М田次長のぶらり肝付町の旅・肝属川編①

こちら肝付町でも朝夕はだいぶ冷え込むようになってきました。

山佐木材・下住工場のすぐ南を流れる肝属川は、この時期になると霧に包まれることがよくあります。それはとても幻想的な景色で、通勤の途中でも、暫し仕事のことを忘れてしまうほど見応えのあるものだと思います。

そこで今回から、この「肝属川」をぶらっとしてみることにしました。

霧に包まれる肝属川。真ん中に見えるのが高隈山御岳(おんたけ)
霧に包まれる肝属川。真ん中に見えるのが高隈山御岳(おんたけ)

肝属川は、その水源を高隈山地御岳(写真山塊の真ん中の峰)に発し、36もの支川を集め、志布志湾に注ぐ1級河川です。

河口は、肝付町波見、向こう岸は東串良町柏原になります。

延長が34kmと、とても短いのに、標高差が1180mもあり、昔から水害を繰り返してきた暴れ川でもあります。同じ鹿児島県内を流れる川内川は延長137km、標高差は1417m。勾配で比べると3.4%対1.0%と3倍も厳しいことが分かります。

山佐木材下住工場の航空写真
下住工場の南側を流れる肝属川

河口から下住工場までの河川距離は7000m、この地点での河川水位は7m(河口=0m)ですから、ちょうど1/1000勾配。

この辺りは太古(6000年前くらい)海だったのです。その証拠にボーリングデータを見ると、地下10mくらいまでは湿地植物由来の泥炭層が堆積しています。

そこから下は約2万2千年前に姶良カルデラが大爆発したときのシラス層が最大180mの厚みで覆っています。

下住工場南の堤防に立って、南から西、そして北へと見渡すと、「ああ海だったんだなぁ」としみじみ思います。

「清流」の記念碑
「清流」の記念碑

さて、肝属川は大きな洪水を何度も繰り返してきました。

それで昭和12年から国が主体となり、本格的な改修工事が始まったそうです。しかし緒に就いたばかりの昭和13年10月14日から15日にかけ未曾有の大雨による大水害が発生し、肝付町(旧高山町)で死者118名、行方不明者53名の大惨事となりました。

その水害史実と犠牲者の冥福の祈りと、また治水工事への感謝を表して、支川高山川の赤池橋下流右岸に「清流」の記念碑が建てられています。

(参考 国土交通省大隅河川国道事務所ホームページ)

(M田)