M田のぶらり旅・さつまの国「夕日がにあう癒しの湯 薩摩薬師温泉」

 みなさま、素晴らしいご新年をお迎えのことと存じます。

 ご無沙汰しておりました。M田です。

 気分も新たに、さつまの国の道々で立ち寄った、じわりといい感じのところをご紹介できればと思います。本年もよろしくお願い申し上げます。


第1回 夕日がにあう癒しの湯 薩摩薬師温泉

 平成の大合併は、中央や県から見れば自治体の数が減った分だけ事務などの負担は減少したかもしれないが、さつまの国をあちこちと移動しているわたしには広くつかみどころのない境界線が引かれたうえに、合併前にその町がもっていた由緒ある名前や独特の魅力を無理やり剥奪してしまったように思えてならない。

 さて、鹿児島市郡山町(旧日置郡郡山町)あたりから伊佐市へと向かうには、薩摩川内市入来町を経てさつま町で国道328号から267号へと乗り換えて走ることになる。現さつま町は、薩摩郡宮之城町と薩摩町が合併して誕生した町である。

 

 宮之城は地元では「みやんじょ」と発音され、薩摩言葉にはめずらしく語感は穏やかで豊かな土地の印象が伝わってくるように思う。大河川内川の流れにのる水運と、南に向かえば鹿児島市、西には薩摩川内市、東は伊佐市、北は出水市にと幹道が集まっている。北薩摩の商業・交通の要所であり、観光・遊興の中心地であったし、旧国鉄時代には宮之城線という地元の足として欠かせぬ路線が、川内駅から薩摩大口駅まで走っていた。

 

 一方薩摩町は、江戸時代から隣の山ヶ野金山とともに永野金山の門前町としてさかえ、明治期には西郷隆盛の子菊次郎の指導で、鉱業と人材育成に重きをおいた一種文化的な雰囲気をもつ賑やかな町であったと聞く。高校時代、宮之城線に乗ると汽車は薩摩永野駅で、大口へ向かう分岐と登り勾配を緩やかするためにスイッチバックをしていたことを思い出す。いまは、駅公園にその軌道が、往時を偲ぶように残されている。

 

 

 宮之城を後にして、ゆったりとした山あいの国道を東に向かうと、右手の田んぼの向こうに、あぶなく見落としそうなほど控えめに、薩摩薬師寺が見えてくる。九州八十八ヶ所霊場第48番、山号は音泉山、真言のお寺だ。この境内に質素な温泉舎が本堂の手前に建っている。

 

 

 わたしがここを通るのはきまって日が沈むころで、本堂と温泉舎は、杉山を背にして夕陽に照らされている。稲刈りの終わった田には、電柱の影だけが長く延びる。この時刻、一日の仕事をおえた善男善女がひとっ風呂浴びに来ていることだろう。

 さっそく、玄関横にある受付窓式の番台に挨拶して入浴。

 

 壁に大きく掲げられた温泉分析書には、アルカリ性単純温泉、泉温42.5℃とある。掛け流しである。なるほど浴槽には無色透明で無臭、40℃あるかないかのお湯があふれていた。みなさんつるつるのぬるめの湯に、ゆっくりと浸かり疲れを癒している。

 二つある湯舟のひとつは、境内の井戸からひいた水風呂で18℃くらいだろうか、ほどほどの冷たさで心地よいばかりだ。蛇口からとくとくと流れ出る水を手ですくって飲むと美味い。自宅用に持参したペットボトルにこの水を汲んで帰る人も多いようだ。

 

 

 温浴と冷浴を数回繰り返せば、からだは芯から暖まり、浮き世の垢も、煩悩もすっきりと落ちてしまい、どことなく身軽になったような気がする。

 浴槽も、洗い場も、脱衣場もきれいに清掃されていて、清潔感がただよっているのがうれしい。

 

 番台の皿に、柿が切っておいてあったので、湯疲れ防止に一切れいただいた。

 汗を拭きふき駐車場に出ると、豆腐屋の移動販売車が、夕餉の一品にいかがと停まっていた。薬師如来様の恩恵を受けた手前今宵は精進。奮発して鹿児島産大豆の木綿豆腐と黒胡麻豆腐を買って帰ろう。冷や奴とお湯割りが待ち遠しい。

 ここから伊佐市までは長いのぼり坂が続く。夕暮れ時の求名坂(ぐみょざか)である。

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薩摩薬師温泉

住 所 薩摩郡さつま町求名570

入浴料 250円

(M田)