ポーランドに行ってきました!(後編)

 ポーランドを代表する作曲家でありピアニストの「ショパン」。ワルシャワの国際空港にショパンの名前がつけられるくらいの超有名人です。

 ポーランド(特にワルシャワ)にはショパンゆかりの場所がたくさんあるのですが、面白いのは「ショパンのベンチ」。ボタンを押すとショパンの曲が流れるという優れもので、街中のショパンゆかりの地に置いてあり、ベンチごとに曲が違います。

ショパンのベンチ(ボタンを押すと曲が流れます)
ショパンのベンチ(ボタンを押すと曲が流れます)
色々なところにショパン
色々なところにショパン

何てことない壁にも楽譜があると雰囲気が出ます
何てことない壁にも楽譜があると雰囲気が出ます

 

あちこち行きましたので、写真とともにご紹介。

まず「ショパン博物館」

 解説が英語とポーランド語のみなのが残念ですが、貴重な資料が展示されていて、ショパンの色々な曲を聞ける結構ハイテクな仕組みもあります。建物も古いお屋敷をきれいに活用していてなかなか居心地が良いです。

 ショパンの人生が展示されていますが、病弱で人生の後半は病との闘い。39歳という若さで亡くなります。

 

ショパンの生家「ジェラゾヴァ・ヴォラ」にも行きました。

それほどファンというわけでもないですが、ここまで来たらという感じです。

生家が復元されています
生家が復元されています

 

 ショパンの父親はフランス人で、当時フランス語を貴族に教えていたそうです。

 ショパンが生まれてまもなく一家はワルシャワへ引越したので、ショパンが育ったのはワルシャワ。ここには夏の休暇時に遊びに来たりはしていたようです。

     


インフォメーションセンターが集成材で出来ていたので、思わず撮影。雰囲気の良い建物でした。
インフォメーションセンターが集成材で出来ていたので、思わず撮影。雰囲気の良い建物でした。

 

「ワジェンキ公園」

柳の木の下にたたずむショパンの大きな像があります。

日曜日はここでショパンコンサートが行われるそうです。

 

 

「聖十字架教会」 

ポーランド分割などの影響で、パリからワルシャワに帰れなかったショパン。亡くなるときに「心臓をワルシャワへ」と言い残し、お姉さんが実際にワルシャワに運びます。その心臓が「聖十字架教会」の柱に保管されているらしい。すごい話です。

聖十字架教会
聖十字架教会
ショパンの心臓がこの柱の中に
ショパンの心臓がこの柱の中に


 ワルシャワでは、きれいな街並みをたくさん見る事ができたのですが、これは「戦後の復元である」ということに驚かされます。ショパンの心臓が安置されている聖十字架教会も復元。というかワルシャワの街自体がほとんど復元です。

 ポーランドは第二次世界大戦でナチスドイツの侵攻を受け、「ワルシャワ蜂起」の失敗によりワルシャワの街はドイツ軍により破壊。特に旧市街は徹底的に破壊され、多くの市民が亡くなります。 

ワルシャワ蜂起の記念碑
ワルシャワ蜂起の記念碑

 

 戦後、ワルシャワ市民たちは旧市街の街並みを昔の姿のままに再建する道を選びます。建築科の学生が残したスケッチや歴史的絵画などを元に、一つ一つの建物を「レンガの割れ目一つに至るまで」忠実に復元しました。

瓦礫と化した街
瓦礫と化した街
戦前に描かれた絵をもとに復元
戦前に描かれた絵をもとに復元

中世のヨーロッパを感じさせる街並みを復元
中世のヨーロッパを感じさせる街並みを復元

 

 

 

 ポーランドには、「アウシュビッツ強制収容所」(ナチスドイツ時代のユダヤ人収容所)もあり、戦争のことを考えさせられます。

 近隣の強国から、侵略され、分割され、再建。また侵略されて、破壊されて再建、といったことを繰り返してきたポーランド。ワルシャワ旧市街の復元にしても、ショパンの心臓の話にしても、ものすごい愛国心が伝わります。 

 数日しかいませんでしたが、人々は穏やかで勤勉で真面目。日本人と少し重なるようなところもありますが、信仰心があつく、教会で熱心に十字を切る姿が印象的でした。

(また行きたい)

(M理)


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コメント: 6
  • #1

    内田敏博 (日曜日, 01 1月 2017 13:34)

    リタイアしたら行ってみたところにヨーロッパがあります。スペイン、ポルトガルが本命でしたが、東欧もよさそうですね。文化が根付いている感じです。
    森林はいかがたでしょうか。
    日本の北海道と同じ森林帯があると聞いているので少し気になります。

  • #2

    mamehara yoshihsige (木曜日, 05 1月 2017 11:32)

    アウシュビッツの収容所にも行きました。立ったまま拷問を受ける独房も、カス室、焼き殺された後のメガネのフレームの山などなんとも痛ましい光景でした。もっときたに行くと国立の広大な面積を持つ森林研究所もあり赤松林もありました。西側陣営に組みいれられて自由貿易になると、ドイツ企業の傘下になったようですが、家具工場もありました。バルト海に面したところは交易で栄えた証が残っていました。

  • #3

    山佐木材メルマガ委員会 (木曜日, 05 1月 2017 18:06)

    内田様
    コメントありがとうございます。今回は観光メインで森林には行きませんでしたが、ポーランドの風景は北海道にかなり似ていると思いましたので、北海道と同じ森林帯があるというのも納得です。次回行く機会があれば世界遺産になっている木造教会群があるらしいので見てみたいです。(M理)

  • #4

    山佐木材メルマガ委員会 (木曜日, 05 1月 2017 18:43)

    mamehara様
    コメントありがとうございます。アウシュビッツは何とも信じがたい酷い施設でした。このような歴史は繰り返してはならないです。今回はグダンスクなど海側には行けず残念でした。(M理)

  • #5

    Mia Chabolla (火曜日, 24 1月 2017 20:32)


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  • #6

    Hiroko tanaami (日曜日, 06 10月 2019 10:49)

    全てを興味深く拝読致しました。8月に機会を得てポーランドのオルスティンに行ってきました。ワルシャワはもちろん訪れた場所(トルン)には、ほとんどゴミは落ちていませんでした。街並みもすばらしかった。日本に戻ってしばらくは、現実に戻るのが大変でした。ポーランドについては、あまりにも知識がなかったので関する本を読んでいます。近いうちにまた行くつもりです。
      2019/10/06