第9回 指宿市 温泉郷の大衆浴場(1) 指宿温泉郷 弥次ヶ湯温泉
新型コロナ感染症が5類に移行されてから、国内の観光地や温泉地をめぐる番組が増えてきた。そのなかでも砂蒸し温泉をメインにした指宿の紹介が多いように感じる。
指宿は、霧島とならぶ鹿児島県内有数の温泉郷である。指宿市観光課のデータでは、令和元年は、入込観光客数は年間370万人を超えていた。市の人口3万7千人のおよそ100倍にあたる人々が国内外からここを訪れていたのは、数多い老舗の温泉旅館やホテル、絶景の海岸線がひろがる露天風呂、そして、世界で唯一ここでしか体験できないといわれる天然の砂蒸し温泉など観光資源の豊かさからだろう。コロナ禍の影響で、令和3年、観光客は年間220万人まで減少してしまったが、温泉郷としての魅力は衰えてはいないはずだ。ウィズコロナとなったこれから、観光客数も回復し街に以前の活気がもどってくることを願いたい。
ところで、指宿市という一大湯の町に暮らしている地元の方々は、普段どんな温泉ライフを過ごしているのか気になるところだ。毎日砂風呂に埋められるわけにもいくまい。手軽で身近な、入り心地のよいお湯があるに違いない。インターネットで「指宿 大衆浴場」と検索してみると17の浴場が掲載されているページが現れる『いぶすき観光ネット』。
入浴料はだいたい300円から350円、なかには150円で入れる浴場もある。この価格なら毎日だって銭湯感覚で利用できる手軽さはある。けれども、湯屋のおもむき深さやお湯の入り心地などについては、やはり実際に行ってみないことには、パソコン画面からは伝わっては来ない。ということでまず、ネットに掲載されている大衆浴場、弥次ヶ湯温泉を訪ねてみた。
鹿児島市内から南に向かって国道225号線を経て国道226号線を南下。車は左手に波静かな錦江湾を、さらに対岸には桜島、大隅半島の山並みを観望しながら走る。国道のすぐ右横を並走しているのはJR指宿枕崎線だ。ディーゼルカーに揺られながら、缶ビールを置いた車窓から見る南国の景色もきっといいものだろう。
指宿市内に入るとすぐに「道の駅いぶすき」が見えてくる。ここで販売されているソフトクリームは、オクラが練り込まれているクリームの横に、寄り添うように塩ゆでオクラが乗っていて、けなげで健康的においしい。
市街地に入ると、田口田交差点から左折して「なのはな通り」に入る。JR指宿枕崎線を越えると正面に海に向かって平地がひろがっている。この道を直進すれば、老舗温泉やホテル、砂蒸し温泉などが建ち並ぶ指宿温泉街に通じているのだが、すぐに左折して市役所方向にむかう。
市役所を過ぎると300mほどで左手に「♨創業明治25年弥次が湯温泉」と書かれた茶色の看板が見える。矢印にしたがって小径にはいるとすぐに駐車場、その奧に2棟の木造の湯屋が建っている。温泉街からはほどよく離れていて、田んぼに面した静かな立地である。
参考にした三国名勝図会に「水田の間に湧出す、(中略)、往昔 弥次といふ者掘出せり。故に其の名を得たり。」とあることからも、いま目にしている風景は昔のままなのだろう。
第8回 鹿屋市 落花生と双子の木橋
台風6号が迷走しながら通過しているうちに、暦の上では秋になってしまった。この時期、肝属鹿屋の笠之原台地の畑では落花生の収穫の真っ最中である。水が乏しく、台風の風が激しく吹きさらすシラス台地の畑作は、草丈が低く土の中に収穫の対象が埋もれているサツマイモと落花生が風害リスクの少ない作物として生産されてきた歴史があるようだ。
酒造用、デンプン用の甘藷を主体とすれば、落花生の作付けはさほど多くはなく、その収穫はほとんど手作業でおこなわれている。夏のはじめ頃から、広い畑に腰をかがめて、株を引き抜いては子房柄(しぼうへい)に付いているたくさんの鞘(さや)をひとつひとつ根気よくちぎっている姿をあちこちで目にするようになる。
第7回 鹿屋市 夏空の高隈山と山寺鉱泉
大隅半島の中央部、錦江湾よりに位置する高隈(たかくま)山地。最高峰大箆柄岳(おおのがらたけ 標高1,236m)を含め、標高1,000m超の7峰が連座する山塊は、四季を通して、あるいは眺める者の位置によって、それぞれに違う姿を見せてくれる。
また、古くから修験道の霊山として知られ、それぞれの山頂には、祠が残っていて、修験の荒行が行われていた昔をしのばせる。
わたしも友人や家人と、あるいは単独で登ってみたが、どの登山道も整備されてはいるものの易々とはいかない厳しさが印象的だった。しかし、山頂からの眺望はすばらしく、垂水側の大箆柄岳からは桜島の噴火口を眼下に見おろし、運がよければ錦江湾のはるか南に屋久島をとらえることもできる。また、鹿屋側の御岳(標高1,181m)からは鹿屋、肝属平野の広さのさきに、ゆったりと弧を描く志布志湾を望めるのである。登り甲斐のある山々だと思う。
ふもとに住まう人々も、この山の特別な存在感を感じているように思う。わたしの子供たちが通った地元高校の校歌を見てみよう。
鹿屋農業高校 「仰げば高し 高隈の むらさき匂う峯の色~」
鹿屋高校 「山高隈に月影落ちて 北斗消えゆくあけぼのの空~」
どちらも「高隈」の二文字が、畏敬と愛着をこめて読み込まれている。きっとほかの高校も、このあたりの小学校や中学校の校歌にも、同様の思いを伝えるためのこの二文字が入っているのではないだろうか。
梅雨の時期なかなか全貌を見せることのなかった高隈山が、夏空のもとくっきりと姿を見せてくれるようになった。わたしには翼を大きく広げた鷹のように見えるのだが、鳥の見過ぎだろうか。
第6回 出水市 梅雨のさなか紫陽花とざる蕎麦 東雲の里草の居
薩摩半島西岸の最北に位置する出水市。鶴の飛来地として名高い町だ。2006年に旧出水市と野田町、そして高尾野町が合併してあらたな出水市となった。旧3市町ともそれぞれ「麓(ふもと)」と呼ばれる武家屋敷群が大切に残され活かされている。
そのような町並みにしっくりと落ち着く木造の支所が、2019年に野田、2020年に高尾野に新築された。両方の構造体を弊社で施工させていただいたのでご紹介したい。
第5回 霧島市牧園町 ラムネ温泉 千寿の里で龍馬をおもう
鹿児島県内には温泉が多い。錦江湾岸、薩摩半島、霧島から北薩摩、大隅半島、離島まで、温泉と名のつく入浴施設がない町があるのだろうか。指宿温泉や霧島温泉のような収容人数の大きな温泉旅館から、集落でよりあって運営しているようなところまで多種多様な「温泉」に行く先々でお目にかかれる。
そもそも錦江湾が巨大なカルデラだというのだから、そのまわりに温泉が湧くのは不思議ではないのだが、実際の数はどれくらいだろうか。
