メールマガジン第19号>バイオマスシリーズ

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★【シリーズ】バイオマスについて(18) 代表取締役 佐々木幸久

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さて少し理屈っぽい話しが続きました。いささか倦怠気味です。そこで今回はちょっと毛色の変わった話題です。「生活保護制度」のことです。

このシリーズの愛読者からは、「バイオマスにつながるの?」との疑問が出そうです。それがつながるのです。

この話題は、かなりセンシティブな部分があります。働いて得られる賃金(特に最低賃金)に比べて、生活保護で支給される金額が高すぎるというもっともな意見があります。一方には、憲法に言う最低限の文化的生活のために、生活保護費を切り下げるべきではないと主張する人たちもいます。こちらの論者も正論だし、なかなかに勢力があるようで、一歩も引かない構えです。私としては余りこのような議論の渦中には飛び込みたくないのですが、今やこの費用も大変な額に上っているそうで、国も財政再建の必要性が言われる中何らかの対策は必要でしょう。


地方には生活のためのインフラが余っている

鹿児島県はひとくくりに「薩摩」と言われますが、島津の殿様は、薩摩、大隅、日向の国主だったわけです。そして日向は宮崎に、薩摩と大隅が鹿児島になりました。私たちの住む場所は大隅で、本土で最も隅(端)にあります。大隅に「打詰」という地名があります。ユーモアに満ちたいささか自虐の気味がある自称でしょう。大隅は昔はずいぶん不便で、隣町との行き来にも不自由していました。それが現在では、とうとう鹿屋まで高速道路が通じ(平成26年12月開通)、全国どこでも高速道路を使って行けるようになりました。

また過疎対策のため永年に亘って道路、学校など様々な施設も整えられてきました。農業振興の目的で、ダムや導水施設など灌漑施設や、農道、圃場整備などにも多額の公費が投じられています。それにも関わらず過疎化の流れはやまず、「限界集落」などの言葉も現実みを帯びてきました。

結果的にこれらの膨大なインフラは、よく言えばずいぶん余裕のあるものに、有り体に言えば余剰なものになっています。


都市部での生活と地方での生活

私の田舎暮らしで大概のことは気に入っている中、少し前まで唯一不便がありました。私はかなりの書籍を購入しているのですが、地元の書店に注文するととても届くまで一ヶ月以上かかっていました。出張で上京した時などに、紀伊國屋、三省堂、八重洲ブックセンターなどで大量に買い込んで帰ったものです。これがインターネット通販の普及で、全く問題が無くなりました。

若い人たちにとって都市部の便利さや賑わいは大変価値あるものに見えるでしょうが、そのための生活維持費はかなりのものになります。

少し前のことですが、田舎で比較的裕福な私の知人達から話を聞いて驚いたものです。子息を例えば東京の大学に出し、そのまま東京で就職した場合、大学生の時なみの生活レベルを維持しようとすれば、初任給程度の収入では生活費が不足する。そこで親が引き続き、生活費を仕送りしていると言うのです。

都市部での若者の生活苦が良く話題に上ります。これは最近だけの話ではないし、雇傭が「非正規」だから、政治が悪いからでもなく、昔からそうだったし、大企業に勤めても同じような事情でした。都会で暮らすと金がかかるのです。


生活費のこと

生活に要する費用は、衣食住に関わるものが主なるものでしょう。住に関する費用こそが都市部と地方の格差が最大になります。

二十数年前の私の家造りのケースです。土地は会社の近くに両親が準備してくれました。元々宅地に囲まれた遊休農地で、農地としては高いものでしたが、都市部の宅地に比べればただのようなものです。建築費だけなら負担は軽く、預金で不足する分を短期ローンにして現在は残債は全くありません。

食費は野菜、肉、魚共に地元でふんだんに採れるので、新鮮なものを安価で入手できます。「釣り部」の一員からは釣れすぎた魚が時々飛び込んできます。

家族で暮らして、調理を自分でするならば、その費用は外食に比べると、おそらくは数分の1で済みます。まさに世に言う「一人口は食えぬが二人口は食える」のです。

釣り部からのおすそ分けで我が家に飛び込んできた鯛
釣り部からのおすそ分けで我が家に飛び込んできた鯛


地方の余剰インフラを活用したセーフティネット

田舎なら昔よりかなり少なくなったとはいえ、まだまだ互助の精神がありますから、野菜や米などどこからともなく届くことがあります。大都市ではお金が基本ですし、生活費も仕事に就いていてさえ、若い内は不足する位ですから収入の途を絶たれたら、たちまち生活に窮することになります。

そこで制度として申請により、生活費を現金給付することになりますが、都市部を基本にすればそれはかなりの高額になり、最低賃金と多寡を競うことになります。

私は地方、特に過疎地に余剰気味の生活インフラを活用した、現金給付を伴わないセーフティネットの構築を計ったらどうかと考えるのです。


緩やかな協同体で食とエネルギーの自給

贅沢と言って良い余剰インフラに、廃校になった学校があります。校舎、体育館、運動場完備で、子弟のために親たちが選んだ地域の一等地にあります。

農場も東南アジアやアフリカなどに比べると、灌漑や圃場整備などが整った立派な産業インフラです。農場も山林もともに担い手が少なくなり、いまや余剰になっています。これらを組み合わせれば、食料やエネルギーは完全自給出来る生活が可能です。これは個人では無理です。緩やかな協同体を形成し、その中での結い(ゆい)の精神と、地域の善意との組み合わせによって可能になります。このような形で、現金給付によらない、有効で良質なセイフティネットの形成は十分に可能であると思っています。


次回、もう少し具体的に私案(試案)を述べます。

(代表取締役 佐々木幸久)

廃校になった学校
廃校になった学校