目からウロコ!欧州木材・建築視察(チャレンジ編1)

社内報「やまさ」 2001年10月号掲載


今回の視察は、社長の呼びかけに応じた若手9名(高知県庁から派遣研修中のS田さん含む)と、大井製作所のSさんの計10名で、一から計画した。企画から視察先へのアポ取り(英文メール)、航空券・宿泊先手配、コース選択等、全てメンバーでやれたことが大きな自信になり、旅行前の段階でそれぞれがある種の自覚というか自主性を持つことができたので、それだけでも成果だと思う。

 ただしそれは、アポの手紙の添削からスイス全般の案内ならびに通訳までお世話くださった網野さん(当時ローザンヌ工科大学)あってのことであり、この旅行の成果の大半は網野さんのご指導の賜物だと思う。ずっと心配して帰国するまで度々電話をいただくなど、いくら感謝しても足りない。(F)


2001年5月17日 

初体験の連続ながら無事出国

(社長室 S田)

予定通り関空着。出入国カード作成、外貨購入(スイスフラン2万円分、ドイツマルク2万円分)を行う。大井製作所S氏とも合流し、搭乗手続き後、出国手続きを行う。搭乗まで時間があるが、機内食が何時に出るか分からないため、その確認を行うことにする。しかし搭乗口までは空港内の電車で移動のため一方通行の可能性が大きい。私は携帯電話を持っていなかったのでS氏の同行を願い、搭乗口にて確認を行う。係の方によると機内食は14時頃出るとのこと。携帯で連絡を入れ、私たちは搭乗口付近で待つこととする。売店にはたいした物がなかったので飲み物だけにした。

 

(社長室 M田)

出国まで約3時間と十分余裕を持っているはずだったが、初心者が多いこともあって手続きに時間がかかった。海外携帯電話のレンタル、携帯番号を会社にFAX送信、両替、入出国書類記入、搭乗手続、網野さんへの土産等、初めてのことはとにかく時間がかかる。土産は鹿児島で買っておけばと後悔しながら探す。おかげで関空の隅から隅まで見学できた。初めてのことを多く経験して、旅立つ前から満足しているのは自分だけか?

 

国際線機中の様子

(社長室 F)

私たちが利用したスイス航空の便は日本航空との共同運航で、200名近い乗客のほとんどが日本人。ただし客室乗務員は6割方スイス人?で、日本人向けにしてくださるのか英語が大変分かりやすく、この調子でいけばいいが・・・と思った。

 座席は日本機のエコノミーよりゆっくりしてクッションもきき、小さな枕と膝掛けが全席ついている。機内食も割とおいしく(最初だけは和食と決めていたところ牛丼だった)、飲み物に選んだのは白ワイン。今回の楽しみの一つということで、最初から攻めてみた。フランス・ブルゴーニュ産の飲みやすいワインで、これからの旅行が上手くいきそうな予感がしてきた。

 

(社長室 M田)

初めてというのは些細なことでも感動がある。関空で機内の飲み物を探していたが、乗れば飲み物がでるということで買わなかったところ、各席のポケットに500のペットボトルが配られているではないか。こんなことにとても感動した。

 関空からチューリッヒ空港まで約12時間。これまで鹿児島-東京の2時間が最高ということで非常につらい時間となる。飲み物が幾度となく出され、機内食も三回ほどあったが、あまり美味しい物ではなかった。ビデオもずっと日本語放送があるのに気づかず、これも勉強と英語版で聞いていた。O君をはじめ日本人乗客がこんなに英語を理解しているのかと感心し、自分が不安になっていた。その後いろいろ小ハプニングをはさみつつ、長い時間は過ぎた。

 

(社長室 S田)

予定通り14時頃機内食が出る。洋食にしたら、具のないピラフのようなものと魚のムニエルにクリームソースをかけたものがきた。機内食に大きな期待をかけてはいけない。その後、間食としてアイスモナカと梅おにぎりが出る。周りが日本人だらけでわからないが、外国人も梅おにぎりを食べるのだろうか?