調べてみると環境省のデータでは、源泉数は2,745、42℃以上の高温源泉が1,806もある。利用されている源泉でみると1,198。国内では大分県に次ぐ源泉数を誇っているという結果だ。まったく実態が予想を上まわってしまった。(環境省自然環境整備課温泉地保護利用推進室 令和3年度温泉利用状況より抜粋)
そんなわけで、薩摩の国では、犬も歩けば棒に当たる前に温泉に当たるようだ。今後とも有名無名にとらわれず、個人的に気に入っているか、気になっている温泉を取り上げていくことにしようと思っている。
国道223号線は、宮崎県小林市から霧島市まで、霧島山の南麓に沿っていくつもの温泉地をめぐりながら蛇行して南下している。国立公園の森や渓谷を左右に見ながらその道を走れば、四季折々の美しい風景と温泉を楽しむことができるだろう。道筋は、鹿児島県側領域はすべて霧島市で、かつ旧牧園町内を通過している。国道沿いのランドマークとして、2021年3月に完成した霧島市役所牧園総合支所をご紹介したい。
5月は山佐木材の新年度スタートの月です。
5月1日(月)8時より従業員全員集合し、令和5年度の方針発表会を行いました。
一人一人に方針書が配布され、榎原専務より前年度の令和4年度の成果発表が行われました。
第4回 南さつま市加世田 かあちゃんのお昼ご飯 辻食堂
国道270号線は、日置市を南に抜けて、南さつま市金峰町にはいる。
この町の東、大坂地区にある「金峰2000年橋」をまずご紹介したい。山佐木材が施工し、2000年1月に竣工した木橋だ。上を走る車道を湾曲集成材のアーチで支える形式では最大級で、幅8.5m、長さは42m、設計荷重は25t。ダンプカーも通行している現役の県道である。橋、その向こうの大鳥居、その奧に見えるご神体の金峰山、この3つがつながる風景にはなかなか出会えない。ぜひご覧になっていただければと思う。
令和5年3月9日、宮崎観光ホテルにて「宮崎銀行ふるさと振興助成事業」表彰式が執り行われました。弊社を含め宮崎・鹿児島両県の13社が表彰を受けました。
この宮崎銀行ふるさと振興助成事業とは、宮崎銀行様が地域産業の開発と振興に貢献することを目的として設立し、「産業開発部門」「地方創生部門」「ベンチャー企業部門」「学術研究部門」の4部門で助成を行っております。
今回、第41回目の助成先として弊社が「産業開発部門」の『国産材を使ったCLTの開発・製造・設計・施工』で表彰を受けることとなりました。
これからも国産材を使ったCLTの開発・製造・設計・施工を一体的に取り組み、地域における産業の担い手として活躍してゆく所存であります。
(森田)
第3回 吹上町 透き通る碧の湯 もみじ温泉
日吉からさらに南下し旧吹上町にはいると「温泉のやど」などと書かれた看板が目につくようになる。鹿児島市街からも県道22号線で伊作峠を越えれば30kmほどの距離だから、疲れを癒したい人にとっては、日常生活からしばし離れてゆっくりと休める湯治の里といったところだろう。
鹿児島県内には霧島や指宿のように全国的にも有名な温泉街のほかに、ひなびた湯のまちが多い。そこには地元の人たちが毎日通っても飽きないほどの魅力にあふれた立ち寄りの温泉がある。ここにもいいお湯が湧いているはずだ。期待を胸に看板の案内のまま車をすすめてみるとしよう。
令和5年1月17日、鹿児島県庁18階かごゆいテラスにて、鹿児島県と山佐グル-プ+山佐木材㈱という山佐5社との間で「脱炭素社会の実現に資する等のための建築物等における木材の利用の促進に関する法律」に基づいた県内初となる「建築物木材利用促進協定」締結式が執り行われました。同時に鹿児島県と一般社団法人鹿児島県林材協会連合会との締結による今回2団体であります。
この建築物木材利用促進協定とは、協定を結ぶ私共と県との協働・連携により木材の利用促進するために、民間建築物において鹿児島県内にて産する木材(かごしま材等)をさらに利用拡大することを目的としております。
また連携強化を図る私達山佐5社は、建築物へのかごしま材を中心とした地域材の利用に向けて、林業経営、人材育成、木材供給・利用において連携を図りつつ一体的に取り組み、地域における森林資源の持続可能性を確保しながら、2050年カーボンニュートラル実現に貢献したいと考えております。
(有馬)
第2回 手作りバイキング 味処正ちゃんで昼ご飯
鹿児島県の地図を広げると、西側が薩摩半島、東側が大隅半島、南に薩南諸島が続いている。その地図を右に90度回転すると、薩摩半島は子牛の首頭のように見えてくる。きれいに弧を描く首のあたりが吹上浜、47kmにおよぶ砂丘である。海岸線に沿って、国道270号線がいちき串木野市から日置市をへて南さつま市まで、南へゆったりと延びている。
日置市は、2005年に伊集院、東市来、日吉、吹上の4町が合併して誕生した平成大合併のまちである。東シナ海を望む薩摩半島の西に位置し、ちょうど鹿児島市と背中合わせに隣接している。
みなさま、素晴らしいご新年をお迎えのことと存じます。
ご無沙汰しておりました。M田です。
気分も新たに、さつまの国の道々で立ち寄った、じわりといい感じのところをご紹介できればと思います。本年もよろしくお願い申し上げます。
九州・沖縄の情報や技術・研究等が集中する福岡市に営業所を開設致しました。
これまで東京出張所や熊本営業所を拠点に営業活動していましたが、
3年ほど前に閉所し、鹿児島からの情報提供のみとなっておりました。
福岡営業所を開設することで、タイムリーに情報交換に繋げられることや提案活動にも幅が生まれ、
より一層の繋がりや安心をご提供出来るものと期待しているところです。
熊本県出身の宇田(うだ)が常駐することになっていますので、木材料や木質構造等について
ご質問やご不明な点、ご確認したことなどが有りましたら、お気軽にお問い合わせ下さい。
所 在 地 〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉2丁目3-16 紙久ビル402号室
電話番号 092-600-9310
F A X 092-600-9311
(山佐木材株式会社 営業部一同)
平素は格別のご愛顧を賜り厚くお礼申し上げます。
熊本震災以降、長らく閉所しておりました「熊本営業所」の代わりとして
福岡市中央区に「福岡営業所」を再出発する運びとなりました。
これまでお問合せ頂きながらも、なかなか伺えなかったお客様へのご挨拶や、全国のお客様へ、
より一層迅速にご対応できるよう努めて参ります。
2022年10月1日の開所を目指して、現在準備を進めておりますが、
詳細をお知らせできるようになりましたら改めてご案内いたします。
今後とも変わらぬご愛顧ならびにお引き立てを賜りますよう願い申し上げます。
(山佐木材株式会社 営業部一同)
こんにちは!ウッディです!
