メールマガジン第61号>稲田顧問

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

★【稲田顧問】タツオが行く!(第18話)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「これまでのタツオが行く!」(リンク

18.コンピュータとの出会い

  第17話では、建築構造設計分野に大きな影響を及ぼした要因の一つとして、「コンピュータの出現と進化」について述べた。しかし、それでは、私がコンピュータといかにして付き合ってきたかということになると、状況はかなり異なることになる。

 

 私が最初にコンピュータと出会うのは、大学の4年生の時、卒業論文のデータ作成のため、東京大学の電算センターに通い始めた時に遡る。当時の東大の電算センターには、日立製作所製のHITAC7000が導入されていた。第17話で述べた時代区分で言えば「第3.5世代コンピュータ」IBM370と同等性能のマシーンだったのではないかと思われる。

 翌年、三菱地所に入社すると、私のコンピュータ環境は大きく後退することになる。当時、三菱地所が保有していたコンピュータは、三菱電機製のMELCOM3100、第17話で述べた時代区分で言えば、「第2世代コンピュータ」IBM7070相当のマシーンであった。図体こそ、HITACに負けない位大きかったものの、計算速度はHITACに比べ3桁くらい遅く、使えるメモリーの量も1/1000程度であった。そもそもハードディスクは備えておらず、補助記憶媒体は磁気テープのみであった。

  

 当時の三菱地所は、構造関係でも特に振動解析に関しては、殆どのプログラムが準備されていた。その多くは大学の大先輩である、山田周平氏が作成されたものであった。山田さんは、当時池袋サンシャイシティーの設計室におられて、完成すれば日本一の超高層ビルになるサンシャイン60の構造設計の陣頭指揮に当たっておられた。池袋の設計室にはやはり大学の先輩の山崎真司氏がおられた。山崎さんは社内で自主的に有志が募って開かれる勉強会のリーダー役をいつも買って下さり、様々な薫陶を受けた。当時の三菱地所の構造グループは、会社というよりは、大学の研究室のような雰囲気が漂っていたのであるが、山田さんと山崎さんの存在は大変に大きかったのではないかと記憶する。

 

 その構造グループが使えるコンピュータがMELCOM3100というのは、いかにも残念なことであった。特に応力解析を行う場合には、1000元以上の大規模な連立方程式を解く必要があるが、通常の方法では不可能である。当時の三菱地所には、超高層ビルの設計に使用できる応力解析プログラムは無かったのである。

 

 私は入社するとすぐに、青山一丁目交差点に建設されるツインタワー「新青山ビルヂング」の設計メンバーに加えられた。当時は、やがて9.11で倒壊することになる、ニューヨークの「ワールドトレードセンター」が竣工するなど、チューブストラクチュア(外殻フレーム構造)が流行り始めた時期でもあった。当然私は、新青山ビルはチューブストラクチュアでと思ったのであるが、この建物の応力解析には少なくとも1200元の連立方程式を解く必要がある。さて、どうするか。結局私はこの問題をMELCOM3100で解決してしまうのであるが、それについては、1997年に「鉄構技術」という専門誌に寄稿したエッセイにわかり易く書かれているので、そのエッセイを巻末に添付しておく。

 

 いずれにせよ、このような経緯の中で私は、コンピュータの魅力に徐々に引きずり込まれて行くことになる。 

図-1 基準階平面図
図-1 基準階平面図

(稲田 達夫)