メールマガジン第76号>会長連載

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★【会長連載】 Woodistのつぶやき(41)

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第54回全国木材産業振興大会 

 昨年11月6日、高知市において第54回全国木材産業振興大会が行われた。全国持ち回りで、今年秋鹿児島市で第55回大会が行われることになっている。私も実行委員の1人であり、他の委員と共に参加した次第である。


 数百人が参加する大会後の懇親会では、各地の多くの知己と久闊を叙することが出来た。

 

大会の様子
大会の様子

 

 大会の前日大野幸一氏とお嬢様にお目に掛かることが出来た。大野幸一氏は平成12年(2000年)4月から翌年3月まで、高知県庁からの研修生として1年間山佐木材に滞在せられた。奥様とお嬢様お二人とが訪問されたときのこと、その後のことを二年前のメルマガで紹介している。
 上のお嬢様は広島大学工学部をご卒業、父上と同じく高知県庁に勤務(部署は別)しておられる。


 下記 引用文中「Oさん」が大野氏である。 

 

山佐木材ウッディストのたより(メルマガ版)Woodistのつぶやき(25)  2018/7/17 Vol.58

駅プラットホームまでお見送りに
 翌朝朝9時過ぎ高知駅発特急列車「南風号」に少し早めに乗り込む。岡山駅で新幹線に乗りかえ鹿児島へ帰るのである。
 携帯が鳴り見ると昨夜一緒だったOさんからである。見送りのため高知駅まで来ているという。列車からプラットホームに降りると、何とOさんとお嬢様がお二人立っておられる。
 Oさんは18年前高知県庁から研修のため山佐木材に派遣され、高山に一年間滞在された。単身であったが途中奥様と当時3、4歳だったかのお嬢さんとが高山まで訪ねてこられた。出発前に会社も訪問して下さったが、別れ際にお嬢さんがお父さんと別れがたくひとしきり泣いた。奥さんも当人も脇を向いて涙を堪えている。あの時の女児であったお嬢さんがまことに美しく成人され、にこにこと「お久しぶりです」。お父さんと連れだって見送りに来てくれたのだ。こうして去りがたい気持ちで高知を離れた次第。

 

高知市内散策   

はりまや橋商店街 木製アーケード
 20年以上も前に、全国初となる木造アーケードを高知県庁の方々の創意と尽力とで、建設された。年月が経った今でも素晴らしい雰囲気である。

 

ひろめ市場

 時分時高知市民に広く愛されているひろめ市場に入る。もうお昼から広い市場内の各所で、老若男女肴をつまみながらビール、お酒の真っ最中である。私もビールとお酒を頼み、食事ははきびなごのから揚げ、おでん、魚卵(鯛)を煮たもの  

市場入り口
市場入り口
市場内の風景
市場内の風景
私の昼食
私の昼食

 夜高知県庁の皆様が集まってくださいました。皆さま談論風発、いつもいつも実に楽しい集いです。少し(かなり)飲みすぎになるのが通例です。  

(当社研修の皆様※、その上司、同僚様方)

※平成10年度小野田勝氏、同11年度大野孝元氏、同12年度大野幸一氏、同13年度坂田修一氏


阿蘇一之宮手野在住 山部博典氏を訪ねる 

 昨年11月某日、阿蘇市一之宮町手野にお住いの山部(やまべ)林業 山部博典氏宅を訪問をした。これは熊本県庁林業振興課林業担い手育成班長緒方美英子主幹によるお世話で実現したものである。
                                                   
 そもそものきっかけは、熊本県林業振興課からのご依頼で「くまもと林業大学校」での講義を引き受けたことによる。講義当日は午前から夕方まで、九州大学佐藤教授、林野庁長崎屋課長(元熊本県農林水産部課長)と私の3人が講師で、一時間の講義と一時間の討議という組み合わせで行われた。討議は緒方主幹の宰領で行われたが、かねての仕事の上での活発なやり取りを伺わせる迫真の一幕もありなかなか面白かった。
 なお受講生は森林組合の幹部と林業事業体の経営者10人である。行政と担い手が密な関係を築けていること、熊本県は幸運である。

 

 夜は受講生、講師、関係者との懇親会があって、ユニークな受講生がいると感じていた理由がわかってきた。今回の参加者の中に、最初農業を志していたのだが、「ある人」の影響で林業に転向した人がいる。さらにもう一人、株式トレーダーとして国際的に活躍していた人が、「ある人」の影響で林業に転向した人がいる。

  その「転向」させた「ある人」こそが、「阿蘇のカリスマ」ともいわれる山部さんその人であると分かった。一度お会いしてみたいと緒方さんにお願いしたところ、山部さんのご了解を得て阿蘇のお自宅訪問に至ったのである。 

 

 阿蘇外輪山の高台の一画に建つお宅に、昼過ぎ到着。穏やかな好天で、山部さんが玄関先で出迎えてくれた。一見してまさに「風格の武夫(もののふ)」である。阿蘇の絶景を一望できる部屋のテーブルに、奥様の丹精による大変なご馳走が用意されている。もののふの信念に基づくとつとつとした雄弁に、心を動かさぬ人はあるまい。

左側が山部博典氏( 写真 熊本県庁緒方美英子氏提供)
左側が山部博典氏( 写真 熊本県庁緒方美英子氏提供)

国造神社を参詣
 山部家から車で数分の国造(こくぞう)神社を参詣する事になった。山部家に至る道中、この珍しい名前の神社の標柱や看板が気になっていた。

鳥居( 写真 熊本県庁緒方美英子氏提供)
鳥居( 写真 熊本県庁緒方美英子氏提供)
社殿( 写真 熊本県庁緒方美英子氏提供)
社殿( 写真 熊本県庁緒方美英子氏提供)


 山部さんは神社の総代として杜(もり)や社殿の維持に心を砕いてこられた。かつて台風で倒れたご神木の取り扱いにも全力で対処してこられた。

 

 この神社のご祭神(一ノ宮)は社殿に掲げられた由緒(略記)によると、国造速瓶玉命(くにのみやつこはやみかたまのみこと)で、神武天皇の御孫である健磐龍命(たけいわたつのみこと)の御子である。阿蘇地方最初の国造(くにのみやつこ)でもあるとのこと。

由緒( 写真 熊本県庁緒方美英子氏提供)
由緒( 写真 熊本県庁緒方美英子氏提供)

 ご祭神早瓶玉命の御陵と伝えられている上御倉古墳も、山部さんのご案内で参拝できた。

上御倉古墳( 写真 熊本県庁緒方美英子氏提供)
上御倉古墳( 写真 熊本県庁緒方美英子氏提供)

 山部さんと別れた後、緒方さんのご案内で、平成28年(2016年)熊本地震で大きく被災し、現在再建中の阿蘇神社を参拝した。こちらのご祭神(一ノ宮)は健磐龍命、すなわち国造神社のご祭神一ノ宮の国造速瓶玉命のご父君である。
 阿蘇の地に神代から現代に至る雄渾の血脈が、山部氏の中に確かに流れていると感じた。

(佐々木 幸久)