メールマガジン第36号>西園顧問

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★【西園顧問】木への想い~地方創生は国産材活用から(18)

  「都市の木造密集地火災の誤解解消と木材利用」

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 我が国は「木の文化の国」と言われるが、木造住宅への理解や需要が都会等では乏しい現状に何とか手を打ちたいものと思う。木造住宅への理解の乏しい原因を考えると、需要者が求める「安心な木造住宅を建てるための適切な情報提案」が、現状は不十分と考えるので、私なりの課題整理と対策案を述べてみる。

 まず市民が木造住宅の建設で最も心配するのは、「木材は火災に弱い」事と「木材は腐り易く、シロアリに弱い等の耐久性や強度への不安」だと思う。

 「木造は火災に弱い」と市民が考える原因の一つは、報道が「都会の低層木造住宅密集地の火災を、一方的にマイナス思考の説明で取り上げる」からで、国民は「木造建築物の火災への不安」を、報道から植え付けられていると思う。木造住宅密集地の火災で「木造住宅が燃えた。木造建物が延焼し被害を大きくした」との誤解を招く報道を無くなさなければ、木造住宅への信頼回復にも、木材の需要拡大にも大きなネックとなっている。

 

 テレビの視聴者は都会の住宅等が燃える場面を見せられる度に「木造建築物が燃えた」と説明されると、「木造は火災に弱いと勘違いする」のは当然である。これからは、「火災の原因は木造だからではない。古い住宅密集地で火災発生直後の消火活動が難しい場所だったから延焼した」と、誤解されない様な説明をお願いしたい。又木材関係者も、木造住宅密集地の火災の第一の原因は「木造住宅だから」ではない。過密で古い住宅地域だった要因の方が大きい事」を、丁寧に判り易く情報発信する必要がある。

 終戦直後から約20年間に建築された木造住宅は、前半は戦後の復興期だったので「被災者向けや引揚者用復興住宅等が優先」され、「人間らしい住宅環境の整備は後回しとされ、雨露を凌ぐ程度の建物確保が優先」された。後半も高度成長期に労働力の都市流入土地価格高騰対策から宅地が細分化され、更に戦後改正された財産均等相続制度の影響もあり、土地所有の細分化が著しく進んだ。市街地整備では行政が後手に回り、火災発生時の初期消火に不利で無秩序な低層木造住宅密集地が残った影響が大きいのである。

 又戦後の住宅建築需要急増期には、木造住宅用の資材不足から寸法の小断面化や耐久性に乏しい若年木材の採用も問題の一端である。設計面でも防火対策や構造及び耐久性が不十分な建物が多くなり、戦後の復興期に「日本の木造建築の良さの伝承」が一時的に途切れ、耐久性が低く火災に弱い住宅や町並みが出来てしまった。木造住宅への信頼性回復への出直しで大きな努力と時間を要しているが、要は道路や周辺空地の必要性と、建物自体の防火や耐久性対策の両面を考える余裕が無かった時代の建物だった訳である。

 

 国交省の「著しく危険な木造密集市街地」の定義は、「狭い道路沿いに高密度の老朽建物が建ち、空間や公園等や緊急避難地区等の公共施設が不備で、災害や火災には極端に弱い地区」とされ、更に可燃物が保管されていれば尚心配が大きい事になる。

 大きな火災が広がる可能性が高い木造住宅密集地には狭隘路地が残り、行止り道路や道路接地巾不足の敷地等に低層小住宅長屋住宅が建ち、しかも築後50年以上を経た古い住宅地区だから問題なのである。

昭和25年11月制定された建築基準法42条では前面道路巾は4M以上と決められ、そして敷地取付け道路(生活道路、路地状道路)は、敷地200㎡以下の場合の道路奥行き長が20M以下までは、2M以上の道路幅員と道路との接線幅が規定されている。

 敷地が200㎡以上の場合は、敷地取付け道路の奥行きが20M以内でも、幅員3M以上と規定されているが、現実は問題地区には敷地200㎡を越す宅地はほとんど無い。火災発生時に消防車両がスムーズに出入り出来る幅員巾が最低基準とされているはずなのだが。(前面道路と敷地取付け道路の角は、2Mの角地接地規定も有る。)

 

 所で「都会の木造住宅密集地での火災報道」をよく見ると、消防車の入れない建築基準法以下の道路が有る事が判る。又「都会の古い密集繁華街には、外装は最新建材で立派にリフォームされているが構造部分は古い木造だ」と見て気付く人は少ない。

 密集地で火災が起きると消化体制も不備で火災が大きくなるのに、現法律に不適な建物や地区でも、報道は「木造密集地の建物」と不適切な説明を行う。本当は木造建物の責任は小さくて、借家契約や権利関係から継続使用されている古い木造構造物地区こそ問題なのだが、「木造密集建築物は火災に弱いと誤解を与える例」となっている。

 

