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不定期ですが、山佐木材の日々の出来事をご紹介しています。

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M田のぶらり旅・さつまの国「温泉郷の大衆浴場(1)  指宿温泉郷 弥次ヶ湯温泉」

第9回 指宿市 温泉郷の大衆浴場(1) 指宿温泉郷 弥次ヶ湯温泉

 新型コロナ感染症が5類に移行されてから、国内の観光地や温泉地をめぐる番組が増えてきた。そのなかでも砂蒸し温泉をメインにした指宿の紹介が多いように感じる。

 指宿は、霧島とならぶ鹿児島県内有数の温泉郷である。指宿市観光課のデータでは、令和元年は、入込観光客数は年間370万人を超えていた。市の人口3万7千人のおよそ100倍にあたる人々が国内外からここを訪れていたのは、数多い老舗の温泉旅館やホテル、絶景の海岸線がひろがる露天風呂、そして、世界で唯一ここでしか体験できないといわれる天然の砂蒸し温泉など観光資源の豊かさからだろう。コロナ禍の影響で、令和3年、観光客は年間220万人まで減少してしまったが、温泉郷としての魅力は衰えてはいないはずだ。ウィズコロナとなったこれから、観光客数も回復し街に以前の活気がもどってくることを願いたい。

 

 ところで、指宿市という一大湯の町に暮らしている地元の方々は、普段どんな温泉ライフを過ごしているのか気になるところだ。毎日砂風呂に埋められるわけにもいくまい。手軽で身近な、入り心地のよいお湯があるに違いない。インターネットで「指宿 大衆浴場」と検索してみると17の浴場が掲載されているページが現れる『いぶすき観光ネット』。

 入浴料はだいたい300円から350円、なかには150円で入れる浴場もある。この価格なら毎日だって銭湯感覚で利用できる手軽さはある。けれども、湯屋のおもむき深さやお湯の入り心地などについては、やはり実際に行ってみないことには、パソコン画面からは伝わっては来ない。ということでまず、ネットに掲載されている大衆浴場、弥次ヶ湯温泉を訪ねてみた。

 

 鹿児島市内から南に向かって国道225号線を経て国道226号線を南下。車は左手に波静かな錦江湾を、さらに対岸には桜島、大隅半島の山並みを観望しながら走る。国道のすぐ右横を並走しているのはJR指宿枕崎線だ。ディーゼルカーに揺られながら、缶ビールを置いた車窓から見る南国の景色もきっといいものだろう。

 指宿市内に入るとすぐに「道の駅いぶすき」が見えてくる。ここで販売されているソフトクリームは、オクラが練り込まれているクリームの横に、寄り添うように塩ゆでオクラが乗っていて、けなげで健康的においしい。

 市街地に入ると、田口田交差点から左折して「なのはな通り」に入る。JR指宿枕崎線を越えると正面に海に向かって平地がひろがっている。この道を直進すれば、老舗温泉やホテル、砂蒸し温泉などが建ち並ぶ指宿温泉街に通じているのだが、すぐに左折して市役所方向にむかう。

 市役所を過ぎると300mほどで左手に「♨創業明治25年弥次が湯温泉」と書かれた茶色の看板が見える。矢印にしたがって小径にはいるとすぐに駐車場、その奧に2棟の木造の湯屋が建っている。温泉街からはほどよく離れていて、田んぼに面した静かな立地である。

 参考にした三国名勝図会に「水田の間に湧出す、(中略)、往昔 弥次といふ者掘出せり。故に其の名を得たり。」とあることからも、いま目にしている風景は昔のままなのだろう。

 

駐車場から見た2棟の木造湯屋
駐車場から見た2棟の木造湯屋

 

 二つの建屋はどちらも明治からの百年を経たおもむきを醸し出している。右の湯屋の妻面に「弥次ヶ湯温泉」、2階建ての方の軒下には「やじがゆ温泉大黒湯」と表札が掛かっている。

 受付で初めて来たことを告げると、ふたつの湯の違いと使い方を教えてくれた。

  ・弥次ヶ湯は源泉のまま薄めてないし、ちょっと熱いが決して薄めないこと。

  ・大黒湯は泉源が別で高温のため水で薄めて少し入りやすい温度にしてあること。

  ・入り口は別々だけれど、中でふたつがつながっているので交互に入浴できること。

  ・大黒湯2階の風情の残る休憩室にも上がって休めること。

 

 ここはやはり源泉100%の弥次ヶ湯温泉の方から入ってみよう。

 

脱衣場から弥次ヶ湯温泉浴室を見る
脱衣場から弥次ヶ湯温泉浴室を見る

 

 脱衣場から天然竹の壁で囲われた浴室までは、蹴上げ15cmほどの階段を4、5段おりる。石造りで一坪ほどの広さの湯舟に、素晴らしく透明な温泉をたたえており、松か桧の底板が敷かれてある。掛け流しの吐出し口も洗い場の蛇口もない。Simple is Best!