今回は「山佐木材」として2022年3月1日~3月4日に東京ビッグサイトで行われました「NIKKEI MESSE 建築・建材展」に参加してきました。
「woodistへの道」も探索してきましたので今回はそのレポートです。
こんにちは!ウッディです。今年もちゃんと冬が来ましたね。
冬は木のぬくもりや焚火を最高に楽しめる季節だと思っています。
今回も元気に外で「woodistへの道」を模索します。
いつもは大隅の地が活動拠点ですが、今回は少し足を延ばしました。
新年明けましておめでとうございます。この年末年始は久々に帰省ラッシュなどの人の大移動がありました。「2年ぶりの帰省」といった話もよく聞こえてきました。ご家族、ご親戚、地元の友人との親交の大事さを改めて感じられたお正月だったように思います。しかし、いよいよ2022年は本格的な景気回復基調か、、と新年の期待を抱いている矢先のオミクロン株。ただ、今回は全く初めてのことではありませんので、三密を避ける等の基本動作を軸に冷静に対応していければと思います。感染拡大回避、医療機関ひっ迫を避けるためにも、引き続き一人一人が感染予防の取組を心掛けて参りましょう。
こんにちは!ウッディです。過ごしやすい日が続いています。
山佐木材がある大隅半島と言えば桜島がある錦江湾。志布志湾に太平洋。三方を海に囲まれた自然には事欠かない場所です。
今回は海でウッディストへの道を探してみようと思います
文化の日を前に11月1日、学術、芸術、社会活動など様々な分野で鹿児島の発展に貢献した2個人1団体に主催する南日本新聞社の佐潟隆一社長様から南日本文化賞が贈られました。
山佐木材株式会社は産業経済部門での受賞でありました。
南日本新聞社主催の南日本文化賞受賞を受けて、城山ホテルの元専務である上原様からお手紙を頂戴しました。
大変素晴らしい(嬉しい)内容で、久しぶりに電話でお話しました。
メルマガ公開のご了承をいただきましたので、ご紹介します。(佐々木幸久)
10月26日、南大隅町にある「つじみ保育園」の小さな皆様が来社されました。
つじみ保育園様は、地元の自然を生かした様々な体験活動をされており、その体験活動の一環として当社の工場を選んでいただきました。
元気いっぱいの子供たちを引率の先生方と一緒に、工場内の安全な場所を選んで見学いただきました。
皆さんおそろいのつなぎ姿に心がほっこりしました。ぜひまた遊びに来てくださいね!
(総務経理部 森)
こんにちは!ウッディです。行楽です!自然です!キャンプです!
というわけで今回も前回同様東串良町「ふれあいの森キャンプ場」からお届けします。
今回は焚き火にまつわる「木」のお話。
令和3年4月1日、新たに3名の社員を迎えることができ、入社式を行いました。
入社式では社長から辞令交付があり、「製材部」「建設部」「品質管理室」へ配属されました。
部門は違いますが、同期として切磋琢磨しながら頑張っていってくれることを期待しています。
新入社員研修3日目~5日目は、稲田顧問の建築講座や、近隣物件の見学、外部の新入社員研修に参加したり、2年目の先輩社員と対談したりして、座学期間は終了。
ぶじに入社式を終えた新入社員たちは、真新しい制服に着替えて、5月18日まで続く新入社員研修に入りました。初日の研修には中途入社の社員たちも加わります。
全国の工場好きの皆さま、こんにちは! メルマガ委員長のM理です。
この夏は本当に毎日暑かったですね!
弊社も暑さに負けそうですが、何とか稼働しております…(^^;
さて今回は、8月に入社、ただいま研修中のU田さん持ち込み企画。
U田:工場の中の色々な場所を撮影してみて、スマホの待ち受けにしたら、結構かっこいいんですよ!
T田:へー、すごいですね!!
U田:インスタ映えというか、写真映えというか、フォトジェニックなんですよ!
T田:(フォトジェニック・・・)
U田:これダウンロードできるようにしたら良いと思うんだけどな~
T田:メルマガに掲載してよいですか?
U田:えー!もちろんです!うれしいです!!
T田:(熱い!・・・)
ということで、U田さんに全面協力いただいて、14枚の画像を提供いただきました。
私たちが見ても、「あれ?これどこ?」という斬新な切り取り方です。
そして何だかオシャレ・・・
「U田さん、スゲー」と、密かにメルマガ委員会への勧誘をたくらむM理でした。
現地時間 平成31年2月4日(月)7:00 朝食
日本時間 平成31年2月4日(月)19:00
ドレーク海峡を航海
荒れることで有名な海峡だが、行きには船側から驚きを以て表明されたが凪(なぎ)続きであった。帰りに海峡に入ったその朝から大時化(おおしけ)である。ただ船には揺れ留めの装置があり、それが効いて私は特に船酔いはしなかった。
荒天の中、船はひたすら航走するのみ、手持ちぶさたである。希望者には9時半から、14時から、16時半からと次々に勉強会が行われる。
当社では国産材の需要拡大を目指してCLTに関する研究開発を続けておりますが、木構造振興(株)に申請した提案が今年度の補助事業に採択され、第一回目の委員会を開催することになりました。
(事業名「令和元年度合板・製材・集成材国際競争力強化・輸出促進対策のうちCLT建築実証支援事業のうちCLT等木質建築部材技術開発・普及事業」)
委員長は「超高層ビルに木材を使用する研究会」の会長でもある稲田顧問です。
森林総合研究所様、福岡大学様、鹿児島県工業技術センター様、ならびに委員の皆様のご協力、ご指導をいただきながら、柱梁鉄骨造・CLT床構造のビル型建物向けに、CLTを用いた制震壁システムの開発を行います。
コロナウイルスの緊急事態宣言が日本全国を対象として出されました。もちろんこちら大隅半島も例外ではありませんが、ありがたいことに現段階では、会社には通常出勤できています。
令和2年3月14日 観測史上最も早く靖国神社のソメイヨシノの開花宣言が発表され、22日には満開とのお噂でした。
しかし、九州南端鹿児島だけは27日になっても開花は発表されていません。「休眠打破」がぼんやりしているのが原因だそうですが、それならこの冬はどこも暖冬だったはずで、少し納得がいかないところであります。地元では、「鹿児島気象台の標本木は遅咲きの性分らしい。」という説がまことしやかにささやかれ始めました。
ただこの春は、新型コロナウイルスの感染拡大対策で、満開となった桜の名所も花見の宴は自粛をうながされているとのこと。憂さ晴らしもままならないでしょう。
ルメール海峡を通り抜ける
今朝は朝食を早めに取る。今朝は楽しみな行程があるのだ。
南極半島と、島の間の狭い狭い「ルメール海峡」を船が通り抜けるのである。両岸から雪をまとった岩がせり出している。海峡の長さは11㎞余り、海峡幅は最狭部で200mしかないのだという。「氷山や風など航海状況が悪いときには海峡通貨を断念することもあり得ます」と、船内放送が煽(あお)る。乗客も固唾をのんで最前部に集まる。午前6時を過ぎた頃である。
令和2年4月1日(水)桜の花のほころび始めた春の日、新たに3名の社員を迎えることができ、
弊社の会議室で入社式を行いました。
今年度の入社式は、コロナ対策のため参加人数を減らしたうえで実施しました。
お世話になっております。
このたび、弊社紹介用のパンフレットを新しくしましたのでお知らせします。
内容を更新するにあたり、施工実績については設計事務所様や元請会社様、事業内容については社内各部の協力をいただきまして、良いものが出来たと思います。
ご協力いただきました皆様、ありがとうございました。
森昌子が「ヒュルリー、ヒュルリララー」と情感をこめて歌った「越冬つばめ」。テレビの前で裏声を絞り出しながら口ずさんだムキも多いことでしょう。季節にそむいたために冬の寒さに凍えてしまいそうなはかなさがせつせつと伝わってきて、思わず「大丈夫ですかぁっ?」と声をかけたくなるほどです。
ツバメは、春先3月半ばころに南の国から日本列島に渡ってきて、夏中に子育てをし、秋にはまた南の国へ帰っていく夏鳥です。おおかたは冬を待たずに姿を見せなくなるのですが、本州以南では少数が越冬するそうです。こちら肝付、鹿屋あたりでも真冬に見かけるようになりました。しかしながら、この越冬ツバメたちがどこをねぐらにしているのかは、M田研究不足で知りませんでした。
毎朝の日課 船内新聞を見る
部屋の外ドアの横にある文書受けに、毎朝早くに船内新聞が入る。その日の予定などが書いてあって、まずはこのチェックが毎朝の日課になる。
1月30日のものをお目に掛ける。PONANTというのはボレアル号などクルーズ船を運用しているフランスの会社である。
新年のご挨拶を交わしてから早1ヶ月。寒中お見舞い申し上げます。
気象庁からは全国的に暖冬傾向にあると予報が出されましたが、いかがでしたか?
