メールマガジン第65号>稲田顧問

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★【稲田顧問】タツオが行く!(第22話)

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「これまでのタツオが行く!」(リンク

22.横浜MM21ランドマークタワーの構造解析など(1)

 

 前々回は、構造一貫計算システムの開発の話をしたが、この頃の私のもう一つの主な仕事としては、20話で紹介したプログラム開発以外に、三菱地所が受託した設計物件の構造解析を行うことであった。時期的には1980年代後半、私が35歳前後の頃である。

 

 例えば、福岡天神に建設された「天神イムズ」の振動応答解析などは、多分建築センターの高層評定を立体モデル弾塑性振動応答解析で行った、最も初期の物件であったのではないかと思う。超高層建物は、当初は整形で耐震要素の偏在や極端な階高の変化などは無いことを前提として設計されたが、この頃になると、平面形状もL字型やV字型の建物なども出現し、また下層に吹き抜けを有するような大胆な建築計画が行われるようになっていた。天神イムズの場合は上層階で半階ごとに階高が切り替わるスキップフロアの建物であった。このような建物では床レベルが切り替わる場所に位置する柱に大きなせん断力が発生することが予測されたが、その応力を通常行う平面モデル弾塑性振動応答解析では、把握することは殆ど不可能であった。多くの総合設計事務所やゼネコンなどはこの様な新しいタイプの超高層ビルが解析可能なプログラムの開発に取り組んでいたが、私もそのような仕事に備えたプログラム開発を行っていた一人であった。

  

William LeMessurier
William LeMessurier

 もう一つこの頃構造解析を担当した物件で、思い出深いのは、「横浜MM21ランドマークタワー」の構造解析である。ランドマークタワーは高さ296m、70階建ての文字通り竣工すれば日本一の高さを誇ることになる建物であった。

 基本設計は事業者である三菱地所の意向で、米国の高名な建築家であるヒュースタビンス氏に依頼され、その際の構造計画は米国のルメジャ氏が担当した。程なくスタビンス事務所から、建物の概観パース(竣工した建物の雰囲気を示す詳細な透視図)が届いたが、低層階から高層階に向かって徐々に平面形状が小さくなる方向に変化する、今まで見たことも無いような優美な形状をした超高層ビルであった。取り敢えずの私の仕事は、この建物を日本で実現することの可能性を構造設計の立場から検討することであった。

 

 

 しばらくして構造計画を担当されたルメジャー氏が来日され、私はルメジャー氏とこの建物の構造計画について、意見交換する機会を持った。ルメジャー氏は、ハーバード大学の教授も兼任されている、世界的にも高名な構造家であったが、氏は大変フレンドリーな方で、話も分かりやすく、彼と話し合った2日間はそれまでの私の人生の中でも最も貴重な時間であったのではないかと思っている。ルメジャー氏の建築構造理論そのものは、大変素晴らしいものであることは理解できたが、一方で彼の理論に基づいて日本で構造設計を進めることは、殆ど不可能ではないかというのが、私の結論であった。一つには氏の部材形状選定に対する考え方が、その頃の私の常識とはかけ離れたものであった。私は、超高層ビルの柱の形状は丸型あるいは角型の閉じた整形の形状とすべきと考えていたが、ルメジャー氏は鋼板を縦に溶接で接合した五角形の、しかも一面に隙間が空いた開断面柱を提案した。構造解析も弾性設計を想定されているようだったが、当時の我が国においては弾塑性設計が常識であった。地震国である日本で五角形の開断面の柱というのは、あり得ないというのが私の結論であった。

 

  後日、ルメジャー氏から横浜の仕事に是非自分も参画したい旨の申し出でがあったと聞いたが、私は丁重にお断りすることにした。その時書いた私の手紙には、

「貴殿とお話をした2日間は、大学在学時代を含めた私の人生に於いて、最も刺激的で価値ある時間であったが、しかし、貴殿のお考えは我が国の構造計画に対する常識とはかけ離れており、貴殿と協力して構造設計を進める勇気は私には無い。」

というような内容であったと思う。ルメジャー氏のお申し出でをお断わりしたことについて、今でも時々大きな間違いをしでかしたのではないかと思うこともあるが、しかしこの辺が当時の私の限界だったのではないかと思っている。

(稲田 達夫)