メールマガジン第89号>稲田顧問

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★【稲田顧問】タツオが行く!(第45話)

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「これまでのタツオが行く!」(リンク

45.学会技術競技設計

 ここ2回ほど環境問題のことを書いたが、今月はまた歴史的建築物に話を戻すことにする。

 日本工業倶楽部会館は竣工すると世の中の評判は頗る良好で、例えば朝日新聞などにも、「最近新しい丸ビルが開業し丸の内が賑わいを取り戻しているが、本当は今丸の内で一番面白いのは丸ビルよりもその隣の隣に最近竣工した日本工業倶楽部である。」というような記事が掲載されている。

 その後、「日本興業俱楽部会館と三菱信託銀行本店ビル」は日本建築学会より、建築学会賞(業績賞)と作品選奨を受賞している。設計事務所にとってこれらの受賞は、華々しい成果と言えたのは間違いの無い所と思う。

 

 受賞と言えば、工業倶楽部会館が受賞する数年前、建築学会より表彰を受けたことがある。1999年に行われた「第一回日本建築学会技術競技」である。技術競技のテーマは「限界状態設計法による事務所建築」であったが、それに対し私が応募したのは、「三菱一号館の再生」であった。

 三菱一号館とは、ジョサイアコンドルが設計し1894年に竣工した日本では初めての本格的な事務所ビルである。1968年に第2次丸の内再開発計画により取り壊された文字通りの歴史的建築物である。1968年の三菱一号館の取り壊しについては社内でも批判があり、ある先輩社員からは、「丸ビルなどはどうせ大正時代のバラックだから取り壊しても何の問題も無いが、一号館を取り壊したのは明らかに間違いだった。」というのを聞いたことがある。そのような情報が頭の片隅にあったのかもしれないが、正直なところ、この競技設計に応募したのは単なる思い付きという以外に説明のしようもないものであった。

 しかし審査の結果は数ある応募作の中から2編の優秀作品の1つに選ばれたのである。どのような応募案であったのかということについては、ここで説明するよりも選評が残っているのでそれを紹介しておく。

 

 

 選評で「M一号館」とあるのは学会の競技設計の表彰で「三菱」という固有の企業名が出るのは問題であるという日本建築学会からの要請により変更したのであるが、果たしてこれが正しかったかについては、今でも疑問に思うところもある。

 三菱一号館はその後三菱地所により復元設計が行われ、2009年に再生竣工している。建物としては当初の構造を忠実に再現した煉瓦造であり、耐震性確保のため免震構造が採用されている。

 この競技設計の優秀作品受賞では学会から賞金として30万円を頂いた。賞金については日頃からお世話になった方々をお招きして受賞記念パーティーを行うことにより、一夜で使い果たしてしまったが、なかなか楽しい思い出である。

 

競技設計応募案
競技設計応募案
明治時代に撮影された三菱一号館
明治時代に撮影された三菱一号館

(稲田 達夫)