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不定期ですが、山佐木材の日々の出来事をご紹介しています。

(こちらのページには最新記事10を掲載)

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M田のぶらり旅・「真夏の果実と本土最南端 佐多岬」

第19回 南大隅町 「真夏の果実と本土最南端 佐多岬」

 2024年7月17日、南九州の梅雨明けが発表された。

 濃い青の空に薄く絹雲が懸かり、山上にはぽこぽこと白い積乱雲が湧く。戸外は焼け付くような陽射しが照りつけている。この日、鹿児島に慌ただしく真夏がやってきた。

 海水浴場の砂浜に、ソルティドッグの用意をして、皆でくり出してみるのも面白いかもしれない。が、今回は大隅半島南端にドライブすることにした。錦江湾沿いの佐多街道(国道269号)を南下する片道65kmのコースだ。

  

 

 鹿屋市浜田交差点を左折し、国道269号を南へ向かう。錦江湾は、北に桜島、南に開聞岳を蒼くたたずませて穏やかに広がっている。南大隅町役場を過ぎると、左手には阿多カルデラの外縁を彷彿とさせるような鋭い岩山が直立している。むこう岸の指宿、山川の断崖、奇岩と対をなしているようにも感じられる。

 2,151mの伊座敷トンネルを抜けると、旧佐多町の中心市街地に入る。港町伊座敷には、おいしいと評判の食堂がいくつかある。ここで、腹を満たしておこう。個人的には海鮮丼なら食事処「時海」(ときみ)、ラーメン、チャンポンといえば「ときわラーメン」がお勧めだ。どちらも県外からのお客も多いので早めに並んだほうがいいかもしれない。

 

 旧役場前の坂を登り切ったところに、国指定史跡「佐多旧薬園」がある。ここは薩摩藩が設置した薬園で、南国由来の寒さに弱い薬草などの植物を育てていた。1687年に家臣の新納氏が藩主に献上した龍眼樹を植えたのが起こりと言われ、かつては龍眼山と称された。

 現在でもこの園内では、龍眼(リュウガン)や茘枝(レイシ)など中国南部や東南アジア原産の果樹70本近くが、勢いよく育っている。そのなかで、濃い緑の葉先にたわわに熟した茘枝(レイシ)がひときわ目を引く。真っ赤に色付いた果実は、楊貴妃が華南から都長安まで運ばせたほどの美味しさだというが、園内採取禁止である。ここは目の保養。

  

 

 レイシ(ライチ)は南大隅町観光交流物産館「なんたん市場」で特産品として陳列されているから、これを年に一度くらいふんぱつしてその味を楽しむのがよいだろう。ぷるぷるとした半透明な果肉は香りよく絶妙の甘さで、飽きることなくいただけるはずである。

 

 旧薬園から南に11km走ると大泊集落だ。太平洋に面した小さな湾奧の港である。海浜公園として、キャンプ場も整備されている。ここに2021年3月に完成した多目的交流施設「みさきドーム」が建っている。

弊社メールマガジン第93号 大泊海浜公園多目的交流施設「みさきドーム」

 ちょっと立ち寄って中をのぞいてみた。

 

 

 広々とした木造大空間を、天窓からの陽射しが明るく照らしている。中は海風もとおって涼しげだった。夏休みには、いろいろな交流事業が計画されていることだろう。

 

 ここから佐多岬公園線という立派な町道を南に進むと、道ばたにはガジュマルや蘇鉄が自生していて、さながら亜熱帯の風景が続いている。5kmほどで観光案内所前の駐車場に到着。駐車している車は、苫小牧、大阪、長崎など県外ナンバーが多い。

 熱中症対策をしっかりとして、佐多岬展望所まで片道約600mの遊歩道を歩くのだが、今は先の大雨被害で一部が通行できず、仮階段の迂回路が設置されており、登り下りの少しきついルートになっている。