こちら南九州大隅では、特有の黒土の畑が真っ白な霜に覆われる朝もあれば、外水道のバケツには薄い氷が張る日もあるにはありましたが、いつもと比べれば冬らしい日の少ないお正月でした。
そんな中、1月25日旧暦での元旦を迎えたとたん、鹿児島県内では南風が吹いて最高気温が20℃近くまで上昇。外での作業は汗ばむくらいで、上着を脱いでTシャツ一枚の人もおりました。さらに、26日の夜から翌日の明け方にかけては、季節外れの暴風雨が吹き荒れ、フェリーや新幹線など交通機関への支障も出るほどでした。
ほんとの意味で初春を迎え、その陽気に応えるように、庭の梅もほころび始めています。
自宅を出てから5日目。気象に恵まれて予定の30日朝到着予定が半日早く目的地に到着。
午後から南極上陸となる。想像もできない大量のペンギン親子たち。運営会社はツアーや旅行でなく、「エクスペディション」であると位置づけている。辞書を引くと「探検(隊)」或いは「遠征(隊)」と出てくる。
1月11日(土)、鏡開きの今日は、朝から10時の休憩に向けて「鏡開き」のぜんざい作り。
今年も事務所の皆さんが準備や買い出しをしてくださいました。(ありがとうございます!)
工場のあちこちに飾っていたお餅を回収し、また各家庭のお餅もご提供いただいて、一年ぶりの餅焼き。
ストーブの準備(薪ストーブに火をつけるところから)、小豆の準備、昨年苦戦した柔らかいお餅対策として、今年はホットプレートも準備しております。
それでも餅が焦げた!醤油がない!等々、やっぱりバタバタです。
(私は手伝いもせずに写真とってました!すみません!)
アルゼンチン最南端の都市「ウシュアイア」を出て、荒れることで有名な「ドレーク海峡」を二日間かけて南下、細長く南極半島、東シェトランド諸島をめぐり、再びドレーク海峡を北上、出発地のウシュアイア市へ向かう。船中10泊の船旅である。
明けましておめでとうございます。編集長のM理です。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて去年の11月、お休みをいただいて、仕事とは全く関係なくニューヨーク・マンハッタンに行っておりました。
とてもメジャーな場所ではありますが、まず場所の確認から。
前回、ここ大隅の秋は近頃なくなったようだ、というようなことを書いてしまった気がします。しかしながら、四季の国日本で秋が削除される現象が起こってはいけないはずで、11月も末を迎えた頃、それを証明できるものはないのか?コスモス畑とかバラ園とか何となく「秋っぽいなぁ」とは思わされるけれども、どうも印象的すぎて弱い。「大隅の秋はこれです。」と日本中に胸を張って言えるようなものはないのだろうか。と探していました。
そんな思いを知ってか知らずか、大海酒造株式会社 営業の平後園さんから「今年の焼酎の仕込みもほぼ終わりました。工場見学できます。」とのお声かけをいただきました。
立冬を迎えると、ここ肝付の最低気温は11℃前後になってきました。このあたりの山肌の木々は紅葉する前に茶色く散ってしまうものが多いようで、南国の少し残念なところです。
11月1日に木材利用推進中央協議会主催による「令和元年度 木材利用優良施設」の表彰式に、みやこ下地島空港ターミナルのCLT施工者として、三菱地所様、日建設計様のご好意により出席させていただきました。
受賞作品のうち、弊社も携わらせていただいた施設が他にも2作品あり大変ありがたく感じました。
10月19日(土)、当社が事務局をつとめる「超高層ビルに木材を使用する研究会」の第7回総会、記念シンポジウムが下記のとおり福岡で開催されましたので、ご報告いたします。
10月に入りました。しかし、南国鹿児島はさすがに南国だけあって、昼間は熱中症注意報で「要警戒」が呼びかけられるほどの暑さです。この地方の住人たちから、
A:「こんごろ、あっがねごっなったなぁ。はい、なっ、いっきふいじゃ。」、
B:「まこっじゃ」
C:「じゃっど、じゃっど」
という四季の国NIPPONに暮らす者とは思えない会話が聞こえてくるもの無理からぬことかもしれません。(和訳はページ下。)
ここ肝付で、初秋を体感させてくれるのは、夕方暮れかかる頃に吹く風くらいでしょうか。ビール片手に庭に出て、夕月を見上げながら、涼しい空気に包まれるのいいものです。
2019年1月27日(日)
ボレアル号(Le Boreal)に乗船、出港準備、出航
18時に乗船、これは日本時間同日午前6時である。家を出たのが日本時間25日午前8時だったから、正味70時間経過している。
処暑も過ぎ南国大隅でも、朝夕は幾分過ごしやすくなりました。近くのスーパーへの買い物も、「ちょいと自転車で行ってみるか。」などという気分にもなってしまうくらいの肌持ち。歩きにはまだまだ暑いけど、自転車に乗って走る風の涼しさはなかなかいいものです。手軽さと、購入費用を除けば経費は0というのも、自動車にはない魅力かもしれません。
旅のきっかけ
半年前に本欄に以下の投稿をした。ずいぶん時間がたつので、再掲したい。「以下次号以降詳細報告」と予告しながら、半年以上空いてしまった。お詫びしたい。
(2019年2月号から引用) https://goo.gl/W66UBj
何と家内と南極旅行をする羽目になった。自宅を出たのが、平成31年1月25日午前6時。そして帰ってきたのが2月9日の深夜。
今回は夫唱婦随ならぬ「婦唱夫随」の仕儀であった。私が体を動かしたのは必要とされる健康診断と、旅行料金の払い込みの時のみで、あとは全くの家内任せ。
