メールマガジン第82号>会長連載

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
★【会長連載】 Woodistのつぶやき(43)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

大隅半島二人の「林業の至宝」がご逝去

 なんとこの二ヶ月の間に大隅地区の非常に優秀な、大事なお二人の林業関係者が続けて逝去された。斯界にとって大いなる損失であることは言うまでもないが、折に触れてお目にかかっていた存在感あるお二人と、これから会うこともないかと思うと、心にぽっかりと空白ができた思いがする。

 本欄ではこれまでのそれぞれの関りや思い出など記しながらお二人を偲び、冥福を祈りたい。

 

合掌

 曽於地区森林組合組合長 堂園 司 殿   

 令和2年8月1日ご逝去 行年72歳

 

 上野物産株式会社 代表取締役社長 上野 豊 殿

 令和2年9月17日ご逝去 行年66歳


堂園さんのこと

 曽於地区森林組合は鹿児島県内でも有数の超優良組合である。毎年総会では志布志市の眺望絶佳のホテルで、多数の関係者を招いて盛大に行われる。私もなるべく参加してきた。また堂園さんからのご依頼で、この会合で講演をしたこともあった。

 

 平成27年(2015年)の新年早々、有馬常務(当時、現社長)とともに、曽於地区森林組合の事務所を訪れた。用件は、原木を伐採現場から市場などを経由せず、工場へ直送するやり方をこれまで試行的に行っていたが、本格的な協定に持っていこうというものだった。かねて思いは同じであり、双方すぐに了解に達した。

 打ち合わせ後堂園さんは担当課長を伴い、近くの食堂に私たちを誘った。新年でもあり、ささやかな祝杯を挙げた。その時忘れられないヒトコマがあった。少し酔ってきてご機嫌の堂園さんが、かつての幼馴染と思しき課長に、にこにこしながら絡んだ。「汝やあん時俺せえ石ゅ投げたがね(ワヤアントキ、オイセエ、イシュナゲタガネ=お前はあの時俺に石を投げたよな)」。

                                     

 堂園さんが森林組合の経営を掌握してから、改革すべく堂園さんの打った手は、仮借のない苛烈なものだったようだ。職員の理解はなかなか追い付かず、葛藤、軋轢は高まった。現場で思わず石をつかみ、地面にたたきつけるくらいのうっぷん晴らしがあったのだろう。

 ただこの堂園改革で、組合は劇的に生まれ変わり、優良な財務体質に変わっていった。そのことへの理解、感謝、敬意は今すべての職員たちにしっかり共有されているはずだ。

 祝いの酒でご機嫌の堂園組合長が昔を思い出して、幼馴染で今や同志の課長を、ちょっといたぶる悪趣味を発揮したようだった。この堂園さんの憎まれ口に応えて課長いわく、「ほんとにあの時(石を)ちゃんと当ててりゃ良かったよ」。

 

 協定を結んだ翌年の平成28年の夏、内閣官房から連絡があった。「CLT活用促進に関する関係省庁連絡会議(第2回)」という会合において、原木の提供者とそれを利用してCLT製品を作っている現況を、堂園さんと私とで、「有識者という立場で」紹介するようにとのご趣旨であった。

 7月20日猛暑の日、場所は首相官邸の会議室。集まった提言者の顔ぶれは、当日配布の別紙をご参照願いたい。また堂園さんと私、他の各有識者の発表要旨も公開されていて、いつでも見ることができる。 

  堂園さんは資料をスライドで映しながら、大要次のように述べた。「昨年から山佐木材と、現場から工場へ直送直流の取引を本格化した。山佐木材のCLT事業のお陰で、これまでの組合の歴史の中で、初めて協定売り上げ(山佐木材との直流の)が、市売りの売り上げを超えた」。

                                


 上野さんのこと 

 上野さんとのお付き合いは、それぞれの親子2代にわたる。昭和25年(1950年)に肝属木材事業協同組合が設立されたが、設立当初から彼の父君も私の父も組合員として参加した。彼も私も当組合の二代目組合員である。

 私は平成9年、第5代の理事長をお引き受けすることになった。上野理事さんたちとの協議の下、組合活動を行う中、多くの国内、国外の視察をも行ってきた。海外ではオーストラリア、北京、ヨーロッパなど。上野さんも積極的に参加し、一緒に研鑽を深めてきた。

 

 また上野さんは、奥さんの治美常務とともに研究熱心で、林道の建設方式として名高い「四万十方式」の導入に勤め、習得し業界の皆さんに作業方法を展示披露した。

 また効率の良い間伐方式を編み出し、その名を全国に轟かせた兵庫県宍粟(しそう)市の八木木材社長八木数也氏とも親交を重ね、その指導を熱心に受けてきた。

※現在、八木木材社長は八木氏子息の浩明氏、八木数也さんは協同組合兵庫木材センター理事長、株式会社バイオマスエネルギー社長として活躍中)

 

 立木を買う、あるいは買おうとするときは、まず当社にも相談してくれた。当社の原木事情を確認し、それに応じて彼は伐採計画を立てる。こうして、曽於地区森林組合の協定と、上野さんの現場からの直送体制で、当社の原木仕入れはこれまでの市場仕入れから大きく現場直送体制に転換した。

 また当社でスタートしたCLT事業にも大いに関心を寄せかつ賛同してくれていた。上野物産ビル建設の話が持ち上がり、上野さんの気持ちもあってCLT構法での建設がたちまち具体化した。

 立派に竣工し、昨年12月に行われた、「上野物産本社ビル落成式」はいかにも上野さんらしい趣向に富んだものだった。

 

 昨年肺を手術したのだが経過も良く、会合でもよくお話しした。ただ少し速足で歩いたりすると息が切れて苦しい、などと言っていた。それは次第に体が慣れていくだろうと認識していた。それがなんと9月17日の悲報である。

  私より9歳も若くて、65歳になったばかりである。そのあまりの早い死に言葉もない。夫人の治美さんはじめご家族、従業員の皆さんのご尽力で会社を盛り立ててほしいと切に祈る。

(佐々木 幸久)