文化財に登録されている洋風の木造平屋建て、高い床下、漉きガラスの窓が年代を感じさせる。

 母屋からせり出して設けられている玄関で靴をスリッパに履き替えて、加治木石で積まれた階段を数段上がると、穏やかな光量のなかに静かな空間が広がっている。板の間の床は温かさも心地よく、木製のテーブルでゆっくりと閲覧することができた。そして、授業を終えた小学生や高校生が学校の図書館とはひと味違った空気感を持つこの図書館を愉しんでいる雰囲気も伝わってくるような気がした。

 郷土誌の伝説欄から、どうも気になっていた「柁城」小学校の訓読みとその由来を知ることができた。柁は「かじ」、城は「き」と読めるのだ。これを「だじょう」と音読みさせるのは、やはりこの町の成り立ちに根付いているようだ。

 図書館を出て、もう少し西へと歩いてみよう。

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加治木郷土館:火~日曜日 午前9時~午後5時  (祝日・年末年始休館)

加治木図書館:火~日曜日 午前9時~午後5時  (祝日開館)

参考・引用:

 ・加治木郷土誌 平成4年11月2日改訂版

 ・加治木郷土館・加治木図書館ホームページ

 ・文化庁文化遺産オンライン

(M田)

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「南大隅町木育フェスティバル」に参加しました

 2月17日(土)に南大隅町ふれあいドーム根占にて「南大隅町木育フェスティバル」が開催されました。

 

 イベント内容は南大隅町内の保育園・学童の子どもたち約80名を対象に、南大隅町つじみ保育園主催のもと、「NPO法人 おおすみ100年の森」協力による木育イベントでした。木の香り、木の良さ、また木の温もりを感じてもらいたいと思い、山佐木材から「NPO法人 おおすみ100 年の森」の会員として子ども大好きな5人のメンバーが参加しました。

 『木育』とは、子どもをはじめとするすべての人が『木とふれあい、木に学び、木と生きる』取組です。子どもの頃から木を身近に使っていくことを通じて、人と、木や森との関わりを主体的に考えられる豊かな心を育むことです。

  当日は、たくさんのお子様に参加していただき、元気いっぱいの子どもたちと触れ合う楽しい一日となりました。




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M田のぶらり旅・「知足の極み天ぷら蕎麦 大黒屋」

第14回 姶良市加治木町 知足の極み 天ぷら蕎麦「大黒屋」

 姶良市加治木は鹿児島空港の南に隣接する町である。高速道路やバイパスが整備されて景観は昔とは変わってきたのだろうが、町全体から深い歴史が伝わってくるような興味の尽きないまちだと思う。特に、加治木高校から柁城(だじょう)小学校に続く通りの石垣と家並みは鹿児島県内のほかの武家屋敷群とは一線を画す格調の高さを感じるものがある。

 そのような加治木を見て廻りたい。

 

 溝辺鹿児島空港から、県道55号線の坂を下り、高速道路の高架をくぐると加治木市街である。東には加治木工業高校の校舎が見えている。この往還の左手に大黒屋の暖簾がゆれている。油断をすると見落としてしまいそうなほど歩道からすこし奥まった位置に掛かっている暖簾である。車で訪れる人には店の裏手にある駐車場をしめす案内板がよい目印になるだろう。

  

 

 掃除の行き届いた間口と店軒に掛けられた鶯色の暖簾に白抜きの文字が快い。これをくぐって店に入ると左手に開けひろげの厨房がある。

 

 

 蕎麦を茹でる大釜が白い湯気をあげ、それが載っているかまどは、薪を燃料として使っていたころの煤あとがそのままのこっているし、色取りあざやかなタイル張りの流しも現役を誇っているようだ。そして、手前の水甕にはご主人が毎日仕込むつゆが容れられているようだ。かぶせられた木蓋は渋く色を重ね、この店の歴史を伝えてくれる。つゆは流しの右に置かれた小鍋で温められるのか。

 なにも足さない、なにも引かない厨房。できれば、この厨房で流れていく調理作業をずっと見ていたい。

 

 店は奥行きのある木造で、手前の土間席と奧に小あがりがしつらえられている。太い上がり框の土台には鹿児島で加治木石と呼ぶ象牙色の火砕流凝灰岩が使われているようである。

 小あがりに上がるとすぐ右の柱は囲炉裏で黒く燻されている。そして、その胴には、ほぞ穴がいくつか開いているが、どの穴も煤で燻された黒だ。開業した頃から天井を支えてきたのだろう。

 ご主人にそこら辺のところをうかがってみた。

 

