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不定期ですが、山佐木材の日々の出来事をご紹介しています。

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「宮崎銀行ふるさと振興助成事業」表彰式

 令和5年3月9日、宮崎観光ホテルにて「宮崎銀行ふるさと振興助成事業」表彰式が執り行われました。弊社を含め宮崎・鹿児島両県の13社が表彰を受けました。

 この宮崎銀行ふるさと振興助成事業とは、宮崎銀行様が地域産業の開発と振興に貢献することを目的として設立し、「産業開発部門」「地方創生部門」「ベンチャー企業部門」「学術研究部門」の4部門で助成を行っております。

  今回、第41回目の助成先として弊社が「産業開発部門」の『国産材を使ったCLTの開発・製造・設計・施工』で表彰を受けることとなりました。

 これからも国産材を使ったCLTの開発・製造・設計・施工を一体的に取り組み、地域における産業の担い手として活躍してゆく所存であります。 

(森田)


M田のぶらり旅・さつまの国「吹上町 透き通る碧の湯 もみじ温泉」

第3回 吹上町 透き通る碧の湯 もみじ温泉

 日吉からさらに南下し旧吹上町にはいると「温泉のやど」などと書かれた看板が目につくようになる。鹿児島市街からも県道22号線で伊作峠を越えれば30kmほどの距離だから、疲れを癒したい人にとっては、日常生活からしばし離れてゆっくりと休める湯治の里といったところだろう。

 鹿児島県内には霧島や指宿のように全国的にも有名な温泉街のほかに、ひなびた湯のまちが多い。そこには地元の人たちが毎日通っても飽きないほどの魅力にあふれた立ち寄りの温泉がある。ここにもいいお湯が湧いているはずだ。期待を胸に看板の案内のまま車をすすめてみるとしよう。

 

 

 国道270号線から県道を山の手に1.5㎞ほどはいったあたり、湯之浦川という小さな川沿いに5軒ほどの温泉宿があつまる「吹上温泉」はある。

 まちへの入り口に建て替えが終わって間もない「吹上温泉郵便局」が見えてきた。郵便局の名前に地名ではなく、わざわざ「温泉」の文字がついているのは、往時、なじみの宿に長逗留して、便りや送受金をする湯治客が多かったことの証しだろう。しかし今、かつての温泉街に向かう道は人通りもわずかで、営業している店も多くはないようだ。

 通りを進んでいると左手に「西郷南州翁来遊の碑500m→」と白塗りの板に一行筆書きのみの札が立っていた。矢印は、温泉のある方から右に180°の方向を指している。まずはこちらからご覧なさいと言うことか。その先に続いている林道は、道幅もせまく急な登りである。ありきたりな石碑にがっかりさせられることがよくある。そんな気もしないではないが、行ってみることにした。林道の途中に、今度は踏みあともうすい山道をさして、「徒歩80m」の札が立っている。ここまできたら見て帰らぬわけにはいかない。落ち葉と枯れ枝を踏みながら短い坂を登ったさきに、杉と楠のうっそうとした林に囲まれて、2m四方、高さ3m以上はあろうか、立派な石碑が建っていた。上段の天然石には「西郷南州翁来遊之碑」と刻字されている。その碑名にそえて「元帥伯爵 東郷平八郎 畫」とある。

 

 

 日露戦争において、日本海戦でロシアバルチック艦隊に完勝した東郷平八郎が揮毫しているのだ。元帥まで登りつめ軍神といわれるほど崇敬された彼がどのような思いで、「西郷さんが来て遊んだ」と書いたのだろうか。大いに興味をそそられるものがある。

 下段の碑文には昭和2年建立と記している。ちょっと調べてみると、この年は西郷隆盛が西南の役に敗れ鹿児島城山で自刃して、ちょうど50年の時が流れていることになる。半世紀という節目の年の意味もあるのかも知れない。

 明治維新、日清、日露戦争の勝利をへて大正、そして昭和まで海軍軍人として生きた東郷平八郎は、西郷より20歳年下、同じ鹿児島城下加治屋町で育っている。そして、この碑名を揮毫したのは彼がかぞえで80歳の時であった。年を重ねた東郷元帥が、明治政府を下野して帰郷した時期にしばらくここで過ごした西郷に対するさまざまな思いと、その後西南の役で50歳にならない若さで逝ってしまったことへの哀悼の意を込めて筆を執ったことは想像して差しつかえはないと思う。

