非住宅木造建築事業創業二十周年を迎えて

「ウッディストのたより」第9号 2011年(平成23年)秋季(集成材事業二十周年記念号) 


この分野に参入するまで

 当社は従来住宅向け製材(スギ主体)の専業でありましたが、非住宅木造建築分野、それに付随する大断面集成材の事業を開始して今年10月に満20年を迎えました。

 平成元年の頃、国内で大きな話題になっていたのが「日米林産物協議」でした。「大型建築分野での木造の解禁」と捉えられるこの議論の観察から、当社の新しい事業の姿が見えてきました。

 住宅分野の木造率は数十%なのに、非住宅分野は数%に過ぎない。これは不自然であり、このギャップは必ず解消されていく、すなわち非住宅分野の木造率は向上するものと確信しました。

 

国産スギ構造用集成材JAS認定第一号

 非住宅分野の建築、比較的大規模の木造建築にアプローチするための技術的課題として、

  1. 木材加工技術(大断面集成材など)
  2. 建築技術(構造計算、施工など)
  3. 品質管理技術

この三点の習得が不可欠ということがわかりました。

 それと、このとき社員たちと話し合って、もう一つ大事なことを決定しました。折角スギの大産地の九州で事業を行うからには、スギを使った集成材をメインにしようということでした。JASも樹種としてスギで申請、全国でスギ構造用集成材の第一号の工場となりました。これらのために大学、国公設試験場、同業者など多くの方々の門を敲きましたが、中でも次のお三方には大変お世話になりました。

  • 故 中村 徳孫氏(宮崎大学名誉教授)
  • 貝本 冨之輔氏(株式会社トリスミ)
  • 鈴木 雄司氏(IWE木構造研究所)

 中でも中村先生には、このあとも永く実に親身に、木材加工の基本から応用編まで御指導いただきました。


操業開始と成長

 各方面の御指導を受けながら試行錯誤で工場建設にとりかかりました。まず設計図を作り、材料の試作をしつつ、JASの安定度試験を受ける、そしてその材料を建築に利用するという牧歌的な仕事の進め方でした。時代の流れは非住宅建設分野も木造化の方向であること、そんなに沢山ではなくても必ず仕事が来ることは確信していました。その時が来るまで恐らく2年、それまでじっくりと、技術を蓄積し人材を養成する。そのため機械設備から建物まで、全てを手作りで整備するつもりでした。補助金を受けていなかったからこそのことです。しかし時の流れは想定以上でした。

 工場の一棟目もまだ出来ないうちに、城山観光ホテルからビヤガーデンのお話がありました。当時在社していたK君のデザインを提示したところ話は進み、程なく受注しました。棟上げしたところ、施主は想像よりも遙かに良いイメージであることに愕然となさり、工事をストップして直ちに設計変更、工事費も当初契約額の4倍に増額、苦心惨憺しながら完工しました。夏場だけのビヤガーデンから、「レストランホルト」と命名された本格的レストランに変身しました。このレストランの落成祝賀会は、当社の工場の落成式の一ヶ月前に行われました。

 

 それもこれも時代の波だったのでしょう。操業3年目には何十年にわたっての家業である製材の売り上げを追い越したほどでした。

 まさに疾風怒涛のような最初の10年を経て、二十周年を迎えた今では落ち着いてきました。以前のようにどかんと大きな仕事が来ることはありませんが、仕事は一年を通じて安定してきています。

 この20年間1,000近い仕事を通じてこつこつ積み重ねた設備やノウハウがあって、今ではどんな難しい仕事が来ても困ることはありません。

 

次世代を担う商品、業態

 かつて「非住宅分野」と規定したように、住宅とは使う材料も、技術も全く異なる分野でした。ところが今では住宅でも集成材が多用されますし、非住宅大規模建築でも、無垢KD材が普通に使用されるようになりました。世の中が待っているような、新しい技術、製品が生まれれば、社会に大きな変化と進歩をもたらします。

 そういう意味では製材多層パネル(CLT)は久々の新しい大型商品になりそうに思われます。施工がシンプルなので、現場での手間や工事期間が大幅に短縮されること、そして構造体が頑強で、耐火性能も大幅に向上します。木材の低コスト化が進んだ今、また「想定外」のことがよく起きる今、まさに「時代が求める商品」と思われます。

 また数年前から取り組んている「ホウ酸塩処理」について、この処理をした木材を当社では「Bラム」と名付けました。家一棟分をBラムで作る、そう大したお金を掛けずに、孫子の代まで使える家が可能になります。

 これらを踏まえ、信頼性の高い、質の高い木造建築を目指して取り組んで参りたいと思います。 

(佐々木 幸久)