メールマガジン第102号>稲田顧問

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★【稲田顧問】タツオが行く!(第58話)

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「これまでのタツオが行く!」(リンク

58.ChatGPTなどから思うこと

 「ChatGPT」という人工知能(AI)をベースにしたソフトウェアが、世の中を大きく変革するのではないかということでニュースショー等を賑わしている。例えば、教育現場ではどう取り扱ったらよいかなど、実際に直接関わることになるであろう人たちにとっては深刻な問題なのだと思う。

 

 しかし、人工知能が比較的新しい技術分野と捉えている人も多いのではないかと思うが、実はそうでもない。人工知能の基本的な考え方が確立したのは1950年代後半である。その頃から人工知能の危険性については様々指摘が行われており、例えば米国人の哲学者ドレイファスが1964年に発表した「錬金術と人工知能」という論文は有名である。

 さて、人工知能が中々実用に供されることが無かった理由はなぜかと言えば、2つの要因が考えられる。一つは人工知能の基礎になる「人の知能」にも匹敵するような膨大な知識ベース(データベース)が、存在しなかったということ。もう一つは、膨大な知識ベースを司る超高性能なコンピュータが存在しなかったということに尽きるのではないかと思う。

 それが、ここにきて人類はインターネット空間から巨大な知識ベースを手に入れることができるようになった。また、その知識ベースをハンドリングできるコンピュータ(実はその辺にころがっているパソコンがそうなのだが)を手に入れたことにより、実用的な人工知能システムが生まれるようになったということなのだと思う。

 

 このように、基本的な原理については古くから解明されていたにも関わらず、実用化には時間がかかってしまったというようなことは意外と多い。その一つが「超高層ビル」である。超高層ビルの基本原理というのは、一つは「建物の一次固有周期を長くすることにより地震入力を抑える」ということ(つまり剛構造から柔構造へという変革)、もう一つは「静的解析から動的解析への変革」という2つである。

 この問題を考えるためには、1920年代に建築界を揺るがした柔剛論争が、大いに参考になる。柔剛論争とは東京帝国大学教授の佐野利器と海軍省建築局長の真島健三郎の間で交わされた大論争である。建築学会のデータベースに残されている論争記録を読むと、お二人ともに上記の基本原理については十分に理解されていたことは明らかである。問題は実用化にどれだけ時間を要するかという感覚にやや隔たりがあったということではないかと思う。

 剛構造の現実的優位性を主張された佐野利器先生の「建築界は100年、河の清きを待つの余裕は有しない」という一言にその辺の気持ちがよく表れていると思うがどうだろうか。

 

 さて、超高層ビルが成立するための基本原理が1920年代には確立していたにも関わらず、柔剛論争の後、霞が関ビルが実現する1968年まで、なぜ50年もかかってしまったのかというとこれも2つの要因が考えられる。一つは、動的解析を実用レベルで行うためにはコンピュータの出現を待たねばならなかったということ、もう一つは地震大国日本においては、超高層ビルに生じる大きな柱軸力を支える構造材料(極厚H形鋼や、四面BOX柱)の出現が不可欠であったことが挙げられよう。

 さて、なぜこのようなことを書いたかというと、前回の第57話で、非住宅の大規模木造建築の普及については、建設コストの問題、CLT等の生産能力の問題等から普及に至るのはまだまだではないかと、少し悲観的なトーンで書いたことが気になっていたからである。

 しかし、大規模木造普及の障壁は、前に示した2つの大問題に比べればはるかに細やかなものである。これら大規模木造の抱える問題は「ある一定の流れ」さえできれば自然に解決されるものであろうし、環境問題など社会的背景から考えれば「流れ」ができるのはもう直ぐである。泣き言を言っている場合では無いと思う。超高層木造の普及までの道のりはあと少しであることから、頑張らねばと自らを励ましている昨今である。

(稲田 達夫)