メールマガジン第36号>役員挨拶

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★役員からのメッセージ               取締役総務部長  前田 和浩

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8月末の台風で被災された皆様に衷心よりお見舞い申し上げますとともに、一日も早い復旧・復興をお祈り致します。

 9月1日は「防災の日」でした。大正12年9月1日が10万5千人余りの人が亡くなった関東大震災発生の日であり、暦の上で二百十日にあたることから、地震や風水害への知識を深め、これに対する心構えを準備しようというねらいで創設されたそうです。毎年国や県、市町村が主体となってさまざまな防災イベントが実施されます。

 この日を、私たちも企業として、防災意識を醸成する機会としてとらえたいと思います。

 

 我が社では、火災については、社内自衛消防隊を編成し、全社で消火訓練を行っていますが、自然災害への対策は明確でなく、対応訓練などは実施されていないのが現状です。さまざまな自然災害が想定される今日、企業存続の課題として、

「災害で、工場や事務所で働く従業員や協力業者が怪我をしたり、命を落としたりしないこと。」

を第一の目的として、防災計画への取り組みを進めて行きたいと思います。

 

消化訓練の様子
消化訓練の様子

 

 さて、東日本大震災の発生から2ヶ月後の2011年5月はじめ、岩手県大船渡市に出張し、1週間ほど滞在する機会をいただきました。宿舎は、肝付町役場をはじめとする大隅地域の4市5町の職員の皆さんが各種のボランティア活動の拠点としている公民館に寄せてもらいました。

 私も体育館での支援物資の受け入れや配達管理の作業に参加し、ご一緒した地元ボランティアの方々ともいろいろな話をしました。中には家族やご友人を災害で亡くされた方もいらしたと記憶しています。そのとき、「大船渡には、『津波の時は、ひとり一人ばらばらでもとにかく振り返らずに逃げろ。』(家族や仲間のことは心配しなくても良い。彼らも助かるために逃げているから)という諌めがあるのだ。」と、話してくれた方がいらっしゃいました。この言葉の前提としては、全員の安全があり、そのために一人の自助行動として迷わず逃げること。私は、防災の出発点はここにあるように思います。

 

 例えば、弊社には3つの工場がありますが、どこも川に近く低地にあり、安全な高台にある工場はないのです。もし地震による津波災害の避難を想定するとき、避難計画にはあらかじめそれぞれの工場に最寄りの神社や高台を避難場所と決めておき、各々自分たちの安全の確保だけ心配して避難せよ、と明示することも大切なのではないでしょうか。

大船渡市の支援物資の受け入れ・配給施設のひとつ立根小学校体育館
大船渡市の支援物資の受け入れ・配給施設のひとつ立根小学校体育館

 

 ところで、災害時、避難に自動車を使うのが、移動速度・移動距離ともに優位と思われますが、本当にそうでしょうか。

 実は、東日本大震災のとき、私は東京ビッグサイトからJR大森駅近くのホテルまでの約10㎞を自動車で移動しました。国道に出たとたん、車輛の流れは渋滞し、歩行者(帰宅困難者)が車道まであふれ、普段なら20分もかからないところを10時間余り要してしまったのです。このような状況は、冠水などが発生すれば田舎でも起こりうることですし、車内にいるから安全という保証はない、逆に水で流されるなどの危険性が高まる可能性もでてきます。

 避難移動の手段は、想定する災害ごとに、あるいは発生からの経過時間によって徒歩から自動車などまで地域に合わせて計画しなければならないと思います。

 

大船渡市の被災車両置き場 所有者やその家族が自家用車を探しに来られていた(2011年5月頃)
大船渡市の被災車両置き場 所有者やその家族が自家用車を探しに来られていた(2011年5月頃)

 

 防災の日を機会に、会社としての防災計画について、取りかかりを少しだけですが述べてみました。想定される災害の範囲は広く、リスクの程度もさまざま。また、防災対象も、工場や現場で働く人、家族、お客様、取り巻く地域の人々多岐にわたります。皆で知恵を出して、まずはできるところから、始めたいと思います。

※大船渡の写真は肝付町様より提供いただきました。

(取締役総務部長 前田 和浩 )