 お湯は熱めだが、少し気張って入り慣れてしまえば、あとはどうということはない。落ち着ける入り心地を堪能できる。浴場を移動するにはいったん脱衣場に上がって、向こう側の大黒湯の浴室にまた下りる。

 

脱衣場でつながっている大黒湯浴室
脱衣場でつながっている大黒湯浴室

 

 造りは弥次ヶ湯とほぼ同じだが、石張りの壁の洗い場には鏡と水の蛇口、階段には手摺りも設置されている。お湯は淡い濁りがあり、説明通り幾分低い温度に薄めてある。老若問わずゆっくりのんびり入るのに申し分ない浴室がしつらえてある。

 どちらの泉質も、参考にした資料には「塩化土類含有弱食塩泉」と記載されている。塩味のついたミネラル温泉ということだろうか。なめてみると塩辛く感じ、肌触りはいたって滑らかだ。さらにその本には、指宿温泉のほとんど泉源の成因は、海水と池田湖・鰻池などの湖水とが混合し、それが地下にあるマグマの熱によってあたためられて湧出していると書かれている。火山活動と海のなせる技なのだろう。

 資料の温泉利用状況(昭和58年3月現在)に、弥次ヶ湯地区の顕著な特徴が見られた。それは、園芸への熱利用だ。ここでは、全地区で199箇所あるうちの82箇所の農場で植物栽培の加温に使われているという。すでに大正時代には温泉熱を新たな農業に活かそうという試験場が設立され、そこで様々な植物の栽培実験が実施されていたと記されている。その成果が現在まで引き継がれているのだ。

 湯屋の窓ごしに、今まで見たことのない美しいピンクの花が青空に映えて咲いていた。この花が弥次ヶ湯温泉の歴史を物語っているようだ。

 

 

 次に訪れるときには、ここの自炊棟に宿をとり、2階の休憩室でゆったりとひろがる田んぼを眺めてみようと思っている。

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弥次が湯温泉 定休日木曜日  大人350円

 

参考・引用:

 公益社団法人 指宿市観光協会HP

 いぶすき観光ネット

 三国名勝図会

 指宿市史

 鹿大農場研報 指宿の温泉熱利用農業の振興 石畑清武(1999年10月10日受理)

(M田)

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M田のぶらり旅・さつまの国「落花生と双子の木橋」

第8回 鹿屋市 落花生と双子の木橋

 台風6号が迷走しながら通過しているうちに、暦の上では秋になってしまった。この時期、肝属鹿屋の笠之原台地の畑では落花生の収穫の真っ最中である。水が乏しく、台風の風が激しく吹きさらすシラス台地の畑作は、草丈が低く土の中に収穫の対象が埋もれているサツマイモと落花生が風害リスクの少ない作物として生産されてきた歴史があるようだ。

 酒造用、デンプン用の甘藷を主体とすれば、落花生の作付けはさほど多くはなく、その収穫はほとんど手作業でおこなわれている。夏のはじめ頃から、広い畑に腰をかがめて、株を引き抜いては子房柄(しぼうへい)に付いているたくさんの鞘(さや)をひとつひとつ根気よくちぎっている姿をあちこちで目にするようになる。

 

台風6号の風で吹かれた落花生畑。左手前の株だけ鞘が見えている
台風6号の風で吹かれた落花生畑。左手前の株だけ鞘が見えている

 

 収穫された鞘は、生落花生として、スーパーや直売所にならんでいる。今は1kgで1,000円くらいが相場のようだ。新鮮なものを塩ゆでにして熱いままどんぶりに盛り、冷えたビールといただくのが、最速、大満足の調理法だ。

 だが、生落花生には時間と手間のかかる至高の調理法がある。それは薩摩語で「だっきしょ豆腐」(ピーナツ豆腐)と呼ばれている。生落花生の絞り汁をくず粉もしくは甘藷デンプンと混ぜて煮固めた純白のゼリーで、つるりのあとねっとりとした食感を味わえる一品だ。

 家庭の味として作られていたが、夏の暑い時期に火にかけた鍋をかき回し続ける手間が災いしてか、家でつくられることはまれのようだ。ちかごろではスーパーなどで既製品を買ってきて味わうのがふつうになってきた。

 そのような中、大隅半島で最高の「だっきしょ豆腐」(※1)を提供してくれるのは、国道269号線を北田交差点から200mほど西に歩いたところにある「小松食堂」だろう。ここは、チャンポンで有名な大衆食堂だが、すぐ隣で「和魂洋菜」という惣菜店もやっているのだ。この店のだっきしょ豆腐は鹿屋産の落花生で作られていて、透き通るような白さととろりとした食感が特徴の逸品である。口に入れたとたんにふわっと広がる落花生の香りもたまらない魅力だ。お値段も手頃なのがうれしい。

 

一パック二人前くらい。甘めのたれをかけていただく
一パック二人前くらい。甘めのたれをかけていただく

 

 さて、小松食堂から北田交差点にもどろう。ここは東西に国道269号線、北に向かう国道504号線が交る要衝だ。東北角にリナシティかのやという複合施設が建っている。リナシティの東には鹿屋川が流れており、施設建屋と川向こうの駐車場をつなぐ木橋が2本架かっている。どちらも曲線橋で、幅員5.2m、橋長は上流側が21.5m、下流側が23mと、見た目もサイズも双子のような人道橋である。両方の親柱とも「ふれあいばし」「平成18年3月」の橋名板が埋め込まれている。

 

下流に架かる歩道橋から2橋を俯瞰する。左がリナシティかのや
下流に架かる歩道橋から2橋を俯瞰する。左がリナシティかのや

 

