メールマガジン第49号>稲田顧問

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★【稲田顧問】タツオが行く!(第6話)

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「これまでのタツオが行く!」(リンク

6.丸ビル開業 

 山下寿郎(三菱合資会社副技師長)達の努力の甲斐もあって、大正12年2月20日、丸ビルは予定より数ヶ月遅れで無事竣工、開業の日を迎えることとなった。この巨大なビルの出現はたちまち日本中の評判となり、丸ビルは新たな観光名所として名を馳せることとなった。

 丸ビルの高さは31mであり、これは長く日本の建物の高さ規制の基本となった。31mというのは、何か中途半端な印象も受けるかもしれないが、当時の尺貫法で言う所の、百尺ということで、当時の記事で見ると「摩天楼」などという記述が目立つが、東京駅前にとてつもなく大きな建物が出現したというのが、当時の人たちの偽らざる受け止め方であったのではないだろうか。

 

図6-1) 竣工当時の旧丸ビル。よく見ると 玄関脇に、人力車と円タクが並んでいる。
図6-1) 竣工当時の旧丸ビル。よく見ると 玄関脇に、人力車と円タクが並んでいる。

 

 

 丸ビルの構成は概ね以下のようなものであった。建物としては8階建てで、地下1階・1階・2階は、モダンなレストラン・喫茶店やショッピングの店が軒を並べ、現在の超高層ビル街の低層部に展開するショッピングモールの走りとも見て取れるものであった。最上階にはレストラン精養軒があり、ショッピングモールとトップレストラン、その間をエレベータで結び、貸事務所が展開するという、「ビルヂング」の基本形が、ここに初めて実現したのである。

 

図6-2) 旧丸ビルの平面図
図6-2) 旧丸ビルの平面図

 

 アメリカ式の大規模ビジネスビルの特徴である「公衆の出入り自由」を前提としたビルの出現により、当初は今から考えれば微笑ましくなるような、様々な珍事件が発生したようである。そのような不都合を回避するために、「安全第一ビルヂング読本」なるものが印刷され、いわば「ビルの使い方マニュアル」として、丸ビルに出入りする人々に配られたと記録にはある。

 「ビルディング読本」の中を覗いて見ると、なかなか興味深い記述が眼に付く。ここでは、少しその内容を追ってみることにしよう。当時の混乱振りがありありとよみがえってくる様で面白い。

 

例えば「便所の巻」では以下のような記述がある。

1.男子は、男子用の便所に、婦人は婦人用の便所に入ること。

2.小便器の中に.煙草の吸殻や、歯楊枝などを.棄てぬこと。

3.小便の時は、必らず、立つべき所に立ってすること。

4.大便所は、あいているかどうかを、よく確かめてから入ること。

5.腰かけ式の大便器には、入口の方を向いて、必らず腰をかけること。

6.大便所に入ったら、中から、よく戸を閉めて、外から明かぬやうにすること。

7.紙は必らず、備付のものを使ふこと。

8.用がすんだら握り手か、紐を引いて、よく洗ひ流すこと。

9.手を洗ったら、必ず、水を止めておくこと。

 

 特に丸ビルの大便所は当時としては珍しい「洋式」であったこともあって、混乱は大きかったようである。便座によじ上って用を足すものが後をたたず、故障も多かったようである。

 

図6-3) 「安全第一ビルヂング読本」抜粋
図6-3) 「安全第一ビルヂング読本」抜粋

 

 

「昇降機(エレベータ)の巻」では、

1.乗る前に、この昇降機は何階行きか、上りか下りかを、よく確かめて、乗ること。

2.乗るときは、必ずボタンを押すこと。

3.乗ったら直ちに、運転手に分かるように、はっきりただ一言、何階と言うこと。

4.運転手に話し掛けたり、乗客同士でも、一切話をせぬこと。

5.最初に乗った人から、順に奥のほうに入って立つこと。

6.足腰の弱い人か、病人でない限り、必ず立っておること。

7.立つには必ず入り口の方に向かって立つこと。

などといった記述がある。

 

 当時のエレベータは運転手が操作する手動式であったことから、乗客がどの階に行きたいのか運転手が聞き取るために、静粛さは重要な要件であった。一方、始めてエレベータに乗る観光客の喧騒にいらだつ運転手の姿が目に浮かぶのである。

  いずれにせよ、このような記述からも、新しい観光スポットの誕生に賑わう一方、新しい機能・文化への対応に追われて戸惑う当時の庶民の様子が覗われるのである

 

次回予告

 2月に丸ビルが開業してから半年が経過した、1923年9月1日、山下達は突然すさまじい揺れと響き渡る大音響に襲われる。関東大震災(M7.9)の勃発であった。

(稲田 達夫)


参考文献)

1)三菱地所社史編纂室編:丸の内百年のあゆみ「三菱地所社史」、1993年

2)三菱地所編:丸ノ内ビルヂング技術調査報告書、1998年

3)武内文彦編:丸ビルの世界、かのう書房、1985年