山口隆男先生

去る5月27日、恩師山口隆男先生が逝去されました。先生との出会いは私が中学2年生の時で、先生はその時確か22歳です。それ以後五十余年、時に先生にお目に掛かって酒を飲むのが、私にとって無上の喜びでした。これから先もうお会い出来ないと思うとつい涙がにじみます。

 

当社季報春季号(第15号)を送ったのに対し、ほんのこの間の4月19日に、以下のようなメールを送って下さっていました。
「ウッディストのたより」有り難うございました。複雑な構成の建物の画像を拝見しました。ゴシックの教会を思わせる、従来の木造建築と全く異なった木造建物の時代になったのだと思いました。お仕事の一層の発展を期待しています。

山口隆男On 2013/4/19 at 9:20 T. Yamaguchi wrote

 

※山口隆男先生について

ラ・サール学園教諭の後、九州大学大学院を経て、熊本大学理学部教授、元同大天草臨海実験所所長。大学での研究の外、シーボルト研究の第一人者としても知られる。オランダライデン大学にはシーボルトが日本で収集した膨大な資料がこれが未整理のまま保管されていた。先生は大学勤務中から退職後も含めて五十余回にわたりオランダに渡航、同標本の分類、目録作成に死の直前まで精力的に取り組む。未完。

 

(佐々木幸久)

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弔辞(平成25年5月29日ご葬儀)
山口隆男先生弔辞.pdf
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コメント: 4
  • #1

    藤井 廣 (金曜日, 16 8月 2013 11:16)

     私は山口隆男君の山川中学時代の同級生です。
    数日前、隆男君の思い出となるような著書をインターネットで探す途中
    偶然、、貴方様の弔辞を読み、隆男君のこれまでの歩み、人柄が良く表現されており大変感動しました。
     早速印刷して残してあります。その内、同級生にも紹介したいと、思います。ところで、今日はこのコメントが貴方に届くかどうか分かりませんが、
    彼の記念となるよう私たちでも入手可能な手ごろな本がございましたら
    教えてください。また、彼が長崎の長崎文献社から依頼され亡くなる直前まで其の準備に掛かっており、資料はほぼ出来上がっていたことは文献社から聞いておりますが、その後、どうなったのか知りません。
     若し貴方様がこの件もご承知ならごお知らせ下さい。
    誠に勝手ながら、隆男君の五十日祭も終わり、丁度旧盆のこの時期、
    これも何かの縁と思いますので、宜しくお願い致します。 早々
       平成25年8月16日 藤井 廣
        (〒2939-0803 神奈川県横須賀市桜が丘2-20-1631)
          M℡Fax 046-833-3634

  • #2

    woodist (金曜日, 16 8月 2013 15:44)

    藤井様
    丁寧なコメントをありがとうございます。
    お問い合わせについては社長から直接お電話させていただきました。
    普段社長はブログを書かないのですが、山口先生のことは書きたいということで掲載したものです。
    インターネット検索でこのブログが出てきたのも何かのご縁でしょうね。今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。

  • #3

    藤井 廣 (火曜日, 20 8月 2013 13:44)

    大変な重職で毎日ご多忙と推察致しておりますが、私のお問い合わせに早速、社長自ら電話で直接、ご連絡を頂き有難うございました。
     しかも昨日(8月19日)には私の勝手なお願いに自筆で結果と貴社の
    出版物までご恵送頂き大変恐縮致しております。
     山口君の教育の薫陶no片鱗を感じ、其の教えは立派に受け継がれていたことを痛感しております。
     また、会社の前向きな事業の進め方にもその一端が伺えました。
    山口君も幸せです。きっと喜んでいると思います。
     ところで、私が依頼しました事項につきましては余りお手を煩わせるるのもどうかと思いますので。
     お蔭様でこれまででかなり様子が分かりましたので、後は私なりに探してみたいと考えます。  誠に有難うございました。 早々
                       平成25年8月20日 藤井 廣拝                              (hujii@sky.plala.or.jp)

  • #4

    川平幸三郎 (火曜日, 07 7月 2015 11:14)

    初めまして。ラ・サール高校13期、福岡在住です。私も山口隆男先生に生物を習いました。とても新しい学問で驚きました。お人柄も抜群。私には苦い思い出があります。夏休みに宿題があるが、「ヒドラ」を採取すれば、宿題をしたと認めてやるというものでした。当時の鹿児島大学の農学部の溝にたくさんおり、早速採取して先生の下宿に届けました。が先生も夏休みで長期不在だったそうで、ヒドラは生きていませんでした。また何時でしたか、BS1で「シーボルト花物語」という番組を偶然視聴し、先生の登場となったところで昔のVTRに録画いたしました。オタクサ、シキミ、ギボウシ、カノコユリ、ツタなどをシーボルトが500種類も持ち出し、250種は根付き、ヨーロッパで愛好者も多いとのお話でした。時代が変わり、CDにデータとしていたものをDVDに最近したところです。お兄様は大迫哲様、姉妹の方は七隈の尾野医院の現当主のお母様であり、お会いしたこともあります。
    甥御さんからお亡くなりになったことは聞いてはいたのですが、さていつだったか?と。5月27日(2013?)と佐々木様のホームページで知りました。ありがとうございました。佐々木様も九大理学部に席を置かれていたとプロフィルで知りました。いつかお目にかかりお話を伺いたいものであります。取り急ぎご連絡まで。