 対岸から広角で施設全体を撮影してみた。リナシティの前庭で、両岸の野外ステージが二つの橋によってつながり、円形の回廊ができあがっているのがよくわかる。この双子の曲線橋は、施設全体のデザインの中で、人と人、人と水とがふれあうためになくてはならないアイテムなのではなかろうか。

 湾曲集成材を含む材料と架橋を弊社で納めさせていただいた。弊社が納材・施工を担当した木橋の中でも代表的な一つだと思う。川面近くの遊歩道から全体を見上げると橋の構造もよくわかることだろう。近くにお越しの際は是非ご覧いただきたい。

 

(※1)M田の個人的感想です。

 

 

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小松食堂・惣菜屋 和魂洋菜

 鹿屋市北田町9-5

 定休日 不定休

 営業時間 10時~14時

 

参考:サカタのタネ園芸通信 ラッカセイの育て方・栽培方法

   木橋資料館 福岡大学工学部社会デザイン工学科 

(M田)

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M田のぶらり旅・さつまの国「夏空の高隈山と山寺鉱泉」

第7回 鹿屋市 夏空の高隈山と山寺鉱泉

 大隅半島の中央部、錦江湾よりに位置する高隈(たかくま)山地。最高峰大箆柄岳(おおのがらたけ 標高1,236m)を含め、標高1,000m超の7峰が連座する山塊は、四季を通して、あるいは眺める者の位置によって、それぞれに違う姿を見せてくれる。

 また、古くから修験道の霊山として知られ、それぞれの山頂には、祠が残っていて、修験の荒行が行われていた昔をしのばせる。

 わたしも友人や家人と、あるいは単独で登ってみたが、どの登山道も整備されてはいるものの易々とはいかない厳しさが印象的だった。しかし、山頂からの眺望はすばらしく、垂水側の大箆柄岳からは桜島の噴火口を眼下に見おろし、運がよければ錦江湾のはるか南に屋久島をとらえることもできる。また、鹿屋側の御岳(標高1,181m)からは鹿屋、肝属平野の広さのさきに、ゆったりと弧を描く志布志湾を望めるのである。登り甲斐のある山々だと思う。

 

 ふもとに住まう人々も、この山の特別な存在感を感じているように思う。わたしの子供たちが通った地元高校の校歌を見てみよう。

 鹿屋農業高校 「仰げば高し 高隈の むらさき匂う峯の色~」

 鹿屋高校   「山高隈に月影落ちて 北斗消えゆくあけぼのの空~」

 どちらも「高隈」の二文字が、畏敬と愛着をこめて読み込まれている。きっとほかの高校も、このあたりの小学校や中学校の校歌にも、同様の思いを伝えるためのこの二文字が入っているのではないだろうか。

 

 梅雨の時期なかなか全貌を見せることのなかった高隈山が、夏空のもとくっきりと姿を見せてくれるようになった。わたしには翼を大きく広げた鷹のように見えるのだが、鳥の見過ぎだろうか。

 

御岳を中心に見た高隈山地南面
御岳を中心に見た高隈山地南面

 

 国道504号線は鹿屋市街地から高隈山地の東麓を北へ輝北・霧島に向かっている。鹿児島交通のバス路線が通っていて、「上祓川」、「寺街道」という名前の停車場が続き、その先に「山寺鉱泉入り口」の黄色い看板が見えてくる。「源泉掛け流し湯」の文言も見て取れる。

 ここを左折するとすぐ右手に広い駐車場が案内される。車を停めて一段上がったところに受付と休憩所があり、その奧に浴室棟が設けてある。脱衣場には歴史を感じる木製の大きな椅子が置かれ、背もたれに「ヤマサハウス」のロゴが入っていた。

 

入って左が受け付け、右が休憩所になっている。奧が浴室棟
入って左が受け付け、右が休憩所になっている。奧が浴室棟

 

 清潔に管理されている脱衣場から浴室にはいると、左に3畳ほどの浴槽、その手前に半畳くらいの水風呂、右手に4個の洗い場。五角形の浴槽には薄い黄金色の鉱泉が満たされている。42℃を保つようにとの注意書きがあるから、少し熱めだが、気持ちよく浸かれるお湯だ。夏だけど肩まで浸かり、吹き出すほどの汗をかいたら、水風呂に。16℃・キンキンの地下水が身を引き締めてくれる。

 先客は、無駄な肉をそり落とした、ブルース・リーのような体つきの先輩だった。聞けば今年80歳になられたという。背筋の鍛え方を実地で示してもらったが、わたしには到底できない動作だった。

 

 止まらない汗をタオルで拭きながら、湯守の谷本さんから高隈山にかかわる興味深いお話を聞かせていただいた。曰く、

 『ここの鉱泉は高隈山の山腹に湧く水を塩ビ管で2kmも引いていて、湯ノ花がたまるのでパイプや溜め桝の管理も大変なんだ。成分として多くの鉄分と特殊なミネラルを含んでいるので、昔から切り傷や肌のトラブルによく効くと言われている。

 三代ほど昔は、水源に近い「瀬戸山神社」の参道に湯屋があって、竹を割った樋で引水していたらしい。その頃は、修験道や岳詣りの客も多くて、500m近くあるまっすぐな参道には宿屋や僧坊がならんでおり、賑やかだったという。

 「瀬戸山神社」は、室町時代から江戸末期まで、修験道の拠点としての「五代寺」と神仏混淆の寺社であった。だから、バス停に「寺街道」の名が残っているのだろう。』と。

 