 開業された先代(ご主人の父上)は昭和19年に加治木に大阪からやってきた。この店は、大きな造り酒屋の北はずれにあった麹藏を「そば屋をやる腕を活かす店として使えばよろしい。」と蔵主がゆずってくれた棟だという。それを先代が自分の手で改修して店に模様替えした。開業、昭和29年。ご主人は、その頃南側に続く酒蔵の広い建物を覚えているそうだ。ただ、今残っているのは、この店のところだけになってしまった。おそらくこの棟の構造体は戦前のものだろう。と。

 

 

 土間には厨房を囲むようにテーブルが、小あがりには厚板の食台がおかれている。くつろぎたい、雰囲気を楽しみたいという向きは小あがりの厚板食台を好まれるようだ。この町に住んでいた作家の椋鳩十と島尾 敏雄も一番奥の食台を定位置として良く話し込んでいたし、海音寺潮五郎もよく来ていたらしいよとサラッと話してくれたのはご主人の奧様。

 

 さて、品書きはと言うと、天ぷらうどん900円、天ぷら蕎麦1000円、めし200円のみ。知足の極みですなぁ。やはりここは、暖簾の白抜き文字通り天ぷら蕎麦を注文。

 

 

 ふつうの蕎麦どんぶりより広くてやや浅いどんぶりに、透き通ったつゆにゆるりと浸かった太めの田舎蕎麦、その上には野菜が主役の大きなかき揚げと色鮮やかなネギが盛られて運ばれてきた。どんぶりの横には、小皿に真っ白な大根の甘酢漬けが添えられている。

 つゆはすっきりとしているが薩摩人好みにほんの少し甘めに仕立ててられているようだ。蕎麦は太いがもっさりとはしていない歯触りのよい麺。そして、かき揚げにはたっぷりと混ぜてある黒胡麻が香ばしく、しゃりしゃりとした衣の軽い食感を拡げてくれる。箸休めに冷たい大根をいただけば言うことはございません。たちまち完食となる。

 つゆまで飲みおえた平たいどんぶりには、大黒屋の屋号が釉薬でいれてある。聞けば、加治木町内の知り合いの窯で焼成してもらっている、「新納」と言う姓の窯元ですよ。とご主人。

 

 見ると厨房の店側の壁に、ゴンドラを主体に配した四つ切りの古いモノクローム写真が貼られ、台紙に「ベニスにて  撮影 新納先生」とメモ書きがある。先の窯元との繋がりを訪ねると、窯元のお父さんです。という。県立歴史博物館黎明館の初代館長をされた新納教義先生です。と付け加えてくれた。

 食後のお茶と漬け物を愉しんでいる間にも、お客さんが次々と入ってくる。まだまだお話を聞いていたいところだが、席を空けて勘定を済ます。また、今度。

 

 店の外に出ると春先の暖かい日和だった。腹ごなしもかねてもう少しこのまちを歩いてみようと思う。

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大黒屋:定休日 日曜・祝日

    営業時間 9時から16時

参考・引用:姶良市デジタルミュージアム・Wikipedia

(M田)

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「南日本こども新聞」に掲載されました

 

 2024年2月2日の南日本新聞朝刊内の「南日本こども新聞」の「誌上de社会科見学」コーナーに山佐木材株式会社を取り上げていただきました。

 丁寧に会社工場見学と取材をしていただき、「SDGs」の時代の流れの中で「脱炭素社会」の実現のために注目されている「CLT」を中心に取り上げていただき、素敵な紙面でした。

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「鹿児島県SDGs登録事業者」に登録されました!

 

 この度山佐木材株式会社は、令和6年1月23日付で鹿児島県が募集している「鹿児島県SDGs登録事業者」に登録されました。

 

 当社は「国産材の用途拡大」という経営理念のもとに鹿児島県に産する国産材、特に杉材にこだわって木材産業・木材建築事業を継承・発展させることにより、森林資源の有効活用を通した循環型社会の構築と地域経済への波及並びに持続可能な未来の実現に向けて活動を展開し、SDGs目標の達成を目指します。

<SDGs 達成に向けての重点的な取組み及び指標> 様式第1号(外部サイトリンク)

https://www.pref.kagoshima.jp/ac11/sdgs/documents/110717_20240115182924-1.pdf

 

<SDGs 達成に向けた取組チェックリスト>様式第2号(外部サイトリンク)

https://www.pref.kagoshima.jp/ac11/sdgs/documents/110717_20240115182945-1.pdf

 

鹿児島県SDGs登録制度 第2回登録事業者/鹿児島県ホームページ(外部サイトリンク)

https://www.pref.kagoshima.jp/ac11/sdgs/2.html

 

