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★【連載】山佐木材の歩み(10)

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「これまでの山佐木材の歩み」(リンク

(承前)橋口岩夫さんのこと

 

作業員の賃金改定

 ある年の新年度に入って早々の某月某日、年に一度の概ね100人余の作業員の賃金改定の日である。現場監督にとって、一年間頑張ってくれた作業員の労に報いることが出来る晴れの日である。それぞれの監督が子飼いに近い作業員の頑張りぶりを熱心に紹介する。一部の強引な主張で公平を欠いたと思われれば全体の士気に影響しかねないので、作業員の一人一人を比較考量しながら、バランスの確保に務める。最後に総監督の橋口さんの一諾で決定となる。

 

 賃金アップ額は繁忙期間中ほぼ皆勤した人であれば平均数%、最低でも2%、高い人は7~8%くらいもあっただろうか。繁忙期に出勤できない人は、基本的に昇給検討の対象外になる。事業量が年平均30%伸びていたし、昇給原資を心配することもない、誰にとってもやり甲斐のある時代だった。

 一度面白いことがあった。ある作業員の裁定の段階で、橋口総監督が何故かなかなか首を縦に振らない。その理由が何と「体操が悪い」というのだ。橋口さんに言わせると、体操とその人の仕事ぶりとはだいたい一致するのだという。監督たちの当人への高評価と、橋口さんが見た彼の体操ぶりが一致しないらしい。体操をきちんとやらせること、という条件でようやく裁定を得た。

 ちなみに工場ではもちろんだが、全現場でも社長の強い指示と指導で、朝礼とラジオ体操は徹底して行われていた。これは昭和40年代の大隅地区では嚆矢(こうし)となるものだった。

 

  ご自宅訪問

 ある時「本当は日本酒が好きだ」と聞いた。そこで日本酒の一升瓶を下げて、駅前(旧大隅高山=こうやま駅)のお宅にお邪魔した。自宅から歩いて数分の距離である。駄菓子屋を営んでいる奥さんがご馳走をして歓迎してくれた。二人で談じながら、ご馳走を戴きつつ互いにコップに注ぎ合って、一升の酒を飲み終えると解散である。私は大変楽しくて、それからも数回同じスタイルでお邪魔したものである。

 

 色々なことを教えて貰ったものだが、今でも印象深く思い出すことがある。職人の職種による賃金格差(日当)のことである。幾つかの身近な職種のなかで、家具・建具の職人の賃金が一番低くて、大工のおおよそ三分の二だった。そして石工は、大工の約2倍である。つまり、建具職人の日給が100とすれば、大工は150、石工は300という水準で、何故そんなにも差があるのか、不思議で不思議で仕方がなかった。

 「労働の強度によいもんじゃろかい(よるものだろうか)」。「んにゃ、そんた(いや、それは)年間の稼働日数に関係すっとじゃが」。

 つまり、建具職人(指物師)は、屋内で一人でする仕事であり、年間300日働ける。大工は年間200日、石工は年間100日の稼働であり、そこに職種間で賃金(日給)の差が出来る。ただ年間の所得は職種間でそんなに格差が出るわけではないというのだ。まさに目から鱗(うろこ)、目が醒めるような思いをした。

 もちろん石工で腕が良いと評判が立って年に200日仕事をするとなれば、2倍の年収は稼げる。中でも腕の良い石工職人は日当などでなく、1m2(1平米=へいべい)当たりいくらの歩合ですることが多かった。仕事の段取りのうまい監督に当たると、1日で石工標準日当の何杯もの稼ぎをすることもあった。仕事の多い時期は監督にとって、仕事を如何に早くこなすかが勝負だったのだ。儲けさせてくれる監督には、引っ張りだこの石工も最優先で来てくれるのである。

 


建設機械を集約管理することに

 仕事量が順調に伸びるにつれて、ブルドーザーやパワーショベルの台数も増えてきた。私と同年代の現場従業員でほぼ常勤に近い者、見込みがありそうに思った者達に、酒を飲みながら社員になる事を勧めた。今では想像も付かないかも知れないが、あの頃は自由業的な感じでどこにも所属せず、どこでも通用する腕を磨いて色んなところから望まれて働く方が良いという気風が根強くあったのである。従って私の勧めで社員になったのが半分くらいか。ただその時社員になった人達からは、後年感謝されたのではあるが。

 