 夕方ではあったが、夏の陽はまだ高い。「瀬戸山神社」の参道に向かった。

 国道は谷川に沿って北上している。地名の「祓川」とは、霊山に入る前に、この清流にはいって、世俗の身を祓い清めた名残なのではなかろうか。

 参道は神社に向かって、北西に延びている。鳥居の向こう本殿はうっそうとした杉木立に囲まれているようだ。背後には夏雲に覆われた高隈山地が横たわっている。湯守の谷本さんは、御岳への登山道はこの鳥居から直登するように続いていて、その途中に泉源があると話してくれた。

 

500m近くまっすぐに高隈山に向かって延びる参道
500m近くまっすぐに高隈山に向かって延びる参道

 

 歩いてみると参道の傍らの公園には五代寺を守っていた仁王像や、梵字の刻まれた石碑と五輪の塔も残されている。薩摩で明治時代にはいって激しく実行された廃仏毀釈まで、長く真言仏教の寺として信仰を集めていた証しだろうと思う。

 何百年もの間、修験道に出立する山伏や岳詣りの人々を見守ってきたに違いない。

 

公園の片隅に残されている仁王像や五輪の塔
公園の片隅に残されている仁王像や五輪の塔

 

 高隈山地は、その険しさと歴史によって、今を生きる地元の人々に、畏敬と愛着の念を抱かせる魅力を抱かせているのだろう。

 谷本さんから、山寺鉱泉の駐車場に車を置いて、「瀬戸山神社」から高隈に登ってみればと勧めていただいた。鹿児島では「夏山には犬(いん)も入らん。」という。

 9月の彼岸を待ってお勧めのコースで登ってみようと思っている。タカクマホトトギスの薄黄色の花が咲いている頃だ。もちろん下山後、山寺鉱泉で汗を流すことを楽しみにして。

 

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山寺鉱泉

営業時間 13時から20時30分

定休日  火曜日・水曜日

入浴料  420円

 ※参考:鹿屋市史、吉川満著「鹿児島県の山歩き」

 

(M田)

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M田のぶらり旅・さつまの国「梅雨のさなか 紫陽花とざる蕎麦 出水市 東雲の里草の居」

第6回 出水市 梅雨のさなか紫陽花とざる蕎麦 東雲の里草の居

 薩摩半島西岸の最北に位置する出水市。鶴の飛来地として名高い町だ。2006年に旧出水市と野田町、そして高尾野町が合併してあらたな出水市となった。旧3市町ともそれぞれ「麓(ふもと)」と呼ばれる武家屋敷群が大切に残され活かされている。

 そのような町並みにしっくりと落ち着く木造の支所が、2019年に野田、2020年に高尾野に新築された。両方の構造体を弊社で施工させていただいたのでご紹介したい。

 

野田支所の構造体 施工中の写真
野田支所の構造体 施工中の写真
高尾野支所 外観
高尾野支所 外観
高尾野支所 図書館内観
高尾野支所 図書館内観

 

 どちらも木の温もりで包み込まれるようなすっきりとした建物で、訪れるかたも働くかたもきっと心地よい役所だろうと思う。出水市街地から長島や阿久根への道すがら、懐かしい町並みをとぼとぼと歩いてみるのも楽しい。

 

 さて、市役所本庁のある出水市街地から国道447号線を伊佐市に向かって10kmほど走ったところに大川内という集落がある。清流が自慢の村で、秋祭りで売り出される新米と鮎の甘露煮は格別のおいしさだ。梅雨に入ったこの時期、北薩では田植えが始まっている。水の張られた田んぼに映る里山がきれいだ。

 このあたりの国道沿いに「東雲の里 生そば草の居」の入り口看板が立っている。ここからさらに北へ6km、細い道を登っていく。途中不安になるが「信じて登ってください」と親切な案内板が立っているから大丈夫、迷うことはない。つづれ織りの道は伊佐市に続いている。

 夏を前にした道は、進むほどに山の緑が濃くなっていく。渓流も雨を集め水量も豊かだ。初夏の風景に気を取られているとお店への別れ道が案内されているから、右折してさらに細道を登れば駐車場に着く。ここには不思議なギャラリーが建っている。中をのぞくとこれまた不思議な雰囲気の絵画が集められており、目を楽しませてくれるだろう。

 

 

 石畳の坂道を、両手に咲く紫陽花をめでながら少し歩くと「生そば草の居」の建屋が見えてくる。話し好きのご主人によれば、古民家を移築した建物で、木構造部分は大工さんにまかせたが、土壁や内装はご主人手作りのものだという。

 

 

 食事の前に、園内約2kmの遊歩道をめぐってみよう。40年ほど前に入手した4万坪を超える森林や耕地跡を開墾して、一本ずつ植えていった紫陽花や楓、満天星(ドウダンツツジ)など手入れの行き届いた山道は、進むほどに感嘆の思いが湧いてくる。

 

 

 石を積んだ田畑を耕し、沢から水をひいて米を作った人々の思いを、ご主人が受けとめて拓かれた風景が山全体に広がっている。紫陽花のひとむらひとむらがその気持ちの繋がりをのせた風船のように見えてくるようだ。一番高いところにある展望所までの往復は1時間ほどかかるけれども、山の姿は見飽きることはなく、たちまちに過ぎてしまうことだろう。お腹もいい具合にすいてくる。