鹿児島県SDGs登録制度とは

 SDGsに積極的に取組む企業等を登録し、当該企業等の取組みの「見える化」を行い、広く情報発信をすることで、当該企業等の更なる取組を促進するとともに、自発的な取組を県内に広げていくことを目的として、鹿児島県が募集しているものです。

 

SDGsとは

 持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)」のことで、2015年9月の国連サミットで採択された2030年までの国際目標です。

 「地球上の誰一人として取り残さない(leave no one behind)」という誓いのもと、人間、地球及び繁栄のための行動計画として、「貧困」「健康と福祉」「教育」「働きがい」「気候変動」など

17の目標と169のターゲットで構成されています。

 SDGsは発展途上国のみならず先進国自身が取り組むユニバーサルなものであり、日本でも積極的に取り組まれています。

M田のぶらり旅・「県境の駅構内にある食堂 麺処桂庵」

第13回 曽於市財部 県境の駅構内にある食堂「麺処桂庵」

  曽於市は大隅半島の北に位置している。北端の曽於市財部町は宮崎県都城市と県境で接する。というより、薩摩人としては、都城盆地の西側にある財部のまちといったほうがぴんと来る。もともと都城市は島津氏発祥の地といわれており、藩政時代の島津三州、いわゆる薩摩、大隅、日向のうち日向の要衝であった。

 さらに現在の都城市庁舎は都城島津邸に近接している。もちろん住民の話し言葉は薩摩語である。いまでも、都城市や小林市、えびの市を語るとき、その地と一つ国であるという意識が、私も含め薩摩人の心の底にはあるように思えてならない。

 したがって、古来国境を挟んで対峙し、往来を厳しく制限していた熊本との県境にくらべると、行政の境を除けば、「けんざかい」の意味はあってないほどに薄いように感じている。

  

 

 まして、曽於市本庁舎より都城市庁舎のほうがずっと近いのだから、経済圏としてもこちらに属しているといっても過言ではないだろう。

 そして、JR日豊本線も通っていて、都城・宮崎方面行きと鹿児島・隼人方面行きのホームが対面で設置されている。

 

 

 構内の時刻表をみると下り上りとも一日10本に届かないようだ。乗客数は2015年のデータで一日平均75人だから、いまではさらに減っているのではないだろうか。

 駅舎は木造で、向かって右側に多目的ホール「曽於市やまびこ館」として食堂が併設されている。それが麺処桂庵なのです。

 

 

 どのメニューも食べきれないくらいの量が出てくるという、噂のめし屋だ。なるほど、ここで昼食を終えて、駐車場でたばこなど燻らせながら、談笑している男たちはみな屈強な体格の持ち主ばかりだ。ぺろりとたいらげたに違いない。満足、満足と顔に出ている。

 入り口は外にはなく、駅舎の中にいったん入るシステムだ。よくあるサッシ戸を引くと2~4人掛けのテーブル席が6つ、カウンター席が8箇ほど並んでいる。天井も吹き抜けでゆったりとした造りだ。

 

 

 早速カウンターの中ほどに腰を据え、メニュー表に目を通しながら、隣の席にすわる40代ダンディの食べている料理を横目でチェック。山のように盛られた唐揚げのふもとをスプーンですくって口に運んでいる、大きな皿のよこのどんぶりは蕎麦かうどんだ。こいつを一人で食べきるとはいい男っぷりである。メニュー表下から2段目の唐揚げカレーセットに違いない。

 私にこれを完食せよとは無理な注文というものだ。いいかげん分別のある年だし控えめにいこう。海老てんぷら定食ご飯少なめで注文してみた。

 

 

 なんと大皿にはエビ天と野菜かき揚げが8つずつのっている。ごはんとそばのどんぶりは通常サイズだ。これで1500円は安い。大盤振る舞いに深く感謝しつつ、箸を進める。

 天ぷらは揚げ具合もよく、衣もさくっとして良い歯触りだ。最初は塩で、それから天つゆ、おわりに蕎麦の出汁と味を変えながらチャレンジしてはみたが、残念ながらメインの天ぷらは半分食べるのがやっとだった。つくづく寄る年波を感じた次第です。でも大丈夫、プラパックが1箇10円で用意されている。

 「今夜は、卵でとじて天丼だなぁ。」とためいきをつきながら、鹿児島行きのホームに出て風にあたるのだった。

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噂のもと:Aさん、Moさん

麺処桂庵:定休水曜日

参考・引用:JR九州HP・Wikipedia

(M田)

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