M田部長のぶらり肝付町の旅・流鏑馬の練習はじまる

 

 9月の声を聞いたとたん、風が涼しくなりました。柿も色づきを増し、葛のやぶ奧には紫の花穂も見えております。蝉の声もいつのまにか「カナカナ」に替わっているようです。

 月初め、論地工場へ行こうと下住工場を出て、高良(たから)橋を渡り、ふと右手の旧鉄道跡の土手に目をやると、ふだんは全く人気のない桜並木のみちに多くの人影が見えました。馬もいます。 

 

田んぼの中の土手に大勢の人と馬が。
田んぼの中の土手に大勢の人と馬が。

 

 肝付町の秋の大祭「流鏑馬」の練習が、今年も始まったようです。早速右折して、堤防へ。

 この地の流鏑馬は、高山「四十九所神社」に毎年10月半ばに奉納される神事で、900年の歴史を持つと言われています。今は射手(騎乗する少年)を、8月に肝付町在住の中学2年生から希望を募り、9月から馬に触れるところから訓練する慣わしになっています。十四歳の少年が、わずか一月半で、手綱を放し疾走する馬上から、弓を引き矢を放つまでに技を磨いていくわけです。

 

練習をはじめて実質三日目。もう片手は離しています。
練習をはじめて実質三日目。もう片手は離しています。

 

 鉄道跡に行ってみると、少年はもう片手だけで手綱を引いて、馬を早駆けさせていました。

 大勢の人影は「綱持ち」と呼ばれる加勢人で、今日は高山中学二年生の有志が50人ほど。本番同様、馬の走る方向の右手1.5mくらいに、3町(約330m)にわたってまっすぐに張られた綱をもって立ち、訓練を見守っているところでした。馬にも人に慣れさせる訓練を兼ねているのでしょう。目の前を疾走する馬、綱持ちも結構勇気の要る役割です、みんな良い感じで緊張気味。

 指導をし、神事の準備を進めるのは「高山流鏑馬保存会」の方々。この時期からは仕事そっちのけの日々が始まります。疾駆する馬の正面に立って、走りをおさめるのも慣れたものです。が、どちらも大変ですよね。

 

綱持ちは同級生でした。先生がたも並んでいます。
綱持ちは同級生でした。先生がたも並んでいます。

 

 今年、平成最後の(2018年)の射手は、大園悠馬君。高山中学校の二年生です。バスケット部に所属しているそうで、乗馬の勘は鋭いと保存会のおじさんたちが言っておりますが、まったくそのとおりでしょう。

 そして、そのお父さん、健一さんは、昭和最後63年(1988年)の射手なのだそう。しかも流鏑馬の長い歴史の中で、親子での射手は初めてとのことです。何か運命的なものがあるような気もします。

 練習は毎夕方、1日四回騎乗。これから本番に向け短い期間の中で、一段ずつレベルを上げる厳しい練習が続きます。

 夕焼け空の下お父さんは、毎回息子の無事を祈りつつ、うつむき加減に歩きながら真砂を撒き、馬場を浄めるのです。これを見るだけでもジンとくるものが。そして、お母さんは、あの明子姉さん(※1)のように息子の姿を遠くで見ています。さらにジンとくる。

 

 実は、綱持ちは、練習している馬場に行けば誰でも参加できるのです。近くで見ると、すごい迫力が堪能できるうえに、射手や、お父さんがひとり一人にお礼を言ってくれます。これも感動ものです。近くにおいでの方は参加必見、その価値は十分にあります。

 秋がいよいよ深まるこの時期、つるべ落としの夕刻、「やっさん」(流鏑馬祭り)までその準備を見続けるのも、肝付の季節を楽しむひとつの方法かもしれません。

(次は秋空を見るか M田)

 

騎乗の練習が終わると加勢人皆さんにお礼のひとこと、射手と後射手※2。
騎乗の練習が終わると加勢人皆さんにお礼のひとこと、射手と後射手※2。

 

※1 梶原一騎原作 川崎のぼる作画「巨人の星」より 明子は主人公星飛雄馬の姉

※2 後射手とは前年の射手で、射手の乗った馬を全力で追走する。射手に事故ある場合は則交代できる技量を持つ。

取材協力 高山流鏑馬保存会