 

 

 食堂棟に入って、十割蕎麦をいただくとしよう。初夏にはやはり冷たいざるそばが合う。

 

 

 焼き物の器はすべてご主人の作品だそうで、蕎麦は、跡継ぎのご子息が朝から打っているものだ。申し分などあろうはずがない。仕上げの蕎麦湯まで飲み干してしまった。6月中は紫陽花祭りで少し品書きが変わるが、四季をとおしてその時期にあった蕎麦をお出しします。とのこと。

 「東雲の里」は、国道から6kmも入ったところにあっても、人々を惹きつけてやまない魅力に溢れている。紫陽花の時期が過ぎても標高400mの涼しさを満喫できそうだ。

 

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東雲の里 生そば草の居

定休日  木曜日・金曜日

※祝日や紫陽花、紅葉時期は休み無く営業

参考:東雲の里ホームページ

(M田)

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M田のぶらり旅・さつまの国「牧園町 ラムネ温泉 千寿の里で龍馬をおもう」

第5回 霧島市牧園町 ラムネ温泉 千寿の里で龍馬をおもう

 鹿児島県内には温泉が多い。錦江湾岸、薩摩半島、霧島から北薩摩、大隅半島、離島まで、温泉と名のつく入浴施設がない町があるのだろうか。指宿温泉や霧島温泉のような収容人数の大きな温泉旅館から、集落でよりあって運営しているようなところまで多種多様な「温泉」に行く先々でお目にかかれる。

 そもそも錦江湾が巨大なカルデラだというのだから、そのまわりに温泉が湧くのは不思議ではないのだが、実際の数はどれくらいだろうか。

 調べてみると環境省のデータでは、源泉数は2,745、42℃以上の高温源泉が1,806もある。利用されている源泉でみると1,198。国内では大分県に次ぐ源泉数を誇っているという結果だ。まったく実態が予想を上まわってしまった。(環境省自然環境整備課温泉地保護利用推進室 令和3年度温泉利用状況より抜粋)

 そんなわけで、薩摩の国では、犬も歩けば棒に当たる前に温泉に当たるようだ。今後とも有名無名にとらわれず、個人的に気に入っているか、気になっている温泉を取り上げていくことにしようと思っている。

 

 国道223号線は、宮崎県小林市から霧島市まで、霧島山の南麓に沿っていくつもの温泉地をめぐりながら蛇行して南下している。国立公園の森や渓谷を左右に見ながらその道を走れば、四季折々の美しい風景と温泉を楽しむことができるだろう。道筋は、鹿児島県側領域はすべて霧島市で、かつ旧牧園町内を通過している。国道沿いのランドマークとして、2021年3月に完成した霧島市役所牧園総合支所をご紹介したい。

 

左が国道223号線 中央に牧園総合支所
左が国道223号線 中央に牧園総合支所
建設途中
建設途中

 

 集成材とCLTパネルを使った木構造平屋建ての落ち着いた庁舎である。杉構造材の製造と建て方を弊社で施工させていただいた。室内には杉材の表しが多く、この町の自然と調和するように、来訪者を暖かなイメージで迎え入れる建物となっている。

 ここから北に上ると霧島温泉郷へ、南に下ると妙見温泉を経て旧国分市街地へと向かうことになる。

 

 話は幕末に飛ぶ。1866年春、坂本龍馬が新婚の妻お龍とともに京都から鹿児島を訪れている。寺田屋事件で負った手傷の湯治が主な目的だったが、西郷隆盛と小松帯刀に奨められたこともきっかけとなったようだ。大阪から鹿児島まで、薩摩藩の蒸気船「三邦丸」に西郷、小松も一緒に乗船しているから、警護付きのVIP待遇だったにちがいない。

 龍馬夫婦が旧暦3月16日から4月11日まで、塩浸温泉、硫黄谷温泉、栄之尾温泉など牧園に現存する温泉場で過ごした記録が残っている。よほど気に入ったとみえて、塩浸温泉には合わせて18泊もしている。この旅が、日本の新婚旅行第一号といわれていることをご存じの方も多いだろう。

 塩浸温泉は、牧園総合支所から南へ3kmほど下った川沿いにある。2010年に「塩浸温泉龍馬公園」として改称・改装され、資料館もあり、龍馬とお龍の銅像も建っている。大河ドラマでも紹介されたので、いつ通っても観光客で賑わっているようだ。資料館には、龍馬が姉の乙女に宛てた書状などが展示してあるので、じっくり読んでみるのもおもしろい。

 温泉棟もあるが、残念ながら、あのころ龍馬夫妻がはいった湯治場のイメージとは、かなりかけ離れた印象を受けてしまう。

 

 

 さて、ここから国道223号線を牧園総合支所方向に1㎞ほどあがった右手に「ラムネ温泉 仙寿の里」の電光看板が立っている。気にはなっていたが、訪れたことはなかった。看板から200mほど細い坂道を行った先に駐車場と建屋が現れる。遊歩道を廻らせた緑豊かな広大な敷地に温泉棟と家族風呂、宿泊棟が建てられている。

 受付をすませて、温泉棟に向かうと飲泉のための四阿があって、コップなども用意されているから、まずはここで水分補給をしておこう。炭酸水素イオンがたっぷり含まれているお湯は飲んだあと口がすっきりと感じる。硫黄臭さなどはもちろんない。