鹿児島から羽田経由成田までの道中に、初めて詳しい旅行日程表を見た。南極大陸北西端から細く南米大陸へ手を差し伸べているような「南極半島」と、その近辺の「南シェトランド諸島」と言われる地域の周遊であることをその時初めて知った。
自宅を出てから羽田経由成田まで約5時間、成田から約12時間かけてアメリカのダラス、そこからさらに11時間掛けて、アルゼンチンのブエノスアイレス、さらに国内線で300km南下して、「世界最南端の都市」ウシュアイア市。そのウシュアイアの港からフランス船籍クルーズ船「ボレアル号」に乗船したのが、現地時間1月27日午後6時で、ここアルゼンチンと日本との時差が12時間あるので、日本時間では28日午前6時である。自宅を出てから途中ブエノスアイレス、ウシュアイアで若干の観光をしたものの、ホテル一泊、機中泊二日を含めて、まるまる72時間後である。ここから更に丸2日ボレアル号で、荒海で有名な「ドレーク海峡」を越えて南氷洋に至り、驚天動地の南極クルーズを体験することになる。
(引用終わり)
7月24日頃、気象庁は九州南部の梅雨明けを発表しました。確か北陸当たりまで同じ頃の梅雨明け宣言だったようです。今年の梅雨は長かった、雨も多かった、だから涼しかった。
思えばあの頃はよかった。いまはただ、真っ赤に燃える太陽に夏を乗り切る力を試されている毎日です。
さて、我が町肝付には、あの初代「はやぶさ」を打ち上げたJAXA内之浦宇宙空間観測所があります。ここで暮らしている町民は「全国的に見ても、宇宙に一番近か町の筆頭と威張っても良かくらいだ、種子島とは歴史が違う。」と密かに誇らしく思っている風であります。たとえば、鹿屋市から肝付町への入り口には、イプシロンロケットの実物大模型がトーテムポールのように立って訪問者を見下ろしていますし、内之浦地区に入るとその風はさらに強くなり、小学校の大外壁に宇宙遊泳する子供たちの姿が描かれていたり、ランチの美味しい定食屋さんは「ニューロケット」だったりと、ロケット関連満載の町並みになっているのです。
とある休日、熱中症対策として塩分補給のため、あの「まつわきラーメン」を食べに行きました。旧内之浦町民のソウルフードを美味しくいただき、夏の海をながめながら南にドライブ。橋の親柱の形状が気になっていたのですが、いつもスルーしていました。この日初めてじっくり見てみました。
8月5日(月)10:40から、弊社下住工場のCLT加工棟前において、主催 鹿児島県様、共催 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会様による「日本の木材活用リレー ~みんなで作ろう選手村ビレッジプラザ~」かごしま材出発式が開催されました。
7月に入りました。梅雨前線は日本列島の真上を横切って、局地的な大雨など活発な活動を続けています。そんな季節の中で、志布志湾沿岸の浜辺で繁殖を始めたコアジサシたち。その後の報告をすることにします。
5月末、コアジサシ100羽ほどが志布志湾に注ぐ河口近くの砂浜に飛来し、6月初旬には抱卵を確認することができました。その後、コロニーの中の鳥たちは少しずつ種類と数を増やし、6月10日過ぎには、ベニアジサシという岩礁で繁殖するといわれている種類も100羽を越えて加わり、卵を抱き始めたのです。このコロニーで少なくとも4種類200羽以上をカウントしました。
気象庁HPの「令和元年の梅雨入りと梅雨明け(速報値)」によると5月31日ごろ、昨年より5日早く、南九州が梅雨入りしたようです。たしかにその日以降曇りか雨、じっとりとした気候になっています。あれほどわがもの顔で青空を泳いでいた鯉のぼりは姿を消し、紫陽花が静かに咲いているのがふさわしい季節になりました。
CLTの拡販を目的としてカタログを作りましたので、お知らせいたします。
<目次>
1. CLTとは
2. CLTの製造・加工
3. 日本の森林資源
4. CLTの使用について
5. 建築事例(海外のCLT建築、国内のCLT建築、当社のCLT建築事例)
6. CLT建築の推進
7. CLTを用いた建築物の一般的な設計方法等の策定
8. 当社のCLT関連研究開発
全60ページのカタログです。
カタログのご要望につきましては、当社・営業部(吉松、小城、宇田)までご連絡ください。
4月初旬、里の桜が散り終わるころ、肝付町国見山系では、アケボノツツジが開花の時期を迎えます。薄いピンクのその花に魅了されている山好きな人々は数多いようで、町観光協会が「アケボノツツジ群落お花見ツアー」の募集を開始したところ、たちまち定員に達したとのお噂でした。ただ、このツツジの開花時期は気象条件により前後するため予想は難しく、このツアーがドンピシャだったかは不詳です。
4月下旬の休日、アケボノの咲き残りでもあればという下心で、家人と甫与志岳に登ってみました。ポピュラーな姫門登山口から。案内看板には山頂まで60分の表示があります。
5月17日、地元・岸良小学校の遠足で小さな皆様が来社されました。
当社の木造事務所に入るなり、「木のにおいがするね~」「これはヒノキ風呂のにおいだよ!」(通だな)と元気いっぱいの子供たち。引率の先生方と一緒に、工場内の安全な場所を選んで見学いただきました。
思ったよりも小さくて、お渡ししたヘルメットと頭のサイズが全く合っていないのも可愛らしく、完全に癒された従業員一同でありました。また大きくなってからも来てね!
