論点(4)再認したい職業教育の役割

「南日本新聞」平成16年(2004年)4月27日掲載


 昨年11月14日付の南日本新聞に「高校生に出前講義」という面白い記事が出ていた。県内の工業高校建築科の生徒さんに、県庁の林業技師が森林から木材の材質まで幅広く講義するということだった。記事中に「高校の建築科では木材加工の実習はあるものの木材や森林について全般的な知識を得ることが少ないという」とある。

 大学の建築学科でも木材並びに木造建築は軽視されており、一部では問題提起されている。住宅の半分は木造であり、さらにここ十数年、建築基準法の相次ぐ改正で木造建築の自由度は以前と比べものにならないほど大きくなった。また近年木材・木造建築関係の製品や技術も激変、工法も飛躍的に進歩している。にも関わらず、いわゆる縦割り行政の弊害からだろうか、確たる根拠もなく木材・木造建築は軽視され、依然としてカリキュラムの変わる兆しは見られない。これらの問題意識から、まずは高校への「出前講義」が発案実施されたものと理解している。

 その後の記事(12月19日付、出水工高)で高校生の評判は上々だったという。この講師を勤めた井内さんは、お会いするとアクション俳優シルベスター・スタローンを思わせる風貌の使命感あふれる方で、さぞかし迫力ある講義で生徒さんたちを魅了したことだろう。

 学校教育と現場とがどう連携を保てるか。これは私たち地域産業側にも大いに責任があるのかもしれない。やりがいのある場を提供し、生徒さんたちが学校で学んだことを、職場や現場でどう活かせるか配意すべきことを率直に認めたい。特に林業木材業界は反省する点も多々ある。若い人たちが仕事に魅力を感じて、苦労してでもその世界で技量を磨こうという気になってもらわなければ、技術の進歩も地域産業の発展もない。

 と同時に職業教育の面でも発展と向上を望みたい。今はそんなことはないだろうが、進路指導の底流に専攻に関係なく、なろう事なら何でも良いから公務員、あるいは都市部の大企業にという考えはないか。以前林業科の生徒さんの募集に行って「今ごろ製材所に行く生徒などいませんよ」と言われたことがある。この一言はこたえて、その後の職場環境整備に意を注ぐ良いきっかけにはなったものの、忘れがたいひとこまでもある。

 その後ドイツの山林伐採現場を視察した際、伐採業務に従事していた若者たちは、聞けば林業高校卒業後数年くらいであり、それが専門課程を終えての自然な進路の一つであると聞いて得心した。

 県の木材連合会は通称「製材学校」と呼ばれた鹿児島県製材工業高等学校を昭和39年設立、全国でただ一つの製材専門の学校を永年運営してきた。このような壮挙を敢行した当時の絶好調だった当県木材業界の輝きに感慨を覚える。県内外広く全国からも多数の研修生を育ててきたがここ数年研修生が著しく減少、業界もこれを維持する体力に乏しく残念ながら近く閉校のやむなきに至った。

 かつては腕の良い親方に弟子入りして、現場での実践を通じて腕をたたき込まれ、10年も修行すれば立派な職人に育つルートがあった。何もドイツの「マイスター」制などうらやむ必要もなかった。そのような長年にわたって師匠から弟子へ技能を受け継ぐ道は惜しみても余りあることだが、今やほとんど断絶し、職業教育は役割分担の形で学校教育に委ねられた。

 かくなる上は学校は生徒たちの将来のため、虚心坦懐に衆知を集めてあるべきカリキュラムを考えて、使命感あふれる教師の下に真剣に取り組む必要がある。欧米では行われていることであり、わが国でできないはずがないと信じる。そして生徒たちには自立自興の精神の下、勉強と技術習得は自らの責任との自覚を期待したい。

 大学など研究機関と現場の関係にも問題がある。わが国林業の世界では研究機関と現場との乖離が大きいと言われて久しい。これは現場にも責任があるし、また学の方にも実務と研究とは別物という考え方が根強かった。数年前ニュージーランド最大の林業関連研究機関であるFRIを訪問したとき、最初の挨拶の中で組織としての高い意欲と問題意識を痛烈に感じた。「我々の使命(ミッション)は研究と技術移転により、わが国林材業の国際的競争力を確保することである」と明言していた。

 わが国の林材業が国際競争力において苦境にある要因の中には、こういうこともかなりの比率で存在していると私は考えている。

(代表取締役 佐々木幸久)