 効能書きによると飲用は、つい暴飲暴食がすぎて、胸焼けやγGTPを気にしがちなこの身体にぴったりあっているようだ。ただし、有効成分が飲みすぎないようにと注意書きがついている。過ぎたるは及ばざるがごとしか。

 

 

 温泉棟の正面に「仙寿の湯」と効能書き、男湯の入り口が案内されている。浴用は老人性の諸症状から切り傷ややけどにもいいらしい、これはからだの内と外から健康になりそうである。

 

 

 建屋の中に入ると、桁と梁が丸柱で支えられた浴室は素晴らしく明るい。正面には壁はなく、虫除けの網が張ってあるばかりで、開放感に溢れた造りになっている。ご主人の話では、材料はすべてこの敷地に立っていた杉を使っているという。梁の加工も大胆だが手が込んでいる。

 6畳ほどの浴槽には少し白濁したお湯が惜しみなく掛け流されていて、床などは濃い温泉成分が石化した独特のざらつきが心地よい。正面から右手に少し長い階段を降りたさきに、内湯よりずっと広いつくりの露天風呂が、新緑の中で満々とお湯をたたえていた。 

 

 

 手前に湯源があって滝のように流れて「あつい」、むこうは自然に冷めて少し「ぬるい」湯舟になっているので、交互に浸かってからだの芯から温まろう。

 この日はやさしい春雨が火照った肌を冷やしてくれた。露天ならではの楽しさである。そして、お湯の中から見まわせば、四季折々に訪れてみたくなる鹿児島らしい風景が広がっている。きっと龍馬もお龍とともにこんな温泉で、こんな風景を眺めたのかしれない、などと想像もふくらんでしまう。

 

 あがり心地もさわやかな「ラムネ温泉」で、身もこころもスカッとした。少し遠回りして、龍馬夫妻も立ち寄ったという和氣神社で、満開の藤を堪能してみよう。

 

参考 塩浸温泉龍馬公園のパンフレット 

 

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仙寿の里 ラムネ温泉 鹿児島県霧島市牧園町宿窪田3549

定休日 毎月第3火曜日

(M田)

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令和5年度方針発表会と創立75周年記念行事

5月は山佐木材の新年度スタートの月です。

5月1日(月)8時より従業員全員集合し、令和5年度の方針発表会を行いました。

一人一人に方針書が配布され、榎原専務より前年度の令和4年度の成果発表が行われました。

 

次に有馬社長より令和5年度の方針発表が行われました。

 

 

昇格者・部門異動の辞令交付も行われました。 

 

引き続き、会社創立75周年記年行事として、永年勤続表彰(30年以上)・優秀勤続表彰(20年以上)・優良勤続表彰(10年以上)の各人に、表彰状と金一封が手渡されました。

永年勤続表彰の皆さん
永年勤続表彰の皆さん
優秀勤続表彰の皆さん
優秀勤続表彰の皆さん
優良勤続表彰の皆さん
優良勤続表彰の皆さん

 

全社員一同、新たな気持ちで頑張ってまいります。皆様、今年度もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

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M田のぶらり旅・さつまの国「加世田 かあちゃんのお昼ご飯 辻食堂」

第4回 南さつま市加世田 かあちゃんのお昼ご飯 辻食堂

 国道270号線は、日置市を南に抜けて、南さつま市金峰町にはいる。

 この町の東、大坂地区にある「金峰2000年橋」をまずご紹介したい。山佐木材が施工し、2000年1月に竣工した木橋だ。上を走る車道を湾曲集成材のアーチで支える形式では最大級で、幅8.5m、長さは42m、設計荷重は25t。ダンプカーも通行している現役の県道である。橋、その向こうの大鳥居、その奧に見えるご神体の金峰山、この3つがつながる風景にはなかなか出会えない。ぜひご覧になっていただければと思う。

 

竣工当時の写真
竣工当時の写真

 

 さて、国道270号線、車は金峰山を左手に眺めながら、広大な田んぼの中を南に向かって走る。ここは3月末には田植えがおわり、7月中頃収穫する「超早場米コシヒカリ」を特産としている。春先、田起こしをしているトラクターのうしろをたくさんの鷺たちがついて歩く姿に、つい気を取られそうになるかもしれないが、くれぐれもよそ見は禁物、安全運転で行きましょう。

 ゆったりとした田園風景をあとにして万之瀬川を渡ると、市役所の置かれている加世田市街地にはいる。

南さつま市は、旧加世田市、金峰町、大浦町、笠沙町、坊津町が平成の大合併で新設された。どの地区にも歴史の教科書に登場しているようなエピソードが残されているので、訪れたときを機会にして、あれこれ調べてみたいところだ。

 市役所に行くと一般向け向けのマガジンラックに「島津日新公(じっしんこう)いろは歌集」という薄水色の折り冊子が置かれていたので一冊もらってみた。最終ページに

 日新公とは、名を島津忠義、髪を剃って「入道日新斉」と称した。「いろは歌集」は人間として社会に生

 きる道(中略)を説いたもので、四百余年以来子弟教育の教典となった。

という説明書きが付いている。

 

 