 ふたりの偉人を刻した碑は、当時の吹上温泉街の誇りとして、まち全体を見おろすことのできる丘の頂上に建てられたのだろう。そのころは周囲の樹木は払われていて、まちから歩いて登れるような小径もあったかもしれない。

 

 想像を切りあげて、西郷南州翁が何度も訪れたという伊作温泉に浸かってみよう。

 坂を下りて通りの交差点を直進すると「もみじ温泉」が右手に見える。木造の白壁に「源泉かけ流し」と書かれてある。今回はここに決めた。

 

 

 向かって左に島津の宿、右に島津の隠し湯と二棟。奧には家族湯もあるようだ。

 さっそく棟間のせまい通路にはいり、右手の受付で勘定を済ます。そのむかいが温泉の入り口になっていて、暖簾がかかっている。木床の脱衣室はきちんと清掃され、素足に心地よい。壁の適応書には硫黄泉、疲労回復、切り傷にも効能有りとある。先の碑文に、西郷は戊申戦争後と、征韓論に敗れたとき鹿児島に帰り、伊作の霊泉を訪れたと書いてあった。傷つき疲れた心身をこの淡い硫黄の香りする源泉で癒したのだろう。

 濁りのない碧色のお湯で溢れた三畳ほどの広さの湯舟が二槽、少し熱めとちょうどいい熱さに仕切られている。赤銅色のタイルで覆われた壁床に暖かみを感じる。

 

 

 大きな窓からの陽射しで浴室全体が明るく、木造の天井も湯気を逃すためのがらりが光を通し梁や桁、天井板などを明るく見せてくれている。快い開放感のある風呂場である。

 

 

 先客は、地元の知り合い同士らしい、かなりの先輩が二人、年金の話で盛り上がっていた。

 この澄んだ温泉に毎日浸かっているからだろう、声も大きくて元気、そして気さくである。

 先の碑文に「翁(西郷隆盛)は常に愛犬を牽きて萬山を渡り衆人と混じて霊泉に浴し」とあった。うさぎ狩りを好んだ西郷が山々を駆け回ったあと、温泉に浸かりながら伊作の人々と語り合うようすが浮かんでくるようだ。

 ふたつの湯舟に交互に浸かって、身もこころも芯から暖まった。

 外に出ると、まだ浅い春の川風がほてりをほどよく冷ましてくれる。

 

 日置市を吹上海岸に沿って南下してきた。伊集院は関ヶ原の戦いで敵陣中央突破し敗走した島津義弘。東市来は朝鮮出兵時に連れてこられた陶工たち。日吉は明治維新十傑の小松帯刀と、それぞれの町に時代の主役がいた。そして、吹上では、西郷隆盛と東郷平八郎が現れた。

 あらためて薩摩の歴史は奥深く、路は楽しみで満たされていると思う。

 さらに南へと足を伸ばしてみよう。

 

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もみじ温泉

入浴料  400円 

営業時間 午前6時~午後9時(立ち寄り湯)

定休日  水曜日

日置市吹上町湯之浦2503

                                            (M田)

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鹿児島県「建築物木材利用促進協定」締結式

  令和5年1月17日、鹿児島県庁18階かごゆいテラスにて、鹿児島県と山佐グル-プ+山佐木材㈱という山佐5社との間で「脱炭素社会の実現に資する等のための建築物等における木材の利用の促進に関する法律」に基づいた県内初となる「建築物木材利用促進協定」締結式が執り行われました。同時に鹿児島県と一般社団法人鹿児島県林材協会連合会との締結による今回2団体であります。

 

 この建築物木材利用促進協定とは、協定を結ぶ私共と県との協働・連携により木材の利用促進するために、民間建築物において鹿児島県内にて産する木材(かごしま材等)をさらに利用拡大することを目的としております。

 また連携強化を図る私達山佐5社は、建築物へのかごしま材を中心とした地域材の利用に向けて、林業経営、人材育成、木材供給・利用において連携を図りつつ一体的に取り組み、地域における森林資源の持続可能性を確保しながら、2050年カーボンニュートラル実現に貢献したいと考えております。

 (有馬) 

 

参考までに山佐5社を紹介しますと

○山佐林業株式会社 

森林の管理放棄や伐採後再造林率の低位などの社会課題の解決と、木材安定供給体制と持続的循環的な林業経営を目指す。

 

