ウズベキスタンに行ってきました!(後編)

おそらく多くの日本人が私と同じだと思いますが、ウズベキスタンに行くまで、その歴史や日本との関わりについて、どの辺りにある国なのかさえ、ほとんど知りませんでした。

 ウズベキスタンは、東にモンゴルや中国、北にロシアという内陸国、13世紀にはモンゴルによる征服、14世紀のティムール王朝を経て(この時期にサマルカンドの開発が行われる)、19世紀にロシア帝国の統治下に入ります。1991年、旧ソ連の崩壊により共和国として独立、まだ独立して20年余りの国です。

 

今回のツアーで、タシケントの「ナヴォイ劇場」と「日本人墓地」を見学しました。

「シベリア抑留」という言葉は聞いたことがあると思いますが、実際にはシベリアだけでなく、旧ソ連であったウズベキスタンにも、たくさんの日本人が送られたそうです。


ウズベキスタンに送られた日本人が建設に従事したのが「ナヴォイ劇場」です。この劇場は1946年に完成しますが、1966年のタシケント大地震で多くの建物が倒壊する中、無傷で残り、避難所として利用されたことで、日本人の仕事は素晴らしかった、という話が今も伝わっているとか。

ナヴォイ劇場
ナヴォイ劇場

1991年の独立後、ウズベキスタンと日本の交流が始まり、日本人墓地の整備も始まりました。

タシケントの日本人墓地は市民墓地の一角にあり、ここに87名の日本人が埋葬されています。名前と出身県を刻印した墓石が設けられ、桜の木も植えられていました。

日本人墓地にて
日本人墓地にて

ツアーで一緒だった方が、ハーモニカを持ってきており、皆さんで一緒に歌いましょう、と「ふるさと」を吹いてくださいました。帰れなかった日本人のことを思って準備してくださった曲でした。

遠いウズベキスタンの地で、まさか「ふるさと」を歌うことになろうとは思ってもみませんでしたが、不思議と雰囲気にぴったりで、歌詞もまた心に沁みました。

 

兎追ひし彼の山 小鮒釣りし彼の川

夢は今も巡りて 忘れ難き故郷

 

如何にいます父母 恙無しや友がき

雨に風につけても 思ひ出づる故郷

 

志を果たして いつの日にか帰らむ

山は青き故郷 水は清き故郷

 

インフレだったり、トイレの水が流れなかったり、まだまだのところがたくさんあるウズベキスタンですが、ウズベキスタンの人々がとても友好的で好感が持てました。写真を撮っているとニッコリ笑って勝手に入ってきたり、高所作業中の人達が両手で手を振ってきたり(危ない)、「コンニチワ」と話しかけてくる人も多かったです。

あとは食事だけ気をつければ。あっさりして美味しいのですが、日本人には油が合わないのかツアー参加者の多くが後半ちょっと大変でした(私は帰国してから大変でした)。(おわり)

(M理)

ガイドのヒューサン(右)と。一番左は勝手に入ってきた知らないおじさん(笑)
ガイドのヒューサン(右)と。一番左は勝手に入ってきた知らないおじさん(笑)

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コメント: 2
  • #1

    鹿児島県木材協同組合連合会 三窪 (火曜日, 24 11月 2015 11:23)

    珍しい国に行かれましたね、・・・スタンという国名はイスラムの国だとすぐ解りますが、治安は如何だったですか?
    また、言語は何を使っているんですか?
    機会があったら教えてください。

  • #2

    山佐木材メルマガ委員会 (火曜日, 24 11月 2015 13:06)

    三窪さん コメントありがとうございます。
    治安は悪くないです。(ものすごく良いわけでもありませんが)イスラム教徒ですが、わりと緩やかです。たぶん日本の仏教徒くらいの緩やかさです。
    言語はウズベク語ですが、みなさんロシア語も話します。英語はカタコト話せる人もいます。あとは身振り手振りです。(M理)