 日新公・忠義は、伊作(現在の吹上町)生まれ、伊集院駅の騎馬武者銅像のモデル島津義弘の祖父に当たる人で、島津家の内紛で勝利をおさめ「島津中興の祖」といわれているという。晩年加世田に隠居して、現在の竹田神社にまつられている。神社の左手に延びる小径には、いろは歌四十七首を一つひとつに刻んだ石碑が「い」から順に並んでいる。

 

四十七の歌碑がならぶ「いにしへの道」
四十七の歌碑がならぶ「いにしへの道」

 

 せっかくなので、歌集の最終「す」の諫めを読んでみよう。

 

 (大意)まだ少し足りなくても満足するがよい。月も満月になれば翌日からは十六夜(いざよい)の月となって欠け始

  める。

 なにごとも、足を知るべし。欲深の身に染みてくる教えだ。春盛りの木漏れ日を浴びながら小径を歩くのは実に心地よい。

 

 加世田の町に、この教えどおりの食堂がある。「辻食堂」といい、スマホで検索すれば、場所は知ることができるが、看板は出ていない・・・。というより看板には間口を同じくする電気店の名前がはいっているのだ。おもてに食堂らしいのれんがかけてあるだけ。

 

 

 

 

 藍色ののれんをくぐると、右手に厨房とカウンター、左手と奧に二間のテーブル席。ひとりなのでカウンターについて、メニューはと壁を見回すと、あの はらたいらのモンローちゃん付きのサインが架かっている。これはいいなぁと見ていると、まだ注文していないのに入店後1分でご飯とおかずが目の前に並ぶ。

 


 

 辻食堂の昼食は、日替わりの単品一色。これしかない、これでいいのだ。まさにいろは歌「す」の教えの通り、足を知る店としての矜持というものが現れている。

 だけど、料理はまったく素朴で飾り気なしのおいしさだ。なんだか懐かしい味。そうだこれは昔、土曜の半ドンで家に帰り着いて食べた母ちゃんの昼ごはんの味だ。

 それもそのはず、料理を作っているのは、ほんとのお母ちゃんなのだ。「今年6月で86歳になるんだよー」と厨房の中から明るく笑ってくれる女将さんだ。

 

86歳になるお母さんと自称25歳の娘さん
86歳になるお母さんと自称25歳の娘さん

 

 お客は、地元のひと、工事関係の人、役所関係らしいひとなど次々に訪れ、ささっと食べては満ち足りた顔で出て行く。常連さんもいて、二人と楽しげに話がはずんでいる。

 この日は、かき揚げうどんに蓮根のきんぴら、白ご飯に昆布の佃煮がのせてあった。手作りの浅漬けもさっぱりと旨い。

 美味しさと懐かしさ、元気をいただきました。ご馳走さまでした。

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辻食堂

昼定食 600円

営業:土・日定休

住所:南さつま市加世田本町39-2

電話:0993-52-3018

(M田)

2023年 入社式を行いました

 令和5年4月3日、新たに1名の社員を迎え入社式を行いました。 

 入社式では社長から辞令交付があり、「生産技術部 品質管理室」へ配属されました。

社長より
社長より
辞令交付
辞令交付
決意表明
決意表明
記念撮影です
記念撮影です

 

 

 入社後、約1ヶ月間はOJT(現場研修)となりますが、配属後は品質管理室の業務を楽しく頑張っていただくことを期待しています。

「宮崎銀行ふるさと振興助成事業」表彰式

 令和5年3月9日、宮崎観光ホテルにて「宮崎銀行ふるさと振興助成事業」表彰式が執り行われました。弊社を含め宮崎・鹿児島両県の13社が表彰を受けました。

 この宮崎銀行ふるさと振興助成事業とは、宮崎銀行様が地域産業の開発と振興に貢献することを目的として設立し、「産業開発部門」「地方創生部門」「ベンチャー企業部門」「学術研究部門」の4部門で助成を行っております。

  今回、第41回目の助成先として弊社が「産業開発部門」の『国産材を使ったCLTの開発・製造・設計・施工』で表彰を受けることとなりました。

 これからも国産材を使ったCLTの開発・製造・設計・施工を一体的に取り組み、地域における産業の担い手として活躍してゆく所存であります。 

(森田)


M田のぶらり旅・さつまの国「吹上町 透き通る碧の湯 もみじ温泉」

第3回 吹上町 透き通る碧の湯 もみじ温泉

 日吉からさらに南下し旧吹上町にはいると「温泉のやど」などと書かれた看板が目につくようになる。鹿児島市街からも県道22号線で伊作峠を越えれば30kmほどの距離だから、疲れを癒したい人にとっては、日常生活からしばし離れてゆっくりと休める湯治の里といったところだろう。

 鹿児島県内には霧島や指宿のように全国的にも有名な温泉街のほかに、ひなびた湯のまちが多い。そこには地元の人たちが毎日通っても飽きないほどの魅力にあふれた立ち寄りの温泉がある。ここにもいいお湯が湧いているはずだ。期待を胸に看板の案内のまま車をすすめてみるとしよう。

 

 

 国道270号線から県道を山の手に1.5㎞ほどはいったあたり、湯之浦川という小さな川沿いに5軒ほどの温泉宿があつまる「吹上温泉」はある。

 まちへの入り口に建て替えが終わって間もない「吹上温泉郵便局」が見えてきた。郵便局の名前に地名ではなく、わざわざ「温泉」の文字がついているのは、往時、なじみの宿に長逗留して、便りや送受金をする湯治客が多かったことの証しだろう。しかし今、かつての温泉街に向かう道は人通りもわずかで、営業している店も多くはないようだ。

