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★【シリーズ】CLT(Cross Laminated Timber)(40)

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CLTフォーラム2017

 平成29年10月27日・28日に「超高層ビルに木材を使用する研究会」の総会とCLTシンポジウム、

山佐木材(株)CLT工場・モルダーライン工場のお披露目見学会などが台風来襲の中、開催されました。

その記事は、研究会事務局にて掲載していると思いますので、そちらの方をご覧ください。

 

 私は・・・その前日の平成29年10月26日に東京で日本CLT協会主催の「CLTフォーラム2017」が開催され、参加してきましたので、そのことを少し書きます。

  


 

こちらの会場も、満席の大盛況。CLTと名が付く講習会・セミナーは、人気があるようです。

 

 イギリス・アメリカからの講師の方の発表は全て英語。

 ただ、同時通訳とイヤホーンが用意されており十分、理解できる内容でした。

 

 


 

 いろいろなプロジェクトの説明・報告がありましたが、大規模なそして大胆な木を使った建物が、多く「進んでいるな~!」と驚くばかりです。

 その理由って何なのでしょうね?発表者の説明にもありましたが、「耐火」に対しての考え方が大きな違いのような気がしますが・・ これは、私の私見として下さい。

 

 今年度、CLTの床の耐火認定を新しい仕様で 2時間と1時間の2つの取得に向けて加熱試験を進めていく中で、10月31日に建材試験センター様の性能評価に関するセミナーが開催され参加してきたのですが、その中で講師の方が、おっしゃっていた内容では、「防火構造・準耐火構造の場合には、求める性能に応じた火災(加熱)が終了した時点で火事が終わったとみなすが、耐火の場合には、その時点ではまだ火事は終わってはおらず、部材の裏面も含めて温度が下がり、放冷後の時点で健全でなければならない」ということになっているそうです。 

 

 

 左のグラフは、加熱試験に用いられるISO834の標準加熱曲線ですが、耐火構造の場合、書かれている放冷(加熱時間の3倍)後の温度が下がっていて、かつ健全ということになります。木質部材の場合には、燃焼はもちろんですが、炭化していても不合格となってしまいます。


 

 厳しいとは、言われていますが 日本の場合には、そのように求められます。日本でいう「準耐火」が欧米では「耐火」レベルといえるみたいです。

 昔と言っても12~13年前、先月号で書いた「燃え止まり型」耐火集成材の加熱試験では、加熱終了後もなかなか火が、落ち着かず 泊まり込み・徹夜が、何度もありました。加熱終了時には、ちゃんと残ってたのですが、消えずに温度も下がらなかったのです。欧米では、耐火でも1発合格なのでしょうね。

  

 

 CLTフォーラムで配布された資料に「高知県立林業大学校」のチラシが入っていました。

 

 開校されるのは、知っていましたが、よく読むと 何と!当社の佐々木社長が、特別教授として参加されるではないですか!!! 

 

 実は、塩崎も木造施工のコマで5コマ(1.5時間×5)ほど集成材・CLTの施工に関して話すことになりそうで、最近は元々の本業?だった木構造の設計から離れて、いつの間にか施工の担当になってしまったようです。

 当社の仕事でも、最近は、CLTの耐火認定取得の仕事が多くなっていて、昨年の入院以降あまり体を使った作業が、しづらくなったことも原因かもしれません。

 まぁ 歳も歳ですので 身体を使わず口を使ってできる仕事になっていくのかもしれませんね(笑)

 

 



ふたたび CLT床の耐火へ

 昨年の5月にCLT床2時間耐火認定を取得したばかりなのですが、年が明け・退院してから、再びCLT床の耐火認定取得に向けた仕事を再開しています。

 まだ、大臣認定が終わっていないので、詳しくは書けませんが、H28年度 CLT実証事業の中で 別々の物件で2時間と1時間の耐火認定を取得するという作業のお手伝いをしています。

 

 H26年度からCLT床の耐火試験を担当していますが、2時間耐火試験って何回やったのかな~?

 H26~H28では、年に4回は燃やしていましたし、性能評価試験では、2体×上面・下面だから計4回、今年は2時間の試験を7回も実施しています。

 先にも書きましたが、2時間加熱したら6時間放冷となるので試験時間は、8時間かかります。

 


 

 試験自体は、建材試験センター様で実施していだけるので、我々は立会と経過観察くらいしかすることは、ないのです。加熱の2時間はまだ、炉の中は炎が見えるのでそれなりに試験をしているな~って思えるのですが、後の6時間はというとパソコンに写される温度のグラフを見続けるだけ・・まぁ6時間の長いこと長いこと・・・

 でも直接は、何もせずにみているだけで「試験実施中働いています!」ってのは、楽な仕事なのでしょぅかね?(笑)

 今年の10月から、1時間耐火の試験を手掛け始めましたが、加熱1時間・放冷3時間なので 以前の2時間に比して早いこと!今年度残りは、しばらく1時間耐火の仕事を続け、来年は、また2時間の計画があるようですので当社においても耐火試験を仕切れる担当を1名増やして対応しようかな?とも考えています。

 


