これからの暮らしを考える

社内報「やまさ」Vol.321 2001年(平成13年)7月号巻頭言


滋賀の山荘を訪れる

 先日滋賀県の山中、建築家N氏の文字通り山荘と言っていいお宅で、印象深い一夜を過ごすことが出来た。それは、今では博物館くらいでしか見ることが出来まいが、一昔前なら殆どの家庭でこのような生活があったに違いないと思わせるものである。たまたま今回、それを味わう機会を得て、激しいノスタルジアを喚起された。N氏はそういう生活の場を購い、自ら作り上げ、家族とともにその生活スタイルを最良のものとして享受しておられる。 

 さて、そもそもの話はW誌の取材で編集のT氏と建築家N氏が当社を訪問されたことに始まる。N氏の座談は魅力的で、かつ私達の仕事の先行きについても、大変示唆に富んだ話をしてくださった。そこで、このたびの出張の折に、N氏の大阪のオフィスを訪ね、さらに指導を仰ぐ計画を立てお願いしたところ、快諾をいただいた。御自宅からオフィスまでかなり時間を要する感じがあり、むしろ御自宅を訪問したらということになった。「泊まったらどうか」というお誘いまで受け、結果としてそこまでご厚意に甘えることになった。

 お訪ねしたのは、私、神田、有馬、坂田の懲りない面々である。滋賀県草津駅で列車を降り、レンタカーで琵琶湖西岸を北上。途中で左折し山中へ約20km、山荘入り口の脇道に到着したのは夜八時になってからだったが、なんと道路に鹿が三匹現れて、ゆったりと車のライトの前を横切った。

 

心を揺さぶる暮らし

 居間に大きな囲炉裏が切ってあり、私たちは荷物を下ろすや、わらで編んだ円座に座った。6月初旬というのに、山荘の夜は肌寒く、N氏が薪を焚いてくれる。焚火を見る、というのは本当に心が慰むものである。

 どう考えても準備に朝からかかったに違いない、と思われる奥様の手料理が囲炉裏端に並べられた。N氏自ら今朝、裏山で切ったという二本の竹筒には既に冷酒が満たされ、竹の肌には露を打っている。やおら囲炉裏からおきをコンロに移し、鮎を開いて一夜干しにしたもの、かねてお気に入りで取り寄せておられる肉などを焼いて一人一人に供してくださる。

 この建物の前身は、160年前に建てられた旧街道筋の「番所」であるという。時代のついた真っ黒な梁は背二尺はあろうか。使える部分はすべてそのまま用いながらも、住まいと建物の維持のために手が加えてある。囲炉裏のある部屋の床板は古びて見えるが、用途開発を相談されたラオスマツ大径材を板目で幅広に取ったものとのこと。ちょっとした虫食いのあとなども、全く違和感が無く、寧ろいい感じである。トイレに入ろうと暗い縁側に出ると、パッと自動で明かりが点いたのは新鮮であった。

 お酒などを入れる棚、食器を収納する棚なども、全て氏の設計だが、建物の持つ力強さに負けない形を持っている。独立した子供さんの他に、小学生の子供さんが二人、大阪市内に住んでいた頃は様々な体の不調が出ていたと言うが、こちらに来てから大変元気で児童総数11人の学校に楽しく通っている。

 翌朝、子供さん達も交えた朝食の後、「建築家はデザインのみでなく、実務にも精通していなければならない」と言う氏の持論に裏打ちされた、具体的で精緻な建築論、材料論のレクチャーを受け、有意義な訪問を終えた。


薪を焚ける暮らしのすすめ

 このたび囲炉裏の良さを改めて実感した。私は、現在の家を建てた13年前から、囲炉裏ではないが暖炉に薪を使用している。温度としての暖かさのみでなく、薪の火に直接当たり、炎を見るのは精神的に大変良いと感じている。疲れて帰っても、薪を焚きつけ、椅子を引き寄せて座り、焼酎にお湯を入れてすすると、非常な落ち着きを感じる。南国に住んでいるので、薪を焚ける期間が短いのを不平に思うほどである。暖をとると言うより寧ろ薪の炎を見たいのである。何百年、ひょっとして何千年も、薪を焚いてその炎を見つめつつ凍えから免れていた私達の祖先からの、いわばDNAに違いない。

 N氏の暮らしぶりの紹介から、本来ならもっと広い文明論、建築論に展開すべきところ、いささか矮小の嫌いがあるが、薪を焚くというまさにこのことは、一つの典型として、我が国の暮らし方や文明のあり方に一石を投じるものと感じ、提起している。

 今流行りの家の中で薪を焚くことは殆ど不可能である。暮らしが「オール電化」などの言葉に象徴されるような、快適、便利、清潔へとどんどん志向していって限りがない。サンマを焼くことがはばかられるという話を、笑い話ではなくよく聞く。