 通りを進んでいると左手に「西郷南州翁来遊の碑500m→」と白塗りの板に一行筆書きのみの札が立っていた。矢印は、温泉のある方から右に180°の方向を指している。まずはこちらからご覧なさいと言うことか。その先に続いている林道は、道幅もせまく急な登りである。ありきたりな石碑にがっかりさせられることがよくある。そんな気もしないではないが、行ってみることにした。林道の途中に、今度は踏みあともうすい山道をさして、「徒歩80m」の札が立っている。ここまできたら見て帰らぬわけにはいかない。落ち葉と枯れ枝を踏みながら短い坂を登ったさきに、杉と楠のうっそうとした林に囲まれて、2m四方、高さ3m以上はあろうか、立派な石碑が建っていた。上段の天然石には「西郷南州翁来遊之碑」と刻字されている。その碑名にそえて「元帥伯爵 東郷平八郎 畫」とある。

 

 

 日露戦争において、日本海戦でロシアバルチック艦隊に完勝した東郷平八郎が揮毫しているのだ。元帥まで登りつめ軍神といわれるほど崇敬された彼がどのような思いで、「西郷さんが来て遊んだ」と書いたのだろうか。大いに興味をそそられるものがある。

 下段の碑文には昭和2年建立と記している。ちょっと調べてみると、この年は西郷隆盛が西南の役に敗れ鹿児島城山で自刃して、ちょうど50年の時が流れていることになる。半世紀という節目の年の意味もあるのかも知れない。

 明治維新、日清、日露戦争の勝利をへて大正、そして昭和まで海軍軍人として生きた東郷平八郎は、西郷より20歳年下、同じ鹿児島城下加治屋町で育っている。そして、この碑名を揮毫したのは彼がかぞえで80歳の時であった。年を重ねた東郷元帥が、明治政府を下野して帰郷した時期にしばらくここで過ごした西郷に対するさまざまな思いと、その後西南の役で50歳にならない若さで逝ってしまったことへの哀悼の意を込めて筆を執ったことは想像して差しつかえはないと思う。

 ふたりの偉人を刻した碑は、当時の吹上温泉街の誇りとして、まち全体を見おろすことのできる丘の頂上に建てられたのだろう。そのころは周囲の樹木は払われていて、まちから歩いて登れるような小径もあったかもしれない。

 

 想像を切りあげて、西郷南州翁が何度も訪れたという伊作温泉に浸かってみよう。

 坂を下りて通りの交差点を直進すると「もみじ温泉」が右手に見える。木造の白壁に「源泉かけ流し」と書かれてある。今回はここに決めた。

 

 

 向かって左に島津の宿、右に島津の隠し湯と二棟。奧には家族湯もあるようだ。

 さっそく棟間のせまい通路にはいり、右手の受付で勘定を済ます。そのむかいが温泉の入り口になっていて、暖簾がかかっている。木床の脱衣室はきちんと清掃され、素足に心地よい。壁の適応書には硫黄泉、疲労回復、切り傷にも効能有りとある。先の碑文に、西郷は戊申戦争後と、征韓論に敗れたとき鹿児島に帰り、伊作の霊泉を訪れたと書いてあった。傷つき疲れた心身をこの淡い硫黄の香りする源泉で癒したのだろう。

 濁りのない碧色のお湯で溢れた三畳ほどの広さの湯舟が二槽、少し熱めとちょうどいい熱さに仕切られている。赤銅色のタイルで覆われた壁床に暖かみを感じる。

 

 

 大きな窓からの陽射しで浴室全体が明るく、木造の天井も湯気を逃すためのがらりが光を通し梁や桁、天井板などを明るく見せてくれている。快い開放感のある風呂場である。

 

 

 先客は、地元の知り合い同士らしい、かなりの先輩が二人、年金の話で盛り上がっていた。

 この澄んだ温泉に毎日浸かっているからだろう、声も大きくて元気、そして気さくである。

 先の碑文に「翁(西郷隆盛)は常に愛犬を牽きて萬山を渡り衆人と混じて霊泉に浴し」とあった。うさぎ狩りを好んだ西郷が山々を駆け回ったあと、温泉に浸かりながら伊作の人々と語り合うようすが浮かんでくるようだ。

 ふたつの湯舟に交互に浸かって、身もこころも芯から暖まった。

 外に出ると、まだ浅い春の川風がほてりをほどよく冷ましてくれる。

 

 日置市を吹上海岸に沿って南下してきた。伊集院は関ヶ原の戦いで敵陣中央突破し敗走した島津義弘。東市来は朝鮮出兵時に連れてこられた陶工たち。日吉は明治維新十傑の小松帯刀と、それぞれの町に時代の主役がいた。そして、吹上では、西郷隆盛と東郷平八郎が現れた。

 あらためて薩摩の歴史は奥深く、路は楽しみで満たされていると思う。

 さらに南へと足を伸ばしてみよう。

 

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もみじ温泉

入浴料  400円 

営業時間 午前6時~午後9時(立ち寄り湯)

定休日  水曜日

日置市吹上町湯之浦2503

                                            (M田)

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