メールマガジン第88号>稲田顧問

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★【稲田顧問】タツオが行く!(第44話)

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「これまでのタツオが行く!」(リンク

44.環境ビジネス

  建築鉄骨系の専門誌から、なぜか「木材活用と環境ビジネス」をテーマに何か書いて欲しいという依頼があって、この問題を考えていることもあり、今月も引き続き環境問題について書いておこうと思う。

 

 本来「環境問題」は倫理に関する問題と捉えられるのが通常であり、それを「ビジネス」という言葉と結び付けることに何か「いかがわしさ」を感じる方も多いのではないかと思う。筆者はかつて建築関連17団体が発表した「建築関連分野の地球温暖化対策ビジョン2050-カーボン・ニュートラル化を目指して」という提言の起草に関わったことがあるが、その際、ある人から、「このような提言は、倫理的には重要であることは認めるが、現実社会ではこのような考えは結果として経済の減速を招き、社会にとって有益とはならないのではないか」というようなご批判を頂いたことがある。

 

 確かに、「環境問題」は禁欲的な印象を伴う言葉であり、観念的な議論を重ねて行くだけではあまり前向きの結論には到達できないようにも思う。そもそも、「環境問題」には何らかの「リスク」が存在し、それを克服するために初めて「ビジネス」が成立するのだと思うのだが、果たしてその「リスク」についての社会的なコンセンサスが得られているのだろうかという疑問がある。

 例えば、「地震リスク」を考えてみると、「関東圏では今後30年以内にかなり高い確率で大地震が起こる」という社会的コンセンサスがある。だから、日本中の学校について耐震診断が行われ、問題があれば補強するというような国主導の事業(ビジネス)が広範に行われており、その意味で地震リスクに対しては、「耐震ビジネス」は成立している。しかし、環境問題のリスクに関しては、社会的にはどのようなコンセンサスがあるのかが、今一つはっきりしないように思うのである。

 

 それについて、私はどう考えているかと言えば、前回も述べたラブロックの予言(地球の温暖化がこのまま進めば2060年には南極の一部を除き人類が住める環境はほぼ喪失する)が、重くのしかかっている。この予言を考慮すれば、「環境リスク」の度合いは最大級に深刻なものととらえるべきである。なぜならば「リスク」は、「生じた事象の深刻さの度合い(実際には被害額の大きさ)」と「その事象が起こる確率」の積で評価するのが通例だからである。(リスクマネジメントと呼ぶ)

 ラブロックの予言がもし一旦起こったら、最大級に深刻なものである。一方それが生じる確率はと言えば、例えば「気象の過激化」は年々深刻さの度合いを増しており、確率が低いとは言い切れない状況のように思う。

 

 「環境問題」をテーマにするためには、本当はこの辺から議論しなければならないのだろうが、一方で言えば事態の深刻度から、議論すること自体を躊躇せざるを得ないということもあるのかもしれない。それで、「パリ協定」や「SDGs」を持ち出して、ベクトルを何とか破滅から遠ざかる方向に向けようとしているのかもしれない。そう考えると、ここは菅首相の昨年の所信表明演説が示した方向性に同調する中で、相対的に有益と思われるアプローチを模索するのが現実的なのかもしれないとも思う次第である。

(稲田 達夫)