現場訪問

 別のコーナーでもご紹介していますが、11月10日に実施する山口県建材試験センターでのCLT床の加熱試験に向かう途中に、建て方中の「由布市ツーリストインフォメーションセンター(通称TICと呼ぶようです)」の集成材の建て方現場を大分大学名誉教授の井上先生と学生さん2名とで訪問してきました。

 余談ですが、由布院には、高校2年のときに久住・由布岳に登りに来て以来、なんと43年ぶりの訪問でした。当時は、ひなびた何もない、温泉地だった記憶なのですが、今回訪れた由布院には、観光客(特に中国からの観光客)が、平日だというのに町に溢れ、山奥の軽井沢(笑)?って感じでした。

  

 現在は、左の写真のように柱が6本建った(11月7日時点)でしたが、完成すると右のような感じに仕上がるとのことです。

由布市ツーリストインフォメーションセンター現場 11/7撮影
由布市ツーリストインフォメーションセンター現場 11/7撮影
完成予想図 
完成予想図 

坂茂建築設計ホームページより

http://www.shigerubanarchitects.com/works/2015_yuhuin/index.html

 

 またまた余談ですが、JR九州には、いくつもの観光列車が走っています。まだ乗ったことがなく是非乗ってみたいと思っていたのですが、今回の出張では山口の試験の後、上京予定だったため電車移動でしたので、大分~由布院の間だけでも「湯布院の森」に乗ろうと思っていました。行きは満席で乗れなかったため、帰りは由布院の街を1時間散策し時間を潰して乗車してきました。  

 

 

山の中を走るのでディーゼル車なので

乗り心地は、静かという感じではありませんが

内装は、とても落ち着いた感じで良かったです。

 

来月 井上先生は、再び秋田県立大学名誉教授の

飯島先生と担い手授業の一環でTICの現場を40名ほどで再び訪問予定だそうです。

 

 



余談 山国町林業者健康増進施設体育館に立寄りました

 由布院の現場で井上先生(大分大学名誉教授)との会話で懐かしい現場の名前が出たので、翌日、山口への移動の途中に立ち寄ってきました。この現場は、私が昭和59年から木構造に関する仕事を始めた施工管理第1号の現場でした。

 当時は、まだ何も判らないまま現場に行き、建方指導なる大層な役目を果たしたのですが(当時は資格を持っていなかったので施工管理ではなく建方指導と言っていました)、なかなか大変だった記憶が蘇りました。(何が起こったか?は内緒です)まだ30歳になる前だったと思いますので、すでに30年以上前のお話です。

 

 当時、昭和の終わりから平成の初めにかけて木造建築といえば、「林構事業」という中で「林業者健康増進施設体育館」なる木造の体育館が数多く建てられました。私が当時いた会社でも ここ山国町の他にも秋田県西木村・宮崎県南郷村・和歌山県龍神村などに集成材で体育館を建てさせていただきました。

 山国町の体育館に使っていただいた30年以上前の杉の集成材は、きちんと維持管理がなされていて見た限り(閉まっていたので中には入れませんでしたが)ほとんど痛んでいないように見受けられました。

 当時は、構造用集成材を作る工場がほとんど無く、大分県日田の杉を北海道まで持っていき、集成材にしてまた九州に運んだという、運搬費の高い物件ではありました。(現在のCLTもですが・・・)

 南郷村も同様に北海道まで運んだのですが、九州の物件としてそれ以前に建てられた「飫肥営林署」は、宮崎県都城にあった丸十産業さんで集成材を作ったように聞いています。

  


 

 

当時、軒を出すのには、右上の写真のような部材を付けていましたが、今考えると、わざわざ湾曲材で作っていたのは、高い軒部材だったな~と考えてしまいます。

 

これって、つくばの森林総合研究所に建てた集成材の建物の真似?なんでしょうかね?

 

 


 

 以前より気になっていた事があったのですが、杉の構造用集成材のJASは、山佐木材が第1号と聞いていますが(平成に入ってから)、先に書いた 飫肥・山国・南郷は、昭和の時代に建てられています。

 確か当時は、JASの中に「杉」が無く、一番強度の低いとされていた「とどまつ」の数値を使って設計をしたような記憶があります。(うっすらですが(笑))

 ただ全数ではないですが、ヤング係数を測るとか、年輪幅が広いものとして×0.7の低減したとかの記憶もうっすらと(笑)有ります。つまりJAS製品ではなかったのです。今と違って(笑)大らかな時代だったのですね。

 

 ダラダラと余談を書いていますが、当時は「何故?木造」と言われていたのが、ここ最近は皆が木造に目を向けるようになってきて 嬉しいやら不思議やら・・・

 集成材も当時は、3社程度での製造だったため当時は、なかなか広がりませんでしたが、工場が増えて入手し易くなり、また設計や施工をする業者さんが増えることで現在に至っていると思います。CLTも日本では、まだ生まれたばかりの新しい材料でもありブームで終わることなく今後、集成材同様に製造や扱う業者さんが増えることでますます広がっていくことを願っています。  

常務取締役技術本部長 塩﨑 征男