 汗だくになって、白亜の環境省展望所にたどり着くと、絶景が広がっていた。西の錦江湾から東の太平洋に潮が勢いよく流れているそのさきに、硫黄島、竹島、屋久島、種子島などの薩南諸島が見えている。硫黄島は高く噴煙をあげているようだ。

 

 

 ここからさらに南に奄美群島が、その先には沖縄、華南、東南アジアが続いている。薬園の植物をはじめとした南方の珍品や富がこの岬をとおって、薩摩に運ばれてきたことに思いを馳せながら、夕暮れ近い遊歩道を引き返し、帰路に着いた。

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佐多旧薬園:年中無休 24時間開園 駐車場あり

佐多岬観光案内所:年中無休 9時から17時まで

佐多岬公園展望所:年中無休 8時から17時まで 展望台には時間外でもいける。

南大隅町観光交流物産館「なんたん市場」:年中無休 8時から18時まで

参考:佐多旧薬園説明板など

 

(M田)

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放課後等デイサービスはぐはぐの皆さんがいらっしゃいました

 7月22日、大崎町にある「放課後等デイサービスはぐはぐ」の皆様が工場見学に来社されました。

 

 とても暑い日で受け入れる当社スタッフも日陰や風の通るところを選んで説明を。元気いっぱいの子供たちを引率の先生方と一緒に、工場内見学いただきました。

 

 ぜひまた遊びに来てくださいね!

 

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北海道より丸太が到着しました!

 今年も北海殖産株式会社様より道南杉材(北海道道南地区)約1,400m3が、鹿児島県志布志港に届きました。

 北海殖産株式会社様の山林は森林認証に登録されており、山佐木材も森林認証材としてお受け取りをさせていただいております。また近年の動きとして、今後、森林認証材を使用した木造建築物等が増えてくる動きでもありますので、例年通りではありますが大切に使わせていただきます。

 

 また、北海殖産様は自社で苗木つくりから行っている会社さんでもあります。近年再造林が重要視される中でありますが、計画的な再造林、育林、伐採に努めていらっしゃいます。

 

 昭和62年から続く北海道からの木材の購入ですが、以下のようないきさつがあります。

(なぜ北海道から鹿児島へ木材が?→「前田家林業所(北海殖産株式会社)創立100周年記念誌」)

 

 生産者の思いを汲んで今年も大切に取り扱いし、大事に製材にとりかかりたいと思います。

                                       (製材部 森田)

 



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M田のぶらり旅・「紫陽花に雨 蕎麦に七味唐辛子」

第18回 出水市 「東雲の里」紫陽花に雨 蕎麦に七味唐辛子

 今年、南九州は6月9日に梅雨入りした。それ以降地元肝付町でも、雨や曇りの天気が続き、ときには線状降雨帯が発生して激しい豪雨に襲われることもあり、土砂崩れなどの災害も発生している。

 雨降りが続いているからだろうか、道ばたに植えられたあじさいは、いつもの年にくらべて、ゆたかに花をつけくれているようだ。あじさいの花々を見ていると、大雨への不安でざわつく気持ちが少し落ち着いてくるように私には思える。あの丸くふんわりとした形がそう感じさせるのかもしれないし、あるいは白に近い花群でさえどこかに柔らかい紫をふくんでいることがそういう気持ちにさせるのかもしれない。

 

 そんな梅雨のさなか、友人から電話があった。出水の東雲の里・草の居への誘いであった。出水市から伊佐市へ向かう山ふところ、ご主人が自ら拓かれ、植樹し、手入れをされている庭園である。

 

ぶらり薩摩の国「出水市  梅雨のさなか 紫陽花とざる蕎麦 東雲の里草の居」

 

 あじさい祭が開催されている時期なので二つ返事で誘いに乗り、同行することにした。

 

 山間の庭園は、傘をさすのを迷うほどの静かな雨であった。こちらのあじさいも去年からすると花数が大層増えているようだった。遊歩道沿いも、山肌も小雨に濡れた花々でいっぱいである。

  

 