 薪を屋内で焚くためには、いくつかの条件がある。一つには、まず家がそういう造りであること。二つ目には、良質の薪が安価に安定的に供給されること、三つ目には、安くてデザインの良い、効率の良い薪ストーブがあること。

 現在我が国では、ことごとくこれらの条件が失われている。そして近代社会ではそれが当たり前と思われるかもしれないが、工業国と言われる国の中では、恐らく我が国だけの特異な状況であって、しかもそれは決して健全なことではない。ヨーロッパで山に入ると、各所に薪の山が小積んであり、シート、ブリキなどがかぶせてある。仕組みはよく分からないが、薪が町の人達の手に入るシステムが確立していると聞いている。

 今年初め、雪深い北海道は富良野の山林(東大演習林)伐採現場に入るという貴重な機会があった。伐採中の山には、建築用材としては使用できない多量の残材(腐れ、雪による折損、枯れ木など)が、ごく一部は作業員の暖を取るためには景気良く燃やされていたが、それでも山中に多量に残されていて、もったいなくて仕方が無かった。案内してくれた、旧知の社長さんにヨーロッパの話をすると、この残材がいくらかでもお金になれば、林業に従事する人たちにとってもプラスになるのだが、と眉を曇らせていた。

 

化石資源でなく循環資源を

 薪を焚いて暖房するというのは、エネルギー効率から言っても最高である。この点、油などエネルギー源を熱に変え、そしてそれを電気に変え、さらに又熱に変えるというのは、明らかに各工程でかなり高率の熱損失を繰り返している。薪を燃やした熱を直接暖房に利用出来れば、煙突から煙として出る熱のみの損失で済み、明らかに環境上有利である。

 車を石油でなく薪で走らせることは不合理である。しかし暖房を薪で取ることは決して不合理ではない。バイオマス、自然エネルギー、最近の環境問題への意識の高まりを踏まえ、議論がかまびすしいものの、話が遠大に過ぎ、なかなか進展しない。ほんの少し前まで、地方では普通に出来た、もっと薪を使う生活。これを再び実現することが、最も手っ取り早く、社会的コストをかけずに実現できると思う。

 我が家の居間は床壁天井全部板張りであるが、十三年間、年に百日以上薪を焚き続けて、見た目にも全く異常がない。何ら有効に使われることなく、ただいたずらに山中に朽ちていく木材を生活の中で有効に使う。そのような仕組みを作り、その仕組みを支える人たちを都市の人は支える。それは化石資源に費やしていたお金を、山に生きる人たちに回すことであり、循環型社会構築のために最も手軽で、確実な、効果ある第一歩である。

 

地方の生活を再評価する

 仕方なく住むのでなく、自らの感性と意志で山中に引っ越してきて、その生活を心から楽しんでいるN氏とその家族は、人が減り続けているこの校区内でも大きなインパクトを与えている。まず年末にN氏が事務所のスタッフを集めて始めた餅つきが端緒で、校区でもN氏の臼を使っての餅つきが先生、生徒、父兄を交えての年末の年中行事になった。PTA総会は、鹿や、うさぎ、狸や猿が覗きに来る、N氏の山荘の庭における全員参加のバーベキューであり、かつてないにぎやかな行事になったという。

 イギリスの林学研究者ピーター・ブランドン氏は、著書「イギリス人が見た日本林業の将来 国産材時代は来るのか」(訳 熊崎実氏)で、日本は余りに都市の生活志向に偏っていて、地方での生活を好まない、それはイギリスや他のヨーロッパと比べて顕著な違いである。田舎での暮らし、すなわちカントリーライフを楽しむのは、日本を除く他の大半の工業国では寧ろ人気なのである。日本では地方(山村地域)に人がおらず、林業作業者が得られない。従って日本には国産材時代は来ない、という言い方をしている。

 我が国では都市へ、もしそうでなくても、地方ではそこの最も大きな町へ、そういう流れが何となく定着している。その何とは無しの価値観を疑ってみてはどうか。思いもかけぬ豊かな生活が地方で発見できるかもしれない。

 榎原君がこの程720坪の宅地を得て、そこに新築して住んでいる。この広さを持っていることを本人は余り大したことと思っておらず、寧ろいささか持て余し気味である。しかしこのことを都市部の人に話すと、たいていは驚愕する。他にも地方の暮らしの良さは特に意識しないまま、意識の中で埋没している。地方に住む者はもっと意識して価値ある地方の暮らしを発掘し、創造し、楽しむ。そしてそのことをもっと情報発信しようではないか。確かに美味しい店はあまり人に教えたくないものではあるが。