○合同会社絆工房ヤマサ

伝統的な大工技能について時代に即した育成の在り方を融合させ、人材育成体制を構築し、新規入職者を毎年雇用し、大工技能者基盤の維持に貢献することを目指す。

 

○ヤマサハウス株式会社

鹿児島県の気候等の地域特性を十分に踏まえ、住む人が心も体も健康に世代を超えて価値をつなぐ住まいの供給を行うこととし、かごしま材を中心に地域材を積極的に活用した「かごしま木の家」について年間200棟以上の供給を目指す。

 

○山佐木材株式会社

木造建築工事の施工にあたり、その材料となる原木調達において、鹿児島県産材を積極的に使用し、住宅用部材の供給はもとより、新たな木質材料の供給及び施工サービスの提供、CLT工法等の研究開発・実用化を通じた非木造建築物の木造化に関する目指す。

 

○山佐産業株式会社

非住宅分野の建築にあたり、建築主に対して、木造建築物の可能性検討および提案を積極的に行うともに適切な林業経営を支える林道等のインフラ整備において、地域における担い手の役割を目指す。

 

  

左から山佐産業の門田社長、ヤマサハウスの森社長、山佐林業・絆工房ヤマサの佐々木社長、山佐木材の有馬社長
左から山佐産業の門田社長、ヤマサハウスの森社長、山佐林業・絆工房ヤマサの佐々木社長、山佐木材の有馬社長

 

締結式が行われた「かごゆいテラス」には「東京2020オリンピック・パラリンピック」の「選手村ビレッジプラザ」に使用されていた鹿児島県産CLTが再利用されています

詳細はこちら

 

M田のぶらり旅・さつまの国「手作りバイキング 味処正ちゃんで昼ご飯」

 

第2回 手作りバイキング 味処正ちゃんで昼ご飯

 鹿児島県の地図を広げると、西側が薩摩半島、東側が大隅半島、南に薩南諸島が続いている。その地図を右に90度回転すると、薩摩半島は子牛の首頭のように見えてくる。きれいに弧を描く首のあたりが吹上浜、47kmにおよぶ砂丘である。海岸線に沿って、国道270号線がいちき串木野市から日置市をへて南さつま市まで、南へゆったりと延びている。

 

 日置市は、2005年に伊集院、東市来、日吉、吹上の4町が合併して誕生した平成大合併のまちである。東シナ海を望む薩摩半島の西に位置し、ちょうど鹿児島市と背中合わせに隣接している。

 

 

 鹿児島市からはまず市役所のある伊集院にはいる。この町には、関ヶ原の戦いで徳川家康軍の中央突破を果たした戦国武将島津義弘公の菩提寺が置かれている。毎秋、義弘公の遺徳を偲ぶため鹿児島市を起点に、大勢の人々が甲冑を装して歩き参拝する「妙円寺詣り」は、町の一大行事となっている。武将姿もさることながら、実は、歩きながら謳われる「妙円寺詣りの歌」こそが次代に伝えたい肝心のところなのだと思う。

 

 JR伊集院駅前に建つ、島津義弘公の像は、歴史好きならずとも、一度見ておくのも悪くはなかろう。

 

JR伊集院駅前に建つ島津義弘公の像
JR伊集院駅前に建つ島津義弘公の像

 

 ここから国道3号線に乗って西へ20分ほど移動すると東市来のまちが見えてくる。

 東市来町といえば、司馬遼太郎著「故郷忘じがたく候」で描かれた沈寿冠窯をはじめとする薩摩焼の窯元が集まる苗代川美山が有名である。高台の美山から海のほうに下ると、東市来の市街地だ。町に入るとすぐに、湯之元温泉という泉質のよい立ち寄りの湯がいくつも軒を並べている。温泉はしごを好む向きにはたまらないところだ。

 

湯疲れには、山椒の葉の香りもさわやかな「湯之元せんべい」がお勧めである
湯疲れには、山椒の葉の香りもさわやかな「湯之元せんべい」がお勧めである

 

 そこから国道270号でさらに南へ向かうと旧・日吉町だ。道沿いに、明治維新の十傑のひとりといわれる「小松帯刀」ゆかりの看板が目につくようになる。彼は、養子としてこの地にはいり、22歳で日吉城領主となった。薩摩の小松として大政奉還を成し遂げた後、病により36歳の若さで世を去った帯刀は、いまは小松家歴代の墓所円林寺跡にねむっている。