拝啓 新緑の候 ますますご清祥のこととお慶び申し上げます
さて 私こと このたび弊社取締役会において 代表取締役会長に就任しました
社長在任中は多年にわたり一方ならぬご懇情を賜りまして 有難く厚くお礼申し上げます
また引き続いて技術・経営をサポートすることになりますので 今後とも宜しくお願い申し上げます
後任の有馬宏美につきましては 私同様のご支援を賜りますように重ねてお願い申し上げます
先ずは略儀ながら御礼かたがたご挨拶申し上げます
敬具
令和元年五月吉日
山佐木材株式会社
代表取締役会長 佐々木 幸久
平成31年2月20日(水)、本年度三回目の 「山神祭」(やまんかんまつり)を行いました。
「山神祭」は全国で実施されているようですが、山佐木材では、旧暦の正月、五月、九月の十六日を基本に実施しており、会社年度としては今回が締めくくりの回となりました。
今回も、料理、買出し、会場設営等、仕事そっちのけ?で準備し、17時半には神棚前で安全祈願を済ませて、事務所2階に集まりました。
啓蟄が過ぎました。まちを囲む山を見回すと、あちらこちらに白い山桜が咲き、深まる春を実感させてくれます。
さて、今年正月、Hさんにお供して、波見、唐仁地区を歩いて中世のあたりを旅し、歴女ならぬ歴爺の仲間に入ってしまいました。この地をはぐくんできた歴史やその成り立ちを、これまで何も知らなかったことを少し反省しながら、ぶらりを続けております。
前回までの中世から一気に、4~5世紀・古墳時代に遡ります。しかし、場所は前回と同じ東串良町唐仁地区。ここには国指定史跡「唐仁古墳群」として、大小130基あまりの古墳が集中しているのです。その中心に位置し、最大規模を誇るのが大塚神社として祭られている「第1号古墳」(大塚古墳)です。
こんにちは。CLT部の西牧(にしまき)です。
1月29日火曜日と30日水曜日の二日間 東京ビッグサイトで開催されました東京都主催の『モクコレ2019』に初出展して参りました。
こんにちは。CLT部の西牧(にしまき)です。
1月19日(土)と20日(日)の二日間、マリンメッセ福岡で開催されました、越智産業様主催の『アイラブホームフェア2019』に初めて出展して参りました。
2月5日は旧暦の元旦。こちら大隅では梅や緋寒桜が丁度満開となり、さわやかな香りを漂わせています。初春と呼ぶにふさわしい季節を迎えました。
先月Hさんに誘われて、肝付町波見を散策しながら、中世から藩政時代にかけて、この地に日本有数の財力を有する人々が実在していたことを知りました。そして、その人たちは、志布志湾に注ぐ肝属川河口を本拠地として、海を渡り、中国大陸や南方諸島との交易を活発におこなっていたのです。
Hさんが、「今の行政区域が歴史の舞台だったわけがなく、肝属川両岸に広かる地域、さらには志布志湾岸を一帯としてとらえるべき。まずは、対岸の東串良柏原、唐仁あたりに行ってみよう。」と言うので、有明大橋を渡って東串良町に入り、柏原を経て、少し上流に位置する唐仁にやってきました。道のりにして約4Km。
いつもはここは、田んぼの中に広がっているごく普通の集落として通過しています。この日はじめて、むらの真ん中を南北に伸びている道を、車から降りて歩いてみました。
こんにちは。建設部の中野です。
平成31年1月21日と22日の2日間、一般財団法人日本建築センター主催のBCJ技術セミナー『構造設計シリーズ/木造編(基礎Ⅱコース)』に参加してきました。
(昨年7月に同セミナーの基礎Ⅰコースに参加したときのブログはこちら)
この研修は、中大規模木造の構造設計を行うための講義と演習に取り組むセミナーで、大断面集成材ラーメン構造による3階建ての事務所ビルの構造設計について、実践的な演習を行いました。
1月12日(土)、こちら鹿児島は雨模様ですが、今日は朝から「鏡開き」のぜんざい作り。今年も事務所の女性陣が準備してくれました。(ありがとうございます!)
工場のあちこちに飾っていたお餅を回収して、一年ぶりの餅焼き。
ストーブの準備、小豆の準備、お餅がやわらかくてくっつく!等々、やっぱりバタバタです。
(私は手伝いもせずに写真とってました!すみません!)
新年明けましておめでとうございます。
平成最後のお正月は、南国の冬としても暖かく穏やかでした。
みなさまのところは如何だったでしょうか。
昨年の暮れ、高校時代からの友人で歴史に深い造詣を持つHさんから、1月はじめに高山、東串良のあたりを見に行きたいので案内してくれないかとの依頼がありました。今年、弊社の年始休暇には、ゆとりがあったので、一日丸まるお供することにしました。
「時代をさかのぼって、古代4~7世紀あたりと、中世14~17世紀のころを現地で想像したい。」というのが、Hさんの来訪目的のひとつ。志布志湾に面する「波見」と「下伊倉」、「唐仁」を、おじさん二人でじっくり歩いてみました。
皆様、新年あけましておめでとうございます。
きっと今頃は、お屠蘇でほろ酔いのメルマガ編集長のM理です。
昨年一年間、大変お世話になりました。いつもメルマガをご愛読いただき、誠にありがとうございます。
さて、元旦にあたり、昨年の出来事を少し振り返ってみたいと思います。
師走に入りました。上旬は、散歩をすると汗ばむほどの記録的な暖かさでしたが、大雪を過ぎた今日この頃、やっといつもの冬にもどったようです。冬といえばコタツ、コタツといえば宿題しながら聞いていた深夜放送。
我が家には、M田が中学1年の冬に、お年玉と親にねだって買ってもらったラジオが現役で音を出しています。その名も高き「ナショナル2000GXワールドボーイ」。これで「つるこう」とか「ちんぺい」とか「なかじま」とか寝ずに聞いたものでした。もう50年近く、苦楽をともにしていますが、文句ひとついわず付いてきてくれました。まことに見上げたものです。
こんにちは。CLT部の西牧です。
10月19日(金)から10月21日(日)までの3日間鹿児島市の県民交流センターで開催されました、『2018かごしま住まいと建築展』に出展参加して参りましたので、ご報告いたします。
暦のうえでは立冬を迎えましたが、南国大隅は、最高気温は20℃を上回り、最低気温は10℃あたり。日中は汗ばむ陽気が続いており、服装は長袖シャツに薄手のベストという取り合わせで心地よく過ごしています。
この季節、当地に広がる照葉樹林帯では、樹々を見上げれば、むかご、あけび、こくわ、どんぐりなどがたわわに実をつけ、林床にはきのこの仲間が顔を覗かせているはずです。夏場はすっかり眠っていたはずの狩猟採集民の血が沸々と騒ぎはじめ、山へ山へと視線が向いてしまうのであります。
日曜日の朝、ドリカムの「晴れたらいいね」(26年前のNHK朝ドラ『ひらり』テーマ曲)を口ずさみながら、庭の手入れをしていると、若い友人から「今年は、“ばかまつたけ”が豊作だそうな!」という夢のような情報が飛び込んできました。まつたけの前に「ばか」とは実にひどいネーミングですが、赤松林ではなく広葉樹林にはえるきのこで、香りは弱いながらも姿はれっきとしたまつたけの仲間なのです。20年ほど前この辺りの山中で何本か見つけて、大喜びしたことを思い出しました。