 東京は山手線外側に、大阪は環状線周辺に、京都は歴史が古い町だけに点在している。又神奈川は戦後の急激な人口増加期に、建築基準の指導徹底が間に合わなかった事から、今の劣悪な木造密集地域が残されて来た。東京の蒲田・池袋・浅草・向島等は、江戸名残が残ると親しまれる面もあるが、逆に火災には弱い木造住宅密集地帯でもある。 

東京の住宅密集地域


 

 江戸時代には城のある町は軍事防衛面から直線道路や広い道路は造らず、逆に角地や狭い曲り道路が意識的に造られたため、歴史の古い街ほど防火面からは問題の多い町割りが残っている。下町には人が横向きでなければ通れないほどの狭い路地の地区も残っている上に、更に路上には洗濯物や生活用品が広げられている。

 又終戦後20年間に建築された木造住宅等は、ほとんどが最近の建築基準法の防火基準も構造計算もクリアーされていない。その上に小規模で古い木造建物は良く乾燥しているから、一度火が付けば燃えやすく、火災と延焼の発生確率は高くなる。そして火災発生後の消火活動が行い難い地域だから、初期消防が遅れる事となり被害拡大するのは当然である。そんな場所の火災まで「木造住宅のせい」にするのは迷惑報道だと私は言いたい。

 

 道路幅の基準は過去の火災や災害を経験して広くなって来ている。江戸時代の路は3尺巾から6尺巾へ広がり、明治40年に警視庁が9尺巾に広げている。更に昭和13年に、防空対策や延焼対策及び自動車通行等も考慮され、基幹道路は最低幅員4Mと改定された。法改正は、それ以前の地域までは規制しないから古い不適合地域が残る訳で、東京都の木造住宅密集住宅数は210万戸と言われるほど、広域に多いので簡単には解消できない。

 現建築基準法の前面道路巾は4M以上とされているが、4M以下の道路で新築許可を受けるには、道路中央中心線より2M後退すれば建物や塀等の構築物等は建てられる。(道路向側が川等の場合は、道路反対側線から4Mの後退位置が構築物の建設許可線となる。尚、林道や農道は対象外)

 

 東京の防災計画は地震対策を中核に、更に津波延焼対策が考えられているのは、関東大震災級の再発への対策からで、総合的防災都市計画の整備が急がれる。

 大震災では延焼火災が激しかった経験から、建物不燃化と耐震対策での構造強化が進められている。そして土地価格の高騰対策として高層化が求められたので、尚更RC造化が推進されて来た。又建築の行政担当者は、戦後の建築教育で「木造建築を学んだ人」は少なく、一級建築士は高層や大面積のRC造建築を学んで来た人達と思って差し支えない。災害想定も直下型地震対策を考慮し、都市の防災対策は「地震に強く、燃えない街造り、燃え広がらない街造り」の考え方が強く出ている。都市計画は「長期的視野に立った防災と建築計画、道路拡幅計画や公共施設の計画的配置、更に市民の公共優先の思考」を総合的にバランス良く組立てられなければならない。

 防災計画は重要だが、住民が住み易く健康志向で心の安らぎを感じ、地域を大事にしたくなる様な街造りの考えが根本に在るべきだ。そのために都市機能を支える建築部分に人工的資材が多用されるのは時代の趨勢だろうが、人々が生活する居住部分には市民生活を安定させる自然素材の活用が求められる。地球環境の維持や日本全土のバランスの取れた地方振興対策を考えると、木材に勝る素材は無いと言われる。

 

 所で最近の木造建築物の耐火対策と耐久性向上の技術レベルは年々高くなり、都会の防火区域内でも木造の4階建や5階建の建築例が増えて来ている。又今年から解禁された学校建築木造3階建や、大型ショッピングセンターの木造施設の建設例の情報や知識を、国民へ広く適格に提供する努力が必要だ。人の眼や肌に触れる内装部材には木材を、又大空間を構成する構造材や施工の簡素化を実現するには、自然素材を高次加工した集成材やCLT材の活用を勧めたい。有限の建築資材より、これからは地球環境保全を考えて再生可能な木材を利用すると共に、海外での木材利用の先行事例に負けずに、最新の加工技術の木材製品をもっと取り込んでもらいたい。

国内初となる耐火木造の大型商業施設「サウスウッド」完成パース

(横浜市都筑区 延床面積10,874.33m2)

竹中工務店ホームページ

 報道の情報提供力や国民への伝達力の大きさを活かすため、上記の様な情報を木材関係者が適格に繰り返し、報道関係者や市民へ伝える事が木材の需要拡大につながる。その努力こそが木材産業振興策の基盤となり、地方創生や地球環境保全に効果的な林業振興の底上げに貢献する。「木造住宅密集地の火災の誤解解消」が、一般の木造住宅や中大型木造施設への信頼感の獲得にも繋がると考えるので、木材業界関係者はハード・ソフト両面から、コマメな情報提供の努力に取組む事を切望する。

(西園)