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★【会長連載】 Woodistのつぶやき(48)

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日経新聞10月10日 

 10月10日の日本経済新聞日曜版一面に、林業に関する記事が掲載された。

 全国的な経済紙に森林林業の事が取り上げられるのは好ましいと思いつつ、現今の我が国林業の陥っている問題の解決に資する内容とは必ずしもなっていない。ではその内容を見てみよう。

 

(記事引用 日経電子版から)

森林にも迫る高齢化、防災や脱炭素の壁

 

 全国の人工林の過半が50歳を超え、高齢化が目立ってきた。国内の林業は安価な輸入木材に押されて産業競争力が低下し、伐採や再造林が進まない負の連鎖に陥っている。手入れされていない放置林は台風などの災害に弱く、二酸化炭素(CO2)の吸収源としても認められない。森林の荒廃に歯止めをかけなければ、地域の安全確保や脱炭素の壁となる恐れがある。

 

問題1   「全国の人工林の過半が50歳を超え、高齢化が目立ってきた。」

 森林にもせまる高齢化と述べているが、これは人間社会の高齢化になぞらえた情緒的な感想の記述である。実際には人間と樹木は同じではない。人間は二十歳前後で成長が止まるが、スギで言えば樹齢50年とはまだ育ち盛りであり、生長は100年を超えても持続する。通常伐期が来たとして40~50年で伐採しているが、これは生育中の途次で伐っているのである。名高い屋久杉や各地の神社で見られる、見上げるようなスギの大木は、200年とか300年あるいはそれ以上を経過しているものが多いのだが、あの大きさは通常我々が目にする40~50年の立木と比べても桁違いの大径高木のもので、百年の時を超えて樹木が生長し続けていることを示している。

 

林齢90~92年、樹高40~45m、胸高径55~70cm 盛んに生長中

写真 樹齢90年 大径スギ
写真 樹齢90年 大径スギ

 

 木材の伐期をすべて数百年に持って行く事は、木材の需要や用途、資金の回転から言っても合理的ではない。かつて我が国林学はドイツ林学をモデルにしていたと言われていたが、そのドイツでは伐期を120年として、全国的に樹齢ごとの面積の均衡を確保している。この樹齢までは若齢材と同等にさかんに生長していると証拠づけられているからである。従ってドイツで供給される丸太は基本的に120年超の丸太であるから、製材工場では大径木製材が基本になっている。

 

以下の図は、伐採材積計算書 ドイツの自伐林家 5日間で伐採したもの

   大径材24本、中径材6本、合計30本、105m3 一本あたり3.5m3   

 写真  製材工場
写真  製材工場

 

 高齢級大径材には少なくとも二つの長所がある。まず一つは木材の材質が飛躍的に向上する。「スギは弱い」とよく言われるが、樹齢80年以上になってくると、木材の材質、性能を示す数値は樹齢40年くらいの木材と比べて目を見張るほどのものになる。「欧州材はニュージーランド材や北米材に比べて、品質にバラツキが無く安定している」と商社の人から聞いたのは、欧州材の輸入が始まった20年以上前の事だったろうか。これは全く伐期の長さに由来する。欧州材の100年以上に比べて、ニュージーランド材は伐期30年以下、北米材は50~60年である。

 もう一つの長所は伐採、運搬、製材加工などのコストが大幅に低減することである。これについては後述する。

 

問題2  「国内の林業は安価な輸入木材に押されて産業競争力が低下し、伐採や再造林が進まない負の連鎖に陥っている。」  (傍線 筆者)

 

 この種の論建てはもう20年も林業界で言い古された言い回しである。「安価な輸入木材」という言葉で何を連想するか。説明無しにこの言葉を聞けば普通の読者は、自然に生えている樹木を、低賃金にあえいでいる労働者たちが生産しているというイメージになるではないか。一種の印象操作であり、次節以降の論考を極めて狭いものにしてしまう事になる。                   

 しかし実際の主たる木材輸出国では、我々と同等かそれ以上の文化的な生活を営む人たちが担い手であり、そして我が国と等しくあるいはそれ以上に人手不足で、その結果林業労働者は我が国よりも遙かに高給で働いている。その人々が植えて育て、伐採した木材が輸入材の大半である。

 我が国林業が負の連鎖に陥っているのは事実である。この文章からは「安価な輸入木材に押されて」の部分を略すか、あるいは次のようにした方が、問題の核心に近づきやすいだろう。