早速、こりゃ山へ行こうと言うことになり、自宅から20分、国見トンネル上部の林道へとドライブ。この辺りは沢沿いに急峻な谷が照葉樹で覆われており、採集の楽しみにあふれています。
路側スペースに車を置き、藪を分け、沢を渡るとすぐに「万滝」の看板が見つかりました。
こんにちは。総務経理部の鶴田です。
10月20日(日)に、「おおすみ木材まつり」が鹿屋市県民健康プラザで開催され、当社も出店しました。
おおすみ木材まつりは昨年・一昨年と2年続けて天候不良の為中止でしたが、今年は秋空が広がりました。
10月12日(金)、当社が事務局をつとめる「超高層ビルに木材を使用する研究会」の第6回総会、記念シンポジウムが下記のとおり福岡で開催されましたので、ご報告いたします。
秋のお彼岸がすぎると、南国肝付も秋らしさが増してきます。
田んぼの稲の収穫は終わり、シラス台地の上に広がる広大な畑地では、焼酎やデンプンの原料となるサツマイモの収穫が本格的に始まりました。今年は24号、25号と9月末から10月はじめに掛けて立て続けに襲来し、ほかの農作物への被害も出ているようですが、サツマイモはさほどの影響は無かったように聞いています。
台風が過ぎると、九州は大陸からの高気圧におおわれ、澄みきった青空が広がります。この時季になると、夏鳥は日本で生まれた幼鳥を伴って南方へと渡っていくのです。なかでもサシバという鷹の仲間は、おもに大隅半島を通って、佐多岬から南西諸島伝いに、インドネシアやフィリピンへと南下することが知られています。
さわやかな秋晴れが続くこの頃(台風が来てますが)、皆様いかがお過ごしでしょうか。
去る9月15日~16日、マリンメッセ福岡で開催されましたナイス株式会社様主催の「住まいの耐震博覧会・木と住まいの大博覧会2018」に鹿児島ブースとCLTブースの2ブース出展してまいりましたので、ご報告いたします。
いつもご愛読ありがとうございます。メルマガ編集長のM理です。
このたび、弊社メールマガジン「ウッディストのたより」が記念すべき第60号を迎えることが出来ました。これもひとえに毎月記事を書いてくれる社員の皆さん、また、メルマガを楽しみにしてくださる読者の皆様のおかげと大変感謝しております。
さて、60号と簡単に申しましても、1ヶ月に1回の配信ですので、1年に12回、60号というと5年の月日が必要です。
私が山佐木材に入社して5年6ヶ月経ちますので、入社半年で第1号を配信することになったわけですが、私が入社したとき、そもそも土台となるべきホームページが放置されており、なかば死んだような状態になってしまっていました。聞けばホームページを担当されていた方が退職してから更新が滞りがちになったそうです。(よくあるパターンですが)
いつもお世話になっております。
CLT部の西牧です。
9月7日(金)・8日(土)の2日間、沖縄コンベンションセンターで開催されました「新洋建材フェスタ2018」に、宮崎県の吉田産業様のブースを間借りして、弊社のCLTを一部展示させて頂きましたのでご報告します。
9月の声を聞いたとたん、風が涼しくなりました。柿も色づきを増し、葛のやぶ奧には紫の花穂も見えております。蝉の声もいつのまにか「カナカナ」に替わっているようです。
月初め、論地工場へ行こうと下住工場を出て、高良(たから)橋を渡り、ふと右手の旧鉄道跡の土手に目をやると、ふだんは全く人気のない桜並木のみちに多くの人影が見えました。馬もいます。
こんにちは。2回目の投稿です。山佐木材新入社員の中野です。
平成30年8月6日から8月10日の5日間、「平成30年度 公共建築物等木材利用促進研修」に参加しました。
この研修は、公共建築物等の木材利用促進を図るため、中大規模の木造建築物の設計に当たっての制度、木材や木質建材の特性等についての知識及び木造建築の構造設計についての基礎的な技術を習得させ、中大規模木造建築物の構造設計及び発注等ができる者を育成することを目的に行われました。
ちょうど3年前にも意匠設計をする方を対象にした研修が行われ、当時、当社に大分県庁から研修に来ていらっしゃった西胤さんが参加されていました。
今回は入社したての私が参加させていただくことになり、大変光栄であるとともに、当社の名前を背負って参加させていただく初めての機会で緊張感もありました。
残暑お見舞い申し上げます。
台風12号が去った後、当地でも身体に危険な暑さが続いています。工場内のスポットクーラーや大型扇風機も効果をあらわせないほど気温があがり、熱中症の予防注意が欠かせません。
この時期、大隅半島中南部において、ビールのあてにはもっぱら、塩ゆで落花生が出されます。
この地方の労働者の塩分補給はこれで行われていると言っても過言ではないぐらいの量と頻度で提供されるのです。湯気の上がってる小さなこいつと、冷たくてグッと来るあいつは、まさに永遠の、最強バッテリー。キモツキンリーグ・バンシャクズのサトナカくんとヤマダくんなのであります。
こんにちは。初めて投稿します山佐木材新入社員の中野です。
平成30年7月23日から24日にかけて、一般財団法人日本建築センター主催のBCJ技術セミナー『構造設計シリーズ/木造編(基礎Ⅰコース)』に参加しました。
この2日間のセミナーは毎年、木造の構造設計方法の理解と基本的実務の習得を目標に行われていて、構造設計を行う上で大事である手計算での壁量設計を学ぶために参加しました。
今日は七夕です。
昨日来の猛烈な大雨で西日本を中心に洪水や崖崩れなどが発生しています。
被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
久しぶりに東京に行ってきました。
林野庁に申請した提案が今年度の補助事業に採択され、第一回目の委員会を開催することになったためです。
(事業名「CLT等新たな木質建築部材利用促進・定着事業のうち新たな製品・技術の開発」)
6月26日(火)、東京は晴天で30度を超える暑さ、当社が契約している「ビステーション新橋」という新橋駅ビル内の会議室で実施しました。
平成30年6月29日(金)、本年度一回目の 「山神祭」(やまんかんまつり)を行いました。「山神祭」は全国で実施されているようですが、山佐木材では、旧暦の正月、五月、九月の十六日を基本に実施しています。
今回は旧暦五月十六日の「山神祭」。当日は、料理、買出し、会場設営等、仕事そっちのけ?で準備し、17時半には神棚前で安全祈願を済ませて、事務所2階に集まりました。
肝付町の東岸は、太平洋の荒波に洗われて、山裾が削られ白い崖や巨石となって海辺まで迫り、荒々しい海岸線を形づくっています。特に岸良から佐多に掛けては、石鯛釣りのメッカとなっているようで、あの「釣りバカ日誌」にも登場しました。山佐木材の釣り部の面々もかなりの頻度で通っているようですが釣果についてはちらほらとしか聞き及びません。
そんな海岸ですが、「岸良(きしら)」と「辺塚(へつか)」、ふたつの湾の奧にだけ砂浜が横たわり、訪れるものを柔らかく迎えてくれるのです。どちらも花崗岩質の山から川によって運ばれた、石英を多く含んだ白っぽい砂におおわれています。今回は最南の辺塚海岸に行ってきました。