 23時頃、二回目の機内食。パンとサラダ主体で朝食といったところか。いずれにせよ大変腹が空いていたのでありがたい。午前零時55分、現地時間17時55分、チューリッヒ着。結局機内で見た空は一度も暗くならなかった。

 

チューリッヒ空港~ホテル

(社長室 M田)

チケットの確認は他の人に任せて、自分は両替に挑んだ。関空で済ませたかったが、1000フラン札は用意していないとのことで、こちらでせざるを得なかった。いざやってみると、英単語と手を使いながらであったが、自分の意志が伝わるのは非常に気持ちのよいものだった。

 

(社長室 F)

スイスの空は今にも降ってきそうにどんよりしていた。あんなに練習した入国審査が、「ハロー」のひと言で終わり拍子抜けした後、皆のリコンファーム(ドイツ行・スペイン行)をしに行った。

 ホテルに向かうために地下鉄に行くが、切符の買い方が分からない。インフォメーションに聞きに行くと、空港と違ってあまり英語が通じない。ホテルの住所を見せるとやっと理解してくれたようで、中央駅まで鉄道を使い、その後タクシーを使うように言われる。切符もそこで発券してくれてやっとホームへ。

 こちらの列車のドアはボタンを押さないと開かない。ボーっとして開くのを待っていると電車はさっさと出てしまう。駅に止まるたびに全部のドアを開け閉めする日本の電車と大違い。海外にきたと実感。

 中央駅でウロウロしていると、おじさんが片言の日本語で話しかけてきた。ぼったくりではないかと注意したが、鉄道の職員で私たちと同年代の娘さんがいると言い、困っているように見えたので声を掛けてくれたらしい。日本に行ったことはなく、この駅で日本語を覚えたとのことで、スイス人の言語センスに感心した。彼の案内でタクシー乗り場に行き、運転手にもホテルの場所を教えてくれた(本当に親切な人で失礼しました)。

 

第一夜(夕食~散策)

(社長室 F)

目の前には映画館があるものの、ホテルの周辺は大変静かな住宅街。チェックインすると待ちかねていたようにキーを渡してくれた。荷物を部屋に入れ、窓から外を眺めると、やっと日が暮れ始めていた。現地時間はもう21時過ぎなのに日本で言えば19時くらいの感じ。

 空港では調子の悪かった携帯が通じ、何人かでレストランを探してまわるが、なかなか適当な店が見つからず、結局ホテル併設のレストランで食事となった。ピザや生ハムサラダ、チーズ付サラダを白ワインでほおばる。すごくおいしい。特にチーズはここがスイスだと実感。ワインがきいたのか、シャワーを浴びてすぐに就寝。

 

(社長室 M田)

石造りの街並はさすがに美しく、日本とはかなり違う。ほとんどの建物に木製ドアと木製雨戸が使われている。室内も木材がふんだんに使われ、木材の使われ方の違いをまざまざと見た。

 パスタを注文したらなかなか美味しかった。初日のハズレはS田さんで、ピザの上に乗った魚がたまらなく塩辛いとのこと。バーの店先にはテーブルセットが必ずあり、屋外で飲食を楽しむ人が大勢いた。21時過ぎてもまだ外が明るかったことも、不思議な感覚であった。

 

(社長室 S田)

ホテルにチェックインした後、夕食のためチューリッヒの町へ。さすがにバーに入る勇気はなく、あれこれ物色した後、レストランに入る。ピザ二人前を6人でつまみながらビールを飲もうと思い注文したのだが、一人一品ずつ頼めとのこと。仕方が無く皆がパスタとビールを頼む中、私とM山君はナポリピザとビールを注文した。このピザが曲者で、トッピングされた鰯らしき魚の塩漬けが非常にしょっぱく、その塩分がピザ全体に広がり、チーズの味もかき消されるほどである。ビールで無理矢理腹に詰め込んだが、初日は食べ物に恵まれなかった。

 


2001年5月17日(視察初日) 

二日間とも移動はレンタカー

(社長室 S田)

レンタカーの予約をしたハーツ社にて網野さんと合流する。さて、これからレンタカーを借り受ける手続きを行わなければならない。国際免許、パスポート、クレジットカードを提出すると、名義人の綴りが違ったり(shuとshiyuuなど)、住所の違い(パスポートは鹿児島、クレジットカードは高知)からいきなりトラブル発生。相手の言っていることは何となく理解できるものの、話す言葉が出てこない。単語の羅列と網野さんのフォローで何とかその場は乗り切れた。

 と思ったら今度は運転手交代要員のM山君が25歳以下なので、保険が適用できないとのこと。仕方なく今日明日の運転は自分のみの担当となる。その後レンタカーを受け取り、発進の段階でまたまたトラブル。バックギアがわからない。シフトに表示はあるものの、どうしてもギアが入らないのだ。四苦八苦していると網野さんから、シフトノブに付いているレバーをあげながら操作せよとのフォロー。無事発進できたが、すでに今日の体力を半分奪われた感じである。

 

(社長室 F)

朝起きてスーツケースをホテルに預け(身軽になって)、朝食もとらずに歩いてレンタカー会社へ向かう。チューリッヒは高層ビルもなく、さっぱりした印象。駅裏にあやしいところもなくはないが、大都市でありながら古き良きものはそのままに、新しいものは決してその風景を崩さないように工夫されている。街中を路面バスが走っており、少し鹿児島を思い起こさせた。ただしバスの乗り口が低くおさえられており、バリアフリーが当たり前といった風土を感じる。横幅も広く、安定感のある走りをしている。

