メールマガジン第52号>稲田顧問

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★【稲田顧問】タツオが行く!(第9話)

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「これまでのタツオが行く!」(リンク

いったいタツオはどこに行こうとしているのか

 昨年4月から始めた、連載「タツオが行く」も第9話となり、前回で「旧丸ビル建設の物語」も一応完結した。しかし、この連載を続ける中で、この連載を読んで下さっている方々、何人かとお会いしたのであるが、どうも一様にご不満をお持ちのようなのである。それは何かというと、つまり、「タツオが行く」と書いてあるが、タツオは一向にどこにも行かないではないかということのようなのである。連載の内容が一段落した所でもあり、年の初めでもあるので、その辺について少し言い訳を書いておこうと思う。

 

 鹿児島大学の塩屋先生にそそのかされて、「タツオが行く」を書き始めたきっかけとしては、元々、私が直接関わってきた丸の内再開発をはじめとする「建設プロジェクト」の話を書いてみようと思ったことから始まるのである。ただ、私は建設プロジェクトの担当の中でも、最も地味な構造担当ということでもあり、建築構造に関わることだけを書いていたのでは、あまり一般の人達の興味を惹くことはないはずである。建設プロジェクトというのは、本来いつの時代でも、時代背景・経済情勢、文化・アカデミズム等とも深く関わり、その中でのビルオーナーさんや、ゼネコンさん・メーカーさん各社とのやりとりや、その中で生まれる人間関係など、中々面白いことはいろいろあると思うのだが、それを書くとなると、やはり登場人物は実名でないと面白く無いとか、しかしそれでは少し生々し過ぎて、場合によっては誰かに迷惑をかけることになるのではないかなど、いろいろ考えている内に、無難な所で旧丸ビルであれば、大昔のことでもあるから、多少のことは許して頂けるだろうということで、連載を始めた次第である。

 

 次のテーマは、やはり無難なところで大正の名建築「日本工業倶楽部会館」について書いておこうと思うのだが、多分読者の方々のご不満(つまりタツオがどこにも行かないという)は、しばらく続くことになる。

 ただ、ここに来て少し心境が変わりつつあるのも、事実である。というのは、一つの理由としては、建設業界で頻発する様々な不祥事の問題がある。「元々、建設業界というのは何でもありの世界」(これは日本鋼構造協会の当時の会長をされていた高梨先生の年頭所感で述べられたこと)であるから、多少のことに驚いていては話にならないはずなのだが、どうも状況がかなり良くない方向(つまり糞真面目に過ぎると言っては怒られるか)に進展しつつあるように感じられるのである。本来は「建設プロジェクト」というのは、人類の知力と豊かな感性が求められる極めて高度な知的活動であり、若者達が志すに最も相応しい夢多き仕事であるはずなのだが、どうも最近そんな雰囲気は徐々に失われつつあることを憂いている。ここは少し怒られても良いから、生々しく、しかし素晴らしい人間的活動としての「建設プロジェクト」の物語を書いてみようと思うのだが、それにはもう少し時間がかかりそうである。ここはしばらくお待ち頂きたいと思う。その結果として「タツオはどこに行ってしまうのか」多少心配ではあるが、あえてここは乞うご期待とだけ書いておこうと思う。

 

 というわけで、今年初めの「タツオが行く」はここまでである。次号からも、今しばらく大正時代の建設プロジェクトの話にお付き合い頂きたいと思う次第である。

                                            

(稲田 達夫)