 あじさいと雨は相性が合うのだろう。去年、青空のもとで見た風景も良かったけれども、そぼ降る雨を含んだ山の空気がわずかにかすんで、花々がよりしっとりと美しく見える。そういえば、渡哲也の歌にも「あじさいの雨」というのがあったなぁ。「じっと咲いてた花に降る 雨 雨 あじさいの雨はー」というフレーズが思い出されるのである。

 

 ところで、東雲の里にはおいしいお蕎麦屋「草の居」があることは先のブログでご紹介した。冷たいざる蕎麦はもちろんさっぱりといただけるのだが、肌寒い梅雨時期には温かい蕎麦も食べたいものだ。

 今回は、澄んだおつゆにたっぷりと浸った温蕎麦を注文してみた。つゆ一口目は、薩摩人好みの少し甘めの鰹、昆布だし、香りも良い。三角のお揚げがあつあつで旨い。それから添えられた七味唐辛子をかけていただくと、甘めだったお出汁はとたんに味が引き締まる。麺とおつゆを完食した頃合いを見て、蕎麦湯を持ってきてくれるから、快い満腹感が味わえる。

  

 

 今回私を誘った友人の目的は、あじさい見物ばかりではなかった。こちらのそば屋「草の居」に自分の工房で製造している七味唐辛子を納めることがどうやらもう一つの目的であったようだ。借りた畑で韓国唐辛子を自ら栽培し、桜島大根や桜島小みかん、柚や胡麻などとブレンドして製造し、いくつかのそば屋さんに卸しているのである。

 「草の居」にも定期的に訪問して、料理・蕎麦打ち担当の息子さんともコミュニケーションをしっかりとっているとみえ、長い付き合いのように楽しげに談笑していた。

 また、彼は「鳳山七味」というブランド名で小売りもしている。店の名は「三十四商店」。

 

 

 製造・営業は親父が、小瓶に貼ったラベルは娘さん、ネットショップのデザインは息子さんが担当しているという、まさに家内巻き込みの起業なのだ。

 食べてみると辛みはまろやかでブレンドされた柑橘類のかおりが際立ってくる。もちろん蕎麦に合うし、ラーメンにかけても旨みがひきたつ。お勧めの七味唐辛子なのです。

 

 蕎麦と唐辛子はこれまた切っても切れない仲のようだ。蕎麦屋さんに行くと必ず一味か七味の小瓶か竹筒がおいてある。客はそれを自分の好みの量をかけてから、おもむろに麺をすすり始め、おつゆの味変を楽しむのである。中島みゆきの「蕎麦屋」では、「どうでもいいけどとんがらし どうでもいいけどとんがらし」とリフレインされているほど深い関係性が描かれている。

 

 どうやら、あじさいに降る雨は花の色っぽさを引き立てるのに、蕎麦にかける唐辛子はだしの味を引き締めるのになくてはならない存在にちがいないようだ。梅雨の楽しみを深めてくれた小旅行だった。

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東雲の里 入園時間 午前9時30分~午後4時30分

草の居  営業時間 そば 午前11時~無くなり次第終了

          喫茶 午前11時~午後4時30分

定休日  木曜日・金曜日(祝日や紫陽花、紅葉時期は休み無く営業)

HP: https://www.nippon-no-ajisai.net/

 

三十四商店 https://34shouten.base.shop

(M田)

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M田のぶらり旅・「花は霧島 ほどほどの山歩き」

第17回 霧島市 花は霧島 ほどほどの山歩き

 鹿児島の代表的な民謡に江戸初期から歌われているという「おはら節」がある。(※1)

 出だしが、「花は霧島、煙草は国分、燃えて上がるはオハラハー桜島」で始まるあの歌である。4百年もの昔から薩摩人の自慢は、なによりも霧島山に咲く花々、本霧島と呼ばれる躑躅であったらしい。

 また、昭和9年に日本で最初に「霧島国立公園」として、保全、公開されることになったいきさつも、その山容はもちろん、そこに咲く植物の豊かさと美しさあってのことだろう。

 

