スギ構造材の開発について

時代の変化に適合する業態を求めて

第27回市川記念賞受賞

平成7年10月15日発行「合板レポート」NO.27掲載 


 今回はからずも栄ある賞を戴き、これまで御指導、御協力を戴いた多くの方々のおかげと有り難く、心から感謝いたします。

 わが社は本土最南端の、鹿児島県大隅半島に位置しています。流通の中心から距離をおいていることもあり、比較的小規模の農業、林業、水産業それらの加工業が地域の主たる産業で、大きな産業集積はありません。何とか地域産業としてある程度の雇用力を確保維持することは、一つの事業だけではなかなか難しい状況にあります。顧みれば、木材業を中核にしながら、折を見てはその関連する周辺の事業へ進出していく歴史であったように思われます。いささか過去の話になりますが、このあたりの経緯を述べさせていただきます。

 

1.製材から木材加工総合化へ

 当社は昭和23年、製材業をもって創業いたしました。その後、製材品を利用した、家具製造(広葉樹)、住宅、建築、土木など(針葉樹)へ進出しました。過程においては、なかなか一口に言えない苦労が伴ったとは思いますが、幸い高度成長の波に乗ることが出来、それぞれの事業が順調に伸びることが出来ました。それぞれの事業で消費することで、木材業の方も相共に伸びていきました。しかし材料革命とも言うべき時代の変化にともない、それぞれの事業の伸びにあたかも反比例するかのように、使用する木材は減少していきました。結果的に事業全体に占める木材部門の比率は大きく低下することになります。安価な材料購入のためには自社工場はむしろ無い方が有利という声さえ出るにいたりました。木材業の将来について、事業の存続の可否も含めた、抜本的検討が必要となりました。

 昭和62年の秋ごろから、週一回位の勉強会を始めました。同時に全国各地の工場見学に出かけました。親切に見せてくださる方々に心から感謝しながら、木材加工の勉強をすすめました。勉強会は翌年春まで続き、その打ち合わせ議事録を整理すると、今後の経営指針と言うべきものになりました。

 結論としては、製材部門は我が社創業の原点であり、各事業の商流のスタート点でもある。木材加工についてもう一度見直し、より高度に、かつ深耕していけば、十分な成長の可能性があるというものでした。

その中で、社員研修が大事であるという一項があり、さっそくその年から、月一回、一泊一日、一年がかりのスケジュールでスタートし、6年間継続した結果、計百余名が受講しました。

 

2.プレカットについて

 昭和50年代からプレカット事業については社内の重要な検討事項になっており、多くの社員が各地の工場を見学していました。最近NC加工機の進展が著しく、かつ大工技能者の供給地区であった大隅地区でも、ようやく大工不足が言われ始めており、機が熟してきている様に思われました。

 幸いグループの住宅部門が、月30棟程受注しており順調で、繁忙を極める様相を呈し、この事業は、操業開始後早い内に軌道に乗ってくれました。このころ「群居」という雑誌に「横架材にもスギを使う」という大隅地区の様子が記事になりました。なお当社ではNC制御の加工機械の設計製作を行う要員を、この時期の2、3年前から育成し始めていたのですが、横架材に使うスギタイコ挽丸太材の仕口加工機を作りました。7年たった今も順調に動いていますが、その後ある工場でこの装置を使って戴き、引き続き何社かからの引き合いを戴いています。

 

3.大断面集成材について

 プレカット事業と並行して次の事業の検討を始めました。集成材に関わる事業ということになりそうでしたが、いま一つコンセプトが固まりませんでした。丁度この頃日米林産物協議の議論がかまびすしく、その帰趨に注目していました。その結果、木造建築は大いに盛んになるであろうこと、同時に大断面集成材等の輸入が大幅に増加するであろうことが予測されました。これらを踏まえ、木造建築技術(デザイン、構造)、集成材製造技術、品質保証の3つの柱で技術修得に努めることとしました。

 私どもの事業を進めてきた中で、あらゆる局面で、宮崎大学農学部名誉教授中村徳孫先生の行き届いた指導を受けられたことが、最大の幸運であったと思います。先生の指導のもと、国産スギについて、丸太からスタートして、製材、乾燥、曲がり収縮、強度その他の、基礎的なデータ収集のための実験を、工場を挙げて実験しました。

 工場建設に着手する前に、縁あって日本集成材工業協同組合理事長(当時)、トリスミ集成材(株)社長(当時)貝本冨之輔氏の工場に2ヶ月の実習を許可して戴きました。ご好意に感激したものです。


4.大型木造建築

1)初めての大型木造工事

 ある経営の勉強会で一緒になった鹿児島のSホテル役員の方から、同社のビヤガーデンを新築するという話がありました。丁度工場建設にかかっていた頃でしたが、さっそく設計案を作って経営者の方に面会を申し入れ、約2ヶ月後当社から提案した基本プランに近い形で、契約着工の運びとなりました。完成後本格的なレストランという形でオープンし、鹿児島の新名所として繁昌しているようです。