 

 そろそろ昼食でもと思いながら日吉町吉利の広い畑地の一本道を走ると右手に「味処 正ちゃん」の大きな看板が立っている。先客も多いようだが、駐車場は広い。

軒下には、日替わりランチ(サラダバー、コーヒー付き)890円の文字。よく見るとの字が上書き修正してある。物価高の波はここにも押し寄せているのだ

 


 

 この店のランチは、主菜に加えて、取り放題のバイキングがついている。

  サラダはもちろんだが、焼きそばもナポリタンスパゲッティもある。麻婆豆腐もカレーもあるし、野菜炒めも蕪の酢の物もある。ありふれたバイキングメニューではあるが、よく見ると料理の一つひとつに手作り感があふれている。決して豪華さはないが、産直の野菜が調理されて並んでいる安心感が伝わってくる。しかも、どれも美味しそうだ。

しかし、昔のようにはいかない。今日の主菜は天ぷらの盛り合わせだ。冷静に自制心をもって、みあった料理を選び適量を皿に盛ること。特に、仕上げにカレーライスなどもってのほかなのである。

 

 

 思い留まることができずに多すぎる昼飯をすませて、駐車場に出ると海からの心地よい風が吹いてきた。  松林のむこうは吹上浜、そして東シナ海が広がっている。

 おおいに元気をもらった。これから、さらに南へ、旧吹上町から南さつま市にむかって車を走らせよう。

 

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味処正ちゃん 

営業時間11:00~14:00  休み日曜・月曜

日置市日吉町吉利1589

(M田)

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M田のぶらり旅・さつまの国「夕日がにあう癒しの湯 薩摩薬師温泉」

 みなさま、素晴らしいご新年をお迎えのことと存じます。

 ご無沙汰しておりました。M田です。

 気分も新たに、さつまの国の道々で立ち寄った、じわりといい感じのところをご紹介できればと思います。本年もよろしくお願い申し上げます。


第1回 夕日がにあう癒しの湯 薩摩薬師温泉

 平成の大合併は、中央や県から見れば自治体の数が減った分だけ事務などの負担は減少したかもしれないが、さつまの国をあちこちと移動しているわたしには広くつかみどころのない境界線が引かれたうえに、合併前にその町がもっていた由緒ある名前や独特の魅力を無理やり剥奪してしまったように思えてならない。

 さて、鹿児島市郡山町(旧日置郡郡山町)あたりから伊佐市へと向かうには、薩摩川内市入来町を経てさつま町で国道328号から267号へと乗り換えて走ることになる。現さつま町は、薩摩郡宮之城町と薩摩町が合併して誕生した町である。

 

 宮之城は地元では「みやんじょ」と発音され、薩摩言葉にはめずらしく語感は穏やかで豊かな土地の印象が伝わってくるように思う。大河川内川の流れにのる水運と、南に向かえば鹿児島市、西には薩摩川内市、東は伊佐市、北は出水市にと幹道が集まっている。北薩摩の商業・交通の要所であり、観光・遊興の中心地であったし、旧国鉄時代には宮之城線という地元の足として欠かせぬ路線が、川内駅から薩摩大口駅まで走っていた。

 

 一方薩摩町は、江戸時代から隣の山ヶ野金山とともに永野金山の門前町としてさかえ、明治期には西郷隆盛の子菊次郎の指導で、鉱業と人材育成に重きをおいた一種文化的な雰囲気をもつ賑やかな町であったと聞く。高校時代、宮之城線に乗ると汽車は薩摩永野駅で、大口へ向かう分岐と登り勾配を緩やかするためにスイッチバックをしていたことを思い出す。いまは、駅公園にその軌道が、往時を偲ぶように残されている。

 

 

 宮之城を後にして、ゆったりとした山あいの国道を東に向かうと、右手の田んぼの向こうに、あぶなく見落としそうなほど控えめに、薩摩薬師寺が見えてくる。九州八十八ヶ所霊場第48番、山号は音泉山、真言のお寺だ。この境内に質素な温泉舎が本堂の手前に建っている。

 

 

 わたしがここを通るのはきまって日が沈むころで、本堂と温泉舎は、杉山を背にして夕陽に照らされている。稲刈りの終わった田には、電柱の影だけが長く延びる。この時刻、一日の仕事をおえた善男善女がひとっ風呂浴びに来ていることだろう。