 霧島山は最高峰韓国岳(1700m)、龍馬とお龍が新婚旅行で登ったことで知られる高千穂峰(1574m)が有名だ。しかし、いざ登山となると体力と時間の余裕がないとなかなかチャレンジするのがむずかしいのが実情だ。そこで、ほどほどの山歩きでそれなりの達成感を得ることができて、「花は霧島」をまわりに自慢できる三拍子そろったコースを歩いてみた。

  

 

§1. 大浪の池 まんさくを愉しむ 3月末ころ

 まんさくとは花々のなかで一番最初に咲くから「まんず咲く」→「まんさく」だそうな。3月20日過ぎから黄色の毛糸を数本束ねたような可愛い花を咲かせる潅木で、高さは3メートルくらいだ。まんずこれを見に行こう。

 霧島温泉郷から県道1号線をえびの高原に向かうと右側に登山口駐車場がある。30台以上停まれる広さだが、すぐに満杯になるので早めに着けるよう計画したほうがいい。登山口からは大樹の森をぬうように石畳の道が続いている。まだ肌寒い季節だが、ゆっくりと歩いても温かくなってくる。左右の樹木の変化や鳥の声を楽しみながら登れば、小一時間もかからずに、分岐点の展望所に着いてしまう。ここには避難小屋が新築整備されていて、長椅子が設えてあり、霧島山や大浪池の説明パネルも展示してある。また、携帯トイレが使える施設もあるから安心だ。

 眼下には、お浪という娘の悲しい伝説を秘めた青い池がひろがっている。湖面をながめながら分岐から右手へ。木の階段はこのカルデラ湖の縁を一周する道に続く。ここから10分ほど歩くと、まんさくの群落が花を咲かせていた。黄色のきゃしゃな花々は青空の下、霧島の春を伝えてくれるのである。北に韓国岳、南に高千穂峰をながめながらお茶でも飲んで、来た道を下る。無理せず、ゆとりのある2時間すこしの花山歩きを楽しめるコースだ。

  

 

§2.中岳中腹歩道 深山霧島(みやまきりしま) 5月中旬ころ

 深山霧島と名付けたのは、1909年、新婚旅行でこの山を訪れた牧野富太郎だった。そして、江戸末期、新婚旅行で高千穂峰に登った坂本龍馬も一面に咲くこの花の美しさを姉に書き送っている。霧島山に初夏を呼ぶ深山霧島の群落は、新婚旅行でなくても見に行けるのである。

 

 霧島神宮から北東に4kmほどく九十九折りの道を行くと広い高千穂峰駐車場に着く。ほぼ9割の人は、天孫降臨伝説をもつ霊峰高千穂の鳥居をくぐって、峰への登山道を登っていくようだ。そちらには背を向けて、ビジタセンターの左、中岳登山口から入っていく。

 実は2011年1月の新燃岳噴火後、中岳と新燃岳は入山禁止となっているのだが、中岳中腹までの遊歩道は開放されている。当時の噴石なども両脇に寄せられていて、石畳の道は歩きやすく整備されているのだ。

 

 登山口から15分ほどで深山霧島の群落が現れ始める。遊歩道は中岳登山道とツツジコース、紅葉コースに分岐するが、中岳登山道を登って、ツツジコースを下りてくることにしよう。深山霧島は歩道沿いにも、その向こうにも一面と言っても差し支えないほどの群落を作って咲いている。振り向けば、高千穂峰が圧倒的な迫力でそびえる。登山道の入山禁止看板まで登ると、左から高隈山系、開聞岳、錦江湾に浮かぶ桜島、南さつま野間岳を一望する絶景が広がっていた。

 歩道に沿ってあちこちに配置してある休憩用のテーブルでコーヒーでも飲みながら、何度も花と景色を楽しめるコースだ。往復2時間、疲れを感じることはない。

 

  深山霧島の群落と高千穂峰 

 

眼下に広がる薩摩の山々

 

 どちらのコースもタイムスケジュールに余裕ができるのがいい。帰りに寄って一風呂浴びる温泉や、特産品売り場での買い物の楽しみが増えるのもうれしい。

(※1 おはら節のルーツには諸説あります。)