 当時の会社の会計ではこうして社員になった者(建設機械の運転手など現場要員)の給与、建設機械関係費用のうち燃料費、突発的修理費などを除く償却や整備費などは一般管理費になっていた。

 年度の早い時期に受注した工事の現場監督は、会社保有の建設機械や社員運転手を確保して現場に乗り込む。いずれも一般管理費なので、帳簿上現場費用に計上されない。

 一方後から受注した工事の現場監督は、会社の車庫も空になっていて、外部レンタルの建設機械を借りることになる。社員は既に出払っていて、現場で期間雇用する従業員もレンタル料金も、すべて現場の費用として帳簿に計上される。同じような条件の現場でも、帳簿上の現場収益率がこの事情によって20%くらいの差になった。 

 会計上のことだけなら、一部の監督が実施していた現場収支計算書を、すべての現場に徹底すれば良かった。ただ会社の施設と人を、現場が抱え込んで放さないという不都合な事例がしばしば見受けられた。

 そこで建設機械に関する費用や給与を分離して、新設の車両課に移して、現場へはあらかじめ決めた時間単価で実績配賦するようにした。運転手は現場の実態をよく知っている。現場の稼働状況を聞き、もちろん監督の不承不承の了解を得ての事ではあるが、こちらで建設機械の配置を主導した。それ以降建設機械のエンジンについている回転計で集計して、年間稼働率は倍以上になった。

 他にも集中の効果があった。建設機械のエンジン潤滑油は、これまで石油店で都度買いしていたのだが、メーカーに見積を取ってまとめ買いするようにしたところ、1リットル単価が何分の一かになったことにびっくりしたものだ。

 

建設機械 有閑期に自社整備

 年度末で仕事が終わると、建設機械が一斉に帰ってくる。現場で長期間に稼働しているので相当に消耗している。整備工場に修理・補修を依頼するのだが、かなりの費用になった。

 新年度の仕事が出るまで3ヶ月ほど有閑期がある。作業員は農業兼業者が多いので、春先のこの時期は喜んで休むのだが、社員となって専業化する者の数も増えてきていた。有閑期に建設機械の整備を、若い社員達の手で自社改修できないかと考えた。

 橋口、金山2人の総監督の下に、監督が10人ほどいる。その筆頭と誰もが認めるのが神宮司和義さんという人だった。現場の仮設路の入れ方など独自の発想力や、作業改善の工夫力があって、この人のやり方に従えば従来より効率も上がり、仕事も楽になる事例がざらにあった。温厚でさっぱりした気性と併せて、人望が厚かった。

 神宮司さんは中学校を出てすぐに地元の自動車整備工場で働いており、整備士の初級の資格を持っていた。この自社改修の趣旨を神宮司さんに相談してみたところ、エンジン等はどうにかなるとの事だった。あとは熔接の問題だが、建設機械向けの電気熔接の技術書を取り寄せて読んでみた。目的により溶接棒の種類がある。あるメーカーの呼称では、化粧の肉盛りはRB、接合や強度を要する肉盛りはLB、表面硬化処理はHFなどの種類がある事が分かった。その中にも必要な性能などにより番手がある。使用部位や目的ごとに溶接棒の種類と番手を選択する指針、溶接棒の保管、熔接条件、これらをまとめて、簡単な熔接要領書を作った。

 消耗の最も激しいものは、足回りとブルドーザー排土板のエッジ、パワーショベルバケットの爪である。これまで爪は新品か再生品を購入して付け替えていた。それを自社で再生するのである。比較的単純で余り事故の恐れもない。私もやってみてすぐ習熟したし、社員達も熟達し自信がついてきたようだ。

 次に取り組んだのが、少し難しい足回りの履帯(トラクター)で、起動輪や誘導輪に接する履板と、大地に接するシューの部分がある。いずれも摩耗に対抗するよう堅く仕上げる必要があるものの、履板の場合堅すぎるとこれに接する起動輪、誘導輪を傷つける。これらを考慮しつつ溶接棒の選択する必要がある。

 初めての年、神宮司さんを中心とする車両課社員たちの尽力により、数台のブルドーザー、パワーショベルの整備を行った。トラクターの履帯を外し、エンジンを降ろし、外注するものは外注し、自社で行うものは分担して作業を行う。平均して10人掛かりの、足掛け三ヶ月の大がかりなものになった。

 整備に携わった社員達の人件費まで含めてコストダウンになったかどうかは疑問だが、すべてを外注したことに比較すると、現金流出を大幅に減らすことには成功した。

(佐々木 幸久)