 さっそく、玄関横にある受付窓式の番台に挨拶して入浴。

 

 壁に大きく掲げられた温泉分析書には、アルカリ性単純温泉、泉温42.5℃とある。掛け流しである。なるほど浴槽には無色透明で無臭、40℃あるかないかのお湯があふれていた。みなさんつるつるのぬるめの湯に、ゆっくりと浸かり疲れを癒している。

 二つある湯舟のひとつは、境内の井戸からひいた水風呂で18℃くらいだろうか、ほどほどの冷たさで心地よいばかりだ。蛇口からとくとくと流れ出る水を手ですくって飲むと美味い。自宅用に持参したペットボトルにこの水を汲んで帰る人も多いようだ。

 

 

 温浴と冷浴を数回繰り返せば、からだは芯から暖まり、浮き世の垢も、煩悩もすっきりと落ちてしまい、どことなく身軽になったような気がする。

 浴槽も、洗い場も、脱衣場もきれいに清掃されていて、清潔感がただよっているのがうれしい。

 

 番台の皿に、柿が切っておいてあったので、湯疲れ防止に一切れいただいた。

 汗を拭きふき駐車場に出ると、豆腐屋の移動販売車が、夕餉の一品にいかがと停まっていた。薬師如来様の恩恵を受けた手前今宵は精進。奮発して鹿児島産大豆の木綿豆腐と黒胡麻豆腐を買って帰ろう。冷や奴とお湯割りが待ち遠しい。

 ここから伊佐市までは長いのぼり坂が続く。夕暮れ時の求名坂(ぐみょざか)である。

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薩摩薬師温泉

住 所 薩摩郡さつま町求名570

入浴料 250円

(M田)

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「福岡営業所」開設のお知らせ

 

九州・沖縄の情報や技術・研究等が集中する福岡市に営業所を開設致しました。

これまで東京出張所や熊本営業所を拠点に営業活動していましたが、

3年ほど前に閉所し、鹿児島からの情報提供のみとなっておりました。

 

福岡営業所を開設することで、タイムリーに情報交換に繋げられることや提案活動にも幅が生まれ、

より一層の繋がりや安心をご提供出来るものと期待しているところです。

 

熊本県出身の宇田(うだ)が常駐することになっていますので、木材料や木質構造等について

ご質問やご不明な点、ご確認したことなどが有りましたら、お気軽にお問い合わせ下さい。

 

所  在  地 〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉2丁目3-16 紙久ビル402号室 

電話番号 092-600-9310

F  A  X 092-600-9311

 

(山佐木材株式会社 営業部一同)

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「福岡営業所」開設について

 

平素は格別のご愛顧を賜り厚くお礼申し上げます。

 

熊本震災以降、長らく閉所しておりました「熊本営業所」の代わりとして

福岡市中央区に「福岡営業所」を再出発する運びとなりました。

 

これまでお問合せ頂きながらも、なかなか伺えなかったお客様へのご挨拶や、全国のお客様へ、

より一層迅速にご対応できるよう努めて参ります。

 

2022年10月1日の開所を目指して、現在準備を進めておりますが、

詳細をお知らせできるようになりましたら改めてご案内いたします。

 

今後とも変わらぬご愛顧ならびにお引き立てを賜りますよう願い申し上げます。

 

(山佐木材株式会社 営業部一同)


Woodistへの道(5)NIKKEI MESSE 2022 建築・建材展

 こんにちは!ウッディです!

 今回は「山佐木材」として2022年3月1日~3月4日に東京ビッグサイトで行われました「NIKKEI MESSE 建築・建材展」に参加してきました。

 「woodistへの道」も探索してきましたので今回はそのレポートです。

 

東京ビッグサイト建築・建材展エントランス
東京ビッグサイト建築・建材展エントランス

 

「いやー東京はやっぱり凄いでごわす。大隅半島にはこげなでっかい建物ありもはん」

 

 そんなこと思いながら、ちゃんと「お上りさん」らしく周りをきょろきょろ、

 展示場の大きさに感動しながら東京に入りました。

 

東京ビッグサイト会議場全景 と展示ホールを繋ぐロビー
東京ビッグサイト会議場全景 と展示ホールを繋ぐロビー

 