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参考:林 竜一郎著『おてっちき 鹿児島おはら節』国分進行堂

   「平成23年霧島山(新燃岳)噴火 国土交通省の対応」国土交通省 九州地方整備局宮崎河川国道事務所

   ウィキペディア

(M田)

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M田のぶらり旅・「椋鳩十文学記念館と龍門司焼」

第15回 姶良市加治木町 椋鳩十文学記念館と龍門司焼

 加治木郷土館から仮屋町の通りをさらに西へ200mほど行くと、「椋鳩十文学記念館」と書かれた看板が立っている。案内に従って右に折れたさき、松の木に囲まれた記念館の入り口が見えてくる。

 椋鳩十といえば、『大造じいさんとガン』。小学校の教科書に載っていた。主人公のガンの名前は「残雪」だった。どんな展開だったか。はっきり思い出せないなぁ。などと考えているうちに門口に着いてしまった。そこの木陰に、タイル張りの碑が置かれていた。

  


 

 碑には、銅色の陶板に、椋鳩十が創作する物語の原点と加治木の住まいへの愛着をしたためた随筆「物語のふる里加治木」がとても丁寧な文字で焼成され、はめ込まれてあった。

 私は、まず、この随筆を読んで、家の周りにやってくる動物や鳥の名前の多さにうれしくなった。蛇、ネズミ、スズメ、イタチ、カラス、モズ、ヒヨドリ、三光鳥、ムクドリ、レンジャク。短文の中に動物3,鳥7種が織り込んである。椋鳩十というペンネームが表すとおりに鳥の名前にもくわしかったのだろう。動物や鳥をモチーフにした物語が多いのも頷ける。

 そして、さらに、この陶板が龍門司焼川原氏の手によって焼かれていることから、まちの歴史の深さと椋文学という加治木の双璧を同時に感じとれるような気がした。

 記念館はこの奧に静かに建っている。作品原稿や書斎など内容も豊富で、子供も大人も楽しめる展示がうれしい。児童文学の館で、存分に物語の世界に浸ってみるものよろしいかと。

  

 

 さて、門口の陶板に「龍門司焼」とあった。郷土館で受けた説明によると、

龍門司焼は1598年(慶長3年)島津義弘が朝鮮の役から帰還する際に連れて来られた陶工たちによって開かれた窯が始まりで、1607年(慶長12年)義弘が加治木館に移城したとき、陶工たちも帖佐から加治木に移っている。そうして、義弘の死後も加治木に留まった陶工の子孫が、1718年(享保3年)頃現存する龍門司古窯を創設した。古窯は、昭和30年4月、龍門司焼企業組合の新窯が築造されるまで、二百数十年間にわたり焼成に使われていたという。前述した陶板制作にあたった川原氏は、藩政時代からこの窯を代々主導してきたと伝えられる川原家の継嗣だろう。

 椋文学を堪能したあと記念館を出て、企業組合の窯場に行ってみることにした。地図で見ると県道55号線を鹿児島空港に向け北に4km上ったシラス台地の中腹にある。

 

 

 裏山の木々に囲まれた敷地の、手前に焼成の燃料となる大量の薪が丹念に積まれた焚き物小屋、正面の切り妻平屋建てには販売所と製陶作業場が配置されている。左の暖簾をくぐると、棚にはたくさんの焼き物が、器の機能やデザインごとに分けられて陳列されていた。釉薬の色も多彩で見飽きることはないが、黒釉に青流しは「黒薩摩」と呼ばれているこの窯のイチオシのようだ。

 右奥の作業所では、土間の囲炉裏にくべられた太い焚木がゆっくりと炎をあげている。作業場の基本的な暖房はこの炎なのだろう。さらに奧、ろくろを据えた作業台と絵付けの机がいくつも並んでいた。来場者は職人さんたちの作業のようすや登り窯も見学できる。

 

 