 

2)木造ドームの建設

 平成4年の終わり頃、鹿児島のある町で木造ドームを作ってみたいというお考えを示されました。出雲のドームが出来、長野のそれが工事中の頃で、全国的に話題を呼び始めた時期です。当初の予算の裏付けもなく、実現については困難な面が多々ありましたが、東京大学工学部坂本松村研究室の若い建築家・網野禎彦氏(現在法政大学教授)の設計により、平成7年3月、当初案よりはだいぶ縮小したものの、ユニークな建物ができました。

 当初この建設計画を、広範な産学官の共同研究テーマに使わせて貰おうという考えがありました。県の試験場を含めた大学等のそれぞれの専門の先生方にも、計画や構造の実務面でも参画して戴き、少し時間はかかっても、様々な課題の解明を行いながらやれたらと思い、一部の方の強い賛同を得て実現に向け努力しました。しかし補助金の仕組みを含めた行政の問題や、昨今公共工事の発注の際に浮上する諸問題と混同されても困るというような正論もあり、残念ながら当初の目論見通りには実現しませんでした。

 

3)二方向ラーメン構造の建物

 木構造の研修のため、社員を森林総合研究所接合研究室に派遣しました。その時の研修テーマがたまたま二方向ラーメン構造でありました。大変面白そうで、出来ればその工法で建物を作ってみたいと思っていたのですが、丁度良いチャンスが訪れました。グループ会社で新規事業としてディスカウント量販店をつくることになり、この店舗でこの工法を試すことに決まりました。かなり広い店舗だったのでいろいろ困難な点があったのですが、何とかクリア、棟上げできたときは感無量でした。この建設の際、300m3の集成材に、約2万本という多数のドリフトピンの孔加工をする必要があったのですが、自社で開発していたNC加工機がフルに稼働、コスト面、制度面でも好業績をあげました。せっかくの大きな梁を表に出せば壮観だろうと思われたのですが、そのための法的課題をクリアするための十分な検討の時間が無く、残念ながら実現できませんでした。それでも50センチ角の柱は、なかなかのものです。


5.スギによる木造建

 構造用集成材と、大断面集成材についてスギのJAS認証を取得したものの、建物として自分達で建てたのは、工場の操業開始2年後、自社工場の事務所が初めてでした。それが最近増加してきたのは、九州各県の行政主導の施策が大きな要件になっていると思います。

 鹿児島県で実施している面白い施策として、市町村で国産材(県産材)による木造建築物を建設するとき、県の単独予算で補助金を出しています。これは国補事業の市町村の自己負担分に充当できるので、自己財源に悩む市町村にとっては有効な制度であるとのこと、木造建築促進の大きな要因になっているようです。


6.これからの課題

 この事業をはじめた年、アメリカのW社の好意で一週間ほど、北米の製材、集成材の工場、住宅現場等を見学しました。九州の全森林とほぼ同じ面積の社有林、広大な敷地に対応して配置された製材工場、400人もの研究者がいる研究所など、驚きの連続でした。

 W社の或る一工場の対象面積が、私たちの工場がある大隅地区の流域の森林面積と、たまたまほぼ同じだったのは面白く思われました。この流域に3つの営林署、17の市町村、おそらく1万戸を超える林家、そして百数十の製材工場があります。

 規模はやむを得ないとして、それでは研究の体制がどうなっているのか考えてみます。九州で大学、公設試験場、民間の研究機関でどのくらいの研究者が森林木材についての研究に従事しているか。おそらく100名は超えるが、200名はとても及ばないというところでしょうか。個々の研究者のレベルは我が国もきわめて高いと思いますが、研究テーマの選定に当たって、各研究機関の間で連携がおそらく無いか、きわめて少ないのではないかと思われることです。それと林業木材業界側がニーズを明確にしないこともあるかも知れませんが、研究テーマが実務と距離を置いているケースがままあるという問題。

 元々がそう多くない人員、研究費が、行政区割りの壁や、様々な要因から重複などの無駄が想像されます。これらの課題については何とか早く改善してほしいものだと思います。


W社の見学を通じて感じたことをまとめると

1)時間当たりの労働生産性の差

2)規模の差

3)システムの差

4)実務的な研究の質と集中度の差

の4項目となります。

こういう木材業者がいる国の製品と、我が国の木材業者は、競わざるを得ない現況(勝負になっていないのかも知れませんが)にあるわけです。国産木材業者としては戦慄すべき状況にあります。困難さはともかくも、分に応じて出来るところから手をつけて行くべきだと思っています。

 また、元々からある技能者不足などの課題に加え、円高、大震災などから業界を取り巻く環境は激変を続けています。この激変に対応しつつ、新しい環境に適応していく必要を痛感しています。学、官の御指導、御協力を切望する次第です。

(佐々木 幸久)