 催事はまず展示物の準備から始まるわけですがこの準備がこれもう「戦場」です(笑)

 

 ブース造作の職人さん達でごった返し、展示会場内を車が縦横無尽に走っています。

 山佐木材は「こじんまりブース」での展示だったので、準備は一人で来たのですが大多数の職人さん達に圧倒され、しばし呆然としてました。

 

造作大工さん、内装業者さんが入り乱れて展示ブースの設営
造作大工さん、内装業者さんが入り乱れて展示ブースの設営

 

 そんな中、個人的に気になったのが「ワークマン」のブース(笑)

 建築建材展は文字通り新しい建築資材やシステムなどが一堂に集まるイベントですが、建築現場で働く人のアパレルウェアや今やキャンプ道具なんかも扱っちゃうお店です。

 今までにない色んな会社が集まる建築建材展の可能性に、準備の疲れも忘れテンションが上がりましたよ! 

株式会社ワークマン様のブース
株式会社ワークマン様のブース
鉄筋集成材「SAMURAI」と3つの接合部を持つ3層3プライのCLTオブジェ
鉄筋集成材「SAMURAI」と3つの接合部を持つ3層3プライのCLTオブジェ
引きボルト接合・Xマーク金物接合・山佐木材開発中の角形鋼管LSB接合を見ることができるオブジェ
引きボルト接合・Xマーク金物接合・山佐木材開発中の角形鋼管LSB接合を見ることができるオブジェ

 

 悪戦苦闘しながらも「こじんまりブース」をなんとか作り終え、明日からの初日を楽しみにしながらホテルに戻る前にTOKYOの街で「woodistへの道」を探索します。

 

「新木場」には「woodistへの道」へのヒントがありそうです(メルマガに続きます!)
「新木場」には「woodistへの道」へのヒントがありそうです(メルマガに続きます!)

 

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(woody)

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Woodistへの道(4)木材材木木質材料

 こんにちは!ウッディです。今年もちゃんと冬が来ましたね。

 冬は木のぬくもりや焚火を最高に楽しめる季節だと思っています。

 

 今回も元気に外で「woodistへの道」を模索します。

 いつもは大隅の地が活動拠点ですが、今回は少し足を延ばしました。

奥八女焚火の森キャンプフィールド エントランス
奥八女焚火の森キャンプフィールド エントランス

 

 福岡県の「奥八女 焚火の森 キャンプフィールド」さんへ、お邪魔しています。

 薪、木造の建屋。見渡す限りの「木」。Woodyとしてはなんとも落ち着く空間です。

 

エントランス棟前にずらりと並んだ薪「雑木バケツ詰め放題1,000円」
エントランス棟前にずらりと並んだ薪「雑木バケツ詰め放題1,000円」

八女茶が楽しめるカフェやわらかい日差しが木に当たりとてもやさしい空間
八女茶が楽しめるカフェやわらかい日差しが木に当たりとてもやさしい空間

 

 多くの「木」に囲まれ、穏やかな心と裏腹なマックステンションという恍惚状態です(笑)

 

 あれ?「木」

 

 木ではないですね木材ですね。

 うん?「木材?材木?」

 

 多くの人にとってどうでもいい事だと思いますが、木がいつの段階で名称が変わるのか、、

 これでは木になって夜テントでゆっくり眠れません お?「気になって」ですね

 

 そもそも立っている木は「木」で間違いない。はい、これは分ります。

 では「薪」はどうでしょうか

 

エントランス棟で売られている小割にされた薪
エントランス棟で売られている小割にされた薪

 

 その辺に転がっていれば「木」だと思うのですが「燃やす燃料」として、加工されたのだから、商品名は「薪」ですが製品分類は「木材」ですかね?

 その辺に転がっていても「薪に使う」と決めた瞬間から「木材」かな(笑)

 

「焚火の森キャンプフィールド」内に建てられた木造の「キャビン」
「焚火の森キャンプフィールド」内に建てられた木造の「キャビン」
磨き丸太と無垢の材料で設計されている地盤面まで伸びた屋根がかっこいい!
磨き丸太と無垢の材料で設計されている地盤面まで伸びた屋根がかっこいい!