 横長の建屋の裏側、作業所から出入りがしやすい位置に登り窯が造られている。訪れたのがちょうど春の窯出し祭のあとだったので、空になった窯室にはもう熱は残ってはいなかったが、作業のなごりを見ることはできた。新築されてからおおよそ70年を経た窯は、古窯に比べればまだまだ若いのだろうが、木造の煤けた小屋組は美しく、石積みにも風格を感じさせるものがある。 

 

 

 加治木を散策して、あらためて以前から気になっていたこのまちの魅力や楽しみの原点に触れることができたように思う。やはり世の中知らないことばかりなんです。

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椋鳩十文学記念館:午前9時~午後5時 (月曜日・12月29日~翌1月3日休館)

龍門司焼企業組合窯場:年中無休・午前8時30分から午後5時30分(年末年始休業)

参考・引用:

 加治木郷土誌 平成4年11月2日改訂版

 加治木郷土館配付資料

 姶良市ホームページ

 龍門司焼企業組合 パンフレット

(M田)

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2024年 入社式を行いました

 令和6年4月1日、新たに1名の社員を迎え入社式を行いました。 

 入社式では社長から辞令交付があり、「建設部 加工建て方」へ配属されました。

社長より
社長より
辞令交付
辞令交付
決意表明
決意表明
記念撮影です
記念撮影です

 

 

 入社後、約1ヶ月間はOJT(現場研修)となりますが、配属後は業務を楽しく頑張っていただくことを期待しています。

 

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「健康経営優良法人2024」に認定されました!

 

 この度山佐木材株式会社は、令和6年3月11日付で「健康経営優良法人2024(中小規模法人部門)」に認定されました。

 

 社員が心身ともに健康であることが、社員の幸福にも企業の発展にもつながると考え、「かごしま健康企業宣言」をし、社員が健康でいきいきと働ける環境づくりに取り組んでいます。健康経営を実施する体制を強化していることが評価され、この度の健康経営優良法人の認定を受けることができました。

 

 

健康経営優良法人認定制度とは

 日本健康会議が進める健康増進の取り組みをもとに、特に優良な健康経営を実践している企業を顕彰する制度です。社員の健康管理を経営的な視点で考え、戦略的に実践することで、従業員の活力向上や生産性の向上などの組織活性化をもたらし、業績向上や株価向上につながると期待されています。

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M田のぶらり旅・「仮屋町通りから加治木郷土館・図書館へ」

第15回 姶良市加治木町 仮屋町通りから加治木郷土館・図書館へ

 天ぷら蕎麦の大黒屋からひとつ南の交差点を西に折れると姶良市加治木町仮屋町にはいる。

 通りの北に加治木高校、柁城(だじょう)小学校と並び、南には大樹に囲まれた家屋敷が残されている。薩摩藩では、主要な城下に麓(ふもと)と呼ばれる武家屋敷群が置かれていた。県内では出水市や知覧などの麓は古い景観を保存しながら、観光地化されたまちには大型バスで訪れる人も多くなっているようだ。

  

 

 加治木の麓、仮屋町を通り沿いに西へと歩いてみよう。

 まず、目に飛び込んでくるのは、学校の通りに面する石垣である。その組み方は豪快でしかも緻密だ。県内にあるほかの武家屋敷群の石垣が四角い切り出し石や、丸石で積まれているのに比べ、ひとつひとつ異なる形の切り石が一分の隙もなく組み積まれているのである。たしか鹿児島市鶴丸城跡の石垣もこんな感じだった。西南の役で放たれた無数の砲弾痕が残るあの石組みに似ている。どちらにも、なにか特別な格の高さを感じさせるものがあるなぁ。

 興味は湧いてくるものの、その品格の高さを裏付ける理由はまだわからない。

 このみごとな石垣を日々見ながら登下校する学生や子供たちは個々の大切さや、ワンチームとなることの力強さを知らず知らずのうちに身につけていくのではないだろうかなどと思いつつ、積み石の手触りを確かめながら歩くのであった。

 

 