 街並を眺めつつ迷いながら、予定を15分過ぎて営業所を到着。お待たせして申し訳なかったが、網野さんと久しぶりの再会となった。

 ここでトラブル発生。せっかく国際免許をとったM山さんが年齢の関係で運転できないことが分かり、結局E田さん、S田さんが二日間とも運転することに。左ハンドル、右側通行、車の操作も微妙に違い、S田さんはかなり戸惑い気味。網野さんから①スイス人は結構飛ばすので、前の車を見失わないように、②歩行者優先が徹底されているので、人がいたら止まること、の2点について注意を受け出発した。

 チューリッヒ市内はかなり入り組んでいる上、ちょうど朝のラッシュ時で車も多く、助手席の私はかなりハラハラした。日本と違って信号機が少なく、ロータリーが多いので方向感覚も麻痺する。

 車窓の風景はとにかく新鮮。絵ハガキになりそうな風景が次々に出てくる。高速を降りるとすぐにオーストリア国境で、運転手のS田さんがパスポートを見せるだけでOK。すごくあっさりしていて、やはりEUなんだと強く感じた。

 

(社長室 E田)

 車で走っていると、国境があるというのは頭で分かっていても、実際にそれを経験すると驚いてしまう。地続きで違う国、違う文化があるというのは、島国暮らしの私達には新鮮に感じる。チューリッヒからオーストリアに入ると、街並みが農村地域の歴史のある佇まいに変化していく。雨も止んで、風景を楽しみながら運転。建物は木造が多く、新しい木造と古い木造が違和感なく融合している。これは日本ではあまり考えられない事であり、日本の今の市民意識、住宅産業を見回したときにちょっと無理だなと感じる。

 カウフマン社に向かう道々には、同社で作った材料や、彼ら自身が建てたと思われる建築物、構築物が目につく。中でも木材を線材、ガラスを面材としてそれぞれ構造材、意匠材を兼ねて大胆に用いたバス停はとても美しいものだった。

 見学後、近くのレストランで昼食(旬のシュパーゲル=ホワイトアスパラガスや子牛のヒレカツ、鱒料理と白ビール等)をとり、首都ベルンに向けて出発。スイスの端から中心部までの長距離移動だが、これで国の半分を縦断してしまう訳で、スイスという国がいかに小さいかを感じると同時に、なぜこんな小さな国が、優れた技術と羨むべき文化を持っているのかと考えさせられる。もちろん欧州という歴史文化・経済圏の中にあることが一つの要因であるにしても、あらゆる意味で閉塞感が漂う今の日本に比べると、考えずにはいられない。

 

世界遺産の街ベルンにて

(社長室 F)

お昼を済ませ、ベルンへ向け来た道を戻る。センスのいい木造のバス停やカウフマン社の集成材を使用していそうな大断面湾曲材の建物等、あちこちに木造の建物が目に付く。木材を普段着で使える風土というのは大変すばらしいと思う。日本はすばらしい木の文化を持ちながら、最近かなり意識して使いがちだが、こちらの普段着のように使うという点は見習うべきだと思った。

 今日のホテルは時間になると閉まるらしく、各部屋の鍵を差し込むと玄関の鍵が開くようになっている。最初はそれは分からなくて少し慌ててしまった。部屋に帰るといつの間にか熟睡していた。

 

(社長室 E田)

スイスはベルンの首都であり、街全体が世界遺産に指定されている。都市化されたチューリッヒとは異なり、まさに絵にかいたようなヨーロッパの古い街。移動の疲れとあいにくの空模様で、満足いく観光はできなかったが、夕食時に街の風情を楽しむことができた。この夜は網野さんと大井製作所のSさん、M田室長と古い食物貯蔵庫を改装したという地下レストランで食事をした。

 エントランスの階段を下ると、奥に非常にヨーロッパ的雰囲気のお店があらわれる。吹き抜けの二階で構成されたその空間は、下部の貯蔵庫の部分がレストランで、上部の回廊がウェイティングバーになっている。まずはウェイティングバーでビールを飲みながら、網野さんから建物と文化についてのレクチャーを受けた。やがてレストランのテーブルが出来たところで食事。ヨーロッパに住む日本人である事の意味や、ヨーロッパの情勢、日本はこれからなにを考えて行くべきか、山佐木材のこれからはどうか等、建築、木造に限らず幅広く歓談した。食事の後、雨上がりの夜のベルンの街を散策し、ホテルに戻り就寝。