M田のぶらり旅・さつまの国「吹上町 透き通る碧の湯 もみじ温泉」

第3回 吹上町 透き通る碧の湯 もみじ温泉

 日吉からさらに南下し旧吹上町にはいると「温泉のやど」などと書かれた看板が目につくようになる。鹿児島市街からも県道22号線で伊作峠を越えれば30kmほどの距離だから、疲れを癒したい人にとっては、日常生活からしばし離れてゆっくりと休める湯治の里といったところだろう。

 鹿児島県内には霧島や指宿のように全国的にも有名な温泉街のほかに、ひなびた湯のまちが多い。そこには地元の人たちが毎日通っても飽きないほどの魅力にあふれた立ち寄りの温泉がある。ここにもいいお湯が湧いているはずだ。期待を胸に看板の案内のまま車をすすめてみるとしよう。

 

 

 国道270号線から県道を山の手に1.5㎞ほどはいったあたり、湯之浦川という小さな川沿いに5軒ほどの温泉宿があつまる「吹上温泉」はある。

 まちへの入り口に建て替えが終わって間もない「吹上温泉郵便局」が見えてきた。郵便局の名前に地名ではなく、わざわざ「温泉」の文字がついているのは、往時、なじみの宿に長逗留して、便りや送受金をする湯治客が多かったことの証しだろう。しかし今、かつての温泉街に向かう道は人通りもわずかで、営業している店も多くはないようだ。

 通りを進んでいると左手に「西郷南州翁来遊の碑500m→」と白塗りの板に一行筆書きのみの札が立っていた。矢印は、温泉のある方から右に180°の方向を指している。まずはこちらからご覧なさいと言うことか。その先に続いている林道は、道幅もせまく急な登りである。ありきたりな石碑にがっかりさせられることがよくある。そんな気もしないではないが、行ってみることにした。林道の途中に、今度は踏みあともうすい山道をさして、「徒歩80m」の札が立っている。ここまできたら見て帰らぬわけにはいかない。落ち葉と枯れ枝を踏みながら短い坂を登ったさきに、杉と楠のうっそうとした林に囲まれて、2m四方、高さ3m以上はあろうか、立派な石碑が建っていた。上段の天然石には「西郷南州翁来遊之碑」と刻字されている。その碑名にそえて「元帥伯爵 東郷平八郎 畫」とある。

 

 

 日露戦争において、日本海戦でロシアバルチック艦隊に完勝した東郷平八郎が揮毫しているのだ。元帥まで登りつめ軍神といわれるほど崇敬された彼がどのような思いで、「西郷さんが来て遊んだ」と書いたのだろうか。大いに興味をそそられるものがある。

 下段の碑文には昭和2年建立と記している。ちょっと調べてみると、この年は西郷隆盛が西南の役に敗れ鹿児島城山で自刃して、ちょうど50年の時が流れていることになる。半世紀という節目の年の意味もあるのかも知れない。

 明治維新、日清、日露戦争の勝利をへて大正、そして昭和まで海軍軍人として生きた東郷平八郎は、西郷より20歳年下、同じ鹿児島城下加治屋町で育っている。そして、この碑名を揮毫したのは彼がかぞえで80歳の時であった。年を重ねた東郷元帥が、明治政府を下野して帰郷した時期にしばらくここで過ごした西郷に対するさまざまな思いと、その後西南の役で50歳にならない若さで逝ってしまったことへの哀悼の意を込めて筆を執ったことは想像して差しつかえはないと思う。

 ふたりの偉人を刻した碑は、当時の吹上温泉街の誇りとして、まち全体を見おろすことのできる丘の頂上に建てられたのだろう。そのころは周囲の樹木は払われていて、まちから歩いて登れるような小径もあったかもしれない。

 

 想像を切りあげて、西郷南州翁が何度も訪れたという伊作温泉に浸かってみよう。

 坂を下りて通りの交差点を直進すると「もみじ温泉」が右手に見える。木造の白壁に「源泉かけ流し」と書かれてある。今回はここに決めた。

 

 

 向かって左に島津の宿、右に島津の隠し湯と二棟。奧には家族湯もあるようだ。

 さっそく棟間のせまい通路にはいり、右手の受付で勘定を済ます。そのむかいが温泉の入り口になっていて、暖簾がかかっている。木床の脱衣室はきちんと清掃され、素足に心地よい。壁の適応書には硫黄泉、疲労回復、切り傷にも効能有りとある。先の碑文に、西郷は戊申戦争後と、征韓論に敗れたとき鹿児島に帰り、伊作の霊泉を訪れたと書いてあった。傷つき疲れた心身をこの淡い硫黄の香りする源泉で癒したのだろう。

 濁りのない碧色のお湯で溢れた三畳ほどの広さの湯舟が二槽、少し熱めとちょうどいい熱さに仕切られている。赤銅色のタイルで覆われた壁床に暖かみを感じる。

 

 

 大きな窓からの陽射しで浴室全体が明るく、木造の天井も湯気を逃すためのがらりが光を通し梁や桁、天井板などを明るく見せてくれている。快い開放感のある風呂場である。

 

 

 先客は、地元の知り合い同士らしい、かなりの先輩が二人、年金の話で盛り上がっていた。

 この澄んだ温泉に毎日浸かっているからだろう、声も大きくて元気、そして気さくである。

 先の碑文に「翁(西郷隆盛)は常に愛犬を牽きて萬山を渡り衆人と混じて霊泉に浴し」とあった。うさぎ狩りを好んだ西郷が山々を駆け回ったあと、温泉に浸かりながら伊作の人々と語り合うようすが浮かんでくるようだ。

 ふたつの湯舟に交互に浸かって、身もこころも芯から暖まった。

 外に出ると、まだ浅い春の川風がほてりをほどよく冷ましてくれる。

 

 日置市を吹上海岸に沿って南下してきた。伊集院は関ヶ原の戦いで敵陣中央突破し敗走した島津義弘。東市来は朝鮮出兵時に連れてこられた陶工たち。日吉は明治維新十傑の小松帯刀と、それぞれの町に時代の主役がいた。そして、吹上では、西郷隆盛と東郷平八郎が現れた。

 あらためて薩摩の歴史は奥深く、路は楽しみで満たされていると思う。

 さらに南へと足を伸ばしてみよう。

 

************************************************

もみじ温泉

入浴料  400円 

営業時間 午前6時~午後9時(立ち寄り湯)

定休日  水曜日

日置市吹上町湯之浦2503

                                            (M田)