メールマガジン第50号>社長連載

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★【社長連載】 Woodistのつぶやき(17)

 話題1.千本松原を歩く

 話題2.訃報 建築構造家 播 繁(ばん しげる)氏

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話題1.千本松原を歩く

 先日岐阜県木材連合会の後藤前会長に呼ばれて、久しぶりに岐阜市を訪問した。午前中時間があったので名高い「千本松原」を訪ねることが出来た。高山町(現在は合併して肝付町)出身の宇都宮さんが案内して下さった。宇都宮家は高山の名家で、宇都宮さんの曽祖父は私塾を創立し、又、高山村の小学校創立に尽力した人だという。この方が平田はなさんと結婚された。平田はなさんは平田靱負家の家督を嗣いでおられたことから、以後、宇都宮家から宇都宮さんの実兄正風さんがはなさんの養子となり、平田家当主となった。平田靱負公のお墓はこのようなご縁で肝付町にある。

 宇都宮さんは親戚の経営する会社の役員となって会社発展に貢献された。今は「千本松原を愛する会」の熱心な会員として、公園や平田靱負公を祀っている治水神社に、毎月欠かさず奉仕活動をしておられる。

 

 宇都宮さんには実に丁寧にご案内して戴いた。「展望タワー」に上ると、眼下に木曽川、長良川、揖斐川三川が整然と流れて、実に美しい。宝暦年間の薩摩義士による長良川揖斐川の分流工事、明治政府による木曽川長良川の分流工事により、現在の姿になっている。

 

木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)展望タワーからの眺望
木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)展望タワーからの眺望
千本松原
千本松原
宝暦治水工事 犠牲者の碑
宝暦治水工事 犠牲者の碑

 

  宇都宮さんは郷里の先輩でお名前はもちろん知っていたが、実は今回初対面だった。紹介して下さったのは「千本松原を愛する会」会長の松田良弘氏である。松田さんは鹿児島出身で、私と同年の71歳である。松田さんと知り合ったのはまだそんなに永くならない。SAMURAI集成材の発明者であり、命名者である鹿児島大学塩屋晋一教授が「鹿大ジャーナル」2015年春号(No.198)  の「知のフロントライン」という欄に取り上げられたことに依る。

 

 松田さんは鹿児島市内の高校から鹿児島大学に進まれた。電炉メーカー共英製鋼に入社、名古屋事業所長など歴任、母校から送ってきた「鹿大ジャーナル」で先ほどの記事をご覧になった。母校の先生が、木材を鉄筋で補強するという画期的な研究をしていて、そこで使う異形棒鋼はまさに自分が永年作ってきたものである。この記事に多大の関心を覚えたのは当然だろう。

 鹿児島で建設会社を経営している大迫君は共通の友人で、話がつながり知り合えた。鹿児島市内で松田さん、大迫君、私で塩屋教授をお招きし、一杯やることが出来た。その後もいろいろと情報や人の紹介が続いた。鹿児島県人はこのように人と人との縁を紡ぐことに昔から熱心である。

 

 松田さんは今年6月末で会社を退職、ご挨拶状を戴いたがその中に「千本松原を愛する会に入会した」とあった。それはいつか訪ねていかねばと思い定めていたところに今回の訪問が実現した。ところが私の訪ねる予定日に松田さんは折悪しく別用で不在、案内役が宇都宮さんに回ってきたのである。 

 

宇都宮さんと治水神社にて
宇都宮さんと治水神社にて

話題2.訃報 建築構造家 播 繁(ばん しげる)氏

 9月5日逝去されたことが報じられた。本メルマガ先月号に加戸前知事のことで「愛媛県武道館」のことを取り上げた。この施設の構造を担当されたのが鹿島を退職後主宰された播設計室である。

 

 播繁先生のお名前に最初に接したのは、平成2年社員達と見学に行った木造「出雲ドーム」である。その規模、工法、架設方法、集成材の使用量ともに途方もないもので、当時の私たちには想像を絶するものがあった。その創指揮を執られたのが鹿島建設構造設計部長播繁氏である、と脳裏に刻みつけられた。

 

出雲ドーム(高さ49m,スパン140m)
出雲ドーム(高さ49m,スパン140m)

 

 そしてそれから十幾歳、松山で初めてお目に掛かる機会を得た。気さくで私たちの話も良く聞いてくれた。忘れもしない、こんなことがあった。

 私たちが開発していた「フィットボルト」というものがある。普通のボルトを木材に使うとき、ボルトのネジ山が木材にあけた孔に引っかかる、そこでネジ径よりも若干大きめの孔をあけることが許されている。私たちのフィットボルトはネジ山のところの径を胴径よりも少し細くしてある。木造橋のような大きな繰り返し荷重がかかる際に、ネジと孔径に差があるとがたが次第に大きくなる、それを防ぐために、実際に繰り返し荷重試験をして効果が確認されていた。

 これを播先生に説明したところ、思いも掛けず「いいじゃないか」と評価された。今回の構造物はトラス構造で非常に節点が多い、少しのがたが累積して変形が大きくなる恐れがある。孔径ピタリで良いフィットボルトを使えばその懸念が解消する、と判断され接合に使うボルトをすべて変更された。

 建物の規模が大きいのでボルトの数も数万本に上り、金額も結構なものになった。鋼材部分は製鉄所系のシステム会社が請け負っている。私たちは大変面白い体験をしたことになる。木材会社が大手製鉄所系の会社に鋼材を販売したのである。  

フィットボルトについて(旧山佐木材ホームページより)
フィットボルトについて(旧山佐木材ホームページより)

 

 

 ネットで見て初めて知ったが、播繁さんの実績に驚いた。フジテレビ本社、赤坂プリンス新館、両国国技館、エムウェーブ(木造冬期オリンピック競技場)などなど。あの良く光る目で提案する相手の目をじっと見ながら、良しと思われた案はどしどし取り入れて行かれたに違いない、それがこれだけの実績をお上げになった秘訣だったかもしれないなと、松山での生き生きとしたあの緊迫と透明性の高い打ち合わせの時間を、涙が出る程懐かしく思い出した。

 播繁先生のご冥福を祈るのみである。

 

 なお「ばんしげる」さんと読むお名前で、坂茂先生という国内外で大変高名な建築家がおられる。播繁先生より30歳位若い。実に魅力的な造形で世を圧倒しておられる。当社は現在板茂先生の設計になる「由布市ツーリストインフォメーションセンター」という名称の建物の木造部分を施工中で、近く素晴らしいフォルムが世に現れる予定である。

※シリーズCLTにて由布市ツーリストインフォメーションセンター現場の様子をご紹介しています→リンク

 

 (代表取締役 佐々木 幸久)