 文例1.国際的な林業構造改善の動きに出遅れて

 文例2.急速な円高の進行に応じたコスト構造の変革に対応できず

 

問題3  スギ価格の推移

 紙面に紹介されている表で丸太価格、立木価格ともに長期的に下落している事を示している。この表自体に問題があるわけではない。実情を示しているものと思う。

 丸太価格と、立木価格の下落要因は、似ているが同一ではないので、まず本節では丸太価格から見て、立木については次節で見ることにする。

 巷間言われている「並材丸太は1m3=100ドル」を念頭に、円ドル為替の推移を重ねてみると、概ね推移が一致する事が分かる。1ドル360円の頃は丸太は3~4万円していた。今100~120円であり、丸太価格1万円から1.2万円あたりを行き来する。つまり円ドル為替は長期に高くなる方向で推移したが、ドルベースで見れば丸太の長期的低落傾向はない。

 ただし丸太価格は国際商品なので、様々な要因で乱高下する。民主党政権時に、1ドル75円という超円高の頃があった。地球の裏側のどんなところから丸太を日本に持ってきても国産材より安くなる。国産丸太の先行きを真剣に懸念したものである。現在の「ウッドショック」もその一つで、これは為替相場ではない原因で起こっている。これらはかつてもあったし将来にもあるだろう。しかし異常相場は長くは続かない。

 

問題4 立木価格の推移

(記事引用)

 「日本不動産研究所(東京・港)によると、20年にスギの丸太の売り上げから経費を引いた金額(立木価格)は1立方メートル2,900円。2万円を超えていたピークの1980年ごろの1割程度だ。世界的に川下の木材価格が高騰したウッドショックの下でも、川上の立木価格は低迷したまま。ある大手林業家は「とても採算が合わない。林業は衰退の一方だろう」と吐露する。」

 

 前節で丸太価格低落の要因を述べた。では立木価格が丸太価格以上に長期低落している要因は何か。立木価格は市場の丸太価格から、伐採コストと運搬費を差し引いて決まる。従って立木価格を高めるためには、丸太価格を高めるか、伐採運搬コストを抑えるかの二つの方途がある。我が国では永らく丸太価格を高める施策が取られてきた。当該記事でも、明確ではないものの、国産丸太、製品の価格を高める方向に誘導したいと述べているように思われる。

 丸太価格を上げるのでなく、伐採費や運搬費を引き下げる方向を検討してみてはどうか。伐採運搬コストは条件により大きな差が出る。その条件を作り上げて、この費用が下がる工夫をすれば、丸太価格は同じでも立木価格をかなり向上させる事ができる。多くの木材輸出国は、自国丸太の商品競争力を高めるつつも、伐採運搬のコストを大幅に引き下げて、「安い輸入材」を実現している。 

         

 当地のD森林組合長がニュージーランドの林業視察に行く事になったと聞いた。「一人1日当たり丸太100m3生産しているらしい」と興奮しておられた。ニュージーランドでは一本の立木材積が3m3以上になるよう育成する。つまり100m3の木材を伐採するのに30本伐ればよい。一本の伐採に10分かかれば300分、もし15分かかるとしても450分。一本の伐採に10分程度の時間を掛ける事が出来るのは、林業作業としては余裕の仕事であろう。もちろん伐採に使用する機械は、この大径の木材の重量に耐える大型機械を準備しなければならない。そしてこの高額の機械を通年稼働させるだけの森林が用意されていなければならない。そのような条件下ではあるが、高い生産性を確保できて伐採コストは大幅に低下する。

 

 一方我が国で100m3生産するには、平均的な森林では300本以上伐採する必要があるだろう。機械はもっと小さな安い機械で作業可能ではあるが、作業者が必死に作業しても作業効率は上がらず、伐採コストは高くならざるを得ない。丸太価格が同じならば、結果的に立木代が低い事になる。

 丸太代に占める伐採運搬コストは、大雑把に言えば我が国で70~80%、他の林業国といわれる国々では、20~30%くらいであろう。丸太価格で国際的に優位に立ち、供給体制の主力を担いつつ、圧倒的に山主所得優位の体制が出来ている。

 

 持続的な森林資源の確保のためには、山主の所得が高く森林の保全や林業意欲を維持できなければならない事は言うまでも無かろう。

 地域によっては放置林、その予備軍が激増している。個人山主が力を付けて山を買い増していくレベルではない。制度や法の改正を含めたかなり大胆な手法を使って適切で有効な所有移転を計らなければ、問題解決は難しいかもしれない。

(佐々木 幸久)