 

 建築に使用される木は完全に「木材」です。でも大方この「木材」を扱っているのは「○○材木店」とかって言います。むぅ、区分が分かりづらい。

 木材と材木の違い。調べてみると概ね下の様な内容のようです 

  • 「木材」と「材木」は、切断して建築物や製品の材料に用いられる木を指す
  • 「木材」「材木」は置き換え可能な「熟語」
  • 「木材」は、原木を切断して材料や原料として用いる木の事として多く使われる
  • 「材木」は、建築や製品の材料として一定の長さや大きさなどに製材し、用材となったもののこと

「材質が木であることに焦点が置かれるのが「木材」、用材となっている木であることに焦点が置かれるのが「材木」である。上記の違いから屋号にも違いがあり、山元に近いほど「木材店」が多く、流通の最終段階に近くなるほど「材木店」が多くなる傾向にある。」

  

 なるほどー。何となぁく分かりました。

 木材と材木は概ねどちらでもいいようですね。では山佐木材で製造している「集成材」はどうなるのか?

山佐木材で加工中の杉の「大断面集成材」
山佐木材で加工中の杉の「大断面集成材」

 

 Wikipediaによると「断面寸法の小さい木材(板材、Laminar、ラミナ)を接着剤で再構成して作られる

木質材料である。」との事

 新しい単語が出てきました(笑)

 手が加わっていく毎に順番で、木→木材→材木→木質材料という事が言えるようですね。

 

山佐木材の原木貯木場工場全体の敷地面積は東京ドーム2個分! (ドームでの表現は関東の人以外ピンとこないと思っています)
山佐木材の原木貯木場工場全体の敷地面積は東京ドーム2個分! (ドームでの表現は関東の人以外ピンとこないと思っています)

 

 という事は、山佐木材は木の伐採こそしてないものの、原木から集成材まで、加工・製造しているわけですから、「山佐木材材木木質材料 株式会社」がきっと正しい社名という事ですね!!

 

 すっきりしました。これで良く眠れそうです。新しい発見でした!

 いつか会議で「正確な社名」として議題に挙げてみたいと思います(笑)

 

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(woody)

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今年度も台北国際建築建材展に出展しました

 新年明けましておめでとうございます。この年末年始は久々に帰省ラッシュなどの人の大移動がありました。「2年ぶりの帰省」といった話もよく聞こえてきました。ご家族、ご親戚、地元の友人との親交の大事さを改めて感じられたお正月だったように思います。しかし、いよいよ2022年は本格的な景気回復基調か、、と新年の期待を抱いている矢先のオミクロン株。ただ、今回は全く初めてのことではありませんので、三密を避ける等の基本動作を軸に冷静に対応していければと思います。感染拡大回避、医療機関ひっ迫を避けるためにも、引き続き一人一人が感染予防の取組を心掛けて参りましょう。

 

 さて、そのような状況の中ではありますが、当社では一昨年より台湾でのCLT案件や展示会出展にチャレンジしています。

 

昨年度の展示会の様子はこちら。

★メールマガジン>第84号(2021/1/29)>部室長挨拶

 

 コロナの状況もあり、なかなか海外への渡航ができない状況は続いていますが、台湾・則廷建設有限公司様のご支援、ご協力を頂きながら取り組んで参りました。そして今年度も先方様に現地でのサポートをいただき、2021年12月9日(木)~12日(日)の「台北国際建築建材展」に出展いたしました。台湾・則廷建設有限公司様にはこの場を借りて心より御礼申し上げます。また、鹿児島県産材輸出促進協議会様、日本木材輸出振興協会様にもご支援を頂きました。重ねて御礼申し上げます。

https://www.taipeibex.com.tw/TBS/ja_JP/index.php

 

 今年度の来場者はオンライン登録も含めて61,656人とのこと、2019年62,195人、2020年77,842人から微減傾向ではありますが、それでも現地の設計事務所、建築士事務所、建設会社、学術研究機関を中心に、製品説明や動画展示、パネル展示、多数のチラシ配布をすることができました。

 

 現地では建築士を中心に規格寸法や強度、接合・仕口の方法、施工方法など、多くのご質問を頂きました。いただいた内容にお応えしながら日本のCLT、国産材をしっかりお届けしていけるよう努力して参りたいと思います。


 

 以上、台北国際建築建材展出展のご紹介でした。

 引き続き新型コロナの中の予断を許さない状況が続きますが、海外市場や新たな製品開発にチャレンジして参ります。本年も山佐木材をご愛顧、ご支援のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

(総務経理部長 新永智士)