 柁城小学校の正門を過ぎるとすぐに「加治木郷土館」と表札のかかった石門が見えてくる。この町の歴史や風物の資料が展示されているだろう。左奧にはおもむきのある木造の図書館も隣接している。早速訪ねてみた。

 

 

 郷土館に入ると最初に藩政時代の加治木を表すジオラマが置いてある。それをのぞき込んでいると学芸員のかたが来て、加治木の伝説や戦国時代から藩政時代の歴史的なできごとについて、展示資料を見ながら実に丁寧に説明をしてくださった。

 いわく、「さっき通ってきた加治木高校、柁城小学校、図書館が置かれている地所を居城として選び、城としての性能を満たすための堀や城壁を整備したのち、御殿を建てたのは、関ヶ原の戦において、撤退に家康軍の中央突破を敢行した島津義弘なのです。その後彼は1607年11月に引っ越してから、1619年85歳で亡くなるまでの12年間、17代目島津家当主として、ここ加治木屋形に住み、執政したのです。」

 なんと、義弘公は73歳で新居城の設計と工事を指揮したのだ。しかも遡ること7年前、66歳で合戦場を命からがら駆け抜けたことになる。恥ずかしながら始めて知りました。同い年であるわたしは、その超人的な身体能力と胆力に、驚き恐れ入るしかない。

 義弘公亡き後、藩政時代を通して、この屋形は島津本家に次ぐ家格を持つ加治木島津家の居城となっていたとのこと。なるほど、ここの石垣と鹿児島のあの石垣がよく似ているのも腑に落ちた。

 三百年以上続く加治木龍門司焼の歴史や資料を始め興味深い展示を堪能させてもらった。

 

 せっかくなので、隣の図書館で郷土誌などをお借りして、教えてもらった歴史のページをめくってみたくなった。図書館と左手に続く研修室(旧郷土館陳列館)は、国の有形文化財に登録されている洋風の木造平屋建て、高い床下、漉きガラスの窓が年代を感じさせる。

 母屋からせり出して設けられている玄関で靴をスリッパに履き替えて、加治木石で積まれた階段を数段上がると、穏やかな光量のなかに静かな空間が広がっている。板の間の床は温かさも心地よく、木製のテーブルでゆっくりと閲覧することができた。そして、授業を終えた小学生や高校生が学校の図書館とはひと味違った空気感を持つこの図書館を愉しんでいる雰囲気も伝わってくるような気がした。

 郷土誌の伝説欄から、どうも気になっていた「柁城」小学校の訓読みとその由来を知ることができた。柁は「かじ」、城は「き」と読めるのだ。これを「だじょう」と音読みさせるのは、やはりこの町の成り立ちに根付いているようだ。

 図書館を出て、もう少し西へと歩いてみよう。

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加治木郷土館:火~日曜日 午前9時~午後5時  (祝日・年末年始休館)

加治木図書館:火~日曜日 午前9時~午後5時  (祝日開館)

参考・引用:

 ・加治木郷土誌 平成4年11月2日改訂版

 ・加治木郷土館・加治木図書館ホームページ

 ・文化庁文化遺産オンライン

(M田)

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「南大隅町木育フェスティバル」に参加しました

 2月17日(土)に南大隅町ふれあいドーム根占にて「南大隅町木育フェスティバル」が開催されました。

 

 イベント内容は南大隅町内の保育園・学童の子どもたち約80名を対象に、南大隅町つじみ保育園主催のもと、「NPO法人 おおすみ100年の森」協力による木育イベントでした。木の香り、木の良さ、また木の温もりを感じてもらいたいと思い、山佐木材から「NPO法人 おおすみ100 年の森」の会員として子ども大好きな5人のメンバーが参加しました。

 『木育』とは、子どもをはじめとするすべての人が『木とふれあい、木に学び、木と生きる』取組です。子どもの頃から木を身近に使っていくことを通じて、人と、木や森との関わりを主体的に考えられる豊かな心を育むことです。

  当日は、たくさんのお子様に参加していただき、元気いっぱいの子どもたちと触れ合う楽しい一日となりました。




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