当社のCLT部が、テレビの取材を受けました。
※テレビ放送は鹿児島のみですが、MBCホームページで5月27日から1年間視聴可能となるそうです
https://blogs.mbc.co.jp/furukago/
皆様、4月の終わりからの大型連休、大いに楽しまれたことでしょう。5月5日、6日辺りはまだうっすらと記憶に残っているかも知れませんが、心に残るイベントを組まずに過ごされた方にとっては、4月29日に何をしたかもう思い出すこともできない、忘却の彼方になっちゃったのではないでしょうか。「年かなぁ」などとため息をつきたくもなります。
そんなあなたにお勧めなのが、毎年かかさず同じ日同じ行事に行くこと。これは効く。私の経験では、ほぼ100%忘れることはありません。ぜひ、お試し下さい。
というわけで、今年も4月29日、志布志お釈迦祭りに行ってきました。この前は遅刻して、メインイベントを見逃したので、早起きして参じました。
9時過ぎから稚児行列が始まります。ここのお稚児さんは、自分で歩くのではなく、紅白に飾り付けられた籠に乗せられて進みます。担ぎ手は、たいていお父さんやお祖父さんでお母さんたちは籠の横について歩くのがしきたりのようです。この籠には年齢制限ではなく体重制限が設けられているという噂です。ともあれ、眉と鼻に白粉をつけてもらったお稚児さんがちょこんと座った姿は可愛いこと。1.2kmほど歩くそうですが、担ぎ手は孫子のためならということでしょう。大変そうです。
5月は山佐木材の新年度スタートの月です。
5月1日(火)8時より従業員全員集合し、平成30年度の方針発表会を行いました。
一人一人に方針書が配布され、前田部長より29年度の成果発表が行われました。
緊張の入社式を終えた新入社員たちは、3日間の新入社員研修に入りました。
まずは社長講話。「山佐」の起こり、創業社長のこと、山佐木材の事業経緯、自らの経験とこれまで事業選択をするにあたり何を大切にしてきたかといったお話がありました。
最後に新入社員の皆さんに「石の上にも3年、辛抱が大事。その間に実力をつけよ」、「会社を舞台に自らの踊りを踊れ」という言葉が贈られました。
今年の春は、九州大隅半島を駆け足で過ぎていったようです。
3月25日には桜が満開となり、花見をする暇もなく、その後の暖かさの中で立待ち葉桜になってしまいました。早く芽を出せと掘るのを楽しみにしていた筍も、ちょっと油断した間にすくすくと成長して大人の背丈ほどになってしまったものもあります。タラノメなどは、芽ではなくなった掌ほどの若葉をかろうじて天麩羅にすることができました。
そんな悔しい春を過ごす中、年上の友人から曙つつじ鑑賞登山のお誘いが、ショートメールで舞いこみました。
鹿児島県内では、曙つつじを見ることのできる山はどうも限られているようで、肝付町国見山系が数少ないうちの一つにあげられています。登山道周辺に自生地が見られるのは甫与志岳と黒尊岳の中間あたりだそうですが、M田はまだ実物を見たことはないのであります。
とある日曜日早朝、友人、家人と三人で一路、姫門(ひめかど)林道へ。車で横付けできる甫与志岳への登山口はここだけなのです。駐車場にはすでに先客が何台も、宮崎・大分ナンバーも停まっていました。
平成30年4月2日(月)陽光あたたかな春の日、新たに社員を迎えることができ、入社式を行いました。
4月2日入社の3名と、この1年で中途採用・社員登用された9名の合計12名が出席しました。
今年度の消火訓練を3月19日(月)に実施しました。生憎の雨模様となりましたが、なんとか訓練自体は最後まで行うことができました。
今回も東部消防署様のご協力の下、社員一丸となって予行練習から本番まで精一杯訓練して頂きました。ありがとうございました。
1月の中頃、この九州の南端でも山には雪が積むほどの寒さでした。春と呼ぶにはまだまだ早い。肌で感じる季節としては初春というよりまだ冬です。
それが2月に入り立春を迎えると木々の枝先はやや赤みを帯びてきて、枯れ草の間から緑の芽が見え始めます。それから10日ほどたった2月16日(金曜日)が、今年の旧暦の正月元旦でした。「新春のお慶びを申し上げます。」という挨拶が、老若男女どなたにもしっくりと受け入れてもらえる肌持ちです。新月の闇の濃い夜が過ぎるころ、白々と明るくなっていく山ぎわから昇る朝日には、晴れ晴れとした快さと暖かさが実感できます。
その週の日曜日。陽気に誘われ春とこの時期のおいしいものを探して散策に出かけることに。拙宅の生け垣周りの草も少し伸びてきました。椿の木の下にはみつばが柔らかな若葉をひろげています。スーパーでは水耕栽培のヒョロッとしたものが一年を通して並べられていますが、あれとは香りも歯ごたえもまるで別物。こいつをたっぷり採って、白和えにしていただくことに。当地では白和えは白味噌仕立てです。今時分、焼酎のつまみとしてこれに勝るものは無いでしょう。
平成30年3月3日(土)ひな祭り、本年度三回目の 「山神祭」(やまんかんまつり)を行いました。
「山神祭」は全国で実施されているようですが、山佐木材では、旧暦の正月、五月、九月の十六日を基本に翌日が休みの日の夕方に実施しています。
今回は旧暦正月十六日の「山神祭」。あいにくの雨でしたが、仕事を早く切り上げて、神棚前で安全祈願を済ませて、事務所2階に集まりました。
2月7日(水)、かごしま県民交流センターにおいて「鹿児島県森林・林業振興大会」が行われました。当社から社長が活動事例を発表することになっていましたので、私も初めて参加しました。
会場に到着すると、既に多くの方が集まっていました。やはり林業・木材関係者が多く、合い間に何人かの方にご挨拶することができました。
「初春を探そうか。」などという風流な気持ちも、しょんぼりとしぼんでしまいそうなこのところの寒さです。身をちぢめているせいでしょうか、なんと左の肩胛骨当たりが痛い・・・神経痛になっちゃたようです。しかし、こんなことで挫けてはいられない、今回は全国にも希なイベントが発生するというので気張って出かけることにしました。
わが肝付町には、宇宙航空研究開発機構JAXAのロケット発射場があります。ここから1月18日(木)午前6時6分11秒にイプシロンロケット3号機が打ち上げられるのです。流石に科学の力、宇宙の事情によって、11秒が肝なのでしょう。が、M田にとっては「これなら発射を見てから会社に行けるじゃありませんか。片道1時間の距離まで余裕で往復可能!」の時刻と解釈してしまうのであります。負けじとこちらも秒読みで行動。
当日4時50分22秒に起床、身支度を整えて、5時3分57秒、岸良方向へ向けて発車。普段は通る車もいない経路ですが、さすがに前を走っている車のテールランプが三つ、二つ見え隠れしています。
岸良繁華街中心部には、消防車&救急車も待機、交差点から内之浦方面へは交通規制がかけられ一般車は通行できません。そこで、国道448号を錦江町方向へ右折し、船間方面へ。1㎞ほど行くと岸良海岸の駐車場がやたら明るい。幾台もの投光機が周りを照らし、車両案内係も配置されロケット発射見学場に様変わりしています。