メールマガジン第87号>稲田顧問

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★【稲田顧問】タツオが行く!(第43話)

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「これまでのタツオが行く!」(リンク

43.2050年カーボンニュートラル

 昨年10月、菅首相は国会の所信表明演説において、「我が国は、2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする、すなわち2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会の実現を目指す」ことを宣言した。このニュースを聞いて、今から約10年前、2009年12月に建築関連17団体が起草した、「建築関連分野の地球温暖化対策ビジョン2050(カーボン・ニュートラル化を目指して)」のことを懐かしく思い出した。

 

 2009年当時、私は日本建築学会の地球環境委員長として、この提言の起草に向けて関連団体との調整に奔走していた。そもそも、2050年カーボンニュートラルとはどのような意図に基づくものなのか、当時の資料を振り返りながら、少し解説しておこうと思う。

 

 2009年当時、「建築分野のカーボンニュートラル化」の提言を行った根拠は以下のようなデータに基づくものである。

 気候変動の問題を考える場合、CO2の年間排出量と大気中のCO2濃度の関係が特に重要である。2000年代初頭の環境省の統計データによれば、全地球規模での年間のCO2排出量は234億ton-CO2/年であり、大気中のCO2濃度は379ppmに達していた。一方で地球は主として海洋と森林により一定のCO2吸収能力を有するが、それは117億ton-CO2/年である。つまり、2000年代初頭の統計データでは地球規模のCO2年間排出量は、地球が本来持つ吸収能力の2倍に達していたことになる。

 その結果、大気中のCO2濃度は年々増加しつつあり、これが地球温暖化(気候変動)の問題を引き起こしている、というのが当時の私の認識であった。

 

 そうであれば、CO2排出量を50%削減すれば良いのではないかということになるのだが、話はそう簡単では無い。2000年初頭最も多くのCO2を排出していたのは米国であり人口一人当たりの年間排出量20ton-CO2/人、第2位はカナダで17ton-CO2/人、それに続くのが旧ソ連,日本、ドイツ、英国、韓国等の先進諸国で10ton-CO2/人、一方先進諸国でもイタリア、フランスは原子力発電に対する依存度が高いことから7ton-CO2/人程度であった。

 ちなみに中国は国別総CO2排出量では、米国に次ぐ第2位であったが、人口一人当たりでみると2.6ton-CO2/人であり、未だ発展途上国の一員と見た方が良いというレベルであった。

 

 当時、全地球規模で見た場合の、人口一人当たりのCO2排出量は4ton-CO2/人であるから、全地球規模でのCO2排出量を平等に半減するためには、各国の人口一人当たりの排出量2ton-CO2/人まで下げなければならない。従って、米国は20tonから2tonであるから90%の削減が、日本等の先進諸国も10tonから2tonであるから80%の大幅削減が必要ということになる。これが、カーボンニュートラル、つまりCO2の排出量を事実上限りなくゼロにする必要があるとすることの根拠である。

 

 ちなみに当時私は、CO2の排出量を削減することにより、大気中のCO2濃度はどのように変化するかを推定したグラフを作成している(右図)。CO2排出量は各国の経済規模に比例し、経済規模は鋼材の生産量に比例するという仮説のもとに、鋼材統計に基づいてCO2濃度の変化を推定したのある。

 グラフによれば、2050年までに50%削減が実現すれば、大気中のCO2濃度は約420ppm程度に収まるが、2100年までに50%削減とすれば、大気中のCO2濃度465ppm程度に増加してしまう。当時IPCC第4次報告書が発表され、大気中のCO2濃度を450ppm以下に抑えたいとあったので、2050年という目標設定となった。


 

 ちなみに私がこの問題に真剣に取り組むようになったのは、ジェームズ・ラブロックの「ガイヤの復讐」を読んでからである。ラブロックによれば、地球の温暖化がこのまま進めば2060年には南極の一部を除き人類が住める環境はほぼ喪失するというものであった。その頃、丁度初めての孫が生まれた頃でもあり、この子が将来大きな不幸に巻き込まれるのを何としても阻止しなければという気持ちから、この問題に取り組み始めたのであるがその気持ちは今も変わらない。

(稲田 達夫)